「――――なんて事、納得できるワケねーだろーがっ! 何で俺が退学処分になってんだよ!」
 取り敢えず、ノコノコとやって来た担任に対し、詰問を開始。
 哀れ、オカマは忍によってネクタイをキリキリ締め付けられた。
「きゃああああっ!? ダメよこんなトコロで! 迫るならもっと、もっとムードのあるトコロで……」
「良いから理由を言え! ケンカ売ったからか!? 初日に一悶着起こした事、今更蒸し返してどうしようってんだよ!」
「いやン、もう! 退学決めるのワタシじゃないしィィィィ。ってゆうか、窒息プレイ嫌いじゃないしィィィィ」
「黙れ変態! じゃあ誰が決めたんだよ!」
「こうちょーっ。超こうちょーっ」
「校長……?」
 忍は顔をしかめつつ、ネクタイから手を離した。
 バタン、と言う音と共に、オカマの切ない甘え声が漏れるが、最早忍の眼中にそのクリーチャーはいない。
「俺、校長に恨まれるような行為、したっけ……」
 心の中でそこまで自問自答した時点で、ふと気付く。
 退学処分になっているのは、二名。
 そこには、忍の他に、もう一人の名前が記されていた。

 ――――刹那朱莉。

「……あの女、俺の知らない所で、何かやりやがったな」
 右手をピキピキと慣らし、口を威嚇中のオオカミのように広げ、忍は周囲を伺った。
 だが、そこに朱莉の姿はない。
 まだ登校していないのか、それとも――――
「校長室か」
 そう直感で判断し、そのまま野生動物の形相で教室を出た。
 目指した場所は、あっと言う間に目の前へ。
「失礼します!」
 その目を引きつらせながら、忍は生まれて初めて、校長室の扉を開けた。
 ノックもせずに。
「……?」
 そこには――――本来、そこにいる筈のない人物が二人、いた。
 一人は、億川絵空。
 刹那朱莉の言うところの、サードヒロイン。
 彼女が、もう一人の人物に向かって、何かを差し出している――――ように、最初は見えた。
 しかし、それは差し出しているのではなく、突きつけている事に気付き、忍の顔は一瞬で青褪めた。
 絵空が手にしているそれは、ナイフ。
 只の果物ナイフだ。
 だが、その切っ先が人に向けられている時点で、それは果物ナイフとは呼べない。
 凶器だ。
 そして、その切っ先を向けられている人物は、この部屋の主である校長――――ではない。
 堂園出水。
 つい先日、忍達と協力体制を築いたばかりの、女顔の男子。
 その出水は、普段の飄々とした顔ではなく、真顔で絵空と対峙している。
「……億川……さん?」
 人物も、道具も、状況も、舞台も、全てが意味不明。
 そんな中で忍が出来たのは、そう呟く事だけだった。
「……」
 絵空は応えない。
 答えないのではなく、応えない。
 その視線は今尚、出水へと注がれている。
「思ったよりも早かったね」
 その出水は、忍の方を横目でチラリと確認した後、前方へそう告げる。
 その言葉の意味も、忍には一切わからない。
 だが、次の瞬間――――その言葉を一瞬で消し去るような出来事が起こる。
「探してた……ずっと」
 それは、他の誰でもない。

 億川絵空から発せられた言葉。

 喋れないと、そう自己申告した少女の声だった。
 外見よりも、年上のように感じるその声に、忍は戦慄すら覚え、息を呑む。
 ある意味、ナイフとの相性は最高だった。
「あの日、あれを拾ってからずっと……私はこの日の為に生きてきたようなもの」
「それは語弊があるね。楽しかったでしょう? アレを使っていた日々は。そこはキチンと自覚して貰わないと、採算が合わないよ」
「本気で言ってるのなら……もう躊躇は必要ない」
 ナイフを握るその手に、力が込められる。
 それが――――ある種の合図となった。
「お、おい! 待て!」
 まるで呪縛から解かれたかのように、忍は走り出す。
 しかしそれよりも早く、絵空は突進を始めた。
 腕を振りかざし、刃に推進力を与えている。
 直撃すれば、骨が砕ける事はないにしろ、そこまでは到達するだろう。
「……キミには、本当に申し訳なかったと思っているよ」
 だが、その凶器を向けられている筈の出水は、動じる様子もなく、その腕を――――止めた。
「!」
「だけど、ボクにはボクの仕事がある。それはとても大事なコトだ。だから、キミには贖罪より、感謝をすべきだとも思っている。キミのお陰で、本当に良いサンプルを得られた」
 絵空の身体が――――宙に舞う。
 絵に描いたような、鮮やかな一本背負い。
 その僅か数秒の出来事は、まるで絵空事のように、美しく、可憐で、そして非現実的なものだった。
「……うあっ!」
 為す術なく背中から床に叩き付けられた絵空は、苦痛で顔を歪めつつも、意識はハッキリしていた。
 だが、その手にあった筈のナイフは、出水によって奪われていた。
「やあ、主人公クン。中々面白い見世物だったかい?」
「悪いけど、軽口に付き合う余裕はねーよ。こっちは今、頭がこんがらがってんだ」
「だろうねえ。同じ立場だったらと思うと、結構ゾッとするよ。意味不明だもんね」
「わかってんなら、少しくらいは教えてくれても良いんじゃないか? こりゃ一体何の冗談だ?」
 思わず笑いたくなる程、訳のわからない展開。
 その回答は、出水の口から――――
「生憎、それはボクの役目じゃない。けど、安心してよ。キミは主人公だからね。主人公が本筋を知らずに終わる物語なんて、この世にはないよ」
「何が言いたい?」
「真相は、しかるべき人の口から明らかになる、ってコトさ。にしても、損な役回りだよね、ホント」
 それは果たして、誰に対しての言葉なのか。
 矛先を明らかにしないまま、出水はナイフをハンカチで包み、普段の表情に戻ったその顔で絵空を一瞥し、出入り口へと歩を進めた。
「おい、話は……」
「彼女を保健室に。手加減はしたけど、暫く動けないくらいの衝撃は与えてるんで」
「お前っ……」
「話はその後で」
 反論の余地も与えず、出水は足早に去って行った。
「……」
 嘆息しつつ、忍は痛みで顔を歪めている絵空の方に、半眼を向ける。
 今まで見せていた、あどけない中学生の顔とは異なり、怨恨、歯がゆさ、口惜しさを前面に出したその顔は、見ている人間の胸を詰まらせる程、切迫していた。
「取り敢えず、保健室へ行こう。ね?」
 絵空は応えない。
 必死に腕を畳み、自力で立ち上がろうとする。
 だが、背中と共に思い切り叩き付けた衝撃の余波で、力が入っていない。
「……仕方ないな」
 柄でもない事を自覚しつつ、忍はそんな絵空に近付き――――腕を取って、背中に乗せた。
「わっ」
 先程倒されたのと同じ体勢。
 その場面が蘇ったのか、絵空は一瞬、身を竦めた。
 だが、そのまま腕を抱えて投げ飛ばす、等と言う事は当然なく、その華奢な身体が忍の背中にピッタリとくっつく。
「お姫様だっこは、色々ハードル高すぎるからな。こっちで良いよな?」
「え……あ……はい」
「了解」
 絵空の顔は、忍からは見えない。
 尤も、それは逆も同じ。
 お互いに顔色を伺う余裕はなく、無言で担ぎ、担がれる。
 そんな奇妙な感情のまま、二人は保健室へと向かった。




  Ch.4 " nonsense storytellers




 億川絵空の人生は、至って平凡だった。
 ごく普通の家庭に生まれ、数人の友人と、理解ある大人に囲まれ、何不自由なく育てられ、小学校高学年まで大きなトラブル一つなく、順調な日々を送った。
 しかし、その平穏な日常は、11歳の時に拾った『ある物』によって、一変する。
 だが、その原因がわかるまで、かなりの月日を要した。
 変化したのは、その拾得物を手にした日の翌日。
 それは、余りに不自然な出来事だった。
『昨日と全く同じ事を体験する』と言う事。
 それが、ごく一部の動作や光景であるならば、既視感で片付けられるだろう。
 しかしそれは、ほぼ一日全編に亘って繰り広げられた。
 時間割も、授業中に開いた教科書のページも、解いた問題も、全部同じ。
 昼休みに食べた給食のメニューも、放課後に寄った友達の家で出たおやつも、全く同じ。
 明らかに、あり得ない事だった。
 しかもそれは、一日の出来事では済まなかった。
 毎日毎日、来る日も来る日も、同じ事の繰り返し。
 細部を抽出すれば、異なる点も多々あるが、概ね同じ日常を繰り返す日々が続いた。
 理由は、一つ。
 そのループ現象とも言うべき事態を生み出している元凶を、毎日使用していたからだ。
 
 その名は――――3Dブレーカー。

 描いた事が現実に起こると言う、夢のような羽根ペン。
 そんな、非現実的な効果をもたらす羽根ペンを使い、絵空がしていたのは――――

 日記を書く事。

 夜の10時頃に、30分ほど掛けて、事細かにその日一日の出来事を書き記す。
 そして、就寝。
 それだけだった。
 しかし、それだけの事が、結果としてループ現象を生み出した。
 これには、現在と異なる仕様が3Dブレーカーに施されていた事が大きく関わっている。

『描いた内容を二十四時間以内において具現化する』

 当時は、こう言う性質だった。
 その結果、絵空が描いた日記は、翌日に持ち越され、現実となった。
 だがそれが3Dブレーカーで描いた日記の所為と言う事は、わからないまま。
 当然だ。
 自分が書いた事が具現化している、と言う発想は、絵空にはない。
 絵空は、ただ拾ったペンで日記を書いているだけなのだから。
 その為、繰り返しの日常の原因がわからないまま、自ら『変わらない日常』を描き続ける事になった。
 そして、次第に気力は衰え、文章も簡素化される。
『この日も同じ一日だった』と。
 当然、その翌日も同じ一日になる。
 その翌日も。
 この堂々巡りの中、それでも時間は流れ、月日は進んでいく。
 同じ日の繰り返しなのに、カレンダーだけは、どんどん破られていく。
 それはある意味、時間が止まるよりも恐ろしい事。
 次第に――――絵空は心を壊していった。
 同じ内容の授業、同じ内容の会話、同じ内容のやり取り。
 それらを、心が拒んだ。
 結果、言葉を失ってしまった。
 失語症。
 それでも、文字は書ける。
 書けてしまう。
 日常の中に組み込まれた単純作業は、そうなった後でも続いて行った。
 絵空が、この有限ループ現象を抜け出す事が出来たのは――――もう直ぐ学年が変わる頃の事だった。


「これが、彼女の声が失われた原因。ボクはそれを、一部始終監視していた」
 絵空を保健室で休ませ、拠点である情報処理教室Cへと赴いた忍は、同行した出水の話を終始不機嫌なまま聞いていた。
 現在、自身は退学処分と言う、全く身に覚えのない境遇に陥っている状態。
 しかし、それすらも忘れる程、その内容は余りに腹立たしいものだった。
「その結果、『具現化の範囲が二十四時間以内』と言う点に重大な問題があると判断し、修正を要請。三年掛けて、今の形に直して貰ったってワケ」
「……よくもまあ、しれっとそんな事が言えるな」
 この話が全て真実なら、こう言う事になる。
 億川絵空は、当人の自覚なく3Dブレーカーの臨床試験を行い、その結果として言葉を失った。
 そして、今目の前に居る男は、その心が壊れる様を、何もせずにじっと眺め続けていた。
「軽蔑するかい?」
「軽蔑? それ以前の問題だろ。今ここで、お前をブン殴るのには十分過ぎる理由だろ」
 忍はこれまで、人を殴った経験はない。
 典型的なインドア派なのだから、当然だ。
 そんな忍が、思わず拳に力を込める程、出水の話は不快なものだった。
「キミの怒りは尤もだ。結果として、ボクのした事は見殺しだからね。でも、ボクにはボクの立場がある。それを越えてまで試験を中止するほど、ボクは彼女とは親しくはないし、倫理観を重要視してもいない。それだけの話でもあるんだよ」
「お前の自己弁護なんて……どうでも良いんだよ!」
 忍の怒りは、頂点に達した。
 ただ闇雲に握っただけの拳が、反動を付ける為に後ろへと引かれる。
 しかし――――その拳は、固定されたまま動かなかった。
 正確には、止めた。
 忍は、殴れなかった。
 本来、主人公ならば、そうすべき場面だと言うのに――――
「殴らないの?」
「……」
 握った拳を解き、力なく項垂れる。
「別に殴っても良い筈なのにな。どうせ退学なんだし」
「退学……?」
「ああ。だから校長室に行ったんだよ。理由を聞く為に」
 忍のその言葉に、出水は思案顔を作り、暫し沈黙した。
「……なら、その処分も含めて、検討すべきコトは山ほどありそうだ。ボクの言う事を良く聞いて欲しい」
 出水の顔に、余裕はない。
 先程、校長室にいた時と同じ表情だ。
「まず、今の状況。おかしいトコロが多々ある。何だと思う?」
「フザけてんのか? おかしい事だらけだろうよ」
「そう。おかしいコトだらけだ。何よりおかしいのは……キミが、3Dブレーカーについて、何ら疑問を持つコトなく受け入れていると言う事実」
 その言葉に、忍の目が見開かれる。
 それが何を意味するのか――――
「今日、あの羽根ペンは使われてない……?」
「そう言う事になる。にも拘らず、この有様だ。つまり、絵空チャンがボクを襲ったのも、キミが退学になったのも、現実の出来事、ってコトになるね」
「……」
 ますます意味不明な状況。
 忍は、思わずしゃがみ込むほどの脱力感に襲われた。
「つーか、そもそも何でお前と億川さんは、校長室になんて居たんだよ。校長もいねーし」
「ボクに関しては、機密事項なので何とも」
「ああ、調査でもしてたのか。生徒会絡みで」
「……大した想像力だね」
 呆れ気味に、出水は一つ息を漏らした。
「今日、校長は出張でお留守。だから、昨日の掃除の時間に窓の鍵に細工をして、直ぐ開けられるようにしてて……ま、これ以上は割愛するとして、兎に角そこに突然、彼女が現れたんだよ。しかも、鍵の掛かった扉の方から」
「ますます意味不明だな。お前を恨んでたのは確かだろうけど……」
 校長室の調査と言う状況自体は、薫子や譲との会話を盗み聞きしていた、等の推測が成り立つ。
 だが、そこを復讐の場に選ぶ理由は、見当たらない。
「ま、絵空チャン襲撃事件は、後で本人に話を聞くとして……退学って言うのも、穏やかじゃないよね。どういう事?」
「こっちが聞きたいっての。登校したらもう、退学処分通知の紙が貼られてて……」
 そこでふと、忍はそもそもの目的を思い出した。
「そうだ。俺だけじゃなくて、刹那も退学だった」
「刹那朱莉も?」
「ああ。だからてっきり、アイツが何かやらかして、俺が巻き添え食らったとばかり……」
 そこで、忍はようやく気付く。
 仮に、朱莉が昨日何かやらかしてたとして。
 果たして――――何の通告もなく、いきなり退学なんて事になるだろうか?
 無論、なる訳がない。
 今日の出来事は総じて、色々とおかしい。
 破綻しまくってる。
 肝心の朱莉の姿も見えない。
 不条理な事だらけだ。
「……妙だね」
「ああ、もうカオス状態だ。訳がわからん」
「いや、妙な事は一つだけ」
 混乱する忍を更に混乱させたいのか――――出水はそんな事を言い出した。
「取り敢えず、緊急召集をかけよう。情報の整理が必要だ」
「俺はどうすりゃいいんだ。退学って事は、もうここにも居られないのか……?」
「構わないんじゃない? ロクな説明もない退学通知なんて、この際無視しとけば」
「他人ごとだと思いやがって……進学とかどうすんだよ、これから俺……」
 忍は頭に鈍痛を覚え、思わず顔をしかめる。
 ただ、未だに現実味がないのも事実。
 将来の事なんて、到底考えられる精神状態にない。
 そんな中で出来るのは、何らかの打開策が出てくる事に望みを託し、携帯で連絡を取る出水の姿をボーッと眺める事だけだった。


「さて。一時間目をサボってまで集まって貰ったのは、他でもない」
 出水が召集をかけたのは、自分の直属の部下である四十万譲、百崎薫子の二名。
 保健室で寝てる絵空は当然として、行方不明の朱莉に加え、名夕の姿もない。
「どうやら、予想していたより早く、最悪の事態が迫ってきている」
 そんな忍の疑念を、出水は一言で吹き飛ばして来た。
「……最悪の事態って何だよ?」
「そうだね。君はもう完全に容疑者から外れたし、そろそろ本当の事を話そう」
 それが何を意味するのか――――流石にわからざるを得ない。
 尤も、懸念していた事ではあったが。
「協力を仰いでおいて、今まで容疑者扱いだったってのかよ」
「それに関しては、申し訳ない。こっちも必死なんでね。何しろ、世界がどうにかなるかもしれない瀬戸際なんだ」
『世界がどうにかなる』。
 それは、物書きを目指す忍に取って、陳腐であり、同時に魅惑的な言葉。
 つまりは、そう。
 セカイ系。
 こんな事を言われたら、忍は話を聞かざるを得ない。
「さて、何から話そうか……そうだね、取り敢えず3Dブレーカーについて説明しよう。君には確か、3Dブレーカーを三次元保安器って説明してたよね?」
「違う、ってのか?」
「いや、間違ってはいないよ。ただ、これはあくまでも、表の意味。この道具の存在を認めさせるための、ね」
 つまり――――裏の意味もある、と言う事。
「実際には、『Dream』、『Delusion』、『Disturbance』の頭文字を取って『3D』。意味はそれぞれ『夢』、『妄想』、『不安』。意味がわかるかい?」
 夢。
 妄想。
 不安。
 それは、忍が常に心の中に抱えているもの。
 いや――――ほぼ全ての人間が内包しているものだ。
 3Dブレーカーが、それを保護する為のシステムだとしたら――――
「人間の心を制御する為の……?」
「へえ。やっぱり君、鋭いよ。これだけの情報で、そこに辿り着くなんて。才能あるんじゃない?」
「そんなクソみたいなお世辞はいいから、正解を話せ」
 幾ら人に褒め慣れていない忍が相手とは言え、この状況では単なる軽口にしか聞こえない。
「仰る通り、3Dブレーカーの本来の目的は、犯罪を抑制や、平和の持続だけではありません。人間の持つ、あらゆる発想力を根源から制御する為の、いわば『創造制御システム』です。発想というのは、夢、妄想、不安のいずれかを発端とする事が殆どですから」
 譲が補足するその言葉は、確かに納得できるものだった。
 実際、忍にも身に覚えがある。
 新しいエピソードを生み出そうとする場合、その三つが原動力になる事が多い。
 それ等に手を加えるって事は……紛れもなく、人間の創造力を弄る事に繋がる。
「これを作った『とある研究者』は、自分の発想力、創造力が途切れる事を恐れた。研究者は、発想で糧を得て生きてるようなものだから、当然だろうね。そこで生み出したのが、この3Dブレーカー。ただ、人間の心を制御するって言う、ある種の禁忌に踏み込んだアイテムだから、それが表に出ちゃいけない。だから、社会的な意義のある理由を作った」
「それが、三次元保安器……」
 なんとも、創作意欲をかき立てる設定だ。
「自分の発想が実際に具現化する事で、発想力は刺激される。夢、妄想、そして不安も。特に不安は、実際に現実として起こるからこそ、心に留まる。それを消さない為の『保安器』として、3Dブレーカーは確かに目的通りの効果を得られる装置となった」
「めでたしめでたし……とは、ならなかったんだな」
「その通りです」
 説明交代と言わんばかりに、譲が割り込んで来た。
「そもそも、どのような方法でこんな効果を生み出す装置を、しかもあんな小さな端末で可能としたのか。その技術に関しては、自分達にはまるで理解できません。オーバーテクノロジー、オーパーツのレベルです。そして、その効果は時として国をも滅ぼす、核兵器に匹敵する脅威。個人の利用に留まる筈もなく、3Dブレーカーとその開発技術を求め、国家からの水面下での脅迫めいた打診が夥しいほど寄せられました」
 国を滅ぼした、と言う部分は、以前忍が聞いた通り。
 だが、それを国家が奪いに来たと言うのは初耳だった。
 尤も、『描いた事が実現する』なんて物が実在して、しかも実際に検証されたとあれば、手に入れようとしない人間は誰もないだろう。
 そうなれば、国が動くのも当然だ。
「世界がどうこうってのは、そう言う事か」
「はい。『3Dブレーカーの話はガセだった』と言う偽情報を流し、尚且つ国家がひっくり返るだけの額を要求した事で、ほぼ全ての国が請求を撤回しましたが……」
「世の中、ロマンティストが思いの外多いって事よね」
 ケッ、とあんまり女子が見せない類の溜息を吐き、薫子はジト目を作っていた。
 つまり、まだしぶとく交渉、若しくは脅迫をしている国がある、と言う事になる。
「本来は、そんな連中がいる以上、表に出したくないアイテムです。しかし、一番怖いのは、このアイテム自体が暴走すると言うシナリオ。自分達には制御できない力ですから、せめて管理は完璧にしなければなりません。億川さんのケースは、その過程で起こった不幸な事故だったのです」
「自己擁護のセリフとしては、詭弁の域を出てないな」
「恐れ入ります」
 譲は恭しく一礼し、詫びた。
 そこにいる人間にその行為を見せても、何ら意味がない事を悟りながら。
「……ボク達【ASC】が本来すべき事は、3Dブレーカーのテスト。治験者をある程度作為的な範囲の中から選んで、その人物が3Dブレーカーをどう扱うか、またそれによって3Dブレーカーがどう働くか、或いは働かないのかを見極める監視役なんだ。この辺は、以前説明した事と重複するね」
「自覚してるなら、完結にまとめてくれよ」
「なら、3Dブレーカーの解説はこの辺にして、現状を伝えよう」
 出水の顔から、薄ら笑いが消える。
「テストの途中、ボク達は3Dブレーカーの存在をロストした。そして今日、最悪のケースが想定される事態が起こった」
「……このカオスな状況の事か?」
「そう。億川絵空が話せるようになった事と、異常行動。キミと刹那朱莉の退学。更には……その刹那朱莉および、那由他名夕の失踪」
「失踪!?」
 その単語は、ここにいないと言う事だけを示すものではない。
 忍の驚愕に、出水は小さく一つ頷いた。
「連絡が取れない。平日のこんな時間に学校にも来ず、携帯にも出ないとなれば、そう結論付けるしかない」
「病気で寝てるかもしれないだろ。携帯は電源切ってるか、電池切れてるのに気付いてないとか……」
「ボクもそう思って、二人を確認に行かせたんだよ。結果……」
 譲、薫子の両名が、同時に首を左右に振る。
 家に行ったものの、いずれの親も『いつも通り通学した』と話したらしい。
 失踪と言う言葉は、決して大げさではない。
「いよいよシャレにならない事態だな……」
「そんな事態にも拘わらず、キミが3Dブレーカーについて覚えていると言う事が一番の問題なんだよね。流石に、こんな異常事態が重ねて起きておきながら、細工なしの日常でした、なんてのは受け入れ難い」
 或いは、その可能性も1%くらいはあるのかもしれない。
 だが、それは前提にする価値のないパーセンテージだ。
「これ等が示す状況は、一つ。3Dブレーカーが、損傷している可能性がある」
 出水の声に力が籠もる。
 周囲の譲や薫子も、沈黙のままながら表情が強張っていた。
「……その損傷ってのが酷くなったら、どうなる?」
「国が一つ、吹き飛ぶくらいの事は起こるね」
 それは――――実際に起こった出来事だった。
 以前、出水は『とある研究者』の手によって、一つの連邦国家が滅びた、と説明した。
 そう言った問題もあって、制限が設けられていると言う事も。
「損傷の具合によっちゃ、その制限が外れる……ってのか?」
「その通り」
 国だけではない。
 何の制限もなく『描いた事が具現化する』アイテムが行使されれば、世界だって滅ぶ。
 まさに今、世界は危機に晒されている――――そう言う事になる。
「キミにここまで話したのは、それだけ緊急事態だって事。既に協力体制を築いているとは言え、キミはまだ懐疑的だっただろう。事実、ボク達は隠し事をしていた。それを詫びたい。そして、改めて……全力でこの問題に取り組んで貰いたい。頼む」
「自分からもお願い致します。どうか、力をお貸し下さい」
「お前に拒否権はない」
 見事な三段オチだった。
「……この後に及んで、貴女という人は……」
「こんな男に下手に出るほど、薫子ちゃんは安い女じゃない。ナメるな」
 譲の険しい顔も、薫子は一切効き目なし。
 出水も頭を抱えていた。
 意外にも――――ここには、こんな人間関係が成立していた。
「まあ……この状況で断っても、俺に何ら得はないからな。そりゃするさ。要は今まで通り、3Dブレーカーの持ち主を探せって事だろ?」
「より真剣に、ね。調査対象は、先日候補者に挙げた三人。そして……」
 出水はその中性的な顔には似つかわしくない、精悍な表情で告げる。
「現在行方不明中の刹那朱莉、那由他名夕、そして保健室で静養中の億川絵空。以上六名だ。キミにはまず億川絵空、次に残り二人の調査をして貰いたい」
「……やっぱり、そうなるのか」
 異常行動を見せている三人を、無視する事は出来ない。
 それは、忍も覚悟していた事だった。
「一刻を争う事態だ。私情は挟まないで貰える助かる」
「わかったよ。まずは保健室だな」
 言葉少なに、忍は情報処理教室Cを後にした。
 そして、廊下を進みながら、現状を整理する。
 自分には、3Dブレーカーの記憶がある。
 つまり、本来ならば今日は3Dブレーカーによって描かれていない、と推測できる。 
 そして、今日起こった出来事の多くは、3Dブレーカーによって描かれたと考えなければ、起こり得ないエピソードばかり。
 この矛盾を解く案として、出水は『3Dブレーカーの故障』を唱えた。
 理には叶っている。
 だが、忍はそれ以上に気になる点があった。
 仮に、今日が3Dブレーカーによって描かれているとしたら――――余りにも、前日までと傾向が異なる。
 この状況が示すのは、二通りの事実。
 描き手が変わったか。
 描き手が、敢えて奇を衒ったか。
 前者なら、持ち主の特定は難しくない。
 この日起こった出来事の『中心人物』こそが、犯人だ。
 だが、後者の場合は――――
「……着いた、か」
 考えをまとめる前に見えてきた保健室のプレートを、忍は少し恨めしげに睨んだ。


 保健室の独特に臭いが徒に鼻腔を擽る中、忍は落ち着かない様子で、ベッドに横たわる絵空へと視線を向けた。
 特に大きな怪我はなく、経過も良好との事だが、元々の線の細さもあって、寝ている姿には一抹の痛々しさがある。
 そんな女子中学生を前に、何から話したものか――――そんな迷いが洗濯機の中のように、グォングォンと回り続けた。
 それを察したのか――――
「……私に聞きたい事、あるんですよね?」
 絵空は気を利かせて、話し易い空気を自ら作った。
「まあ、そうなるかな。話したくない内容だったら、遠慮なく黙秘権使って貰っても良いけど……」
「今の私、黙秘権はありませんから」
 それは――――喋れるようになった自分を使った、捨て身の冗談。
 忍はその健気さに思わず苦笑し、一つ咳払いをした。
「それじゃ、聞かせて欲しいんだけど……喋れるようになったのは、いつから?」
 その問いに対し、絵空は眉尻を下げ、布団に顔半分を隠す。
「今日、突然……なんて言っても、信じて貰えないですよね」
「いや、余裕で信じるけど。何か問題ある?」
「で、でも……私も自分で信じられないのに。だって、ずっと話せなかったのに、声帯が弱ってる筈なのに、こんなに普通に話せるなんて……」
 それは、確かに妙な事ではあった。
 心因によって声が出なくなる『機能性音声障害』は、基本的に声帯にはダメージはない。
 だが、何年も声帯が使われていない状態なので、声帯の筋肉がかなり弱っている。
 普通なら、リハビリしなければ通常のような声は出せない。
 しかし絵空は現在、特に違和感のない声を発している。
 これは、正常とは言い難い状況だ。
 現実的ではない。
 だが、だからこそ得られる確証もある。
「今起こってる事が正しい事……とは限らないかもしれない。でも、正しくなくても、これは現実なんだ。だから、俺は受け入れるよ」
「……」
 その、少しわかり辛い忍の言葉を、絵空は黙って聞いていた。
 暫くその様子を眺めた後、忍は一つ小さく息を吐く。
 中の空気を入れ換える為に。
「ここからは、もっと話し難い内容かもしれないけど……良い?」
「はい。覚悟は出来ています」
 その細い身体に、強く凛々しい芯を内包した少女は、布団から顔を出し、一つしっかり頷いた。
「ありがとう。それじゃ、聞くけど……億川さんは昔、『描いた事が現実になる羽根ペン』を拾った事があるよね?」
「……はい。あります」
 出水の話は、真実だった。
 そしてそれこそが、彼女の心を闇に沈めた原因でもある。
 問題は、その頃の話をしても、絵空の心が耐え得るかどうか。
 忍は慎重に、言葉を選んだ。
「その時の羽根ペンは、堂園……あの女みたいな顔の偉そうにしてる奴に返した? 俺が言うのも何だけど」
「女みたいな……ふふっ」
 今度は、忍が身を削った。
 その結果、絵空の顔に笑顔が浮かぶ。
 それは、大きな安堵を生み出す表情だった。
「返した、と言うより、良くわからないまま取られた、って言う感じです」
「回収された、って事か。それ以降、あのペンは見てない?」
「はい」
 その返事こそが、聞きたかった事。
 それを得た忍はもう一度感謝の意を唱え、立ち上がり、踵を返した。
「あの……」
 その背中に、絵空の細い声が届く。
「他の事、聞かないんですか? どうして私が、あの人に……」
「何の事? 俺は校長室で偶々、倒れてた億川さんを見つけて、ここに運んだだけ、だけど」
「え……」
「んじゃ、またね」
 怪我を負った被害者とは言え、刃物を突きつけた事が明るみに出れば、経歴に傷が付く程の問題になりかねない。
 そして彼女には、その行為に及ぶだけの『やむを得ない動機』もある。
 忍はそれを、全部闇の中に捨て去った。
「あっ、あの……」
 そんな忍に、再び細い声が届く。
 ただ、今度は少し焦った様子で。
「……やっぱり、呼び捨てで呼んで下さい。さん付は、少し抵抗が……あるから……」
「そう? でもなあ」
「お願いします」
 忍が振り返ると、そこにはキュッと布団を掴み、俯く女子中学生の姿があった。
 逆らう事は許されない、反則の姿。
 当然、折れざるを得なかった。
「んじゃ……億川。これで良いか?」
「あ……」
 呼び捨てられた自身の苗字に、絵空の顔が思わず持ち上がる。
「何?」
「いえ、何でもないです。ありがとうございます」
 その顔は、喜びに満ちていた。
 何故そうなったのかは、忍には知る由もないが――――
「……ま、いっか」
 理由はどうあれ、懸念していた結果と対照的な現実を歓迎し、忍は保健室を後にした。






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