【祈りのセシル】全八巻の中で、最も高い人気を集めたシーンは、最終決戦でもなければ、旅立ちの時でもない。
 主人公セシルと、ヒロインのシリルのキスシーンだった。
 今時の、もう行っちゃうトコまでイっちゃうような、キワキワなシーンは本作にはない。
 この場面の人気が高いのは、セクシャリティ云々ではなく、それが『悲劇』だったからだ。
 シリルは、癒やしの力を持つ魔法使いだった。
 だが、その力は、自分の生命力を源泉としたものだと言う。
 それを使い続けたシリルは、次第にやつれ、自力で立つ事も困難となった。
 ――――と、ここまでは良くある設定。
 この作品の支持を一手に担う場面の真骨頂はここからだ。
 衰弱したシリルに、セシルは『お別れ』を告げる。
 これ以上、彼女を連れ回す事は出来ないと判断したからだ。
 シリルは、困っている人を見過ごせない性格の優しい少女。
 旅先で、そう言う人達を見つける度に、命を削る事になると言う判断から、セシルは離脱を勧告した。
 シリルの答えは――――
「わかった。ここでお別れね」
 それは、セシルにとって、意外な返答だった。
 優しいのと同時に、頑固な一面も持っていたからだ。
 幾つもの説得材料を用意していたセシルは、少し拍子抜けしながらも、これまでの思い出を語らい、健闘を称える。
 そんなセシルの唇に、小さい傷が残っていると指摘し、シリルは一つの提案をした。
「これが最後。その傷、癒やすね」
 そう言って、シリルは指を傷に当て、癒やしの魔法を使った。
 そして――――セシルが部屋を出た後。
 シリルは一人、ポツリと呟く。
「結局……言えなかったな」
 彼女の癒やしの力は、自身の生命力を消費してのものではなかった。
 使用者ではなく、癒やされた人間の寿命を削って、回復すると言うもの。
 つまり、癒やされた者は、回復と引き替えに、寿命が削られると言う事になる。
 削られる量は、負傷の大きさに比例。
 命に関わる大怪我なら、20年〜30年ほど寿命が縮まる可能性もある。
 そして、シリル自身も、かつて大怪我を負い、自身を癒やした事で、大幅に寿命を縮めていた。
 残りの命は、あと僅か。
 これらの事実をシリルが知ったのは、この場面の少し前の事。
 尚、この時点では、まだ伏線以外の描写もされていなかった。
 シリルは自分の死期を察し、パーティーからの離脱を受理した。
 何より、もう癒やしの力を使う訳にはいかなかったから。
 そして、今まで数多の人に貰った『ありがとう』の言葉を、裏切っていた自分が、許せなかった。
 そんな自分が、のうのうと好きな人の傍にいる事を、許せなかった。
 シリルは先程セシルの唇に触れた指を、そっと自分の唇に近づける。
「すき、って……難しいね。セシル」
 その指は、微かに、でも確かに、彼女の唇に触れ。
 そして、力なく離れ行く。
 それは――――余りに切ないキスシーンだった。


 
「……はうう」
 早朝にも拘らず、忍は一人、自室で涙ぐむ。
 完全なる衝動読みだった。
 忍にとっては、割と良くある事。
 そして、最もその対象となりやすいのが、【祈りのセシル】第六巻のラストだ。
 こう言う切ない恋愛を、忍は密かに夢見ていた。
 そして、これまでの自分の高校生活を思い浮かべる。
 羨望していたものとは、余りに程遠い。
 それどころか、恋人を作ると言う目標自体が、霞のように薄くなってしまっていた。
「あーっ、もう……」
 悶絶しつつ、【祈りのセシル】第六巻を大事に仕舞う。
 尚、これは愛読用。
 全て初版の保存用は、真空パックで包み、カラーボックス内に保存されている。
 そんな大事なコレクションを暫し鑑賞した後――――
「……げ」
 絶対に家を出なければならない時間を、とうに過ぎている事に気付いた。

 


  Ch.3 " three - D

 


 今日も今日とて、早回しのような授業時間を終え、忍は『主な登場人物』部室へと向かう。
 まるで、誘蛾灯へ飛び込む羽虫のように。
「……あ」
 そして――――そこには先客がいた。
 忍の入室に気付いた彼女は、人懐っこい笑顔でニッコリと微笑み、自前のホワイトボードに『こんにちは。』と記す。
「こんにちは。って……随分と早いね」
『五時間授業でしたので』
 桜並木学園・中等部から、この甲乙高等学校までは、歩きで三十分程度。
 五時間授業であれば、この学校の誰より早く着いてもおかしくはない――――が、問題はそこではない。
「でも、抵抗とかない? 余所の高校に来るって、相当度胸がいると思うんだけど」
 何気ない忍の疑問に対し、絵空は少し悲しげな顔を作った。
 表情での感情表現はかなり豊かだ。
『やっぱり、お邪魔でし』
「ないない、それはない!」
 書き終わる前に、全力で否定。
 同時に、自分の浅はかさを嘆く。
 彼女がここへ通っている意味は、既に知っていると言うのに。
「……ゴメン。こっちが巻き込んでおいて、今のはないよな。ホント、ゴメン」
『謝らないでください』
 今度は小さい笑顔で、絵空はそんな言葉を見せた。
『ご迷惑でなければ、ここにいさせて欲しいです』
 それは、中学生が高校生に対して行うには、中々勇気の要る自己主張。
 対人スキルのレベルが低い忍が、尊敬すら覚える程の。
「そりゃ、勿論。ただ、ワケのわかんない事に巻き込まれたりするかもしれないけど、大丈夫?」
『ドンと来い、です』
 ニッコリ。
「……羨ましいくらい強いな。億川さんは」
『年下なので、呼び捨てで』
「それはちょっと、倫理的にどうだろう」
「? ? ? ?」
 絵空はまだ現代社会が抱えている闇について、よく知らなかった。
 そんなやり取りの最中――――
「ふんふーん♪ あら、ソラりん早いじゃない。エラいエラい」
 ご機嫌な顔で現れた朱莉が、絵空をナデナデしながら大きめのルーズバッグを机の上に置く。
 既にその時点で、不穏な空気を発している程の貫禄。
 忍は早くも頭痛を覚えた。
「……で、この中身は?」
「良い進行ね。聞いて驚け。一昨日通販で頼んだ『探偵グッズBOX』が、やっと届いたのよ!」
 探偵グッズBOX。
 それは、容易にその内容が想像できる、とてもヤバいセット商品だ。
「これが盗聴器で、これが盗聴発見器。あとは……変装用のメガネと付け髭、あ、見て見て! 缶コーヒーに見せて実はこれ、望遠鏡なんだって! 萌えない?」
「萌えるか! って言うか、何なんだよコレは!」
「決まってるじゃない。生徒会の悪事を暴く為の、必須アイテムよ」
 しれっと、朱莉はそんな大胆発言を臆面もなく告げる。
 忍の瞼が半分ほど落ちた。
「お前な……まさか、敵を作りたいって理由だけで、あるかどうかもわからん生徒会の悪事を暴く為に、法を犯す気なのか?」
「短絡脳」
 ズイッと、朱莉はそんな発現と共に、忍の額を指で押す。
「盗聴には違法性なんてないのよ。問題なのは、盗聴する為に不法侵入したり、勝手に余所の家の電気使ったり、電話を盗聴したり、ストーカー行為に及んだりした場合。盗み聞きが犯罪なら、この世の家政婦みんな犯罪者じゃない」
「ンなワケあるか! 仮にそうだとしても、盗聴器なんてヤバいモン、中学生のいる中で使わせやしねーぞ」
 なんとなく保護者気分になっていた忍は、絵空をストッパーとして使用した。
 だが、そんな常識論を唱えても、朱莉は一向に怯まない。
「良い? 今の時代、警察だって取り調べの可視化を叫ばれてるのよ。生徒会室の会話をちょっと聞くくらい、別に良いじゃない」
「良いワケあるか! バレたら停学、退学もあり得るぞ! お前はそれで良いのか!?」
「ハイリスク・ハイリターン。結構なコトじゃない」
 朱莉は、心の底から楽しそうにほくそ笑んだ。
 その瞬間、忍は悟る。
 思っていた以上にエキセントリックな人物と出会ってしまっていた事を。
 そして、このクレイジーな現場から、一刻も早く絵空を逃がさなければならない事を。
「にしても、なゆなゆは遅いわね。全員揃い次第、コレ仕掛けに生徒会室に殴り込む予定なのに」
「お前な……」
 心底呆れつつ、忍は絵空に視線を向ける。
 さぞ怯えている事だろう――――
「? ? ? ? ?」
 と言う懸念とは裏腹に、絵空はバッグの中から出てきた物を興味深げにチェックしていた。
 手にしているのは、昔の携帯電話のような、或いはエアコンのリモコンのような、掌サイズの機器。
 危機感より好奇心が勝ったらしい。
「お、億川さん、そんなに触ったら、いざって時に指紋採取されて実行犯扱いになっちゃうぞ」
「?」
 首を捻る。
 その刹那――――絵空の持っていた機器が急に『ピーーーーーッ』と言うブザー音を鳴らし始めた。
「!? !? !? !? !?」
 狼狽を隠せず、何度も首を右往左往させる絵空とは対象的に、朱莉の目が妖しく光る。
「盗聴発見器に反応アリ! ってコトは、この部室に盗聴器が仕掛けられてるってコトよ!」
「はあ!?」
「間違いないわ。その機械のお値段的に、大した感度はない筈だから……」
 朱莉は躊躇なくしゃがみ込み、机の下に潜り込む。
 スカートが捲れるのも構わずに。
「……」
 そして、それを指摘するほど、忍はピュアではなかった。
「やっぱり! 机の裏側。ま、基本ね。電池式ってコトよね」
「ホントにあったのか……?」
「ホラ、ご覧なさい」
 机から這い出てきた朱莉が、勝ち誇ったように『両面テープの付いたカード型の機械』を机に放る。
 外見でそれを盗聴器と判断するのは難しいが、机の裏側に貼り付けていた事、何より盗聴発見器が反応したと言う事実を考えれば、それ以外に選択肢はない。
「まさか、コレって……」
「当然。生徒会の連中の仕業に決まってるわ」
 朱莉のその意見は、忍の第一候補と合致した。
 前日、勝手に室内へ入っていた上、スパイ疑惑を口にしていたのだから、状況証拠は揃っている。
「また今回も先を越された形になったケド、この展開は大歓迎よ。聞いてる? 生徒会諸君。これは私達『主な登場人物』への宣戦布告と受け取るわ。えっと……四月十七日、午後四時五十四分。これより、私達は生徒会執行部と対立関係に突入した事をここに宣言します」
 言葉を紡ぎ終えた朱莉は、思いっきり振りかぶり、カード型盗聴器を床へと投げつけた。
 パシン、と言う乾いた音が、室内に響く。
「……」
「カッコ良く壊したかったんだろうけど、なんか全然無事っぽいぞ」
「ぐっ……近頃の盗聴器って頑丈に出来てんのね」
 過去の盗聴器に覚えがない忍は、その言葉に同調する事は出来なかったが――――これ以上盗聴されるのは不本意だった為、工作機械室にある万力で締め壊した。
「にしても……あの生徒会、ホントにヤバい連中だったんだな……」
 部室へ帰る最中、改めて忍はその面々を思い返す。
 コードネームとやらを使用している時点で、明らかにおかしい連中ではあった。
 だが、仮にも模範となるべき生徒会。
 そんな『おふざけ』を学校側が許している事が、そもそも妙だ。
「やあ。昨日はどうも」
 そんな考え事の最中、忍の耳に聞き覚えのある声が届く。
 ふと視線を上げると、直ぐ傍に学ランに身を包んだ女顔がいた。
「……確か、昨日生徒会室にいた」
「覚えてくれてたのかい。嬉しいね。それじゃ、早速本題に入らせて貰うケド、ボク達と手を組まないかい?」
「なんとなくヤだ」
「うわっ、何その曖昧な即答。断るならもっとスパッと断ってよ」
 忍は、顔をしかめながらその言葉を聞いていた。
 拒絶の理由は一つ。
 単なる同属嫌悪だ。
「まあ、いきなり素性もわからない相手に誘われて、ホイホイついて行くのもどうかと思うしね。その対応は一応、評価するよ」
「えらく上から目線な言い方だな」
「おっと、失礼。そんなつもりじゃなかったんだけど……取り敢えず、遅ればせながら自己紹介」
 ニュッと名刺が伸びてくる。


                『(資)ASC Anti−Student Council

                              所長  堂園出水』


「……所長?」
「ボク、合資会社の代表なんだ。ちなみに合資会社って言うのは、資本金が要らない会社形態の一つで、まあ気楽に法人を名乗れる……」
「いや、そんな説明より、何で学生が会社の代表なんてやってるのかが気になるんだけど」
 忍のツッコミに、出水と名乗った生徒はニヘラと笑った。
「いやー、最初はそんなつもりじゃなかったんだけどさ。生徒会が妙に力つけちゃって、もう理事会なんかも誑し込んじゃっててさ。対抗するには、色々お金とか建前とか必要になっちゃって」
「喋る度にツッコミどころが増えてくな……」
 その中でも特に問題なのは、生徒会の力。
 理事会をも誑し込んでいると言う事は、既に教師よりも上の権力を有していると言う事。
 そんな学校があるのか……と言う呆れと同時に、そんな連中に宣戦布告した自分の将来を忍は嘆いた。
「昨日の様子を見る限り、キミ達も生徒会と一悶着起こしたみたいだったから、声をかけたってワケ。泣き寝入りしても、内申最悪になるだけだし、いっそボク達と組んで、彼等を潰さないか?」
「……」
 いよいよ、恐れていた事が現実になりつつある。
 忍は十秒ほど、両目を揉み、眼精疲労の回復を図った後――――
「取り敢えず、部室に来てくれるとありがたい」
 状況の把握を最優先する事にした。


【主な登場人物】部室が静まりかえる最中、その部長である朱莉もまた、珍しく瞑目しながら俯いていた。
 その両肘は机の上で突かれ、手は顎の前で組まれている。
「……話は、大体わかったわ」
 ゆらりと顔を上げ、朱莉は隠れていた口元を露見させた。端の吊り上がった。
「私としては、生徒会と言う共通の敵がいる以上、協力関係を築く事にはやぶさかじゃないわね。でも、その為にはこっちの条件も呑んで貰わないと」
「条件……ふむ、成程。流石は部長と言う立場に君臨しているだけのコトはあるね。聞こうじゃない」
 不遜な態度を取られたにも拘わらず、出水の顔には何処か期待感のようなモノが滲み出ている。
 周囲を固める忍、絵空、威良の三人は、一様に固唾を飲みながら事態を見守っていた。
「まず一つ。その意味のわかり難い名前は却下。次に一つ。私をその会社の代表職に就任させる事」
 結果、提示されたのは協力とは名ばかりの吸収合併案だった。
 忍の目がゆっくりジト化して行く。
「お前な……ナニを根拠にそこまでふっかけてんだ?」
「フフン。こっちには、生徒会を叩けるスッゴいネタ持ってるんだから。切り札は我にアリ! 特別待遇でなきゃワリに合わないでしょ?」
 そんな些末な交渉術を披露する朱莉に対し、出水は更に身を乗り出してきた。
「それは、中々に興味深い発言。条件を呑めば、生徒会の弱味となるそのネタを教えてくれるのかい?」
「ええ。どうする?」
「そんなの、わかり切ってるだろ……」
 呆れつつ、忍の視線が出水へと向けられる。 
「当然、承認と言う事で」
「……は?」
「決定ね。会社名は『刹那コーポレーション』に変更よ。他の細かい人事は任せるから」
「…………は?」
 今ここに、合資会社『刹那コーポレーション』が誕生した!
「了解。良い取引に感謝を」
「それじゃ、その細かい所を煮詰めてから、改めて来て頂戴」
 商談の成立した空間は、和やかな雰囲気に包まれるモノ。
 朱莉は穏やかな笑みで出水を送り出した。
「連れてきた俺が言うのもなんだけど……良いのか? 明らかに怪しいだろ。いきなり代表明け渡すとか」
「ま、いずれ切り捨てる予定なんでしょうね」
 その雰囲気のまま、朱莉の笑みが歪んで行く。
 ヒロインにあるまじき角度へ。
「アンタの話だと、生徒会を糾弾するネタが不足してて困ってるみたいだから、ふっかけてみたのよ。どうせ、オママゴト程度に思われてるんだろうけど、お生憎様。切り捨てるのは、コッチよ」
「……」
 絵空がカクカクと震え出した。それくらい、朱莉の不敵過ぎる笑みには迫力がある。
 ある種のキャラ崩壊と言える程に。
「ソラりん、武者震いしてるのね……流石はツンデレとヤンデレのハイブリッドヒロイン。裏ボスの貫禄が出てきたわね」
「勝手に裏ボスにすんなよ。中学生にその笑顔は毒だろ……億川、大丈夫か?」
 健気にコクコクと頷くものの、絵空は明らかに怯えたままでホワイトボードを抱いていた。
「さあ、忙しくなるわよ。取り敢えず、私は生徒会に乗り込みがてら、盗聴器を仕掛け返すとして……遠藤、アンタは刹那コーポの調査。ソラりんは私と来て、適当にツンツンしてなさい。何事も場数が大事だから」
 色々とツッコミ所満載な朱莉の指示に対し、忍は一切のそれを放棄し、一人部室に残った。
 そして、自分の身の振り方を考える。
 何気に弱った事態になっていた。
 なし崩しのまま、気付けば生徒会と対立する立場になり、更に今後はこの上なく胡散臭い会社の一員となってしまう。
 内申どうこうと言うより、人生の危機だ。
「……ここで逃げた方が良いのかな」
 心中でそう呟くも、それが無理な事は重々承知していた。
 同じクラスに朱莉がいる限り、無理矢理でも引きずられて行くだろう。
 主人公のいない物語など、あり得ないのだから。
 当たり屋に遭って、抵抗したらアングラの事務所に連れて行かれました的な展開に辟易しつつ、先程受け取った名刺を見る。
 そこには、本社所在地の住所も記載している。そこは――――モロ校内だった。
「情報処理教室C……そんなんあるのか」
 情報処理教室自体は、基本どんな高校にでもある。
 だが、C――――つまり三つとなると、かなり大規模な学校でなければ珍しい。
 ちなみにこの甲乙高校は、生徒数七二三人と言う、ごくごく普通の高校だ。
「ま、何にしても……」
 煩わしいであろう後々の糾弾を考慮し、忍はまだ把握し切れていない校内を闊歩する事にした。
 そして、不特定多数の生徒相手に聞き込み調査を実施。

『ASC……さあ、知らねーな。それよりゲルググの話しようぜ』
『聞いた事ないけど。新手のアイドルグループもどき?』
『ああ、あのコンピューター雑誌の。でも、最近聞かないよね』

 結果、まともな回答は一切得られなかった。
 それもその筈、忍が聞いたのは全て、入学してまだ間もない同級生の男子なのだから。
 人見知り豊かな忍に、見知らぬ上級生に声をかける勇気はなかった。
 不毛と知りつつ、半ばアリバイの為だけの調査が続く。
 そして――――
「ASC? 知ってるよ。ボク、そこの代表だし」
 背中越しに声をかけた七人目は、事もあろうに当事者だった。
 しかもさっき別れたばかりの。
 コレは気まずい。
 切り抜けるには、高等技術が要る。
 だが忍にそんな対人技能などある筈もなく。
「……」
 無言で踵を返し、なかった事にした。
「いや、その対応はどうだろう。ボク達、これから同じ組織の一員だろう? 仲良くやって行かなきゃいけないんじゃない?」
「それなら、黙って見過ごしてくれる優しさを見せて欲しかった……」
「ははは。ま、わかるよ。あんな簡単に引き受けたんじゃ、怪しまれて当然だ」
 出水は忍の行動を先読みし、かなりあっさりとした対応を見せた。
「そうだね。フラグは立てた事だし、良い機会かもしれない。キミに話があるんだけど、時間とれる?」
「断ると、今後の査定に響きそうだしな……」
「聡明な男子は好きだよ。じゃ、夜にボク達の部室来てよ。待ってるのはボク一人だから、怖くないよ」
 明らかに怖い科白を吐き、出水はポケットに手を入れながら、勝手に歩き出す。
 そんな彼の背中に、忍は人生最大の危機を予感した。
 世の中には、二通りの男がいる。
『使用法を守る男』と『守れない男』。
 神様が与え給うた重要な器官を正しく使えない男は、この世に数多くいる。
 もし、出水がそんな人間だったら――――
「どうしたの?」
「い、いや……」
 だが、それを口にすると、ある意味自分も同類。
 従う他に選択肢はなかった。
「それじゃ、深夜の〇時に。校門前に集合って事で」
 不敵でもなく、優しさもなく。
 出水は淡い笑みを浮かべ、軽く手を振った。


 と言う訳で――――夜。
「……何だってんだ、一体」
 校門へ到着した忍は、携帯電話で時間を確認した。
 〇時五分前。
 しかし、そこに待ち人はいない。
 誘った側としてはマナー違反だ。
 その後、まだ冷える空気を全身で感じながら、待つ事五分。
 ちょうど〇時を迎えたその直後――――
「……」
 忍は、思い出した。
 いつものように。
「思ったより、ちゃんとした人だったんだね。だったら、待ち合わせ時間をもっと後にすべきだった。済まない」
 それと同時に、出水の声が届く。
 校門の内側から。
「鍵は開いてるよ、入って」
「あ、ああ」
「それと。初めまして」
「……?」
 首を捻る忍に、出水は街灯で薄く照らされた顔を、ゆっくり綻ばせた。
「『今の』遠藤クンとは、初めましてだよね」


 灯りの点いた室内は、それでも数多くのパソコンによって、何処か忙しない雰囲気を漂わせている。
「パソコンの導入が盛んになった十年くらい前に、意気揚々と作られた教室なんだけど、流石に三部屋は多過ぎて使う機会がないからって事で、ゴーストルームになってたんだよ。パソコンも十年前のだから、スペックは酷いモンさ。ま、液晶なだけマシだけど」
 無駄話を続ける出水を尻目に、忍は適当な席へ座り、大きく息を吐く。
 ストレスで胃が爆発しそうだった。
「さて、と。それじゃ本題に入ろうか。遠藤忍クン」
 不意に、出水の雰囲気が変わる。
 それはまるで、真の敵が姿を現すかのような――――そんな空気。
「不安だっただろう? ここ数日、『自分の思い通りの展開』にならなくて」
 そしてそれは、ある意味正しかった。
『今の』忍には、その言葉の真意がわかる。
「……お前、何者だ?」
「まず、心配しないで欲しいと言っておくよ。ボクは、別にキミの敵じゃないし、キミを脅したり、大事なモノを取り上げたりはしない。立場で言えば、中立と言うべきかな」
「随分、もって回った言い回しだな」
 そして、忍は忍で、出水の正体について目星を立てていた。
 思い浮かぶのは、先日の名夕との会話。
『……私も、描かれているのかもしれません』
 もし、目の前の生徒が、名夕を、そして自分を描いている人物であるならば、辻褄が合う。
 それ以外にはない――――と。
「ついでに言えば、キミが今予想している立場でもない。きっと、ボクをリアライザーの持ち主とか、そう言う風に思ってるだろう?」
「違うのか」
「違うね。ま、少し近いと言えば近いけど」
 いちいち鼻につく物言いに、忍は目尻の辺りをピクピク振るわせつつ、別の回答を探った。
 が――――それを待つつもりはないらしく、その不気味に美しい女顔の口角が上がる。
「ボクは、単なる使いっ端さ。不本意ながら、『監視員』って言う役割を請け負っているけれどね」
「勿体振った言い方するな。とっとと要点を言え」
「あれ? 物書きって、こう言う科白回しが好きだとばかり……ま、良いか。一言で言えば『被験者』の監視役。ここまで言えば、わかるよね?」
 それでも尚、試すような物言いをしてくる。
 そう言う性格だと断定した忍は、露骨に顔をしかめながら、被験者と言う言葉に思考を向けた。
「……あの羽根ペンに関わった人間を監視する、って事か?」
「御名答。流石に進行役を務めてるだけあって、話が早い」
「それを知ってるって事は……やっぱりアンタが物語の筆者なんじゃないのか?」
「残念ながら、そうじゃない。ボクがキミ達の演じている物語を知っているのは、管理しているからだよ。キミ達が『リアライザー』と呼んでいるあの羽根ペンを、ね」
 それは――――忍にとって、衝撃的な返答だった。
 リアライザーの出自について、全く考えていなかった訳ではない。
 それこそ、神様の贈り物と言う安易な案から、オーパーツ説、未来の発明品説など、幾つか思案を重ねていた。
 だが、明確な回答が得られない以上は、無意味な詮索。
 いつしか、それについては考える事を止めていた。
「管理……って事は、あの羽根ペンは誰かが作った物、って事なのか」
「どうしてそう思うんだい? 最初からあった物を管理してるだけかもしれないじゃない」
「だったら、管理って言葉は使わないだろ。基本、自分達の所有物、しかも手を加えられる事を前提に使う言葉だ。つまり……原理をある程度知っていて、且つ所有物と自覚できるだけの定義が必要だ。でも、アンタが作った物とは思えない。それなら、所有って言うだろう。って事は……」
 忍の瞼が落ち、目が狭まる。
「恐らく、アンタは何かの組織に属していて、その組織の中の誰か、若しくはかつて所属していた誰かが作った物。違うか?」
「へえ……素晴らしい。実は推理小説を描きたいんじゃないの?」
 白々しい拍手の音が、室内に響き渡る。
「昔、一回描いたよ。まるで話として成立してなかったけどね」
「なら、もう一度チャレンジする事をオススメするよ。ま、推理モノの評価なんて、メイントリックのアイディアに集約されるんだろうけどね」
 出水は端正な顔を傾け、控えめに笑う。
 そしてそのままの角度で、目だけ感情を変えた。
「実は今、ボクは困ってるんだ。とても困ってる。こうして、キミを呼び出したのは、ボクに協力して欲しいから。もし承諾してくれるなら、続きを話そう。キミも、真実を知りたいだろう?」
 それは、ある種の脅迫だった。
 忍の立場上、断る事は出来ない。
 明らかに、常識的な科学力では生み出せないモノを管理する人間――――もし断れば、ナニをされるかわからないのだから。
「……俺に何が出来るってんだ? 単なる一般人だぞ」
「別に、異能バトルやハーレム作りをやれって言うワケじゃないから、大丈夫だよ。人捜しを手伝って欲しいだけさ」
「人捜し……?」
「リアライザーとキミ達が呼んでいるアレを持っている人を、ね。捜さなきゃならないんだ」
 ニッコリ。
 出水はそんな満面の笑みを浮かべ、説明を始めた。
 

 何故、人は規律を作るのか。
 それは、人の中に、『してはイケないコトをしたい』と言う、本能的な好奇心が備わっているから。
 つまり――――犯罪を抑止する為ではなく、犯罪を呼び起こす為に、規律を作ると言う事だ。
 では何故、それが必要なのか?
 答えは簡単。
 悪を生み出す為だ。
 規律を破る者は、悪。
 そして、その悪を懲らしめる者は、正義。
 悪こそが、正義を生み出す唯一の存在だ。
 だから、人間は規律を作る。
 正義と言う哲学を、誇示する為に。
 しかし――――人間の欲望は果てしない。
 正義が増えれば、更に強い正義になりたいと願う者が出てくる。
 その為には、より強力な悪が必要。
 それこそ、邪神のような存在の悪が。
 そんな人々の願いは、様々な形で具現化し、記録として残っている。
 悪魔を召喚する儀式。
 まじない。
 呪い。
 悪を、もっと巨大な悪を!
 そんな人々の欲求は、時に魔女狩りのような悲劇を生んだ。
 以降、人間は、その欲求と常に戦い、そして共存してきた。
 現代においても、それは変わらない。
 法を取り締まる者がいる一方で、存在そのものが違法な筈の組織や道具が、彼等に淘汰される事なく、共存している。
 必要悪。
 そんな言葉で、健全性を謳いながら。
 が――――そんな世の中を憂いだとある研究者が、一つの発明品を生み出す。
 生みの親はそれを、『3Dブレーカー』と名付けた。
 三次元保安器。
 この世のあらゆる犯罪を抑制し、平和を継続する為の道具だ。
 それが、どんな原理で、どのような構造で作られたのかは、作った本人にしかわからない。
 兎に角、それを使って描かれた文字は、現実に同内容の物語を発現させると言う、俄に信じ難い効果を生み出した。
 これなら、犯罪の起らない世界を生み出せる。
 健全な日常を描き続ければ良いのだから。
 だが、それは同時に、この世を滅ぼす可能性も孕んでいる。
 世界の崩壊を描けば、それで良いのだから。
 核兵器に匹敵する脅威だ。
 その両面を持った『3Dブレーカー』は、研究者本人の手によって、当初は健全な方向で使用された。
 しかし、ある日。
 突如として、一つの連邦国家が消滅した。
 原因は、『3Dブレーカー』だった。
 研究者は――――欲求に屈した。
 平和を願った筈なのに。
 後に、研究者は語る。
『正義も悪もないその世界は、実に退屈で、実に腐り切ったものだった』。
 皮肉にも、人間のマッチポンプは、平和を愛する者によって証明された。
 だが、『3Dブレーカー』はその後、破壊活動に使用される事はなくなった。
 研究者自らが、この保安器に『規律』を設けたからだ。
 人間の誰もが持つ、ダブルスタンダード。
 刺激を求める一方で、安定も望む。
 斯くして――――幾つもの制限を課せられた『3Dブレーカー』が誕生した。


「……それが、あの羽根ペンって事か」
 出水の話が一段落した所で、忍は頬杖を付いて嘆息した。
 つまり、『リアライザー』は実在した、と言う事だ。
 名前こそ違うが。
「3Dブレーカーは、ボク達の組織【ASC】によって管理されている。アレによって描かれた文章は、一語一句余す事なくデータとしてスーパーコンピュータに入って来るんだ。何しろ、一文字だけでも広辞苑数冊分くらいの容量なんでね。普通のパソコンじゃとても処理できない。あ、ちなみに【ASC】って言うのは、ホントは『Anti−Sin & Crime』の略なんだよ」
「……本当にアンタ、筆者じゃないのか? 冗長さが良く似てるぞ」
「違うよ。確かに、現所持者は少し、そのケがあるみたいだけど」
 あくまでも飄々と、出水は顔に似つかわしい声を放つ。
「で、話を元に戻すと……研究者は、自ら生み出した『3Dブレーカー』を封印する事に決めた。でも、組織としては折角の大発明、利用したいと考える。そこで、妥協案として、犯罪利用されないような、様々な制限が施された」
「ああ、そう言う事か」
 忍は、リアライザーのやたら多い制限の理由を、ようやく把握できた。
「でも、人間の欲望は果てしない。幾ら制限を設けても、その網を掻い潜って、変な使い方をされる可能性がある。だから、定期的に調査をしてるんだよ」
「調査か……何となく話が見えてきたな」
「多分、察しの通り。一般人を無作為に選んで、『3Dブレーカー』を拾わせて、どんな使い方をするかを観察するんだ。その観察係が、ボクってワケ。ま、一人じゃないけどね」
 それはつまり――――本当の所持者が、忍に自分の体験談をトレースさせた事を意味する。
「だけど、ちょっとした手違いがあってね。ボクがやむを得ない理由で監視を離れた隙に、うっかり拾われちゃったみたいなんだ。以降、未だに誰に拾われたのか特定できない」
「……成程。それを見つける手伝いをしろ、と」
「そう。この街のこの学校が舞台になっている以上、必ず校内の誰かが所持者の筈。でも、どうしても特定できなくてね。そうこうしてる内に、生徒会と対立しちゃって」
「しちゃって、じゃねーだろ……今の立場って狙って作ったモンじゃねーのかよ」
 脱力する忍に、出水はこの上なく爽やかな笑みを返した。
「と言う訳で、先払いも済ませたんだから、調査を手伝ってね。後一週間で見つけられないと、ボク職を失うんだよ。このご時世に」
「知らねーよ……」 
 人見知りの忍は、他人と話すと結構な量のエネルギーを消費する。
 ただ、この一幕で減った体力は、さながら毒の沼地でがんばっちゃやっちゃっちゃの如し。
 本気で疲弊していた。
「誰かいないかな、候補っぽい人」
「あー……刹那なんじゃないか? 余りにも、刹那にとって都合が良いように話が展開しすぎてるし」
 生徒会との一件に加え、『会社を作る』と言う案も、一番簡単な方法で達成された。
 自分にとって都合の良いように話を転がしていると考えれば、辻褄は合う。
「当然、候補の一人だよ。でも、可能性は薄いかな。そう言う素振りを見せた事ないし」
 つまり、とっくに調査していると言う事だ。
「ま、明日までに考えててよ。今日はもう遅いし、この辺にしとこう。まだ夜は寒いしね」
「だったら、ファミレスにでも呼び出せよ」
「生憎、こう言う話をする時には、録画が必須なんで」
 唐突過ぎる告白。
 忍は反射的に天井に視線を向けた。
「そっちにはないよ。このパソコン全部、盗撮用カメラ付きの端末なんだ」
 ズラッと並ぶデスクトップパソコン全てが、監視の目。
 その事実に、忍は思わず戦慄を覚えた。
「それじゃ、これからは仲間ってコトで。ヨロシク、忍クン」
「名前で呼ぶな……盗撮グループと親しくなんかなりたくない」
「似たようなモノだと思うけどね」
 深夜の情報処理教室Cに佇む、二つの影。
 それは決して交わる事なく、揺れる事もなく、ただ漫然と床と机を黒く染めていた。









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