あの"魔曲騒動"から数日後――――

「……探しましたよ、セスナさん」

 ナユタとの壮絶な追いかけっこの末に行方不明となったセスナを、ユグドはマニャンの首都ハオプトシュタットの外れにある湖の畔で発見した。
 協力者は龍騎士ラシル=リントヴルムとハイドラゴンのリュート。
 上空からの俯瞰で探さなければ、到底発見できなかっただろう。

「話はユグドから聞いておる。災難じゃったな。ナユタというオナゴはホッファーに帰った故、安心して『守人の家』に戻るがよい」

「楽団の護衛は予定通り完了しました。道中、ユイさんが馬車の上から転げ落ちるアクシデントもありましたが、ちゃんと家まで送り届けたんで大丈夫ですよ」

 軽妙な口調とは裏腹に、かなり疲労感の滲んだ顔でユグドはそう保証した。

 あれから――――セスナは大聖堂の周辺、ティーア大森林へと逃亡。
 ナユタも執拗に追いかけ続け、その挙げ句両者遭難する騒ぎに発展した。

 既に演奏会は終わっており、護衛義務が発生したユグド達はナユタを優先的に探さざるを得ず、初動の遅れたセスナ捜索は難航を極めた。
 そこで、ラシルに頼み空からの探索を試み、現在に至る。

 ちなみに、ナユタはセスナに逃げられた事で逆上して喚いていた為、割と簡単に見つかった。
 ただ、本当に大変だったのは発見後。
 怒りの矛作をユグド達に向けたナユタは、罵詈雑言の限りを尽くし護衛としてホッファーの自宅まで送り届けるアクシス・ムンディとノアを罵倒しまくった。
 特に、幻笛ギャラルホルンが偽物だと知り失望していたノアのひび割れた心は、鉄のハンマーでドゴォドゴォと何度も叩き付けられたかのように砕け、しばらくむせび泣く事態となった。
 幸いにも他の楽団のメンバーが全力で励ましてくれ、しかも幻笛ギャラルホルンの情報があれば優先的に知らせてあげると約束してくれた為、最終的には元気で亡命中の王達の元へ帰って行ったのだが。

「……みんなに合わせる顔がないっしょ」

 ラシルの優しさとユグドの報告に、セスナは湖を眺めたままバツの悪そうな声でそう答える。
 職場放棄という形になった上、アクシス・ムンディの所属ではないノアにまで被害が及んだ事にかなり心苦しく思っている様子が窺えた。

「今回の件、あーしの所為で迷惑かけたっしょ。あーしが最初から全部話してれば、あんなにバタバタしないですんだっしょ」
  
「最終的にバタバタしたのはリュートですけどね」

「うう……各方面に迷惑かけたっしょ」

 美しい魚が水面のすぐ下を泳ぐ湖に向かって首を伸ばし水を飲んでいる、自身の父親が得意としていた楽器と同じ名前のハイドラゴンに対し、セスナはペコペコと頭を下げる。
 一方のリュート、大人の余裕か軽やかに尻尾を振り回していた。

「ま、その件については不問です。リーダーも『誰だって過去の事なんて言いたくねぇーよなぁーー』って言ってましたから」

「り、リーダーに同情されたっしょ……ここから飛び降りて水死したい気分っしょ……」

「生憎だが、リュートが助けにいく。ズブ濡れ損になるだけじゃぞ」

「死ねもしないっしょ……じゃ、どうすりゃいいっしょ」

 何をやってもダメという時期は、誰にでもある。
 セスナは今、その時期を迎えているのかもしれない。
 ユグドは苦笑しつつ、まだ背中を向けたままのセスナに近付いた。

「死ぬくらいなら帰って死ぬほど働いて下さいよ。ただでさえ離脱者が多いんですから」


「……働いていいの?」


 ――――それは、余りにも唐突だった。
 声を発したのは他ならぬセスナ。
 だが、口調も声質も、いつもとはまるで違っていた。
 
「な……何ですか今の声」

「これが、本当のわたし。ナユタに嫌われようとする前の」

 そう言って振り向いたセスナの顔は――――茶色の前髪が眉のあたりでカットされ、素顔が露見していた。
 普段の印象とは全く違う、清楚で大人しそうな表情。
 何処ぞのお嬢様といった顔立ちだ。

「……わたしは、色々と誤魔化してる。過去も、現在も。天才なんて言われてるけど、そんなに大層な人間じゃない。魔曲の演奏を失敗した事もあるし、人を殺した事もある」

 そのセスナが、ユグドの目を見て告白する。
 自身の一部を。

「わたしは過去、魔曲で14人を殺めた。その倍以上の廃人も作った。全員死刑囚だったけど」

 それは〈魔曲軍〉による、魔曲の軍事利用の為の実験に他ならない。
 ユグドは思わず息を呑んだ。

「アクシス・ムンディに加入したのは、誰かを護りたかったからじゃない。自分を護って貰う為。護衛集団に混じれば、必ず護衛の専門家が近くにいるから。それだけ」

 ラシルもまた、突然の変貌と述懐に驚きを隠せない。
 五百年以上生き、かつて若作りの為に別人格を演じていた彼女ですらも。

「ユグド。どうしてわたしが楽器を弾かないかわかる? 多分、賢いあなたでもわからないと思うけど」

「それは……」

 過去を思い出したくないから――――そんなありきたりな回答ではない事は直ぐに理解したものの、ユグドはそれ以上の答えを得られなかった。

「わたしにとって音楽は日常……"平凡"なの。才能があるからじゃない。物心がつく前から音楽を聴かされて、楽器を持たされてたから。音楽が全然楽しくない。演奏で聴く人を楽しませる事に、喜びや充足を感じられないの」

「……」

 そのセスナの心底話は、護衛任務が日常的となった今、護衛によって他人を護る事にも喜びを見出せない――――そんな嘆きにも似た訴えに聞こえた。
 少なくとも、それを強く示唆した言葉なのは間違いない。
 
「それでも、わたしは働いてもいいの?」
「いいと思いますよ」

 が、それでもユグドは即答する。

「どうして? わたし多分、普通の人が普通に持ってる大事なものが欠落してるんだよ? 所属してた組織から黙って抜け出したんだよ? 信頼したら危険だよ?」

「その点は心配無用ですよ。一般的な意味でいう信頼なら、オレは誰に対してもしていませんから。当然、セスナさんも無条件で信じたりはしませんし、元よりしていません」

「……ユグド、そういうトコあるよね」

 セスナの伸びきった後ろ髪が、風にたなびいてサラサラと舞う。
 湖に反射する陽の光と戯れるように。

「そういう事です。だから気兼ねせず戻って下さい。ユイさんが暇を持て余してますよ」

「やれやれ。仕方ないっしょ」

 そこで――――魔法は解けた。
 セスナの口調が戻るのと同時に、陽の光は一瞬雲に遮られ、薄い影が膜を張るように湖を覆う。
 偶然か、はたまた――――

「あーしがいないと回らないってんなら、戻るしかないっしょ。リュート、背中を借りるっしょ」

 大きく背伸びをし、セスナは一足先にリュートへと歩み寄っていく。
 その背中を暫く眺めていたラシルは、何処か呆れたように肩を竦め、ユグドの横顔に半眼を向けた。

「随分と奇妙な関係で結ばれておるのじゃな。貴様等アクシス・ムンディは」

「そうでもないですよ」

 ぶっきらぼうに答え、ユグドもセスナの後を追う。

「誤解と信頼の間に引いた線が波打ってるだけです」

「……」

「受け売りですけどね」

 奏でられる音楽が無限にあるように、線もまた無限に引ける。
 何処へでも好きなように。
 けれど、それでも尚、信頼へ辿りつく事は難しい。
 本当に難しい。
 
 三人を背に乗せたリュートがその大きな翼を広げ、飛び立った。
 雲が流れ、澄み渡るような青空が広がる。
 この上なく平凡な空。
 何処へでも繋がっている、世界で最も大きな道。
 けれど、行き先は決まっている。
 無限のようで、一本の線。

「……今度、リュートでも弾いてみるっしょ」 

「キュルルルルルルルルルルルルル!」

「アンタの事じゃないっしょ! 揺れるなっしょーーーーっ!」

 

 
 これは、そんな一弦の交響曲。












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