サークル名の決定。
 三人目のヒロインの決定。
 入学四日目も様々な出来事があり――――
「もしもし」
 いつも通り、午前〇時に全てを思い出した忍は、一切迷う事なく即座に電話を掛けた。 当然、相手は――――
「那由他。話がある」
「……どうぞ。何ですか?」
 余裕の返答に対し、小さく咳払い。
 喉のコンディションを整え、忍はこめかみに浮かんだ血管マークを徐々に濃くした。
「何だ? あの展開は。あれが君の、いやお前の描きたい話なのか? やいコラ」
「え……? ダメだったですか?」
「ダメも何も……人の思い出に抵触してんじゃねええええええええええええ!」
 真夜中だと言うのに、忍は思いっきり吼えた。
 ちなみに、この場所は自室ではなく、親の車の中。
 騒音対策はバッチリだった。
「しかも、あのサークル名! 何処がキャッチーなのか事細かに説明しやがれ!」
「大声でダメ出し……!? あ、あれ? 昨日までの弱気な遠藤さんと全然違う……どうしたんですか?」
「どうしたも! こうしたも! 昨日の時点で! 叫び倒したい気持ちを必死で抑えてただけだああああっ! 人の人生勝手に操りやがって!」
 それは――――溜まりに溜まった鬱憤と言うのが、七割。
 後の三割は、忍なりに現状を打破すべく考えた上での、戦略的叫喚だった。
 前日は、常に主導権を奪われ、結果として垂れ流されるだけの情報を得る事しか出来なかった。
 だが、それでは名夕の思うツボ。
 彼女の持つ主人公像そのままだ。
 それでは、いつ終わりが来るかわからない物語の中の住人のまま。
 よって、抵抗を試みる事にした。
 物書きの心を乱す一番の方法は、問答無用のダメ出し。
 これで凹まない者はいない。
「って言うか! お前のストーリー、なんかもう色々ダメ! 昨日も、本当はリアライザーがどうこうって話より、本当はずっとこっちを言いたかったんだよ! まず刹那朱莉! あのキャラ、なんか喋り方がウザったい! なのなのなのなの……あれじゃウケねーよ!」
「うっ、受けないとか、そう言う事は関係ないです……私は私の思うヒロイン像を、具現化しているだけで……」
「ウケないヒロインに存在価値なんてあるかーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
 車中なので、叫んでも大丈夫と言う安心感もあって、忍は別の方向でもタガが外れてしまっていた。
「存在価値のないキャラなんて、具現化すんな! いい迷惑だ!」
「ううっ……でも彼女は、表面ではメインでも、実際にはただの扇動役で、実際の人気取りは別の……」
「読者は表のヒロインをまず見るの! そこ手を抜いたら終わるの! 作品が!」
「んくっ」
 意味不明なテンションで繰り広げられる忍のダメ出しは、意外にも名夕にダメージを与えた。
「そもそも、幾らコメディタッチっつっても、いきなり主人公とオカマがケンカするスタートってどうなんだよ。あと、展開が冗長。今日までを二日でまとめられるだろ。逆に、今日の億川の登場とか、サークルに足を運ぶ理由とかは、もっと時間かけて良いトコだろ? 中学生だぞ! 中学生なんだから、もっと出番増やせや! あと、なんかいつの間にか部員増えてるけど、全然絡まないじゃねーか! いる意味あんのかよ!?」
「んくっ……そんな……そんな、編集の人っぽい事をさも尤もらしく……遠藤さんは、アレですか。自称批評家の人ですか。ネット弁慶の人ですか」
「や、違うけど」
「そこをトーンダウンする所が、そこはかとなく怪しいです!」
 忍に釣られたのか――――名夕も徐々に声量を上げてきた。
「黙って聞いていれば、言いたい放題……私だって、色々考えているんです! 主要キャラの登場はゆっくりじっくり、思い入れを持って貰えるように! でも主人公の男友達ポジションのキャラは、いても大して役に立たないから、それならいっそテンポアップの為に省略しよう、とか!」
「物事には限度があるだろ? いや、別にあの男子と仲良くなるエピソードとかは要らないけどさ、もうちょっと……」
「私は男の人は上手く描けません!」
 最終的に、致命的な開き直りが沈黙を生んだ。
「……ううっ」
 と思いきや、今度は泣き声。
 忍は流石にやっちゃった感を覚え、若干焦った。
「わかっています……私には、才能がないって事くらい。だから、こうして自分の考えたお話を具現化して、実感して、足りない所を把握しようと……」
「あ、その考えは俺に反映されてんだな」
「そうです。そして、私のコンプレックスとか心の闇とかそう言うのも、貴方を使って表現しています」
 名夕はそう断言したが、実際にはそうではなかった。
 忍もまた、全く同じ劣等感を持っていた。
 だから、忍がリアライザーに『演者』として選ばれた、とも言える。
「悪い事は言わないから、もうこんな事は止めろ。アラや欠点ばっかり見つかっても、自分が凹むだけで修正なんて簡単には出来ないぞ? 人間のセンスなんて、機械に突っ込まれたプログラムと大差ないし」
「如何にも、物書きの言い回しですね」
 不意に、名夕の声に昨日の不敵さが戻る。
 冷静さを取り戻したらしい。
 忍は言い包める事に失敗したと悟り、思わず頭を抱えた。
「……決めました。遠藤さん、貴方には主人公だけじゃなく、私の描いているこの物語の評価もして貰います」
「なっ! 冗談じゃねーよ! 今日のは偶々、別の目的で……」
「そう言う事ですか。私を動揺させて、止めさせる為に、敢えて『らしくない攻めの姿勢』を出していた、と」
 墓穴を掘った格好となった忍は、絶句を禁じ得ない。
 再び主導権は名夕へと移っていた。
「昨日も同じようなニュアンスの事を言いましたけど……私は別に、貴方に悪意を向ける気はありません。あ、物書きならここに『毛頭』を加えないと行けませんね」
「冗長になるだけだから、要らんだろ。つーか言い回し古い」
「そう言う感じで、明日からもお願いします」
 その言葉は、ニッコリと微笑む名夕の顔を想起させる程、トーンが明るかった。
「絶対やらない」
「お願いします。貴方しかいないんです」
「それでもやんない。気持ちはわかるけど。描いた物を見せられる相手なんて、いやしないし」
「もし引き受けてくれたら、私のこの物語のタイトルを教えますよ」
「取引として成立する気配すらない!」
 と言うより――――タイトルを言いたいだけなんだろうと、忍は早々に理解した。
 そして、確信する。
 那由他名夕と言う人物は、思った以上に変人だったと。
「そう言わずに。タイトルはですね――――」
「どうせ『ストレンジ・ストレート!』だろーが!」
 忍の最後の咆哮は、虚しく車中に響き渡るだけに終わった。




 ――――お兄ちゃん。

『……んあ?』

 お兄ちゃん、起きるの。

『まだ……もうちょっと』

 起きるの。もうおひるねの時間、終わったの。砂場で遊ぶのっ。

『そんなの良いじゃん……寝かせてくれよ……絵空』

 お兄ちゃんっ!


「…………どわっ!」
 飛び起きた忍は一瞬、自分に突然エア妹が出来たのではと錯覚し、飛び起きる。
 近年、流行を飛び越えて定番ジャンルとなった『妹モノ』。
 ついにそのブームが自分に去来したのか、と。
 脳内妹が生まれたのか、と。
「夢、か……」
 ある意味それもエア妹ではあるのだが、夢はセーフ。
 実際、それを見るだけの理由もあった。
「絵空、か」
 昔はそう呼んでいた事を思い出し、溜息一つ。
 同時に、お兄ちゃんと呼ばれていた事まで思い出し、溜息二つ。
 いずれにしても、最早それは過去の事だ。
「……顔洗お」
 微妙に夢見の悪い朝を払拭すべく、忍は珍しく早めに一階へと下りた。


 週末を挟み、月曜の朝。
 その日もリアライザーを使用する事なく、忍は学校へと向かう事になった。
 で、授業シーンは端折られ、放課後。
「それじゃ、今日から早速、私の物語『ストレンジ・ストレート!』を実践して行くの!」
 何の前触れもなくタイトルが発表される中、忍は頭を掻きながら天井を見ていた。
 中学生の絵空も、いち早く合流。
 尚、本日はメガネをしていない。
 可変型なので問題はないが、特に理由の説明もなかった。
「と、その前に……ソラりんのキャラ付けをしとかないとね」
「キャラ付けって……まさか、昨日のアレをこの子にムリヤリ演じさせる気か?」
「演じさせるなんて、人聞き悪いの。見て、この子を。この純粋無垢な顔! どうとでも細工できるロングな髪! 言葉で表現する事を放棄した無口仕様! きっと、どんな色にでも染まるの。ソラりんは、汎用キャラなの! 自由にカスタマイズできるの!」
「……」
 トバしまくっている朱莉の奔放発言に、忍は絶句した。
 そして、散々な言われようの絵空にゆっくり視線を向ける。
「……?」
 何を言っているのかわからない、と言う一切の穢れを知らない顔だった。
 幼馴染――――ではあるが、小中と全く接点がなかった女子。
 改めて再会しても、その感慨は全くない。
 まして、絵空視点では完全なる他人状態らしい。
 忍はどう接していいものかわからなかったので、傍観していた。
「取り敢えずは……ツンから始めましょっか。ソラりん、ツンってみて」
「? ? ? ?」
 理解できるハズもなく、視線が右往左往する。
 そんな哀れな中学生に対し、名夕が無言で近付いて行った。
「ツンって言うのは、相手に対して……この場合、あっちの遠藤さんに対してですけど、厳しい態度で接する事を言います」
「?」
「色々と疑問はあるでしょうが、実践してみて下さい。成せばなる、の精神です」
「ああ、もう完全にそっち側の人なんだな、君も」
 名夕の本性を知らない現在の忍は、大きく溜息を吐いた。
 実際、同じ空間に二人の変人がいる場合、周囲の徒労は十六倍になる。
「億川……さん。怖かったら、もう帰って良いよ? って言うか、何で来たの今日。呼び出した側が言うのもなんだけど」
「……」
 一言も発しないで、絵空は俯く。
 その様子を、四人はじっと見守った。
 そして、一分後。
「えっと……せめて、何か言って貰えると、こっちとしては助かると言うか」
 痺れを切らした主人公が、言葉を選びながら進行を促す。
 その言葉が、トリガーとなったのか。
 何かを決意したかのように、絵空は突然顔を上げ、トタトタとホワイトボードへ向かう。
 そして、そこに小さい丸字で文章を書き始めた。
『すいません。私、しゃべれないんです』
 それは、字の雰囲気とは全くそぐわない――――衝撃の事実。
 朱莉すら、目を見開いて驚きを露わにしていた。
 そして、筆談は続く。
『子供のころ、こわい体験をして、それが原因でしゃべれなくなりました』
「そうだったの……って、まさか」
 子供の頃、と言うフレーズに、高校生三人の視線が忍に手中する。
「え、俺!? いやいやいや! 俺が原因じゃねーよな!? ってか、忘れられてたんだし!」
「それもそうね。忘却する程度の人間が、そんなショックを与える訳ないの」
「ぐ……」
 弄られた挙句、ボロ雑巾のように捨てられた忍は、心中でこっそり復讐を誓った。
「と、とにかく。ごめん、喋れない人に話せって、最悪だよな……申し訳ない」
『謝ってすむ問題じゃないの』
「……」
『いしゃ料よこせ』
「……」
 忍は、無言でホワイトボードの前に立つ朱莉を睨んだ。
 ずーっと、睨んだ。
 睨み倒した。
『・・・私が悪かったの』
「せめて慰謝料を漢字で書けてたら、こっちとしてもツッコみようがあったんだけど」
 本気の説教を受けた朱莉は、口を尖らせながら自分の書いた字を消した。
「ゴメンね、邪魔して。続きをお願い」
『わかりました』
 律儀に返事を書いた後、絵空は忍に向けての言葉を長々と綴る。
 要約すると、気にしないで下さい――――と言う主旨のものだった。
「うう……なんか、この高校に入って初めてマトモな扱いを受けた気がする」
「あ、あの……私、まともじゃないんでしょうか?」
 名夕の質問はスルーされ、室内には白板上をマーカーが滑る音が響き渡る。
『信じてもらえないと思いますが』
 そう前置きし――――
『こわい経験というのは、ループ現象です』
 滑らかに、そんな文が書かれて行った。
「ループ? ループって、あの……」
「あの、多くの名作を生み出した、ローファンタジーの鉄板とも言える設定の、ループ現象!?」
 途中物凄い勢いで割り込んできた朱莉の目は、それはもうランランと輝いていた。
「詳しく話して……もとい、詳しく教えて頂戴。ホワイトボードのスペースに糸目は付けないの。ガンガン書いて!」
「糸目つけなくてもフラフラしないだろ、ホワイトボードは」
 忍のそんな変化球ツッコミは放置され、温度差が著しい室内には、再びマーカーの滑る音が鳴り響く。
 その内容は――――実際問題、ファンタジックなものだった。
 ノーマルな女の子として普通の生活をしていた絵空に異変が起こったのは、小学生の頃。
 夏休みでも文化祭前日でもない、本当に何の変哲もない、とある日に、それは起こったと言う。
 朝起きて直ぐに見たテレビが伝える、昨日の日付。
 昨日の新聞を自然に眺める父。
 昨日と全く同じ朝食を出す母。
 そして――――昨日の時間割通りに動く学校。 
 その繰り返しを、絵空は何日も、何日も続けた。
 毎日日記を付けていたが、その日記もリセットされる為、正確な日数は憶えていないと言う。
 そんな同じ日々の繰り返しの中で、絵空は絶望し、言葉を、声を忘れてしまった。
 ループものに良くある、解放のカタルシスは微塵もない、悲惨なだけの物語。
 得られる経験値もなく、ただ後遺症だけが彼女に残った。
「……この話、俺等の他の誰かにした事は?」
『あります。信じてもらえませんでしたけど』
 丸っこい文字が、力なく綴られる。
 確かに、俄に信じ難い話だが――――
「やった! レアエピソードのヒロインゲットなの! でかしたのソラりん! 貴女、とっても良い子!」
 朱莉は一切の疑いを口にせず、手放しに喜んでいた。
「あ、あの……」
 そんな中、静かに様子を窺っていた名夕が、おずおずと挙手する。
「どうしたの?」
「そんなに、簡単に鵜呑みにしても良いんでしょうか……?」
「良いの」
 根拠など一切示さず、最少単語での断言。
 朱莉の目は、もはやセカンドヒロインには向けられていなかった。
 一日にして興味を失われてしまった格好の名夕は、複雑な心境を顔にそのまま表している。
 その表情に、忍は彼女がこのサークルに加入した本当の理由を見たような気がしていた。
 そして――――この日は結局、絵空のカスタマイズに終始する事となった。
 と言っても、やった事と言えば、ツンデレとヤンデレの学習、更にはサービス要員としての正しいラッキースケベの魅せ方、ゴスロリ講座などの、忍もイマイチついていけないようなモノばかり。
 名夕も、祭り上げられていた昨日と比べると、明らかに覇気はなかった。
 そんな不毛な時間はダラダラと摩耗され、結局まともな活動をする事もなく、その日は終わった。


「……終わっちゃったよ!」
 日付が変わって、第一声。
 その声は昨日同様、車の中に響き渡った。
「違うんです。昨日はその……余り体調が優れなくて。繋ぎです、繋ぎの回だったんです」
「そんな言い訳、読む人が納得する訳ねーだろ! いや、わかるけどさ! 女子だし、そう言う時あるだろうし! でも、それ以前の問題だろ!」
 物書きが他の人の描いた物を非難するのは、ブーメラン効果のリスクもあり、余り好まれない。
 だが、頼まれていると言う大義名分もあって、忍に躊躇はなかった。
「んくっ……じゃ、じゃあ聞きますけど、何が悪かったんですか」
「話が一切進んでねーだろ! 億川の過去を描きたかったんなら、まず本筋進めて、そこにループっぽい話を絡めて、そこから過去話に持って行くべきじゃないのか?」
「それは……でもそれだと、本筋が縛られてしまいますし、彼女のエピソードと言う感じじゃなくなる……」
「メインならそうだけど、三番手のヒロインだろ? つーか、お前今日全然目立ってなかったけど、良いのか?」
「私は、影のメインヒロインだから、序盤は存在感を極力消しているんです。それは計算通り、問題ありません」
 名夕の声は、昼間より遥かに活き活きしていた。
 ダメ出しされているにも関わらず。
「まあ、それは良いとして……大丈夫なのか? ループなんて出して。王道も王道、ハードル超高けーぞ」
「大丈夫です。メインストーリーに絡ませて、あっと言わせてあげます」
「えらい自信だな」
「自信はないですよ。所詮は凡庸ストーリーテラーですから。でも、遠藤さんにダメ出しされて、ちょっと良い感じのストーリーを思いつきました」
 それは、実は良くある事。
 全く関係ない物語を見たり読んだりした場合や、『これは違う』とか『これはどうだろう』等の批判を受けた際、ストーリーテラーは着想を得る。
 叩き台があると、人間の発想力は大幅に向上するものだ。
「なら、良いけど。つーか……あと何日続くの? コレ」
「わかりません。でも、暫く付き合って下さい。遠藤さんだけが頼りなんです」
 後半、名夕の声のトーンは明らかに沈んだ。
「自分の考えたお話を、誰かに添削して貰えるなんて、正直思っていませんでした。だから、具現化して、自分で確かめられる事が出来るってわかった時も、嬉しい半面、ちょっと虚しかったんです。今、私は……充実してる気がします!」
「なんか目ぇキラキラさせてる感じだけどさ……俺は別に何にも充実してないんだよ?」
「ストレス解消になりませんか? ダメ出し」
「寧ろ溜まってるよ……自分の作品、全然進まないし」
 思わずそんな言葉が漏れた瞬間、忍は『やっちまった』と心中で叫んだ。
「遠藤さんも今、描いてるお話があるんですか? 『ストレンジ・ストレート』以外で?」
「ソレはお前の作品だろ……いやその、なんつーか、アレだ。まだ描いてないけど、構想を練ってる段階と言うか」
「プロットですね? わかりました。確かに遠藤さんにばかり批評させてしまうのは心苦しいので、私も――――」
「断ぁる!」
「――――責任を持ってコキ下ろしますから、プロット添付ファイルで送って下さい。口頭でも良いですよ?」
 名夕が暴走を始めた!
「だああああああああっ! 人の話を聞け! 俺はいいの! 自分でやるから!」
 実際、プロットを他人に見せるのは、一種の羞恥プレイに等しい。
 なにしろ、単に展開だけではなく、各エピソードの狙いや動機を『説明』している。
 それが、この上なくサムい。
 しかも、自分が勝手に作った用語を、これ見よがしに使って。
「私だって、散々凍えそうな思いで評価して貰ってるんですよ? 見せましょう、勇気を出して。私に詰られましょう!」
「ぜったい、いやだーーーーーーーーーーっ、いやだーーーーーーーーーーーっ!」
 息切れを経ても、忍は絶叫を続けた。
 結局この日も、『応募作03』のファイルは手付かずのままとなった。


 そして――――翌日。
 忍は起床して暫く、自分の顔の映るパソコンのモニターを眺め、欠伸をした。
 まだ働かない頭に浮かぶのは、昨日の夜の出来事。
 不毛な名夕とのやり取りだった。
 自分の描いた物を、他人に見せる。
 それは、物書きとなる以上は絶対に経験する事なのだが、まだ忍にその覚悟はない。
 そう言う意味では、リアライザー絡みとは言え、それを甘受している名夕は自分より上にいると判断せざるを得ず、憂鬱な気分に――――
「……あれ!?」
 そこで忍は、異変に気付いた。

 ――――本来ならば消えている筈の記憶が、残っている事に。

 昨日、忍版『ストレンジ・ストレート』は描かれていない。
 だから、リアライザーは発動しておらず、記憶を失う事はない――――と一瞬単純な発想をするものの、それは誤りである筈だと、覚醒し始めた脳が告げる。
 そんな訳がないからだ。
 例え忍版『ストレンジ・ストレート』が手付かずでも、名夕版『ストレンジ・ストレート』が描かれているならば、忍のリアライザーに関する記憶は消えている。
 実際、昨日がそうであったように。
「あいつ……まさか、落としたのか?」
 その可能性が濃厚だった。
 無論、落としたと言うのは、紛失と言う意味ではない。
 原稿を時間内に書けなかった、と言う事だ。
 リアライザーで描けるのは、その日一日のみ。
 だが、過去の改ざんは出来ない。
 よって、シナリオ中に『昨日はリアライザーを使わなかった為――――』と言う文を入れても、それは具現化されない。
 しかし、『今日はリアライザーを使わなかった為――――』であれば、それは具現化される。
 つまり、この『リアライザーを使っておらず、記憶を失っていない状況』そのものを名夕が意図的に生み出す事は、可能だ。
 だが、その場合は、『自分のリアライザー』に関しては憶えていても、名夕がリアライザーを所持していると言う記憶は、失っていなくてはならない。
 名夕版『ストレンジ・ストレート』に登場するのは、あくまでもその作中に登場するリアライザーの存在を知る主人公であって、名夕の持つリアライザーの存在など、知る筈がないからだ。
 よって、今の忍は、名夕版『ストレンジ・ストレート』の登場人物ではない、と言う事になる。
 つまりは――――今日の分のシナリオが描かれなかった、と言う事だ。
 それは、高校に入って初めての事。
 ある意味、初めて自分の意志と行動理念で登校する、と言う事だ。
 そんな訳で、登校。
 名夕版『ストレンジ・ストレート』の支配が及ばない甲乙高校の朝は、特に何ら変化もなく、普段通りの登校風景が広がっていた。
 尤も、それは当然の事。
 わざわざ登校風景の全体像に奇抜さを求める物語など、ある筈もない。
 それは、教室に関しても同じ。
 奇抜なのは――――刹那朱莉のキャラクターくらいだ。
 リアライザーの性質の一つとして、『連続性の保持』と言うものがある。
 リアライザーで物語を毎日の描き続けている中で、今日のような『何も描かれていない日』がポッと出た場合でも、昨日までの行動によって生まれた設定や現象は、ちゃんと継続される。
 よって、刹那朱莉が『主な登場人物』を立ち上げた事実は、ちゃんとこの日にも引き継がれている筈だった。
 だが、キャラクターは別。
 昨日の続きを『本来の刹那朱莉』によって引き継がれる事になる。
 ただ、描かれていない現実は、必ずしも予定調和になるとは限らない。
 朱莉の気分次第では、いきなり『やっぱあのサークル解散』と言い出す可能性もある。
 忍は特に挨拶の言葉もなく、一年一組の教室に入り、リボン結びの髪を探した。
 果たして、物語上における改ざんはどの程度なのか。
『本来の』刹那朱莉を見れば、それがわかる――――
「おっはよーっ! 何その辛気臭い顔? 朝ごはんにお赤飯でも出された? 妹さんが顔真っ赤にでもしてた?」
 世にも明るい声と共に、背中に衝撃が走る。
 恐る恐る振り返ると、今しがた探していた女子が、掌を擦りながら楽しそうに笑っていた。
 性格には余り変化がない。
 だが、明らかに口調は異なる。
 物語中であれば『出されたの? してたの?』となるところだ。
「……これだけの違いなのに、何か物足りなく感じるのは、何でだろう……?」
「は? 何言ってんの?」
「あ、なんか良い感じ。うわ……俺、毒されてるなあ……」
「?」
 終始首を捻る朱莉を目の前に、忍は涙目で頭を抱えた。


 そして――――ホームルーム。
 次に一時間目の授業。
 国語だった。
 二時間目は英語I。
 三時間目は数学A。
 四時間目は体育。
 昼前に体力を奪われ、食欲が沸かないまま昼休みが終了。
 五時間目に現代社会で若干息抜きし、六時間目に物理Iで頭を痛め、掃除などを行い――――ようやく放課後はやって来る。
「……疲れた……」
 机に突っ伏したまま、忍は改めて高校生活の冗長さを体感していた。
 無論、物語上で描写をカットされているとは言え、これまでも普通に授業を受け、普通に学校生活を送って来てはいる。
 だがこの日は、何故か体感時間がやけに長く感じられた。
「何してんの? ホラ、さっさと部室に行く!」
 パシン、と後頭部を叩かれた忍は、ノロノロと顔を上げ、呆れ顔の朱莉に目を向ける。
「まあ……流石に創作キャラよりは常識人だよな」
「? とにかく、先に部室行ってて。私は寄るトコあるから」
 首根っこを持って引きずられたりしないだけマシか、と素直に思える自分を笑いつつ、忍は部室へと向かった。
 そこには、名夕の用意したシナリオとは別の、彼女曰く『凡庸な人間が描いた凡庸な物語』と言う現実が待っている。
 よって、特に身構える必要はない――――
「ん。来たか」
 筈なのだが、そこには見知らぬ男女が四人も待ち構えていた。
「僕は生徒会会長、犬井我王(いぬい がおう)だ」
「あたし、猫屋敷若庵(ねこやしき にゃあん)。副会長だよん」
「……兎沢風(とさき ふう)。書記」
「私は有馬妃嬪(ありまひひん)と申します。お見知りおきを」
 そして、一斉に自己紹介。
 要するに、生徒会の面々が集合していると言う事なのだが――――忍はその事実よりも、彼らの名前に強い衝撃を受けていた。
「ちなみに、名前に関しては、全員本名ではない。コードネーム、と言うヤツだ。気にしないでくれ給え」
「……コードネーム?」
「訳アリ」
 兎沢と名乗った書記の男子が、最少言語で説明する。
 とは言え――――生徒が偽名を名乗る時点で、訳があろうとなかろうと怪しさ一〇〇%なので、忍は露骨に顔をしかめた。
「それはさておき……私達がここを訪れた目的を言いますと」
「さておいて良い問題じゃないと思うんですけど」
 話の腰を折る忍に、有馬と名乗った三つ編みメガネっ娘は特に気にも留めず、話を続けた。
「この部室を、何に使っているのか、調査する為です」
「あー……そう言う事ですか」
 幾ら使用許可を得ているとは言え、表に『主な登場人物』と言う謎のプレートを勝手にぶら下げ、訳のわからない事を叫んでいるとなれば、いつこうなってもおかしくはなかった。
 尤も、仮にここで活動停止処分を通告されたとしても、余り意味はない。
 リアライザーで、合理的に活動再開できるストーリーを名夕が組み立てれば、それが翌日現実となるのだから。
 その為、生徒会役員を目の前にしても、忍にプレッシャーはなかった。
 ただ、先輩であろう四人との会話は、別の意味での重圧を招く。
 シナリオライター志望の人間にとっては、かなり高いハードルだ。
 一人では到底越え切れない。
 忍は初めて、朱莉や名夕を恋しいと感じた。
「単刀直入に聞く。君達は……反生徒会勢力の一味なのではないか?」
「……は?」
 今度は突然、聞きなれない言葉が生徒会長の口から飛び出して来た為、忍は思わず目を丸くした。
 反生徒会勢力――――普通の学校には、まず存在しない勢力だ。
 そもそも、勢力と言うもの自体滅多に存在しないが。
「惚けてもダメだよーん。ココを新しい拠点にして、デモ活動でも起こすつもりなんでしょ? 他校の生徒と接触してるトコロ、バッチリ目撃してる人がいるんだからねー」
 副会長の猫屋敷女史が、猫毛を指で弄りながら、かるーい感じで詰め寄って来る。
 実際、他校の生徒が出入りした事はある。
 中学生が。
「今の内に全て吐露すれば、楽になれます。もし隠すようなら、私……私……」
「待て、有馬。入れ込み過ぎは良くない。君は入れ込み過ぎると、暴走してしまう」
「あ……すいません会長。私、つい……」
 忍を置き去りにして、勝手に話が続いて行く。
 前に進んではいないが。
「と言う訳で、我々は君達の事を疑っている訳だが……反論は?」
 睨みを利かす生徒会長に対し、忍が答えられる事は一つしかない。
 本当に、一つしかなかった。
「……生徒会が、抵抗勢力なんて作られてんじゃねえっ!」
 その至極尤もな指摘に、生徒会の四人は同時に肩をビクッと震わせ、互いに顔を見合わせる。
「え……? ダメなのか……?」
「当たり前でしょうが! 一体どんな運営したら、そんな勢力が生まれんだ!」
 ショックを受ける生徒会長に、忍は更に畳み掛ける。
 対人スキルが低い為、引き時を弁えていなかった。
「そもそも、説明不足にも程があるでしょう! まず、自分達がどう言う活動してて、それに対してどんな風に学生から思われてて、その結果こう言う勢力が出来ちゃったのよ、って説明がないと、ワケわかんねーですよ!?」
「納得」
 他の生徒会役員が忍の大声にビクビクする中、兎沢書記は一人、コクコクと頷いていた。
「そ、それは済まなかった……で、君等は反生徒会勢力じゃ……」
「違うに決まってんだろ! 帰れーーーーーーーーーーーーーーっ!」
 勢いに任せ、退室を命令。
 生徒会役員は四人とも、逃げるように部室を出て行った。
 そして――――
「さすが主人公です。普段は草食系無気力症候群でも、やる時は熱血。そうでないと」
 入れ違いで、名夕が入って来る。
 まるで(作中の)朱莉のような物言いで。
「お前……観察してやがったな」
「人聞きの悪い事を。私は、あんな上級生に囲まれて会話をするなんて、絶っ対にイヤだっただけです!」
「力いっぱい言う事かああああああああっ!」
 右拳を握り締める名夕に、忍は戦慄きながら叫んだ。
 そして、ふと思う。
「お前、やっぱりそれが素なのか。作中のキャラとは随分違うな。俺を脅してた時とも。演技か?」
「……やはり、気付いていますか。当然ですよね」
 明言こそ避けたものの、嘆息交じりに名夕は俯いた。
「昨日、私は今日分の原稿を落としました。描けませんでした。スランプ、と言うヤツです」
「スランプじゃなかった日があるのか?」
「失礼な事を言わないで下さい! 一昨日も……不調ではありましたが」
 自覚があるのか、名夕の声が沈む。
「こんなスランプは初めてです。プロットは作ってますし、展開は用意しているのに、全然筆が進まないんです。遠藤さんは、こんな経験あります?」
「そりゃあるけど。ちなみに、その展開って俺が聞く訳には行かないんだよな?」
「別に良いですよ? どうせ、作中ではハジかれる記憶ですし」
 それは――――忍にとって、意外な返答だった。
 尤も、知ったところで特に意味はないのだが。
「本当なら、今日は億川さんに中学生のサービスシーンの真髄を叩き込もうと、更衣室に忍び込んでシャワーを……」
「だああっ! なんちゅう展開だ!」
「イマドキの中学生は、それくらいやっても良いんです!」
「創作物と現実をごっちゃにするな!」
「本当にごっちゃになってるんだから、仕方ないじゃないですかっ!」
 訳のわからない言い合いがヒートアップする中――――
「……」
 いつの間にか、部室の扉は開かれ、そこには朱莉がジト目で立っていた。
「あ……あの……何時から?」
「中学生のサービスシーン、の辺りから」
「んくっ」
 名夕は卒倒した。
 創作物の中での出来事ではなく、本当に。
「うわ……人間って本当に都合悪い現実を叩きつけられると、こうなるのか」
 倒れ込んだ名夕を部屋の隅に寝かしつつも、忍もまた、動揺を隠せない。
 場合によっては、自分も『変態』と思われた可能性がある。
 朱莉にどう聞こえていたか、と言うのは余り問題じゃない。
『中学生のサービスシーン』と言うトピックを選んでいる時点で、基本、変態なのだから。
 そんな、妙な緊張が漂う中――――
「うんうん、部員同士が仲良くなって行く姿って、良いものね。ソラりんも話題にされるくらい溶け込めてるって事だし」
 朱莉のそんな結論に、忍はホッと胸を撫で下ろした。
 そう言う認識であれば、特に問題はない。
「さて。ソラりんはまだ来てないみたいだけど、早速今日の活動を始めましょ」
「あ、ああ。今日は何するんだ?」
 誰からも創作されていない、現実の予定。
 朱莉の口から発せられた『事実』は――――
「生徒会にケンカを売る!」
 小説よりお約束な展開だった。








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