フェム=リンセス。
 その名が自分の為に用意された名ではない事は、物心が付く前から知らされていた。
 勿論、正しい意味で理解するには、それから幾ばくかの時が必要だったが。

 生まれてから直ぐ、本物である事を強要された彼女は、自分が偽物である意識を拭い去るよう教育された。
 人間、誰しもが自分である以上、本物も偽物もない。
 そういう意味で、彼女は極めて例外的な人生を歩む事となった。

 王女の代わりという人生は苦楽が混在していたが、どちらかと言えば楽の方が大きかった。
 欲しい物は大抵手に入ったし、嫌いな物を無理して食べる必要性も皆無だった。

 だが、愛には飢えていた。
 本当の両親が誰で、何処にいるかは一切聞かされていない。
 本来ならば、彼女に本物である事を極限まで求めるならば、本当の両親が別にいる事さえも明かさずにいるのが理想だったのだろうが、ローバ王と王妃には彼女を本当の娘として迎えるだけの度量も優しさもなかった。

 両親の愛に恵まれない子供は、生きている意味を探さなければならなくなる。
 彼女はフェム=リンセスである事、在り続ける事がその意味と教わってきたが、それはあくまでも王家の人間の理屈。
 存在証明ではあっても、存在理由ではなかった。

 思春期に差し掛かる頃、そんな彼女に転機が訪れた。

 ――――フェム=リンセスと名乗る、自分以外の人間がいる

 美術国家ローバのミッポルンに、そんな噂が流れた。
 王家の反応は早かった。
 各地域の諜報ギルドに呼びかけ、この噂を『そう名乗っている憐れな偽物がいる。リンセス家とは無関係』と修正させた。

 素早い対応が奏功し、噂は噂の域を出ず、商業国家シーマンや中立国家マニャンに出没するフェム=リンセスなる者について、ローバ国民は皆『偽物』だと認識した。
 けれどもたった一人――――この国で誰からもフェム=リンセスだと認識されている少女だけが、この噂に執着した。
 彼女こそが本物。
 そして自分が偽物だと。
 
 少女は、そこでようやく生きる意味を見つけた。
 今の美術国家ローバは、新たな芸術家も美術品も生み出せない偽物ではないか。
 ならば自分も偽物にあるべきだ。
 当然、王家の血筋ではない自分は本質的には偽物なのだが、それでも本物であるよう生きてきた。
 だがそれは間違いで、偽物である事こそが、この"贋作国家"とも言うべきローバの王女として生きる、本来の自分の進むべき道なのではないか――――そう思い立った。

「だからこの腕輪は、偽物である私の"証"なんです」

 閉鎖された刑務所跡の一室。
 入り口の最寄りにある独房の窓から、少女の落ち着いた声が響き、その声はやがて窓の鉄格子越しに外へと漏れていく。
 ユグドはその窓を眺めながら、彼女の話を一語一句漏らさず暗記するほど真剣に聞き入っていた。

「偽物である事を私は、認めなければならないと思うんです。でもそれは、現実を受け入れるとか、未来へ向けて進む為とか、そういう事でもありません。ただ、私は偽物なんだと思うと、心がとても落ち着くんです」

「……」

 少女の話は、ある意味どんな文豪の優れた書よりも興味深いものだった。
 本物である事を強要され、それが当たり前のものとして生きてきた人間が、偽物である事を求める。
 王族として、何不自由なく暮らしてきた筈の人間が、偽物でありたいと願っている。
 それは決して王族である事の重責から逃れる為でも、心の弱さに起因するものでもない。
 ある種の真理が、間違いなくそこには在った。

「それが、この腕輪を欲した理由です。納得して貰えるかはわかりませんけど」

「いや。良くわかりました。話してくれてありがとうございます」

 真理を前に、ユグドは敬意を表し頭を下げる。
 時間の経過もわからないこの閉鎖空間で、目の前の少女は真実よりも遥かに重いものをくれた。

「それでは、次はユグドさんの番ですね。本物のフェム=リンセス様がどんな人なのか、教えて下さい」

 そういう約束だった。
 尤も、ユグドとフェムの付き合いはそれほど長くはない為、説明には少し戸惑いがある。
 熟考の末――――ある一つの言葉が残った。

「舞う人です」

「……舞う人?」

 少女がそう返さざるを得ないくらい、ユグドの返答は珍妙だった。
 が、ユグドにしても、これ以外の説明は無理だった。

「いつどんな時でも、舞い踊っている人ですね。それは性分なのかもしれないし、演技なのかもしれない。強さか弱さかもわかりません。ただ、彼女はずっとそういう存在です」

「……解釈が難し過ぎます」

「俺もそう思います」

 苦笑しながらそう答え、ユグドはその場に倒れ込んだ。
 この空間に閉じ込められ、どれだけの時間が経過したかはわからない。
 少なくとも二〜三時間という事はなく、遥かに時間が経っている。
 ラシルはまだ現れない。

「本当に、ラシルさんが助けに来てくれると思っていますか?」

 その問いも、二度や三度ではなかった。
 そしてユグドはフェムの偽物である彼女に対し、その都度同じ言葉を返す。

「来ます。あの人が負けるなんて考えられませんし、俺を見捨てる事もあり得ません。他人でさえなければ、俺が誰でも同じです」

「……やっぱり信頼しているんですね」

「違います。彼女がそうというだけです」

 ただ、そのやり取りの中で一つだけ、今までと違う事があった。

「自分が巻き込んでおいて、その相手を死なすようなヘマはしないんですよ。あの人は――――」

 そのユグドの言葉が、誘因だったかどうかは兎も角として。
 不意に轟音が室内に響き、その声を強引に止めた。
 金属と石の混じった破片が部屋中に散らばり、音を立てて降り注ぐ。
 幸いにも、破片の正体である窓側の壁や鉄格子からは離れていた為、鼓膜が破れる事も、破片が身体にぶつかる事もなかったが。

「――――五〇〇年、この世界を生き抜いてきた人なんですから」

 鉄格子はある意味物の序でで、窓側の壁には人が通れるだけの穴がポッカリと空いていた。
 そこからは、まるで窓が本来の役割を思い出したかのように、溢れるような勢いで陽光が差し込んでいる。
 室内の二人が薄目でその方を見ると、光の中に仁王立ちする女性の姿があった。
 腰に左手を当て、右手で槍を突き立て、長い髪をなびかせるそのシルエットは、顔が見えなくても誰か直ぐにわかるほど、自信と活力に充ち満ちている。

「帰るぞ、ユグド」

 自信満々のドヤ顔。
 視線を逸らし照れる赤面顔。
 道に迷い救出に時間が掛かりバツの悪そうな顔。

 ユグドはそんな龍の巫女の表情を色々想像しながら、その眩しさの中に手を伸ばした――――









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