出港を告げる汽笛の音が鳴り響き、セント・レジャーの街並みがみるみる内に遠ざかっていく。
 甲板でその景色を眺めていたユグドは、潮風がまるで自分の身体を錆び付かせているような気がして、少し気が滅入っていた。

 賑やかさ、煌びやかさではマニャンやその近隣諸国とは比べものにならない娯楽国家。
 その独特な空気感から離れ行く名残惜しさは――――全くない。
 寧ろ、苦手な雰囲気だとユグドは自覚していた。

 それでも、一抹の寂しさがあるとすれば、それは――――

「隣、いいですか?」

 ユグド達と同じ便でセント・レジャーを離れる事になったフォルトゥーナが、いつの間にか近くに来ていた。
 遠慮気味に尋ねるその奥ゆかしさは、彼女に過去の自分を映していたというオサリバンとは程遠い。
 けれども、残り香にも似た何かを感じ、ユグドは心持ち大きく頷いた。

「災難でしたね。ディーラーの修行、殆ど出来なかったでしょ?」

「そうですね。でも、自分だけじゃ絶対に出来ない経験をさせて貰いましたから、楽しかったです」

 辺り一面海に囲まれ、視界の大半が青で染まる中、フォルトゥーナの身に纏う衣服もまた水色。
 アイドルとして生活した一ヶ月愛用し続けた衣装を、今も尚着用している。
 他の三人も同様だった。
 誰が示し合わせるでもなく――――それが彼女達なりの絆なのかもしれない。 

「実は、ディーラーとしての自分に自信が持てなくなってて」

「……もしかしてそれ、オレの所為ですか?」

「あ、違いますよ。セント・レジャーに来るより前の話です。ちょっと色々あって、自分自身を見つめ直す為に海外修行を思い立ったんです」

 その"色々"については聞くべきじゃないんだろうと判断し、ユグドは話の矛先を変える事にした。

「どうしてディーラーを目指したんですか? ギャンブル好きが高じて……という風には見えませんけど」

「父の影響です。父はディーラーだったそうなんです。記憶にはないんですけどね」

 両親を失ったのは、彼女がまだ物心つく前の頃だったらしい。
 それだけで、その人生が決して平坦ではなかった事がわかる。

「父と同じ職業に就く事で、自分の人生に添え木を当てたかったのかもしれません。でも……その添え木も折れかかってしまって。だから、自分の原点を見つめにこの国へ来ました」

「……原点?」

 実のところ、フォルトゥーナの言わんとしている事をユグドは既に理解していた。
 ただ、今回ばかりは先回りする訳にはいかなかった。

「この国は、父の故郷なんです。このセント・レジャーで、自分が本当にディーラーとしてやっていけるのかを見定めるつもりでした」

 娯楽国家セント・レジャーは、ディーラーにとって最大の激戦区。
 そこで自分自身を試してみたい、という気持ちがフォルトゥーナにあったとすれば、やはりこの一ヶ月は大半が無意味だったという結論になるだろう。
 だがフォルトゥーナはそれを否定した。

「でも、逆にディーラー以外の職業を体験する事になって、わかったんです。私、父の足跡を追いかけているんじゃなくて、最初からディーラーが好きだったんだって。負ければ悔しいし、アイドルっていう華やかな仕事を与えられても、やっぱり気が付けばディーラーの自分を考えてて」

「天職、ですか」

「その割に実績は大した事ないんですけどね」

 たはは、としょっぱい笑いを浮かべるフォルトゥーナ。
 けれどその笑顔は、これまでのどの笑顔よりも充実感に満ちていた。

「フォルトゥーナさんは真面目過ぎるんですよ。もう少し隙があった方が、対戦する側としては嫌ですね」

「そ、そうなんですか? よく隙を見せたらダメって言われますけど……」

「正確には『隙のように見せかける』かもしれません。オサリバンさんを参考にしてみてはどうですか? あの人、元ディーラーだそうですよ」

「あ、そうなんですか」

 同業者ならではの共鳴があるのか、フォルトゥーナに猜疑の表情はなく、納得した様子で頷いていた。

「でも私、あの人みたいにはなれないと思います。あんなに目や言葉に力のある人になるには、どれだけ壮絶な人生を送ればいいのか……」

「夢追い人になればいいそうですよ」

 肩を竦め、ユグドはあの人生も後半に差し掛かったあの女性の正体を語った。
 その返答に、フォルトゥーナは暫くキョトンとしたのち、思わず吹き出したかのように小さく笑う。

「……それなら出来るかもしれませんね。私、頑張ります。自分の力で、決めた道を歩いて行きます」

 活動休止中ながら現役のアイドルが、世界一のディーラーを目指す。
 そういう人が知り合いにいるのも悪くない。
 アクシス・ムンディを世界一の護衛団にしようとしているユグドにとって、彼女の存在は少なからず勇気を与えてくれるものとなった。

「よ、よぉー。話がぁー弾んでるぅーみてぇーじゃーねぇーかぁー」

 不意に、やたら棒読み口調の声が潮風に乗ってフラフラ届く。
 声の主は、ぎこちない作り笑いを浮かべたシャハトだった。

「あ、シャハトさん。この度はお疲れ様でした。今までご挨拶も出来なくて……」

「い、いいって事よぉー。そのぉーあのぉーそのぉーなんだぁー」

 嫌われていると思っていたシャハトに話しかけられ、安堵の表情を浮かべるフォルトゥーナとは対象的に、シャハトはカチコチのまま。
 あれだけ避けていた相手に自ら話しかけた以上、何か明確な目的がある筈だが、一向に本題に入る気配がない為、ユグドは――――

「何ですか。早く喋って下さいウジウジと気持ちの悪い」
「うぶほぁ! てめ! うぶほぉ! コラやめうぶほぉ!」

 何処からか取り出したこん棒でシャハトの頬を連打。
 軽くつついただけだったが、貧弱なリーダーの体力はドンドン減っていく。

「軽くつついたじゃねぇーよぉー! 明らかにグイッてやったじゃねぇーかぁー! ホラ口の中切れてるぅー!口内炎になったらどうするんだよぉー!」

「で、用件はなんですか。これ以上焦らすなら魚の餌にしますよ」

「わーかったよぉー! コレ、コレだよぉー!」

 こん棒を振り回し荒ぶるユグドを手で制しつつ、シャハトは一枚のカードを衣嚢から取り出し、それをフォルトゥーナに差し出した。

「これは……?」

「俺様達、中立国家マニャンでアクシス・ムンディって護衛団やってるんだよぉー。トゥエンティから聞いてるとは思うけどなぁー」

「はい、伺ってます。今回のセント・レジャー遠征も、その売り込みの為だったんですよね?」

「まぁー、これもその一環ってヤツだぁー。遠慮なく使ってくれよぉー」

 そうシャハトが告げた時点で、フォルトゥーナは受け取ったカードに記載されている文字に目を通した。
 そこには『アクシス・ムンディ 護衛無料券』と書かれている。
 しかも、回数・期限共に明記されていない。

「え? で、でもこれって……」

 驚愕というより戸惑った様子でユグドを見るフォルトゥーナ。
 その後ろで『空気読めよぉー』と言わんばかりの形相で手を合わせるシャハト。

 ユグドの結論は――――

「何かあったら、オレ達を頼って下さい。ついでにお店のお客さんに宣伝して貰えると嬉しいです」

「あ……はい! そういう事でしたら」

 落とし所としては、これが精一杯。
 とはいえ、それでもこのような券を発行するのを黙認するのは、本来ならば御法度だ。
 立場上、例え冷徹と罵られようと諫めなければならない筈だったが――――

 既に自分の生き方を決めている妹。
 今更兄と名乗り出れば、その邪魔になる。
 でも、それでも、何か兄らしい事を一つくらい――――そんなシャハトの懇願を無碍に出来るほど、ユグドは非情にはなれなかった。

「オレがこのザマじゃ、世界一なんて遠い夢か……」 

 シャハトにもフォルトゥーナにも聞こえない声で、既に粒ほどの大きさになったセント・レジャーの大地を眺めつつ、そう呟く。
 その小さな声をかき消すように――――

「フォルちゃーーーん! お別れする前に一回、みんなで復習しましょーーーー!」

 ティラミスを先頭に、ノア、トゥエンティが甲板を駆け猛烈な勢いで近付いてくる。
 全員、エリクシィルの衣装に身を包んだままで。

「え? 復習って……?」

「来るべき再結成の時の為に、踊りを身体に染みつかせときましょう! ティラミスちゃん、蒸れすぎてジャボジャボするくらい踊り明かしたい気分ですぼわーっ!」

 燃えている事を表現したいらしく、ティラミスが両手をグルグル回しながら天高く突き上げる。
 流石にティラミスほどテンションは高くないが、ノアとトゥエンティも賛成らしい。

「で、でも……人前で踊るなんて」

「人前だからこそよ! セント・レジャーでのアレ……アレが唯一のコンサートなんて、恥ずかし過ぎるんだもん!」

「あの黒歴史を塗り潰す為にも、一回ちゃんとしたコンサートやっとこうって思ってよ。フォルトゥーナ、嫌か?」

 仲間。
 他の三人をそう表現した彼女が、すっかりその気になっている彼女達の誘いを断る理由はなかった。

「うん。今回の思い出に、みんなで踊ろっか」

「決まりですね! うほーい! みなさーん! ティラミスちゃん達の二回目のデビューコンサート、見ていってくださーーーい!」

 ティラミスに背中を押されたフォルトゥーナが、やや戸惑い気味に甲板中央へと向かう。
 他の二人もそれに続き、それぞれ持ち場に付く。

 そこにあるのは夢幻の世界。
 偶像達が作り出す、ほんの一時の不毛な空間振動に過ぎない。

 けれども、そんな常識や理路整然とした現を吹き飛ばす、正体のよくわからない、それでいて懐かしくも感じる"何か"が、そこにはある。
 汗を掻き、息を切らし、何一つ意義も主張もない動きを綿密に、そして全力で行う事で、生まれる何かがある。
 
「私達は――――四人組アイドルユニット【エリクシィル】です!」 

 


 これは、そんな揺るぎなき幻想曲。











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