空というのは不思議なもので、地上から見上げている時にはまるでそこに奇跡や財宝でもあるようにやたら眩しく見えるものだが、実際にその場所まで行ってみると、地上と殆ど変わらない、若干呼吸がし難いだけの物悲しい空間が広がっている。

 不思議なのは、そんな場所だとわかった上で地上から見上げても尚、そこには神秘性を感じられる点にある。
 何もないとわかっていても、夢を見ずにはいられない。
 ならばやはり、そこは特別な空間なのだろう。

「すいませんね、ラシルさん。なんか最近馬車代わりみたいになっちゃって」

「全くじゃ。仮にも龍騎士の妾をアゴで使う輩は、世界広しと言えど貴様ぐらいじゃぞ」

 リュートの背に乗り、上空の冷風を全身で浴びながらラシルの背中に話しかけながら、ユグドはそんな事を考えていた。

「ふむ……確かに最近、ラシル殿の寛容さに甘え過ぎているきらいがあるやもしれぬ。ユグドよ、今回の件が片付いたら暫く自粛せねばなるまい」

「そうですね。とはいえ、今回は勘弁して下さい。今回だけは……時間がない」

 ユグドの後ろで、リュートの背中にしがみつくようにして伏せているクワトロにそう答えながら、ユグドはラシルとリュートに移動手段となって貰った経緯について回想を始めた。

 


 自称"国際護衛協会"『アクシス・ムンディ』――――
 などと名乗っていると、いかにも世界各国の護衛団を管理・統括する団体と思われがちなのだが、その実態は単に多国籍軍の小規模護衛団に過ぎない。

 では実際に護衛関係の仕事を統轄する組織があるのかというと、これが実はちゃんとあったりする。

 ただし、世界共通の統轄団体は存在せず、各国に独立した管理体制が敷かれている。
 例えば要塞国家ロクヴェンツは国家が強い指導力で国内の護衛業を取り仕切っているし、傭兵国家メンディエタは傭兵ギルドが警備全般の仕事を請け負っている。
 
 では、中立国家マニャンはどうかというと――――半ば軍事を放棄している手前、正式な統轄団体は存在しない。

 だが、実態は異なる。

〈マニャン保全連盟〉という名称の組織がこの国の警備業、護衛業の管轄を担っている。
 尤も、正式名称で呼ばれる事はほぼなく、通称として『保連』が用いられているが。

 そして、アクシス・ムンディの拠点『守人の家』のあるマニャンの中心都市バルネッタにもその保連の幹部がいる。

「ぅぇ? 困るんだよ、チミ。勝手にこんな紛らわしい呼び方しちゃ」

 特定非営利活動法人〈ゴーイン〉の代表を務めるゲルミル=ゴーイン。
 顔面の半分を占めると錯覚しそうなほど分厚い唇と、平均の倍以上の体重と思われる肥満体が特徴的な男性だ。

「国際護衛協会なんてのが中立国家にあるっていうのはだね、チミ。これ実にマズいんだよチミ。わかってるのかね? ぅぇ? ぅぇ?」

 この喋り方からも明らかなように、性格は決して良くはない。
 というか、破滅的に悪い。
 非営利の慈善活動を謳っているが、実際にそんな活動をしていると思っている周囲の人間はいない程度に。

「そう言われましても、国際護衛協会〈アクシス・ムンディ〉で商標登録して受理されましたし。不満は申請を受理した特許商標庁へどうぞ」

 そんな厄介な人物の根城、特定非営利活動法人〈ゴーイン〉本部を訪れたユグドは努めて冷ややかな声でそう答えた。

「ぅぇ? どうやら噂通りの跳ねっ返りらしいねぇ。チミの言った通りじゃないの、リンちゅあん」

 そのユグドの隣には、総合代理商会〈アゲントゥール〉代表、バティス=アゲントゥールの一人娘でありアクシス・ムンディの営業代理担当リン=アゲントゥールの姿がある。
 彼女はユグドとは対照的に、沈痛極まりない顔で俯いていた。

「私は別に……貴方に対して告げ口した覚えはないです」

「ぃーのぃーの! みなまで言わなくてもぃーんだよリンちゅあん! チミのお父さんはボキュと特大の親友だからさ! チミがボキュの力になりたいって思うのは当然だよ。父を思う子の健気さに涙が止まらないよねー」

 当然、その目は平常の水分しか含有していない。
 ユグドはなんとなくその目に自分の指を突き刺したい衝動に駆られたが、社会人なので我慢した。

「とにかく、保連とこれからも仲良くしたいなら、改名する事だね。じゃなきゃチミ達には護衛業の許可を下ろさないよ。ウチの許可なしにこの国で護衛業が出来るとはまさか思ってないよね? ぅぇ?」

「ええ。一応、その辺の常識は弁えてますよ」

 その答えは、ユグドの本心を九割は反映したものだった。

 事実、保連に加盟していなければ、市町村の公共施設やギルド等からの依頼を受ける事が出来ない。
 だがそれ以上に問題なのは、『防衛権』の行使が不可となる点にある。

 マニャンを含むルンメニゲ大陸の各国が加入するルンメニゲ連合は、『ルンメニゲ法』というルンメニゲ連合加盟国内のみで執行される独自の法体系が存在する。
 要するに、大陸内における共通の法律だ。

 その範囲は多岐に亘り、分野によっては、また国によっては国内の法律とルンメニゲ法の間に齟齬が発生したり、矛盾が生じたりする事もあるが、その場合は基本的にルンメニゲ法を優先するものとして定められている。
 締結に到るまでには加盟国全てにおいて明確な不平等が生じないよう、長い年月をかけて調整が行われたのは言うまでもない。

 そのような先人の努力の賜物として、防衛権もルンメニゲ法内にて制定されている。
 これは個人に与えられる正当防衛や、自治国の主権より生じる自衛権とは主旨が異なるもので、警備業、護衛業に対し『特定の契約に基づいた護衛を務める際に与えられる』権限を主とした権利だ。

 簡潔に述べるならば、護衛をしている途中に何者かに襲われた場合、その相手を無力化させる上で必要な暴力行為は基本、容認するというもの。
 依頼人および不特定多数の市民の生命を脅かす敵に関しては、殺したとしても罪に問われる事はない。
 こういった法律があるからこそ、護衛業は成り立っている。

 マニャン保全連盟は、ルンメニゲ連合の承認を得た組織であり、マニャン国からも護衛業の管理・統轄を許可されている国家公認の団体。
 防衛権を獲得するには、この保連に加盟しなければならない。

 仮に未加盟の組織が護衛の仕事を得て、いざ依頼人が襲われた際に反撃して重症を負わせた場合、過剰防衛として罪に問われる可能性もある訳だ。
 無論、それでは護衛にならない。

 今後、保連が余程ずさんな管理体制を露見してルンメニゲ連合から承認を剥奪でもされない限り、この構図は変わらない。
 よって、護衛業を営むならば保連への加入は必須であり、保連への忠誠もまた必須となる。
 表立っての軍事組織ではなく、あくまでも事務的な活動を主とした役割を担っている為、華々しさは微塵もないが、極めて重要な立場だ。
 
 そして、これは護衛という分野に限った話ではないが、このような『逆らえば破滅だよ?』という万能の権限を持った組織は、まず間違いなく腐る。
 保連も例外ではなく、様々な業界、施設と裏で結びつき、幹部が私腹を肥やしているとの噂は絶えない。
 そのしわ寄せが末端の護衛団、警備団に来るのもお約束だ。

「なぁーら、チミがこれからする事は一つ。わかるね? ぅぇ?」

「ええ。わかります」

 目の前のゲルミルと名付けられた生き物に対し、ユグドは薄く微笑む。
 ただ、隣のリンが思わず顔をしかめるほど、その微笑は禍々しかった。

「『貴方の望みはなんでしょうか?』こう問えばいいんですね」

「ご名答だょ! チミ、生意気な若造だと思ったけど、中々見所あるじゃない!」

「保連の窓口としてバルネッタで目覚ましい業績を収めている〈ゴーイン〉様には今後もお世話にならないといけませんから。そういえば先日、新たに清掃業に着手したと聞きました。なんでも街の景観を改善する為に、100人のボランティアをかき集めてゴミ拾いをさせたとか。足が棒になるまで作業した100人は充実感と心地良い疲れを得て帰宅の途についた事でしょう。街の外観も住民の心もキレイキレイにする、実に清々しい活動です。思わず涙しちゃいましたよ」

 ユグドは全く、一切、寸分も心の通わない言葉を紡ぎながら、笑顔を絶やさない。
 そんなユグドに気を許したのか、ゲルミルは口角を異様に上げ、唇の面積を更に拡大しズイッと顔を前に出した。

「こちらの指定する業者の武器防具を仕入れて貰うょ。そうすれば、名前の事は目を瞑ろう。バルネッタの平和に貢献する健全な組織なら、名前が紛らわしいくらい、大した問題にはならないょね」

「寛大な処置、痛み入ります。では後日、詳細をお知らせ下さい。この街の平和に寄与する事は国際護衛協会〈アクシス・ムンディ〉の総意ですので」

「ぅむぅむ。チミ、名前は何と言ったかね?」

「ユグド=ジェメローランです」

「ふんふん、覚えておくよ。チミとはこれからも仲良く出来そうだからねー。それじゃ、また。ユルット=チョメチョーメ君」

「またお会い出来る日を楽しみにしていますよ、ゲルミル=ゴーインさん」

 お互い、満面の笑顔で別れた五分後――――

「「調子に乗りやがって……!」」

 特定非営利活動法人〈ゴーイン〉の壁が、ほぼ同時に二人によって蹴飛ばされた。

「……でも、リンの責任」

 その一人、リンがユグドの傍で俯きながら神妙に呟く。

「リンが親父にアンタらの事話したから……最近やけに依頼が多くて調子づいてるって。リンが告げ口したようなもの」

「何か悪い物でも食べました? お腹痛いとか」

 普段は何かと毒舌な彼女が余りにも落ち込んでいるその姿を訝しく思ったユグドは、割と真面目にそんな心配をしていた。

「……反省なんてするんじゃなかった」

「冗談冗談。リンさんの所為じゃないですよ。今回の件は、アクシス・ムンディにとって避けられない事態なんだから」

「?」

「オレ達は世界一の護衛集団になろうとしてるんだから、どの道あの生き物には目を付けられる事になってたんです。出る杭を打つ為だけに仕事してるような連中ですから」

 実際、つい先日アクシス・ムンディは要塞国家ロクヴェンツの特殊部隊を相手に見事勝利を収めるという大金星をあげたばかり。
 この事実が表に出る事はないだろうが、あのゲルミルが裏口から仕入れるのは目に見えている。
 早かれ遅かれ、この難癖はつけられていた訳だ。

「ま、不意打ちを食らった事に関してのお詫びなら受け付けますよ。何か一つ、お得感のありそうな依頼でも見つけてきて下さい」

「……考えとく」

 リンは少し安堵したような顔を必死に隠しながら、短くそう答える。
 ユグドはそんな少女の姿に、先程までの苦々しい"交渉"で溜まった嫌悪感を全て浄化させ、今日初めて心からの笑顔を浮かべた。

 


 が。
 その翌日――――

「な……」

『守人の家』に出勤したユグドの目に飛び込んできたのは、その笑顔を一瞬で崩壊させる光景だった。

「では、確かにお届けしやした! またのご利用をお待ちしておりやす!」

 大手運送業者の巨大な荷馬車が二十台ほど並んで公道を引き返して行く様を呆然と見送りつつ、背中に感じるのは――――圧倒的威圧感、そして絶望感。
『守人の家』の前には、先日訪れた要塞国家ロクヴェンツの〈民間要塞〉にあった貯蔵部屋の中と同じような、乱雑に積まれた武器防具の山が出来ていた。
 その内訳を記した請求書が、ユグドの力ない手に心許なく揺れながら掴まれている。

 そこに記載されていた武具の数は――――1,000人分だった。






 【Therefore, the point of the sword wavers between his ideal and a social ideal ; NOCTURNE】

 - アクシス・ムンディの萌芽更新 07 -







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