フェム=リンセスに用意された舞台は、それはそれは広々としたものだった。
 しかも一時的なものではなく、永久的に。
 けれども、その舞台で踊らなければならない役所は、どちらかと言えば刹那的なものだった。

「フェム。お前は誇り高き美術国家ローバの王女だ。その己に相応しい生き方をするのだぞ」

 その言葉が愛によって発せられたのは、間違いなき事。
 温かみを帯びた声は、優しさも厳しさも、そして夢も希望も憂いさえも含み、この世の全てを孕んでいた。

 フェムの記憶に確かなものは何もなく、常に混濁していた。
 この言葉もまた、踊りの最中に右往左往する景色の如く揺蕩い続ける。
 けれども彼女にとって、それは余り意味のない揺れだった。

 物心が付く――――そのような表現があるとして、それは果たして自分にとってどの時期を指すのか、フェムは考えた事もない。
 自我が何処にあって、何をもってそう表現するのか。
 哲学めいた話ではなく、彼女にとってはこの問いが常に必然だった。

 けれども、そんな不安定な存在であるフェムも、成長と共に安定を見せる。
 きっかけは、隠喩ではなく本当の意味での"舞い"だった。

 現代の美術国家における王族の嗜みは、実のところ創造性に拘らなくても問題なかった。
 けれどもフェムは、そんな風潮など気にも留めず、ただ単に自分自身でこうありたいと願い、誰に教わるでもなく心のままに四肢を動かした。
 なめらかに、流れるように美しく。
 その連続性が、フェムに自意識を芽生えさせ、やがて人の子へといざなった。

 故にフェムは舞う。
 自分が自分である為に。
 誰の言葉にも、誰の目にも惑わされる事なく、自らの意思と願望をもって。

 世界でたった一人、自分だけの広大な舞台の上で。









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