美術国家ローバには裏の顔がある。
 尤も、裏の顔のない国など存在する筈もなく、あらゆる国に悪政や偽善は存在し、それらは暗黙の了解や必要悪などと言われ、半ば黙認されている。
 ローバにおける裏の顔は、美術品・芸術品の裏取引を主とした闇市場〈世界美術館〉の存在だ。

 闇市場自体は、どの国にでもある。
 とりわけ、商業国家シーマンや娯楽国家セント・レジャーはお国柄、表に出せないようないわく付きのお宝が流れやすく、稀少品を扱う闇市場は重宝されている。

 ただ、ローバの闇市場はこれらの国のそれとは一線を画した存在で、その多くが他国からの盗品と言われている。
 というのも、ローバでかつて生産された美術品の殆どは、国家が運営を全面的に援助する国立美術館に保管・展示されている為、価値の高い物は中々市場に出回らない。
 また、美術品鑑定に関しては他国の追随を許さないほど厳格で、国家資格を有している鑑定士がその責任の下に鑑定書を発行し、それがなければ本物と認められない為、更に売買が困難となっている。

 その結果、ローバの闇市場には世界各国から美術品が集まり、揶揄を込めて〈世界美術館〉と呼ばれるようになった。
 この闇市場の存在はローバの全域に亘って存在し、国民の多くは周知している。
 他国民であっても、ある程度世界情勢に精通していれば自ずと情報は入ってくる程には有名だ。

 非合法な市場ではあるが、軍事利用される武器や人間を破滅させる麻薬のような劇物は取り扱っていない為、問題視される事は少ない。
 盗品の売買である以上、そこには確かな非道徳的・反社会的な性質がある訳だが、実際に盗まれた人間にとっては金さえ出せば買い戻せる窓口にもなる為、寧ろありがたがる人間も多い。
 美術品は金持ちの道楽である事が大半なのも、黙認の大きな理由となっている。

 とはいえ――――国の長たる王族までもが闇市場を利用しているとなると、話は別だ。
 もしそんな不祥事が発覚すれば、ただでさえ新たな芸術家の発掘を国政から外し、美術品の管理・保持にのみ注力している現在のローバには正当な管理能力すらないと見なされ、美術国家としての権威はますます失墜するだろう。 

「……まさか本当に来るとは」

 そういった事情から、半信半疑で闇市場のとある店を張っていたユグドは、周囲を警戒しながら店へ入っていく偽フェムの姿に驚きつつも、その驚きは心中での呟きに留めておいた。

 その店は、便宜上"店"という表現こそ使われているが、建築物は決して一般的な店舗と同種ではない。
 リンナ城から西南西の方向に辻馬車で揺られること五時間、首都ミッポルンの郊外に位置するこの場所は、かつて刑務所として使用されていた。
 美術国家であっても、流石に刑務所まで芸術的な外観にする訳にはいかなかったらしく、ごく普通の石造りの刑務所で、他もそうであるように『小要塞』といった威容を放っている。
 その刑務所跡がそのまま取引所として再利用されているらしい。

 ユグドはその不穏な空間でたった一人、丸二日見張りを行っていた。
 そしてその二日目の夜、偽フェムが一人で訪れる現場を抑える事が出来た。

 ――――グルートの挙動が怪しいという共通の見解を持った事で、ユグドとラシルは彼を単独で行動させないようにと画策していた。
 加えて、偽フェム本人の調査は身分が証明されているラシル、グルートの方がし易いという理由で、彼らはリンナ城にて聞き込み調査を、そしてユグドは闇市場の調査を単独で行う事となった。

 幸い、闇市場自体の知名度の高さに加え、リュートがラシルのしたためた調査書を運んで来てくれた為、偽フェムが利用する可能性のある場所は容易に特定が出来た。
 王族として活動する彼女がリンナ城の近くの闇市場を利用出来る筈はなく、またこの日、半日ほど城を空ける事を事前に侍女へ伝えていたという。
 ラシルの調査書は、口が堅いと評判のその侍女にどうやって口を割らせたかという一部始終、主に自慢話が全体の九割を占めていたものの、残りの一割は非常に有用な情報が記されていた。

 往復での移動時間が半日以内。
 それも、人目につく公共の乗り物ではなく、辻馬車のような乗り物で。
 その範囲内において、他国の国宝を売る事が出来そうな闇市場は、この取引所の他には二つくらいしかなく、その二つは酒場のような人の多い店舗だった為、ここが最も可能性が高いと踏んでいた。

 とはいえ、刑務所跡の取引所に女性が一人で訪れるのは、相当な勇気が必要。
 今しがた建物内へと入っていった偽フェムが替え玉なのだとしたら、本人に匹敵する度胸の持ち主だと、妙に感心してしまう程だった。

 そんな彼女の登場によって、ユグドは決断を迫られていた。

 最も安全な選択は、このまま偽フェムが出てくるのを待ち、その後フェムに話しかけ、金環ドラウプニルを所持していないか確認する方法だ。
 持っていればその場で身柄確保、持っていなければ共に店へ行き、売買が行われたかどうか店主に問う。
 ただこの方法は、偽フェムが国宝の売買を行った瞬間を目撃出来ない為、現行犯とはならない。

 尤も、国宝を取り戻すだけなら問題はない。
 エッフェンベルグ王の依頼は『自分が恥をかかない事』であり、それは国宝を取り戻す事であって、犯人を突き出せとは要求されていない。
 ならば何も問題はないのだが――――万が一、偽フェムや店主がユグドの存在を察知し、裏口から逃げるような事があれば、ここで待つのは悪手となる。

「……」

 ユグドは小さく嘆息し、踏み込む覚悟を決めた。
 多少の危険はあるものの、依頼の性質上、この件は早々に解決しなければならない。
 何故なら、フェムはアクシス・ムンディの一員だからだ。
 王族の絡む案件である事よりも、それが重要だ。
 フェムの替え玉が国宝を盗み売りさばいたとなれば、例え替え玉の仕業であっても、フェム自身かなり大きな悪評を背負うだろう。
 
 団員の悪評は組織の悪評。
 組織の悪評は世界一の護衛団を目指すユグドにとって、非常に厄介な問題となってしまう。

 ユグドは意を決し、鉄柵に囲まれた老朽化著しいその建物の巨大な扉を潜った。

 中はやはり、刑務所らしく荒んだ空気が漂い、塗装の剥がれた壁が更に淀みを生んでいる。
 円蓋の天井はかなり高く、しかし形状ほどの丸みは感じさせない。
 照明は設置されているが、間隔が広いのと炎自体が弱いのとで、中は相当薄暗い。

 廊下に出ると、左右に収容部屋の扉が等間隔で並ぶ。
 牢獄ではなく、ごく普通の扉ではあるが、錠前は恐ろしく無骨。
 当然ながら窓はなく、閉じた扉の向こうを窺い知る事は出来ない。
 
 偽フェムが入って暫く経っている為、廊下に彼女の姿は確認出来ない。
 取引を行う何処かの部屋に入っている筈だ。
 人気のないこの場所で、わざわざ入室後直ぐに鍵を掛けるとは思えない為、錠前の外れた部屋が取引場所なのは間違いない。

 そしてその部屋は、いとも容易く発見する事が出来た。

 偽フェムは兎も角、このような場所で取引を行う闇市場の店主が丸腰である可能性は低い。
 護身用に何か得物を隠し持っているのは、覚悟しなければならないだろう。

 とはいえ、相手は戦闘を生業とした職種でもない。
 しかも不意を突けるのはこちら。
 幾ら非戦闘員とはいえ、そのような相手に後れを取るようでは護衛団の名折れだ。

 尤も、まともに戦う機会など殆どないユグドにとって、相手が誰であれ、緊張感は否めない場面。
 呼吸が浅くなっている事に気付き、思わず顔を覆いたくなる。

 自称"国際護衛協会"――――アクシス・ムンディ。
 実際、多国籍軍となっている現組織において、ユグドの語学力はそれだけで大きな戦力となっているのは、自他共に認めるところだ。
 交渉士という役割を自ら担い、仕事を取る為頻繁に大陸中を飛び回っており、少なからず貢献してきた自負はある。
 
 けれども、幾ら貢献出来ていたとしても――――自分が直接護衛団としての戦力に加われない負い目は常にあった。
 クワトロをはじめ、戦闘要員の面々は命を賭け対象を護る。
 常に危険に晒されるのは彼らであり、一つの失敗が彼らの人生を終焉へと追いやってしまう。

 出来る事をする。
 己の得意分野を活かし、最大限の効果を組織に寄与する。
 個人ではなく、団体だからこその強みだ。

 それは十分過ぎるほどわかっている。
 わかっているのだが――――その全てを承知しても尚、劣等感に苛まれる。
 戦えない自分が、戦える人達と対等な立ち位置でいられるのか。

 アクシス・ムンディを世界一の護衛団にする――――そんな夢を語っても良いのか。

 そんな思いが、ユグドの中で渦巻いていた。

「……悩んだって仕方ないんだけどな」

 勿論、声に出す訳にはいかず、それでも自分自身へ向けて慰めの言葉を心中に響かせる。
 焦ってはいけない。
 心を乱してはいけない。

『もしここで命を賭けて戦って事件を収束に導けば、戦闘員達と同じ貢献が出来る』等と思ってはいけない。

 それは甘えであり、ただの自己満足に過ぎない。
 今すべきは虚栄心を満たすのではなく、最も安全に解決へ向かわせる策を講じる事。
 戦闘はあくまで最終手段、そして相手がその意思を見せた場合の自己防衛のみに留める。

 ユグドはその誓いを三度、頭の中で連呼し、最後に頬を軽く叩いて――――錠前の外れたその部屋へと入った。

「……?」

 虚を突かれた。
 ただし、視界に収まるのは虚空。
 部屋には誰もいなかった。

 室内は独房となっており、窓は鉄格子によって封鎖されている。
 逃げ出す事は出来ない。
 どうやら、ここは取引現場ではなかったらしい。

 ユグドはやや平常心を欠きながら、廊下へ出て別の部屋の扉を確認して回る。
 その内幾つかは錠前の外れた扉もあったが、部屋はいずれも蛻の殻で、人の気配はない。
 もしユグドがある程度武を修めていれば、視認以外の方法で気配を探れたかも知れないが、そのような能力はない。
 結局、廊下の最奥まで来た時点で、偽フェムも取引相手も見つける事が出来なかった。

 こうなると、鍵の掛かった部屋で取引をしている可能性が浮上する事になる。
 当然、ユグドが鍵を持っている筈もなく、中を確認するのは不可能。
 予想以上に慎重な方法で取引現場を封鎖しているらしい。

 ならば仕方がない。
 ユグドは一旦外に出て、偽フェムが出てくるのを待つ事にした。
 
 ――――が。

「……嘘でしょ?」

 思わずそんな間の抜けた声を漏らしてしまったのは、刑務所入り口の扉前。
 先程は普通に開いた大きな扉が、まるで壁であるかのように、微動だにしない。
 何度力を込めて押しても、念の為に引いても、扉は開かない。

「その扉はもう、開きませんよ」

 突然、ユグドを後ろから襲う女声。
 殴りつけられるより遥かに恐怖心を煽るその声に、思わず悲鳴を上げそうになりながら、慌てて振り向くと――――

「貴方はここで一生私と暮らすんです。ユグド=ジェメローラン」

 薄闇の向こうに、無表情で佇む偽フェムの姿があった。











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