帝国の長、皇帝が国際裁判にかけられる――――その信じがたいニュースがルンメニゲ全土を駆け巡った日、ユグドはちょうど帝国ヴィエルコウッドから中立国家マニャンへと戻り、久々に拠点たる『守人の家』へと足を踏み入れた。

「ただいま帰りまし……」
「大事件だにゃー! 大事件だにゃー!」
「えらい事になっちまったしょー! とんでもない事になったっしょー!」

 同時に、ユイとセスナがけたたましく叫び倒すこの惨状に『ああ、帰ってきたなあ……』としみじみ実感する自分を若干危ぶむ。
 とはいえ、大騒ぎになっていても不思議ではない。
 あの皇帝が裁判沙汰を起こしたとなれば、帝国は勿論、それ以外の国――――この中立国家マニャンにも大きな影響が出る。
 世界的な経済危機が起きる可能性すら否定出来ない。

「落ち着いて下さい。騒ぎ立てる気持ちはわかりますけど、まずは出張から帰ったオレに労いの言葉と温かい飲み物を」

「そんな事はどうでもいいっしょ! っていうか寧ろ帰って来なくてよかったっしょ!」
「そうだにゃ! 今のユグドとは遠方から偶に手紙くれるくらいの付き合いが丁度いいにゃ!」

「なんて言い草だ……せっかくお土産買ってきたのに」

「出張ご苦労様にゃ! ユグドはとっても頑張ったにゃ! で、お土産の中身は?」
「お帰りユグド。あーしは信じてたっしょ。ユグドはやれば出来る子っしょ。それよりお土産の中身は?」

 やたら近い位置で物乞いする二人を蹴飛ばし、ユグドは土産品の木彫りの鬼嫁グリズリーを手荒く投げ捨てた。

「ったく……そりゃ今はノーヴェさんの話題で持ちきりでしょうけど、もう少し身内を大事にしてくれないと」

「そんな事言ってる場合じゃないでしょー!?」

 嘆息混じりに会議室の椅子に腰掛けたユグドは、突風のような圧で襲いかかってきたノアの横殴りの絶叫で思わず床へ倒れ込んだ。

「の、ノアさん? 久しぶりにしては随分なご挨拶じゃないですか?」

「そっちは相変わらず飄々としてるけど、貴方本当に大事件の当事者なの!?」

 猛烈な勢いでまくし立ててくるノアは、明らかに切羽詰まってた。
 目には涙を溜め、今にも破裂しそうなほどだ。

「いや、いきなり当事者と聞かれても……」

「だって貴方、皇帝陛下に会いに帝国まで行ったんでしょ!? その皇帝が裁判にかけられるなんて、無関係とは思えないじゃない!」

「そうっしょ! ユグドついにやっちまったっしょ! いつかやるとは思ってたけど、やっぱりやらかしたっしょ!」
「とはいえ、ユイはユグドとは無関係にゃ。もっと言えばアクシス・ムンディとも無関係にゃ。だからユイには何も飛び火しないのにゃー!」

 どうやら、アクシス・ムンディ内ではユグドが何かやらかした所為でノーヴェが危機的状況に陥っている、という見解で一致した様子。
 無関係を装おうとするユイとセスナに、ユグドは静かな殺意を覚えた。

「……それは兎も角、出勤してるのはここにいる三人だけですか? 他の連中は?」

「情報集めよ。皇帝が失墜するかもしれないなんて大事、指を咥えて待ってる筈ないじゃない」 

 多少冷静さを取り戻したのか、ノアがようやく普段に近いトーンで答える。
 まだ若干顔が引きつっているが。

「全く……久しぶりに訪ねてみれば貴方はいないし、皇帝に会いに行ったって言うし、その皇帝が大変な事になってるし……この数日で私の胃はボロボロよ」

「ノアさん……そんなにオレを心配してくれたんですか」

「心配なのは私の将来! このままじゃ私は破滅よ……!」

 落ち着いたと思われたノアが再びよよよと泣き崩れる。
 情緒不安定らしい。

「そういえばノアさん、魔王討伐をノーヴェさんに頼む予定でしたっけ。確かにあの人が失墜したら、22の遺産と交換で討伐を頼める可能性が低くなりますね」

「違うの、そうじゃないの。私、実は……皇帝に恨みを買ってるかも知れないの」

「は?」

「ほら、前にロクヴェンツの〈民間要塞〉に依頼で出かけたでしょ? そこのウィンディって娘と友達になったんだけど……」

 ノアはその依頼達成後、ノーヴェと思しき人物に襲われたウィンディを助けた事をユグドに打ち明けた。
 それを聞いたユグドは、露骨に顔を歪める。

「……それ、本当にノーヴェさんでした? ちょっと信じられないんですけど」

「そりゃ、私だってあの皇帝陛下が女の子を襲うなんて信じられないけど、ウィンディが『その確率が高い』って言うんだもの。彼女、嘘吐くような娘じゃないし」

 そのノアの見解には、ユグドも賛同をせざるを得なかった。
 尤も、彼女と接したのは僅か数日のみ。
 ノーヴェとどちらを信用するかと言えば、やはり付き合いの長いノーヴェの方だ。

 だが、今のユグドには無条件でノーヴェを信じる事が出来ない理由がある。
 それは、先日トリアンゴロ山脈の琥珀の間でふと思いついた"仮説"が原因だった。

 22の遺産絡みとなると、ノーヴェは普段見せている顔とは違う貌を見せる。
 その可能性についても、検討しないといけない。

「……仮にそれが本当だとしても、ノアさんが怯える必要はないんじゃ? ノーヴェさんと敵対してるのなら、寧ろあの人が失墜した方がいいくらいじゃ――――」
「その失墜の原因が私かもしれないじゃない! 私があの時邪魔したから、計画が狂って……って事も考えられるでしょ? だとしたら私、メチャクチャ恨まれてそうじゃない……どうしよう。皇帝って強いんでしょ?」

「まあ、魔王討伐が趣味とか言うくらいには」

「うう……それ知ってる。知り過ぎてる」

 どうやらノアは、今回の皇帝の裁判沙汰を自分の所為かもと疑っているらしい。
 実際、もしそうなら彼女が危機感を抱くのも無理はない。
 仮にノーヴェが皇帝の地位から陥落しても、死罪になる訳でもないので、復讐される可能性はかなり高いだろう。

「スィスチさんからは遠くの海が見える街に逃げろって助言されたけど、貴方が皇帝と仲良しなのは知ってるし、今回の件にも一枚噛んでそうだし、それならせめて話くらい聞いておこうって思って……」

 実際には、仮にユグドが関与していたとしても、ノアに話を聞くメリットなど特にない。
 ノアにとって重要なのは、ノーヴェが裁判にかけられたというニュースの真偽。
 それはユグドから直接聞かなくても、情報屋などの機関から得られる答えだ。

「それで、どーなのよ。こうして無事に帰ってきたところを見ると、そこまで深刻な絡み方はしてないみたいだけど」

 どうやら、先程の返答――――心配云々の話は照れ隠しだったらしい。
 ユグドは若干の照れ臭さを覚えつつ、今回の件について起こった事をありのまま話した。

「……そういう事だったのね。所有権の侵害って」

 その結果、ノアは何度も深々と頷き、納得した様子で椅子に座り込んだ。

「もしかして、ユグドを連れて行ったのって、自分が怪しい事をしてないって証言させる為? 中立国家に籍を置いてて、他の国の王族とも知り合いの貴方なら打って付けの役よね」

「え?」

「え? って……何よその『どうしたんですかノアさん、やけに鋭いですけど何か悪い物でも食べたんですか』って言いたげな目は」

「どっちかというと、猛毒に頭を侵された心配をした方が」

「どっちも違うっ! あのね、私だってこう見えてもメンディエタじゃ器量も頭も運動神経も良いって評判の才女だったんだから!」

「あんな髑髏の仮面被って猟奇的な発言してた人間が一体何を言ってるんですか」

 ユグドのこの上ない正論に対し、ノアは――――

「? 急に何訳のわからない事言ってんの? 記憶が乱れてるんじゃない?」

 完璧な無表情で堂々とそう言ってのけた。
 どうやらユグドとの初対面時は黒歴史扱いとなっているらしい、ノアの中では。

「……ま、それはいいとして。さっきのノアさんの指摘は中々のものです。でも、正解じゃないです」

「ぇえ……? それだけ褒めて間違いなの……?」

「良いセンいってる事は確かですよ」

 そう褒め称えつつ、ユグドは椅子からゆっくりと立ち上がる。
 その姿に、ノアは怪訝な顔を隠せない。
 そして――――

「あのー、ここにはあーし達もいるっしょ。もうちょっとあーし達のレベルに合った話して欲しいっしょ」

「ユイ、ユグド達が何話してるか全然わかんにゃい。このままだと自分で自分をバカって思っちゃうにゃ」

 ユグドの投げた木彫り鬼嫁グリズリーで遊んでいた二人が割と切実な顔で迫ってきたが、ユグドは相手にせず外出の準備を始めた。

「あれ、一回家に帰るにゃ?」
「出張帰りだから早く帰りたいのはわかるけど、話の途中で出て行かない欲しいっしょ」

「家には戻りません。また出張です。出張って気が重いですよね。折角帰っても味味気ないし」

 何気に送り迎えが少なかった事を気にしていたユグドは、溜息混じりにそう吐き捨てた。

「で、ノアさん。さっきの話の続きですけど、半分は正解です。あの人がオレを証言者にしようと目論んでいたのは確かだと思います」

「でしょ? だったら……」

「でも、自分の無実を証明する為、じゃなさそうです。そもそも、そんな必要はないでしょうし」

「?」

 ユグドの具体性を欠く発言に、ノアは口を窄めて思案顔。
 ユイとセスナに至っては、全く話についてこれず眠そうに目を擦っている。
 暫くその様子を放置したのち――――ユグドは溜めに溜めた答えを言い放った。

「実は、裁判沙汰になったのはノーヴェさんの思惑通りなんですよ」

「ええええ!?」
「どういう事っしょ!? 今までの話全部わからなくても今のはわかるっしょ!」
「だにゃ! 好んで裁判にかけられるなんて、どんだけマゾだにゃー!」

 三人揃っての驚愕に、ユグドは心地よい満足感を覚える。
 普段、長い説明や解説をしても白けられてしまうユグドにとって、自分の言葉が他人の感情を揺さぶるのはこの上ない幸せ。
 思わず顔も綻んでしまう。

「……」

 その結果ドン引きされてしまったが全く気にも留めず、説明を続ける事にした。

「実際、望んで裁判にかけられる人間なんてまずいません。まして国際裁判ですからね。ほぼ処罰ありきの軍法会議ほどではないにしろ、決してイメージがいい訳ではありません」

 ルンメニゲ大陸における国際裁判とは、ルンメニゲ法において特定の国家の法律では裁く事が困難な事例において、ルンメニゲ連合の責任下で解決を目指すべく行われる裁判だ。
 一審制なので、控訴や上告は不可能。
 ルンメニゲ連合に加入している国の国民は、下された審判に対し素直に従う義務を負っている。
 通常は国家間の紛争を、複数の国および国民が関与する事件、海洋を含む領土問題を扱うのが殆どだ。

「国際裁判の裁判官は、ルンメニゲ連合の幹部と法の専門家で構成されます。各国の王族、代表者は持ち回りで名を連ねるんですけど、ノーヴェさんはそのまとめ役として常勤する立場にあります」

「今回はその中心人物が被告人って訳ね。そりゃイメージ悪いわ」

 こういった背景もあり、普通ならば絶対に回避すべき事態。
 そもそも、裁判にかけられる前に八方手を尽くしてもみ消すのが定石であり、文字通り王道だ。
 だが、ユグドはノーヴェが裁判沙汰になる事を見込んだ上で今回の騒動を引き起こしたと見なしている。

「ノーヴェさんの目的は、22の遺産を回収する事。でも、トリアンゴロ山脈に安置されている遺産は所有権の問題で直ぐ手にする事は出来ない。ここまではいいですね?」

「ええ。それくらいは理解出来るけど……」

「それじゃノアさん。どうすれば、ノーヴェさんはトリアンゴロ山脈にある遺産を最短で手にする事が出来ますか?」

「それは……やっぱり、話し合いじゃないの? 当事国のシェスターク、ホッファーと交渉して、場合によっては交換条件付きで」

「正解です。でも、ノーヴェさんは皇帝としてじゃなく、一個人として22の遺産を集めている。加えて彼は自国の人間、特に自分の周囲の高い地位にいる人達を信用する事が出来ないそうです。だから、交渉の席を設けるのは極めて困難でしょう。一人で実現させる為には相当な時間が要る」

「……まさか」

 ここまでのユグドの説明で、ノアは一つの答えを得た。
 ただそれは、本来であれば絶対にあり得ないような結論。
 奇策――――というには無謀過ぎる、そして尋常でない行動だった。

「そのまさかです。今期の国際裁判官の中に、シェスタークとホッファーの王族および大臣がいます。その裁判の場で彼らと交渉を進める気なんですよ、あの人」

 自身の裁判を交渉の席を設ける為に利用する。
 正確には、交渉の為に裁判沙汰を起こした。
 もしそれが事実なら、そのような事例は間違いなく史上初だ。

「ほ、本当にそんな事あり得るの……? 幾らなんでもムチャクチャじゃない?」

「皇帝が不本意な裁判にかけられる確率と、本意で裁判にかけられる確率、オレは後者が遥かに高いと思います」

「……確かにそうだけど」

 外出の準備を済ませたユグドの言に、ノアは妙な納得を得て

「ただし、目的は他にもあるみたいですね。そんな訳で、ちょっと出てきます。今回はすぐ帰って来れると思うんで、リーダーによろしく言っておいてください」

「えっと……にゃにがにゃんだかよくわかんにゃんだいけど」
「ユグド、これから裁判見に行くっしょ?」

 結局最後まで話について行けず、口に人差し指を当てキョトンと首を傾げているユイとセスナに対し、ユグドは即座に首を横へ振り――――

「仕事しに行ってきます」

 それだけを告げ、小さく溜息を落とした。









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