帝国ヴィエルコウッド。

 ルンメニゲ大陸において最も栄華を極める国家にして、ルンメニゲ連合の中心的存在。
 導入される技術は常に最新、集う兵士達は常に精鋭。
 国民は皆、自身の生誕した帝国を心より愛し、誇りに思い、その地位を更に向上すべく研鑽を積む――――

「……」

 そういう紹介が果たして、誰によって行われたのかは最早記憶にもないが、ユグドの頭の中にある帝国とはつまり、そんな国だった。
 が、あくまでそれは虚像。
 ヴィエルコウッドに来たのは初めてではない為、その中には多少の実像も混ざっている筈だったが、現実とは程遠い。

「なァ兄ちゃん。ちっとでいいんだ。ちーっとばかし、金貸してくれりゃそれでな。ここで一晩飲み食い出来る程度のシケた額さ」

 その酒場に立ち寄ったのは必然だった。
 中立国家マニャンより遥かに栄えた、帝国ヴィエルコウッドの西部に位置する主要都市の一つ【グラツィア】。
 優美な景観、並び立つ巨大店、行き交う人々の小洒落た格好は、最初の来訪より幾分か成長したユグドにさえ、更なる刺激と新鮮みを与えてきた。
 その中でも特に目立っていたのが、この酒場〈エノテーカ〉。
 外壁も屋根も全て金色で、異常なほど目立つ外装だった。
 普段なら寄りつきもしないであろう場所だが、ユグドは溜息を入場料代わりにその酒場に入り、そして直ぐに絡まれた。

「ここらじゃ見かけねェ顔だ。観光客なんだろ? だったらここらのルールを教えてやるよ。まずは安全確保だ。幾ら全世界から尊敬をされている我らが帝国とはいえな、治安が良い場所ばかりじゃねェ。この辺りもそうさ」

 成程、それは中々説得力のある発言だ――――と納得しつつ、ユグドは酒場の内装に目を向ける。
 明らかに外装に金をかけ過ぎたことが露呈しており、所々に修繕を放棄した傷や経年劣化の跡が窺える。
 照明が弱いのは、雰囲気を出す為かもしれないが、単に低予算である事と粗を薄闇で覆い隠しているだけとも取れる。
 面積とテーブルの数だけは多いが、同時に樽の数も多い。
 倉庫整理と在庫管理が徹底出来ていない証。
 総じて、程度の低い酒場にしか見えない。

「新参者はまず、この俺様に金を入れろ。そうすりゃ認められる。何しろ俺様は――――この国の皇帝、ノーヴェ=シーザーだからな」

 眼前で色々と講釈を垂れている人物もまた同様。
 ノーヴェ=シーザーと名乗った彼は、確かにその最大の特徴とも言うべき金髪という点は満たしていた。
 そして、それだけだった。

「驚くのも無理はねェ。こんな場所に皇帝がいる筈がないと、誰だって思うだろうよ。だが事実だ。疑うなら見せてやろう、この俺様の超絶剣技を――――」
「いえ、結構です。待ち人が来たんで」
「はァ? てめェ、皇帝の言うことを最後まで聞かないたァ、どういう了見だコラ……」

 悪態を吐く男が次第に顔面蒼白になっていく様は、痛快とも言い難い奇妙な様相だった。
 なんにせよ、程度が低い。
 低過ぎて、詐欺行為に対する怒りすら沸いてこない。

「どうにも幸運ってヤツだな、ニセモノ野郎。ほんの少しでも俺様に似てたら、即刻死刑だったゼ?」

 ユグドの背後から現れた、本物のノーヴェ=シーザーの心境を推し量り、ユグドは思わず瞑目した。
 このようなノーヴェの偽物は、実のところ世界各国に山ほどいる。
 それほど、彼の影響力は大きい。

 そんな若き皇帝の憂慮を全て推し量る事など不可能だと知りながらも、ユグドはその人物に対し小さい同情心を抱いていた。
 無論、その苦悩を遥かに上回る権力と財力を与えられた立場である以上、本来哀れむ気持ちなど持つべき相手ではないし、寧ろ失礼に当たるのだろうが、それでも気の毒に思わずにはいられない。
 帝国ヴィエルコウッドを25歳という若輩者が統べなければならない、その重圧たるや――――恐らく世界中を探しても同等の質量を見つける事は不可能だろう。

「悪かったゼ。わざわざこっちまで呼び出しちまって」

 しかし、手慣れた様子で一通り脅し終え、ユグドの隣に腰を下ろすその姿に、帝国の長としての威厳も、気負いも、一切感じ取る事は出来ない。
 感じさせない、という表現が正しいだろう。
 それが如何に凄まじい事か、ユグドは実感こそ出来ないが、知識としては理解していた。

「普通、皇帝って自分の城の王の間に問答無用で呼び出してふんぞり返ってるのが仕事ですよね」

「シュッと肯定だ。だが性に合わないモンは仕方がない」

 破顔一笑。
 しかしそれは、邪気のない好青年の笑顔とは程遠い。
 かといって、百戦錬磨の狡猾な猛者が見せる毒々しい笑みでもない。
 ある意味、人間らしさを凝縮したごく普通の25歳が見せる表情。
 酒場を出て【グラツィア】の表通りを素顔のまま出歩く皇帝は、恐ろしいほどに人間として自然体だ。

 だがユグドは知っている。
 このノーヴェ=シーザーという男が『庶民らしさ』から最も遠い場所にいる人物である事を。

「それで、話というのは? こっちに届いた手紙には具体的な内容は何一つ記されていませんでしたが」

 今から三日前。
 ユグドが拠点としている、中立国家マニャンにある『守人の家』にノーヴェ本人の手書きによる一通の手紙が届いた。
 通常、皇帝が他国に向けて手紙を出す場合、それは親書である事が大半なのだが、ユグド個人に届けられたその手紙は単なる一個人としての物だった。
 つまり、ノーヴェ自らが民間の宅配業者を使って手紙を出すという、面倒この上ない作業を行っている訳だ。

 尤も、ノーヴェ本人が守人の家へ赴く事も珍しくない現状では、手紙くらいで驚く必然性はない。
 ユグドは特に何の感情も生まず手紙を読み、その指示に従い、今ここにいる。

『依頼だゼ。俺様と初めて会った酒場に今すぐ一人でシュッと来な』

 この一文だけを頼りに。

「っていうか、あんな簡潔な文章だったら部下に書かせればいいじゃないですか。なんでわざわざ自分の名前で出すかな……と言いたいところですが」

 呆れ気味な目をしたまま、ユグドは声のトーンを落とす。

「どうやら、何かしらの狙いがあっての事みたいですね」

「スタイリッシュ。それにシュッと気付くあたり、流石俺様が見込んだ男だけはあるゼ。これで戦闘もこなせりゃ尚の事よかったのにな」

 衣嚢に手を入れたまま歩くノーヴェが歩調を速め、ユグドの前を闊歩する。
 風になびく金髪が揺れ、後ろ姿からもその整った容姿が輝いて見えるようだった。

 強さ、容姿、肩書き、その全てを兼ね備えた無敵皇帝。
 そんな人物が護衛も付けずに街中を歩いているその様は、異常と言うしかない。
 だがグラツィアの町民は道を歩くノーヴェに対し、視線を向けようとさえしない。

 他国に住むユグドに、その事情はわからない。
 ノーヴェに聞く事は簡単だが、答えを得られるかどうかは不明瞭。
 寧ろ気分を害する可能性の方が高そうだと判断し、好奇心は空気と共に吸い込む事にした。

 立場を超えた間柄。
 だが、胸襟を開く仲でもない。
 この関係が出来上がって久しいが、ユグドはあらためてその歪さを自覚した。

「ま、無い物ねだりをしても仕方ないゼ」

 そう高らかに笑うノーヴェが――――突然ユグドの襟首を左手で無造作に掴む!

「ちょ……」

 そして反論の余地を与えないまま、跳躍。
 人一人を掴んだまま、その跳躍は大人の平均的身長ほどの高さにまで及んだ。
 だがその最高到達点に達した刹那、直ぐさま高度は跳ね上がる。
 ノーヴェの右手が、いきなり二人の頭上に表れた――――巨大な翼龍〈ハイドラゴン〉の前足の爪を掴んでいた。

「……!」

 これには流石のユグドも驚愕を禁じ得ない。
 まるで意思の疎通が出来ているかのように、空を飛び接近してきた白い翼竜へと飛び乗ったのだから。
 しかも翼竜は一切減速せず。
 厳密には『飛び乗った』とは言わないが、その表現が最も適切だろう――――などと考える余裕もなく、ユグドは一瞬のうちに景色が帝国の街並から空へと切り替わった事、何より窒息しそうなほどの息苦しさに狼狽し、失神しそうになっていた。


 それから二時間後――――


「重ねて悪かったゼ。こっちも色々事情があってな。『突然いなくなる皇帝陛下』ってのをスタイリッシュにやる必要があった」

「ならせめて小声で事前確認くらいして下さい……窒息死に怯えながらの遊覧飛行なんて二度と御免ですよ」

 翼の生えた龍に運ばれ、二人が降りたその目的地は――――緑が点在しながらも自然の温かみが一切感じられない岩山。
 一見鉱山のようだが、採掘場特有の幅広い鉱山道は見当たらない。
 それどころか、道なき道といった様子で、整備が行き届いておらず、凹凸や雑草に囲まれた足場が点々としているのみ。
 定期的に人の出入りがある場所とは言い難い。

「……で、説明はここでしてくれるんですか?」

「シュッと肯定だ。一応、他人に聞かれちゃマズい内容なんでな。帝国一のスタイリッシュなお利口ドラゴンに協力して貰ったって訳だ。ビアンコ、もういいゼ。ありがとうよ」

 ビアンコと呼ばれた白い龍は、特に鳴き声をあげるでもなく、ノーヴェ、そしてユグドを軽く一瞥したのち、巨大な翼をはばたかせ飛び立った。
 身体はリュートよりやや小さいが、翼の面積は寧ろ大きい。
 同じハイドラゴンでも個体差があるのは、人間その他の種族と同じだ。

「暫く歩くと坑道が見えてくる。そこまで行きながら、依頼内容をシュッと話すゼ」

「お願いします」

 色んな意味で落ち着きのない展開に辟易しつつも、ユグドは移動しながら今回扱う案件についての説明に耳を傾ける事にした。

「その前に前提として、この依頼の中身は一切口外しない事。お前さんの仲間にもだゼ?」

「……初っ端から中々不安を煽ってきますね」

 そう答えつつも、ユグドにとっては想定内の条件だった。
 敢えて自国にユグド一人を呼び出し、更に見えざる追っ手を撒くかのような突飛かつ奇異な移動手段で、人気のない場所までやってきた時点で、真っ当な依頼ではないと推察出来る。
 まして相手は他国の皇帝。
 健全な仕事はその時点で諦めていた。

「ま、相応の口止め料を請求する事になりますけど、それでいいなら」

「支払いは心配無用。スタイリッシュな額を用意しとくゼ」

「あんまり大金に思えないんですが……」

 そうは言いつつも、相手は大陸一の権力者。
 支払いについて心配する相手ではないので、気に留めず話を続ける事にした。

「じゃ、交渉成立って事で内容を話すゼ。お前さん、交渉士とかいう職業だったよな?」

「一応は。といっても、基本的には護衛の受注絡みの交渉ですけど」

「なら問題ないゼ。厄介事ってのは専門家にシュッと頼るのが一番だからな」

 既に受ける事を前提とした物言いだったが、ユグド自身はそんなノーヴェの強引さを特に嫌ってはいなかった。
 絶対に無理な依頼なら断ればいい。
 皇帝の権力を使い、無理難題をふっかけ時間を無駄にする愚行を犯すような人間ではない――――ユグドはノーヴェをそう評価している。

「正式に受けるかどうかは内容を全部聞いてから決めるとして……これから向かう場所は、当然依頼と関連してるんですよね?」

「シュッと肯定だ。まずは見て欲しい場所がある」

「……場所、ですか」

 それ以上は実物を見てからの方が早い、といわんばかりにノーヴェは早足で道なき道を進んでいく。
 体力に自信のある人間は他人の歩行速度に無関心な事が多いが、ノーヴェも例外ではないらしく、ユグドとの差は開く一方。
 それでも、ユグドは不満を述べる事なく後ろからついていく。

 やがて――――

「対象はこの中だ」

 坑道の入り口に差し掛かったところで、その奥をノーヴェが指差す。
 その先は本来なら陽光が遮られ漆黒の空間となっている筈の隧道。
 自然に出来た洞窟ではなく、岩山の一部を掘って作られた道だ。

 だが、その坑道はまるで夜間の宿屋の廊下のように、ある程度の明度を有した通路となっている。
 松明や蝋燭といった照明器具も見当たらない。
 当然、誰かがランプで照らしているような気配もない。

「行くゼ」

 説明も特にせず、ノーヴェは中へと入って行く。
 ユグドもまた、物怖じせず黙ってその後に続いた。

 坑道内には、確かに光源が存在していた。
 白色ではなく、黄金に近い色。
 俗に言う『琥珀色』だ。
 神秘的な光が照らす道の上に、蝙蝠が飛び交っている。

 そんな奇妙な坑道を何度も曲がり、歩き続ける事40分――――

「これは……」

 到着した目的地に、ユグドは思わず息を呑んだ。
 坑道を抜けた先にあったのは――――部屋。
 岩山の中に、その部屋は"自然"過ぎるほど不自然に在った。

 ここに至るまでの通路は、確かに岩壁に囲まれた坑道そのもの。
 所々補強がされている為、人工的な様相はあるが、基本的には自然界の洞窟に近い形で然程整備もされていない。

 そんな道の先にあったこの部屋は、『部屋』という言葉を使わざるを得ないほど、人間の生活空間と酷似していた。
 広さも、せいぜい十秒歩けば一周出来る程度のものだ。
 ただし、一般人が住むような部屋とは言い難い。
 それこそ、ユグドの前で仁王立ちしているノーヴェの居住空間と言われても違和感がないほど、そこは高級感に溢れた部屋だった。

 壁。
 天井。
 床。
 扉。
 机。
 椅子。
 棚。
 本。
 寝具。
 花瓶。
 壁掛け。
 寝台。

 その全てが、琥珀色だった。

「仮に『琥珀の間』とでも呼ぶとするか。先日、国境巡査隊が偶然発見してな。最初は成金趣味の変わり者がこしらえた別荘と解釈したんだが……」

「違うって事ですか?」

「さあ、どうだか。自分の目でシュッと観察してみるんだな」

 まるで悪戯好きな子供のような微かな笑い声と共に、ノーヴェが嘯く。
 ユグドは半眼で嘆息しながら、あらためて"琥珀の間"とやらを眺めてみた。

 壁には岩山の内部という要素は皆無で、やたら仰々しい装飾が施されており、紋様と思しき物が敷き詰められた外装たるや、まるで芸術品。
 天井も床も同様だ。
 更に言えば、家具である机や椅子なども。
 これだけ手の込んだ部屋を作るには、一体どれだけの費用と時間と腕が必要なのか想像も付かない。

 ただ、奇妙な点が一つ――――

「これだけ生活感のある道具一式が揃っていながら、人が使っていた形跡がまるでありませんね」

「スタイリッシュ。こんなバカげた部屋を目の前にしても、第一にそこに引っかかる所は如何にも捻くれたお前さんらしいゼ」

 酷い言われようではあったが、ユグドの指摘は当を得たものだった。
 明らかにここで生活する事を前提とした空間でありながら、使用感のある物は何一つない。
 寝台はシーツも毛布も一切ズレていないし、机も椅子も傷んだ様子が全くない。
 棚には本がギッシリ詰まっており、その全てが図鑑。
 こちらも新本としか思えないほど、捲った形跡が見られない。

「これじゃ住む為の部屋じゃなく、住む部屋を模した空間って感じだゼ」

「目的は他にある。ノーヴェさんはそう目してるって訳ですね?」

「シュッと肯定だ」

 そう答えながら、ノーヴェは徐に大きく膨らんだ衣嚢から何かを取り出す。

 それは――――小さな匙。

 ただし、普通の匙ではない。
 半透明の匙だった。









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