「――――それでは、名残惜しいですが私はそろそろ失礼させて頂きます。これから公務がありますので」

 会談は二〇分で終了。
 その長くも短くもない時間、フェムと名乗った彼女は一度たりとも普段の姿を見せる事はなかった。 
 会話の内容も当たり障りのないものに終始し、本来の目的であるエッフェンベルグ国宝への言及も行える空気ではなかった。

「あれは恐らく替え玉じゃな」

 鉄線で囲まれたリンナ城を離れ、誰も尾行していない事を確認したのち――――ラシルがそう口火を切る。
 当初こそ彼女の容姿の違いには気付いていなかったラシルだが、会談の最中に察したらしい。

「確かに、オレの事を知らなかった理由もそれで説明が付きますね」

「本物と偽物の意思の疎通が出来てねぇって事か。だがこの御時世、わざわざ替え玉なんて用意するか? 命狙われる心配なんぞ、少なくとも国内じゃ不要だろ」

 ラシルに同意したユグドとは違い、グルートはやや懐疑的。
 ただその見解の相違は、フェムという人物を知っているか否かによって分かれたものだった。

「命どうこうというより、本物のフェムさんが公務をこなすのを嫌がってるのかもしれません。そういうの苦手そうですし」

「そうじゃな。余りまともに会話をした記憶はないのじゃが、妾とは違う意味で自由な娘じゃ。王女として振る舞うのは難しかろう」

「……そうなのか? こっちに流れてる噂じゃ、かなりまともでしっかりしたお姫様って話だったぞ? マニャンのレヴォルツィオン城での騒動の時だって、慌てふためく式典出席者の連中を率先して誘導してたって言うじゃねぇか」

 その騒動とは、ユグドとグルートが初めて出会った時の事。
 確かにあの時は、フェムは同行していた商業国家シーマンの王女パールを引率し、好判断でいち早く外へ向かって逃げていた。
 とはいえ――――

「それはつまり、危機的状況にも対処出来る能力があるって証じゃないですか。対処方法そのものの替え玉を否定する理由にはなりませんよ」

「言われてみりゃそうだな。なら替え玉で確定だ」

 余りに呆気ない鞍替えに、ユグドは肩すかしを食った気分で口元を引きつらせる。
 よくも悪くもサッパリした性格らしい。
 アクシス・ムンディの中にはいないタイプだ。

「だが、そうなるといよいよ怪しいんじゃねぇか? 王族の血筋じゃねえって事はだ、経済的な理由で国宝を盗んだ可能性もあるだろうよ。それ以前に、国宝盗むって行為がどれほどの重罪か理解出来てねぇんじゃねぇか?」

「……確かに、これまでの前提が覆る事にはなりますね。暫くこの国に留まって、様子を見た方がいいかもしれません」

「なら、二手に分かれた方が良さげだな。王女を見張る役と、国宝を売りさばこうとする場合に使いそうな店を抑える役だ。美術国家のこの国には、胡散臭い物を売買する店も多そうだろ?」

「そうですね。ならオレは――――」

 流れるように今後の方針が決まっていく中、ユグドの頬に水滴がぶつかり、小さく弾ける。
 城に入る前は青空が広がっていたというのに、いつの間にかミッポルンの上空は雨雲に覆われていた。

「一雨来そうだな。まずは宿を決めとくか。今後についてアレコレ決めるのはその後でいいだろ」

「了解」

 雨粒は直ぐに群れを成し、周囲を淡くおぼろげな風景へ変えていく。
 優しく奏でられる雨音から逃げるように早足で商業地区の方向へ向かうユグドとグルートの後ろで、ずっと会話に入らず一人部外者となっていたラシルは、鋭い目付きでグルートの背中を睨み付けていた。

 


 その日の夜。
 無事に宿泊出来る宿を見つけ、各々の部屋で今日の疲労を癒やしている最中――――異変が起こった。

「……ラシルさんって、窓から侵入しないと気が済まない特殊な拘りの持ち主なんですか?」

 その異変とは、ユグドの部屋の窓を覆っていた鎧戸を叩く音。
 一階ならまだしも、この部屋は二階にある為、本来ならば幽霊や怪奇現象の類を真っ先に恐れるべき場面だが、心当たりが多分にあったユグドは特に怯える事なく鎧戸を開け、ラシルを招き入れた。
 普段身に付けている銀色の鎧をはじめ、戦闘用の装備は全て外している。

「妾を泥棒のように言わないで貰おうか。今回は事情があっての事じゃ」

「守人の家では事情なく窓から入ってるって事ですね……」

 毎回ラシルが窓の桟を汚して帰る事にウンデカが不満を漏らしていたが、ウンデカの代弁者となる理由も特にない為、ユグドは頭の中を『窓から侵入してきた理由』に切り替える事にした。
 つまり、入り口の扉から入って来れない理由。
 この部屋の扉の向かいには、グルートが宿泊する部屋がある。

「……グルートさんに聞かれたくない話、ですね?」

「うむ。先程から小声で話している時点で察しがついているとは思ったぞ。ならば妾の言わんとするところにも心当たりがあるじゃろう?」

 全身そこそこに濡れているラシルは、ユグドの部屋に入って直ぐに窓から身を乗り出し、上空で待機していたリュートに何かを伝え、鎧戸を閉める。
 そして、かなり真面目な横顔でユグドの返答を待っていた。

「ええ。昼間は随分と饒舌でしたね。あの人」

「フン。やはり気付いておったか」

「替え玉の件を最初は否定していたのに、フェムさんを見張る為の方針に関してはまるで用意していたかのようにスラスラと具体策を提示してましたから。その割に、城でのフェムさんが替え玉と仮定したのなら"当然すべき事"を、あの人は掲示しなかった」

 本来ならばその場で指摘しても良いくらいだったが、ユグドは敢えてそれを控えた。
 あらゆる点において、まだまだ情報不足。
 ならば下手に摩擦を作るより、気持ち良く予定通りに動いて貰う方が注意も予測もしやすい。

「うむ。あの男自ら付いてくる、という時点でそれなりに怪しくはあったのじゃが、いよいよキナ臭くなってきおった。盗まれた国宝がそもそもキナ臭いしの」

「ラシルさんは知ってるんですか? 金環ドラウプニルがどんな物なのか」

 22の遺産である以上、それが普通の腕輪である筈がない。
 しかもこの遺産には、生みの親であるドラウプニル教団の名前が付けられている。
 22もある遺産の中でも、特別な存在なのは間違いないだろう――――ユグドはそう睨んでいた。

「妾も遺産に関してはそれほど詳しい訳ではない。その腕輪についても、胡散臭い噂を耳にしたくらいじゃ」

「それでも良いですよ。他に手がかりがある訳でもなし」

「ふむ。間違っていたからといって妾を襲う口実にしないのであれば、話してやるとしようかの」

 暫し、沈黙が訪れる。
 それは一分を超え、尚も続いた。
 
「……なんじゃその『早く話せいつまで焦らしてるんだ』という顔は! 貴様さては、さっきのが返答不要な程の軽い冗談だと思っておるな!?」

「いえ、どっちかというと軽く聞き流さないと礼を失する類の冗談だと思ってました」

「ぐぬぬ、相変わらず素直でない奴め。まあよかろう。照れ隠しと取っておくのじゃ」

 随分と自分に都合の良い解釈で自身を収め、ラシルは勿体振った説明をようやく始めた。

「〈死の舞踏〉という絵画を知っておるか? この国で生み出された絵画じゃ」

「いえ。芸術方面は基本無知なんで」

「妾が生まれるより前に描かれた絵画じゃ。死の恐怖の前では何人たりとも平等という主題で、様々な身分の死者が同じ舞台で踊り狂う様を描いておるの」

 その絵をユグドは当然、一度も見た事はないが――――頭の中には、何となくイメージが湧いてきた。
 高尚なテーマではあるが、同時に誰もが共感出来る。
 芸術性と娯楽性、その両方を兼ね備えた名画なのだろうと話を聞くだけでも推察出来た。

「その絵画の元となったのが、金環ドラウプニルだと言われておる」

「……死者が踊る絵の元ネタ、ですか?」

「うむ。安直に解釈するならば、遺体を踊らせる呪いが掛かっている……といったところじゃが、真相は定かではない」

 22の遺産には、必ず何らかの呪いがあり、その呪いが超常現象を生み出す。
 金環ドラウプニルにもそういった現象を引き起こす力があるのは間違いない。

「本当に『遺体を踊らせる』という誰も得しないような効力なのかどうかは兎も角、もしそれをグルートさんも知ってたとしたら……」

「怪しむ理由にくらいはなるじゃろう。『〈死の舞踏〉の題材となっておるのだから、元々金環ドラウプニルは我等の物であったに違いない』とローバの王族が考えておる……と邪推する事も可能じゃからな」

 仮にそうであったとしたら、グルートが元々ローバに目を付けていた可能性は高い。
 しかし証拠がない以上、ローバ王家に対し『お前等の仕業に違いない。早く国宝を返せ』とは言えないだろう。
 だから、第三者的立場のラシルを強引に巻き込んだ。
 ルンメニゲ大陸の生き字引であり、事実金環ドラウプニルが〈死の舞踏〉の題材だと知っていた彼女がいれば、難癖ではなく正当な疑惑であると訴える上での説得力に繋がるだろう。
 
 とはいえ――――所詮は机上の空論。

「でもそれだったら、エッフェンベルグ王のあの性格からして『ローバの仕業に違いない』って怒鳴りそうなものですけどね。寧ろロクヴェンツを疑ってましたけど」

「そういう事じゃ。妾もそれとなく促してみたが、乗ってはこんかった」

『――――他にも怪しい国はあるじゃろう』

 確かにラシルがそんな事を言っていたのを、ユグドは思い返していた。
 興奮状態だったとはいえ、またエッフェンベルグ王が賢人とは程遠い人物とはいえ、〈死の舞踏〉についての知識があれば、真っ先にローバを疑っただろう。

「あの国王には、そういった事は何も知らされていないのかもしれませんね」

「妾も同意見じゃ。故に、今回の件はグルート=フェアブレンが単独、自己判断のみで動いておるやもしれぬ」

 グルートが何を企んでいるかは、現時点では推察の域を出ない。
 そこに国王の意思が伴わないとなると、個人的事情が絡んでいる可能性もある。
 つまり、余計に読み辛い。

「ともあれ、奴に気を許さん事じゃ。無名人は有名人に気さくにされると直ぐに舞い上がるからの」

「その無名人っての止めて貰っていいですか……ま、それは兎も角として、意思疎通を率先して図ってくれたのには感謝します。ラシルさんも同意見となれば、こっちも色々やり易くなりますから」

「ではその感謝の気持ちを今宵の寝床で表すが良い」

「……?」

 突然訳のわからない事を言い出したラシルに、ユグドは余り見せないキョトンとした顔を作る。
 一方、ラシルはそんなユグドの反応を気にも留めず、最低限の足音でスタスタと室内を歩き、濡れたままの身体でベッドへと倒れ込んだ。

「ちょっ……何すんです。オレの寝床が濡れちゃったじゃないですか」

「何を言っておる。ここは既に妾の寝る場所じゃ」

「は?」

「今から自分の部屋まで戻る気にはなれん。ここは妾の部屋じゃ。貴様が妾の部屋へ行け」

「な……」

 グルートに会話が聞こえないよう小声で通しているが、言葉を失ったのは絶叫したい欲求を必死で抑えたからではない。
 単に絶句しただけの事だった。

「あ。もしかしてグルートさんが夜な夜なオレを襲う可能性を考慮して、部屋を代わっておく事でオレに危険が及ばないようという配慮……」

「何故この段階でグルートが貴様を襲わねばならん。そこまで心配していたら何も出来ぬぞ」

「ええわかってますよ無理矢理な解釈ですよ。ちょっとでも優しさを感じたいと現実をねじ曲げようとした自分を恥じます」

 若干拗ねた声で、でも小声で捲し立てたのち、ユグドは溜息すら落とす気もせず、荷物をまとめてようと鞄の前でしゃがみ込む。

「別に、貴様もこの部屋で寝ても良いのだぞ? 貴様がそう望むのなら」

 そのユグドの足が、ラシルの妙に上ずった声色によって止まる。
 振り向くと――――ラシルは濡れた身体も髪もそのままに、いつもとは違う雰囲気を漂わせ、ベッドに寝転びながら微笑んでいた。

 不意に、ユグドの脳裏に昔の彼女が映る。
 街外れの森にある湖のほとりで、水浴びをしていたラシル。
 その光景は今も、全く劣化する事なく記憶の中枢を担っている。

「どうした? 何か言う事はないのか?」

 寝そべった体勢で前髪を掻き上げ、ラシルは目を細める。
 鎧なきその身体は、雨に打たれた布の服が所々張り付き、微かに肌の色を透けさせている。
 ユグドは思わず、喉に力の入る自分を制御出来ずにいた。

「……あの……」

「なんじゃ。言ってみい」

「わかりました。オレもここで寝ます」

「……へ?」

 淀みない返事に、今度はラシルが呆気にとられる。
 しかしユグドは気にする様子もなく、荷物の中から手拭い用の布を取り出し、ラシルへ向けて放った。

「仕方ないですね。貴女を守るのはオレの役目ですから。このまま風邪を引かれても困るし、取り敢えず面倒を見るとしましょう」

「妾は子供かっ! 人生の先輩に対する態度かそれが!」

 ラシルの怒鳴り声が部屋の壁を突き抜けていく。
 小声で会話し続けた努力が、結局は無駄になってしまった。

「それ以前に濡れオナゴに対してもっとオドオドせんか! 全くからかい甲斐のない!」

「濡れオナゴって……いや、兎に角早く身体拭いて下さい。戦力的な問題で、貴女に倒れられるのは困りますんで、今すぐ」

「サラッと脱ぐ事を強要するでないわっ! 貴様という人間がよくわからんわ!」

 実際のところ――――ラシルの妙な色気に頭へかなり血が上らせていたユグドだったが、こっそりと右手で腰の辺りをつねり、痛みでどうにか耐えていたりした。

 からかわれているのはわかっている。
 なら、対処しなければならない。
 出来るだけ自然に。
 自然になれないなら、強引に冷静に。

 それは男女間の交流において、様々な好機を潰してしまう悪手なのだが――――ユグドはその点、極度に不器用だった。










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