美術国家ローバの抱える闇は、ただ暗く黒いだけの闇とは違っていた。
 同時に、"人間"という存在と"芸術"という分野が何処まで禍々しく変容出来るのかを示す、ある種の指標でもあった。

 美術品の価値は、ある定義によって決定されている部分と、そうでない部分がある。
 前者は規定概念であるのと同時に、宝石に代表される高級志向。
 そこに希少価値を加える事も出来るだろう。

 そういった、わかりやすい決まり事がある一方で、特定の人物による感性・趣味嗜好が色濃く反映されるのが後者。
 その"特定の人物"は、王族貴族をはじめとした貴き身分、また既に芸術家として名を馳せた人物である事が多いが、大多数の一般人による集合意思を隠喩的な意味合いで指す事もある。
 いずれにせよ、明確な根拠がそこにはなく、美術品の価値が時代と共に変化する理由ともなっている。

 美術国家を冠するローバはかつて、国内のみならず海外へ向けて、美術品・工芸品の売買を積極的に行っていた。
 勿論、それらの殆どは娯楽品である為、国家の産業構造として中軸とするのは困難だが、それでも他国を圧倒する流通量を誇れば、経済面以上にローバという国の存在感を他国へ知らしめる事が出来る。
 事実、全盛期には数多の美術品が世界各国の富豪から高い値を付けられ、その作者が世界的名声を得て、ローバ出身の芸術家が世界中で活躍したものだった。

 けれども、感性は移ろう。
 そして大きな流行はそれが大きければ大きいほど、弾けた時の影響もまた大きい。
 高い壁に上った人間が転落すれば、低い壁から落ちた人より遥かに危険なように、流行を過ぎたローバ産の美術品と芸術家の需要は急速に失われた。

 斜陽の時代は長くは続かない――――当時のローバ王は、そう繰り返し訴えていたという。
 それ自体は一つの精神論として尊重すべき意見ではあるが、結果としてそれは、単に対策を講じられない言い訳になった。

 美術国家ローバから世界的芸術家と美術品が生まれなくなったのは、現在から百年以上前まで遡る。

 それでも尚、現在も美術国家を冠するのは、偉大な芸術家達と過去の美術品への敬意――――ではない。
 そうしなければ、大陸内において存在感を失うからだ。

 資源が豊かなら、存在感など考える必要はない。
 産業が活発であれば、生産活動や経済の向上は王政次第であり、王族にとっても腕の見せ所。
 だが美術への世界的な関心が弱まった時代において、ローバは誇るべき物が何もない国になってしまった。
 何もない国が存在感まで失えば、ますます経済面での縮小が顕著になり、王族の発言力も内外問わず失われていく。

 焦っていたのは、王族だけだった。
 平和な時代を優雅でなくとも伸び伸びと生きる国民が大半を占める中、リンセス家だけが来るべき破滅に怯えていた。

 新たな美術品を生み出さなければならない。
 新たな時代に迎合出来る芸術を確立させなければ、王家の未来はない。

 どうすれば、昔のように美術品が売れるようになるのか?
 そもそも芸術とは何なのか?
 どのようなモチーフに、世の富豪達は魅力を感じるのか?

 答えは幾つかあった。
 その中でリンセス家は、最悪の物を選び取ってしまった。
 けれども、確かにその最悪は正解の一つでもあった。

 それは。
 その正解は――――

 

「グロです」

 

 淀みなく、迷いもなく、ついでに羞恥心すら感じさせず、偽フェムはそう言い切った。
 本当に何の躊躇もなく言い切った。

「……あの。すいません。少しだけ時間下さい。心を落ち着かせます」

「わかりました」

 薄暗く、脱出経路を失った刑務所跡にて、ユグドは暫く顔を覆いながら俯き、屈み、時折溜息を吐き、耳の中に何度も指をねじ込み、そんな挙動を五分ほど繰り返し、そして眼前の女性へ向けて一つ頷いた。


「グロです」


 どれだけ体調と聴覚を整えても、聞こえてくる単語は一緒だった!

「おかしいな……途中まで歴史の暗部とか人間の業とか、そういう重い話を聞いていた筈なんですけど」

「グロは需要があるんです」

「ええ、ええ。あるんでしょうよ。毛の先ほども理解出来ませんけど」

 要するに、今の時代において需要のあるテーマを模索した結果、グロテスクな表現に辿り着いたらしい。
 美術国家らしい迷走と言える。

「当時の王族は、戦争によって非業の死を遂げた、特に損傷の激しい遺体を芸術家に描写させました。その絵は確かに一定の需要を獲得し、中にはかなり高額で売れる絵も出て来ました。でも余り流行りませんでした」 

「そりゃそんなニッチな分野が世界的ブームになっても困りますし」

「最後の賭けに負けたローバは、生きた屍となり過去の美術品を管理するのが関の山、一山幾らのザコ国となり果てたのでした。無念」

 最終的には言葉がやたら軽くなった偽フェムに、ユグドは本格的に頭痛を覚え、どうにかして思考を切り替えようと頭を振る。
 奇行に見えるのも覚悟の上。
 それくらい、訳のわからない史実だった。

「ローバの事情はわかりましたけど……今の話とフェムさんがこの世にいないというさっきの話と、何がどう繋がるんですか?」

 どうにか頭の中を立て直し、ユグドは話の整合性を求める。
 彼女の正体をはじめ、他にも聞きたい事は山ほどあったが、質問は矢継ぎ早にするのではなく最優先事項を簡潔に、が交渉の基本。
 はやる気持ち、焦燥感との戦いだ。

「ユグド=ジェメローラン。貴方は、"この腕輪"について何を知っていますか?」

 しかし、偽フェムが自分の質問を無視し、突然左腕を掲げそう逆に問い掛けてきた事には驚きを隠せなかった。
 今の彼女は、数日前に出会った時と比べ、質素な格好をしている。
 城を離れ単独行動するのだから、当然と言えば当然だ。

 だが、彼女が掲げた腕輪は以前から付けていた物と同じ。
 数ある装飾品の中の一つだ。
 けれども、その腕輪の正体――――それは、話の流れからその答えは一つしか考えられない。

「金環ドラウプニル――――」

 彼女は堂々と、それを他者からも見えるよう身につけていた。
 ユグド達が城を訪れた時から。」

「知っていましたか。なら私の正体についても既に予想が付いているかと思いますが……私はフェム=リンセスの代わりを務める者です」

 それは予想通り。
 だがユグドは、彼女が只の替え玉とは思えなかった。
 何故なら、先程から話をしている間、常に気品を感じていたからだ。

 王族と接する機会が妙に多いユグドは、血統というよりその環境や教育が品位を作っているのではと感じていた。
 あれだけ脳天気なティラミスからも、ふとした仕草から育ちの良さが窺えるし、そこには一種の気品がある。
 それと同じものを、偽フェムからも嗅ぎ取っていた。

「先程の質問にお答えします。本物のフェム=リンセスがこの世にいない事と、金環ドラウプニルの関連性について」

 その品性をまるで歴史を教える教師のように醸し出し、偽フェムは淡々と語り始めた。

「フェム=リンセスは、生まれて間もなく死亡しました。病死だったそうです。王様とお后様はその死を嘆き、三日三晩泣き尽くし、そして……娘を失った現実に耐えられず、かつてこの国で量産された『死者を描いた絵』の中から一つの絵に着目し、執心するようになりました」

「……〈死の舞踊〉」

 死を題材とした絵画で唯一、ユグドが題名を知る絵画。
 その呟きに、偽フェムは一瞬驚きを見せたものの、その後穏やかに頷いてみせた。

「その絵が、死者が踊り出した現実の様を描いたものとは限りません。でもこのような絵画があるのだから、死者を蘇らせる方法がある筈だと王様達は考えたのです」

「その方法というのが、絵の元になったとされる金環ドラウプニルなんですね」 

「はい。一六年前、エッフェンベルグ国王の誕生会に二年連続で招待されたお二人は、どうしても金環ドラウプニルを手に入れたかった。だから――――すり替えたんです。展示された本物と、精巧に作られた偽物を」

 エッフェンベルグ王の誕生会は一七年前から開催されていたという。
 その最初の年に招待された際に、金環ドラウプニルがエッフェンベルグの国宝となっている事を知っていた二人は、赤子の死後直ぐに自国の芸術家に金環ドラウプニルとそっくりの腕輪を作らせた。
 絵画の題材となるくらいだから、外観の資料も何処かにあったのだろう。

「そうして、他国の国宝である金環ドラウプニルを盗み出す事に成功した王様とお后様は、死した我が子にそれを填めました。幸い、グロテスクな絵を流行らせようとした過程で、遺体の腐敗過程と保存方法は一通り学んでいたそうです」

 偽フェムの話は、生々しさと絵空事の入り交じった奇怪な内容だった。
 けれども、そういうものなのかもしれないともユグドは納得していた。
 ここは美術国家ローバ。
 ならば、現実と幻想が入り乱れるのは寧ろ自然だ。

「フェム=リンセスの遺体は、金環ドラウプニルの力によって動き出しました。そういう呪いが掛かっていたのは確かだったようです。けれども……意思の疎通は出来ず、ただ動くだけの【生き人形】と化してしまったのです」

 生き人形。
 かつてこのローバの迷走期に取り扱われたそのような美術品あると、ユグドも聞いてはいた。
 だが――――

「最初は我が子が生き返ったと喜んでいた国王と王妃も、次第に愛情を寄せる事が出来なくなりました。変わり果てた娘を手元に置きたくはない、でもまた死なせるのは不憫過ぎる。そんな葛藤もあったのだと思います。美術国家として、これまでにない物を生み出さなければならない使命感もあったのでしょう。そうして追い詰められた彼らは……蘇った娘を商品として売り出したのです」

 まさかそれが国王の娘、つまりフェム王女であるとは、到底信じられない話だった。

「結果、商業国家シーマンの富豪が買い取ったそうです。その後、娘が死んだ事を発表する訳にもいかなくなった二人は、代わりに王女として……フェム=リンセスとして生きる人間を用意しました。それが私です」

 偽フェムの誕生を聞いたユグドは、その余りに歪みきった歴史に頭痛さえ覚えた。
 フェムが絡んでいる以上、他人事でない分余計に痛みは強い。
 そしてその痛みの元は、目の前にいる女性の歪まされた宿命に対する同情も、多少なりともあった。

「赤子の時点で亡くなったフェム様が、その後どんな少女に、どんな女性に育つかなど想像も付きませんが……お后様に良く目鼻立ちや雰囲気が似ていらしたそうです。ならば、お后様と同じような育ち方をすれば、顔の作りも似てくるのでは――――そうお二人はお考えになられました」

 そこから先は、話を聞くまでもなかった。
 王妃の話し方を覚えさせ、好きな物、嫌いな物まで同じになるよう仕向け、その人生を似せていく。
 似た環境、似た育て方によって共通の品格が備わるのなら、容姿もまた、表情の作り方を中心に自然と近付いていく。
 夫婦が年をとって顔が似てくるように。
 
「……人一人の生涯を、何だと思ってるんでしょうね」

 王族にも良い人間はいる。
 ユグドはそれを、一般人より遥かに知っている。
 けれども――――そういう人間もいる事実は覆しようがない。

「貴方の所属する組織に、フェム=リンセスと名乗る女性がいる事は聞いています。残念ながら、お会いするのは禁じられていますが……」

「なら、彼女はシーマンに売られた本物の王女様なんでしょうね」

 でなければ、わざわざ禁じる理由も、話題にする理由もないだろう。
 自我のなかった筈の亡骸が、生き人形として引き取られ、そこで自我を獲得したと解釈するしかない。
 愛情を注がれたからなのか、他に何か特別な理由があるのかは不明だが。

 いずれにせよ――――この話は、何故フェムがあれほど自由に生きられるかを裏付けるものでもあった。
 幾ら奔放な性格でも、外国の護衛団に王女が所属するなど、許される筈がない。
 しかし実態は、許しを請う必要もなかった。
 何故なら、彼女はローバの王女であって、既にそうではないからだ。
 今のローバ王女は、ユグドの目の前にいるこの女性だ。

「フェムさんは、この事を知ってるんですか?」

「出自の知識はあっても、理解出来ているかどうかは不明です。金環ドラウプニルによって蘇った彼女に、人間の常識を適用する事は出来ないでしょう」

 そう語る偽フェムは、同情とも他人事ともとれない、虚ろな目で天井を見上げていた。
 彼女の感情もまた、他人が推し量るのは不可能に近い。
 複雑という一言で片付けるには、余りに難しい立場だ。

「……貴女とフェムさんの正体はわかりました。でも、まだわからない事が幾つかあります」

 彼女の話が真実であるなら、そもそも今回の事件――――金環ドラウプニルの盗難は実に不可解だ。
 彼女が招宴の参加者であり、盗難品を身につけている以上、実行犯である事は間違いない。
 けれども、それが偽物だと知っている人物が何故、盗まなければならなかったのか。
 偽物であるなら何故、この闇市場へ赴き、今こうしてユグドと共に閉じ込められているのか。

 そして先程の発言、『貴方はここで一生私と暮らすんです』の真意は――――

「申し訳ありませんが、私から話せる事はありません。脅されても、それ以上の事をされても同じです」

 決意の表情で、そう伏せられてしまった。
 無論、それで納得出来る筈はない。
 けれども、問い詰めたところで、まして脅したところで、真相を語ろうとはしないだろう。

「恐らく、貴方と共にいたラシル=リントヴルムも既にこの世にはいないでしょう。貴方がここにいるのを知る者は他にいません。ここで私と共に生きるか、私を殺して一人で生きるか……どちらか選んで――――」

「生憎、そんな殺伐とした二択で人生を決めるのは性に合わないんで」

 偽フェムが言い終わる前に、ユグドはそう拒絶の意を示した。
 当然、そこに根拠はある。

「偽物の金環ドラウプニルを敢えて身につけている理由は、正直オレにはわかりません。貴女なりの事情があると拝察しますけど……ただ、偽物であるとわかっていて盗み出した目的の一つは、ある程度の確度で予想出来ます。真犯人はグルートさんですよね? 貴女と彼が結託して盗み出し、エッフェンベルグ王の怒りの矛先をロクヴェンツへと向けさせた。両国の関係上、最初に疑われるのはやっぱりロクヴェンツでしょうから」

「……」

「その動機は、戦争……ではなく、ラシルさんとの一騎打ちを実現させる為」

 そう断言したユグドに対し、偽フェムの目は――――揺るぎない。
 だが構わず、予測を語り続ける事にした。

「普通の兵士同士なら、挑戦状でも出せば済む話です。でも彼らはエッフェンベルグとロクヴェンツを代表する存在。理由なく戦えば、それはもう戦争と同じです。それにラシルさんはああ見えて、結構他人の目を気にする人なんです。有名な将軍に圧勝したら、また鬼みたいな女性だと思われて婚期が遅れそうですし、申し込まれても断ったでしょう」

 婚期云々は兎も角として――――
 グルートがラシルに突っかけているのは、そのやり取りから幾度となく汲み取れた。
 口の悪さはお互い様なので、余り奏功してはいなかったが。

「でも、こうしてオレを人質にとれば、必然的にやり合う理由が生まれます。今回の件に本来無関係なオレが閉じ込められた時点で、それが目的だと大体理解出来ました。閉じ込めたのは、ここにいる筈の店主ですかね。刑務所跡ですから、店主と言っても単にここを利用しているだけで、所有権はないんでしょうけど。オレ達が最初に会談した日の夜かその翌晩あたり、グルートさんも交えてこっそり作戦会議でも開いてたんじゃないですか?」

「……」

 偽フェムの顔色は変わらないが、少なくとも的外れではないと察し、ユグドは内心安堵を覚えていた。
 自分がここを出られるのは間違いない。
 その確信を得たからだ。

「仮にそれが真実だとして……貴方はどうやら、ラシルさんが勝つと確信しているようです。どちらも有名な騎士と将軍ですけど、男性と女性ならば、やはり男性が勝つと思うのですが……?」

「それはあの人の凄さを知らないから言える事ですよ。そんな一般論の範疇に収まる女性じゃありませんから」

 そう断言し、ユグドは肩を竦めながら、待ち人の登場に備えて扉の前から移動を始めた。
 彼女がこの場所へ入ってくる方法を考慮して。










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