オサリバンの数ある別荘の中でも、アイドルの練習用として用いているこの別荘は一等地に建てられている。
 高騰した現在の地価そのままの値段で購入するとなると、先月アイドルユニット【ウィスカ】が記録した売り上げを遥かに凌ぐ額が必要。
 つまり、今回の交渉がまとまれば、エリクシィルはデビューから一ヶ月目でこの国のどのアイドルよりも稼いだアイドルとなる可能性大だ。

「……でもそれって、オサリバンさんが断れば失敗に終わる話じゃないの? 勝負に負けたくなかったら断ればいいんだし」

 交渉当日とあって、ノア達は練習に余り身が入らず、また振り付け師も今日は持病の膝関節エンポリオ症候群によって休み。
 フォルトゥーナの体調も回復していない為、結局午前中で練習は切り上げとなり、ユグドはノア、トゥエンティ、ティラミスの三人に自分の策を全て話していた。

 ノアやトゥエンティはともかく、ティラミスに話してしまうとオサリバンの耳に届いてしまう可能性がある。
 その為、今までは具体策は明かさずにいた。

「ええ。でも彼女は一流の実業家です。一流の実業家は、こういう大きな交渉で私情は絶対に挟まない。儲けられるかどうかをシビアに判断します」

「つまり、おれ達を手元に置くのと、練習用の別荘ごと売っ払っちまうのとどっちが得か、天秤にかけるってワケかよ」

「トゥエンティさんの言う通り。そして普通に考えれば、売る方が大きな利益になるでしょう。なんでも、ここの地価は購入当時の三倍になってるらしいですからね」

 それだけ高騰すると、今度は買い手が付かなくなる。
 別荘を売却目的で購入した訳ではないだろうが、もしその金額で売れるのなら、迷いなく売却するだろう。
 練習用の別荘など、そこで得た金の半分も使わず他の場所に建てられるのだから。

「そっか。じゃ、私達これでこの国から解放されるのね」

「オレの狙いが間違ってなければ、ですけど」

 ノアにそう答えながらも、ユグドには自信があった。
 もし障害になるとすれば――――オサリバンが装着していたあの手袋。

 あれが単なる願掛けや幸運のお守りのような物であるならば、問題はない。
 だが、もしもあの手袋が『22の遺産』だったとしたら、話は別だ。

 オサリバンはノアの身に付けている『女神の首飾りブリーシンガメン』を知っていた。
 なら、ユグドの食事の誘いに応じたのは、単にイーズナー=ファルジュアリ繋がりではなく、22の遺産にやたら縁のあるユグドに興味があったから――――かもしれない。
 仮にそうだとしたら、あの手袋には何か特別な力があり、それが障害になる可能性は否定出来ない。

 ユグドはその可能性を、シャハトに占って貰おうと考えていた。
 だが、フォルトゥーナの存在がシャハトの占いを封じてしまった。
 もし彼女に占っている所を見られたら、素性がバレてしまうかもしれないという不安によって。
 ユグド自身、その展開は避けたいと思っていた為、強く依頼出来なかった。

 落とし穴があるとすれば、この一点だが――――

「ティラミスちゃんは不本意です!」

 微かな緊張感をまとっていたユグドに向かって、ティラミスが突如吼える。

「自由はエリクシィルの実力で勝ち取りたかったのですよ! こんな形で身売りされてしまって解散なんて、納得出来ませんね!」

「いや……そこまでアイドルに入れ込まれても。確か王女に返り咲きたいんですよね?」

「アイドル王女……いや王女アイドル! それがティラミスちゃんの最終形態なんです! がおー!」

 とてつもない目標が水面下で生まれていたらしい。
 恐らく空前絶後の職業だろう。
 幻に終わるのは間違いないだろうが。

「あのー、実は私もちょっと……せっかくこんなに練習したのに、なんにも活かされないのは不本意というか……」

「おれもおれも。だって毎日クッタクタになるまで踊ったり歌ったりしてるんだぜ? それなのに、おれ達と無関係なところで勝負が決まるのは何つーか、スッキリしねーっつーか」

「なら、オレが用意した別の案を採用しますか? 交渉が決裂した時の為に準備してたんですけど」

 いつの間にかアイドルに目覚めていたノアとトゥエンティは、興味深そうにユグドへ接近し、耳を傾ける。

「絶体絶命の危機に瀕したエリクシィル。そこで彼女達は覚醒した。危機が迫れば迫るほど力を発揮するのが真のアイドル。残り二週間、彼女達は一日九六時間の練習という矛盾のみを条件に手に入る『アイドル・ハイヤー』という常時覚醒状態で再び人前に出る。そこで彼女達はこう叫ぶんだ。『もし私達の踊りと歌に感動したら、これを買って下さい!』。彼女達の手の中では、昨日河原で拾い集めた石が光沢を放っていた。『これは私達の汗と涙が結晶化した石です! これを一つ四〇〇〇〇――――』」

「「それ詐欺だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」」

 最後まで聞く事なく、ノアとトゥエンティが同時にがなる。
 尤も、最後まで聞いたところで実のある話はないのだが。

「要するに、今の皆さんがアイドルとして真っ当に勝負して売り上げ一位を記録するには、これくらいじゃないと無理って事ですよ。諦めて下さい」

「うう……納得いかねー。これでも二週間前より大分マシになってるのに。歌詞だってちゃんと覚えたしさあ。サビの『私達は最後の切り札 でも使われないで終わる運命』ってトコ、気に入ってきたってのに……」

 ガックリ項垂れたトゥエンティの言葉通り、確かに彼女達エリクシィルの上達は目を見張るものがあった。
 そもそもノアとトゥエンティは戦士であり、一般人より運動能力がかなり高い。
 踊りの動きに関しては、あっという間に慣れていった。

 とはいえ、あくまでド素人がアイドル初心者になったというだけの事。
 めざましい実績を残すには、やはり相当な時間がかかる。

 アイドルという職業は人気さえ出れば実力は関係ない――――それは真理だ。
 だが、傭兵や護衛団がそうであるように、或いは王族がそうであるように、能力のない人間が成果だけを延々と得られる程、優しい世界ではない。
 競争原理が働く場所には、常に能力が求められる。
 顔が良いという能力だけでは、直ぐに飽きられて終わりだ。

「あと一つ案はあるんですけど、それも大差はない――――」

「ユグド=ジェメローランさん。交渉結果がまとまりましたので、応接室までお越し下さい」

 突然練習室の扉が開き、オサリバンの秘書と思しき女性がそう告げる。
 今まで一度もユグド達と顔を合わせた事のない彼女がいる時点で、オサリバンが本気で交渉に臨んでいたのは明らかだ。

「じゃ、行ってくる」

「はーい」

 ティラミスとトゥエンティが不満で口を尖らせる中、ノアの返事だけを背に、ユグドは応接室へ向かった。
 その移動中、廊下で――――男性とすれ違う。

「ワタクシはまだ、諦めていませんよ」

 コーン=ゼリアベウ。
 苦渋に満ちた顔で、彼はすれ違いざまにそう漏らした。
 それが何を意味するのか、ユグドでなくても容易に理解出来る。

「……やられた」 

 思わず腰に手を当て、しかめっ面でそう呟きつつ、ユグドは敗戦処理の為に応接室の扉を開けた。

「その顔は、もう結果を知ってる顔だね。アタシが通達したかったんだけどねぇ」

 案の定、オサリバンの両手には灰色の手袋。
 唯一の懸念が現実化してしまった――――ユグドは率直にそう痛感した。

「どうしてアタシが、今回の交渉を断ったかわかるかい?」

「理由は、幾つか考えられます。でも今はそれを言う気力もないですね」

 扉を閉めながら、割かし本気でそう答える。
 それでも、オサリバンはそれを余裕と取ったらしく、首を小さく左右へ振った。

「全く、肝の据わった小僧だよ。実際、大したシナリオさ。普通ならアタシの負けだ。儲け話を用意された時点でね」

 そして――――灰色の手袋を脱ぎ、それを応接室中央の長机に置く。

「【シルヴグレイプルの手】。もう察しは付いてるだろうけど、22の遺産さ。ただし、効果までは予想出来ていなかったみたいだけど」

「ええ。運を引き寄せる、というところまでは想像出来ますけど」

「正確には『金運』だね。触った相手の金運を盗む。それがこの【シルヴグレイプルの手】の持つ力さ」

 相変わらず常識外れな――――そう思いつつも、既に22の遺産と何度も対面しているユグドは然程驚かなかった。
 これまで見てきた他の遺産に比べれば、寧ろ大人しいくらいだ。

 とはいえ、今回のケースにおいてはこの上ない障害となってしまった。
 これがただの『運』なら問題なかった。
 コーン=ゼリアベウという、魅力的な交渉を持ちかけてくる相手を引き寄せる運と解釈し、オサリバンはこの別荘を土地ごと売っただろう。

 だが、金運となると話は変わってくる。
 つまり彼女は今後一切、金で困る事はない。
 なら幾ら一流の実業家であっても、高値で土地と別荘を売る機会を殊更重要視しなくてもいい。

「ただし無制限じゃないよ。一定の人数から盗んだら、暫く使えなくなる。この手袋、元々は銀色でね。制限いっぱいまで金運を盗むと、灰色になるんだよ」

「そういえば……最初に会食した時、銀色の手袋で触ってましたね。あの二人を」

 シャハトとトゥエンティの背中を叩いていたオサリバンの姿を思い出し、ユグドはあの時と同じく眉間に皺を寄せた。
 既にあの時点で、駆け引きは始まっていたという事だ。

「アタシに金運を盗まれた人間は、必ず大損をする。でも一回だけだよ。だからトゥエンティも、あの存在感薄い男も、そしてフォルトゥーナもこれ以上散財する事はないし、この件を理由にアイドルとして失敗する事もない」

「……フォルトゥーナさんの金運も盗んだんですか?」

「アンタ達と会食する直前にねぇ。ちょうど面接だったんだよ。海外から修行にやって来たから、暫くセントで働かせてくれってね。その時にさ」

 それは、かなり不可解な行動だった。
 自分の所で働かせると決めたディーラーの金運を盗んでも、損をするのは自分。
 しかしその動機は、本人によって明らかにされた。

「アタシも、セント・レジャー人じゃないんだよ」

 その言葉が全てを物語っていた訳ではなかった――――が、ユグドは即座に理解した。
 フォルトゥーナに大損させる事で、彼女に貸しを作る。
 自分の命令に逆らえない立場にし、強引にアイドルへと転職させる。

 そこまでして、彼女をアイドルにしたかった理由。
 それは―――― 

「フォルトゥーナさんに過去の自分を見た。そうですね?」

「御名答。ちなみに、アタシもディーラーを目指していた時期があったのさ。順序は逆だがね」

 そこまで符合しているのなら、疑う余地はなかった。

 オサリバンが何故、エリクシィルというアイドルユニットを急遽結成させたのか。
 それはやはり、ただの思いつきではなかった。
 フォルトゥーナをアイドルにする為の、いわば口実だった。

「フォルトゥーナが大負けしたら直ぐ連絡を寄越すよう、見張りを置いていたのさ。それで、大負けした相手が偶々アンタだった。最初はそれだけを理由に、アイドルになって負け分を返せと命じる予定だったんだけどね」

「そこで、過去の自分が訴えてきた。一人じゃ上手くいかないと」

「そう。アタシは一人だった。だから逃げるしかなかった。でも、仲間がいれば違ったかもしれない。アタシは……仲間が欲しかったのさ」

 小娘一人じゃ逃げる事しか出来なかった――――そう自虐気味に語ったオサリバン。
 しかし彼女はまだ夢の中にいると言っていた。
 その夢とは、あの時の自分が一人じゃない世界。
 オサリバンは、エリクシィルの成功をもって、過去の自分へ報いる事を願っていた。

「だから、アタシが自分からエリクシィルを手放す事はあり得ないよ。生憎だったね。実業家としてのアタシを随分高く買ってくれてたみたいだけど、真相はこうさ。私情を最優先する、三流……いや四流の商売人。それがアタシなんだよ。この手袋を手に入れた、その運にだけ恵まれた……ね」

 オサリバンの本心が何処にあるかはわからない。
 だが、その自嘲じみた言葉が全て嘘とは、ユグドには到底思えなかった。

 ならば、それを見抜けなかった――――

「オレの負け、ですね」

 そう納得し、右手を差し出す。
 親指のない右手をこうして人目に晒す事は滅多にしないユグドの、精一杯の誠意。

「……そうかい」

 オサリバンのその言葉が、何を指していたのかはユグドにはわからない。
 ただ、彼女は思いの外荒れた右手を出し、優しく、決して強くは握らずに握手を成立させた。

「ちなみに、もしアタシがエリクシィルをあの男に売っていたら、どうするつもりだったんだい? 買い取らせて直ぐに解散じゃ、幾らなんでもあの男に対して酷過ぎやしないかい?」

「彼の目的はティラミスさんを利用してメンディエタを手に入れようとしている、と踏んでいましたから。そんな人間なら、大損させても全く良心は痛みませんし」

「だと思ったよ。アタシもこの交渉話を持ちかけられた時は即座にそう考えたもんだ」

「……違ったんですか?」

 思わずユグドは、引っ込めようとした右手に力を込める。

「どうも本気でエリクシィルに惚れ込んじまってるよ、アレは。アイドルとして余りにも不器用で、そこが新鮮で良いと言ってたからね。『未完成』じゃなく『不器用』。そこが胆さ」

 未完成である事が理由なら、それはただの真実。
 だが『不器用』という表現は、かなり彼女達を観察していないと出てこない。
 確かに、ティラミスも、ノアも、トゥエンティも、そしてフォルトゥーナも、アイドルとしては不器用だ。
 何故なら――――

「"丁度いい笑顔"がヘタクソなんだよ。全員揃いも揃ってね」
 
「あー……納得です」

 ティラミスは常に笑顔を絶やさない少女なので、調整が出来ない。
 ノアは出来ない事はないが、圧倒的にヘタ。
 トゥエンティも同様だが、彼女はそもそも笑顔自体苦手だ。
 そしてフォルトゥーナもまた、ディーラーという職業上、無表情は得意でも笑顔は余り得意ではない。

 アイドルは笑顔が命。
 しかも、あざと過ぎず、奔放過ぎない笑顔が求められる。
 現状、エリクシィルの四人には不可能な『技』だ。

「ま、言うまでもないだろうが、アタシも苦手でね。でも、それはアイドルとしての楽しさを見つけられれば、確実に克服出来るんだよ。それにしてもヘタクソ過ぎるんだけどね」

「でも、だからこそ、既存のアイドルとは違う存在になれる……あの実業家はそう睨んだって訳ですか」

 もしその話が本当なら、コーン=ゼリアベウの話も全て真実となり、彼が手がけたアイドルユニット【ウィスカ】のリーダーもまた、エリクシィルのあの悲惨なパフォーマンスに光る物を感じ、脅威を抱いていた事になる。
 ユグドは、今回自分の洞察や判断が冴えない理由が今ハッキリとわかった。

「アイドルはよくわからん……」

「そういうもんさ。この世界はわかろうと思えるヤツにはわかる、わかろうと思えないヤツにはわからない。アンタは後者って訳だ。現実を生きているんだよ」

「そういうものですか」

 暫く握っていたその手を離し、ユグドは大きく溜息を吐いた。
 思い通りにならない事など山ほどある。
 とはいえ――――ならなければ、やはり悔しい。

「ま、そういうワケだ。不本意だろうが、あの子達はアタシが預かるよ」

「ええ。不本意です」

 三度ほど重い息を落としたのち、ユグドはその目に光を灯した。

「不本意ですが……そうはなりませんよ」

「何だって?」

「まだ二週間あります。オレとしては、自分の力で今回の件を解決したかったんですが、残念ながらもう無理です。でも、残り二週間でエリクシィルは解散させます」

 仕方なく、本当に仕方なく、ユグドは残していた最後の"策"を実行に移す事を決意した。
 そんな苦渋の表情を浮かべるユグドに対し、怪訝そうに眉をひそめていたオサリバンは、次第に口元を柔らかくしていく。
 一体何を企んでいるのか――――既に彼女の中に、高い確度の答えが出ているらしい。

「そうしないと、俺の目的が遠ざかりますんで、背に腹は代えられません」

「目的? アタシの手の中から逃げ出す事かい?」

「いえ。オレ達アクシス・ムンディが世界一の護衛団になる事です」

 そして、その護衛団をもってラシル=リントヴルムを守護する。
 最早形骸化に限りなく近い目的かもしれないが、ユグドにとって今も尚重要な決まり事だ。

「ほう……そいつはまた、途方もないね」

「概ね途方もないものらしいですよ。人生ってのは」

「よろしい。ならばお手並み拝見といこうかね。出来るものならやってみな」

 オサリバンは長机の上にある手袋を見下ろし、両手をヒラヒラ動かしながら、煽り抜きの笑みでそう挑発した。









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