単純なようで複雑。
 難解なようで明瞭。
 人間と人間を結ぶ線の多くは、誤解と信頼の狭間に結ばれている。

 職業柄、幾度となく人の懺悔や悩みを聞いてきたドイス=イニミーゴ司教は、そんな持論をこの世の真理の一つとしてきた。
 そして今日もまた一人、彼にその真理を問うかのように、懺悔をして許しを乞おうとする者が目の前に現れた。

「初めは、精神的疲労から逃れる為の手段だったんです。司教様」

 この者は、外務長官という国の重要な役職にありながら、違法植物に手を染め、身を崩してしまったという。
 人間は脆く、そして弱い。
 それをよく知るドイス司教は、驚きも呆れもせず懺悔に耳を傾けた。
 
「違法植物の効果は絶大でした。常に神経が研ぎ澄まされ、疲労も重圧も感じなくなりました。ある日、頭の中でこんな囁き声が聞こえるようになりました。『お前は中立国家の外務長官。仕事の能率を上げなければ、国益が損なわれる』。それは神の声でした」

 実際には、自分自身の声。
 弱き自分の言い訳に過ぎない。
 
「国の為ならば何でもすべきだと思いました。例え自分が法を犯しても、この身を滅ぼしても……だから僕は、世界中の違法植物を集めたのです。全ては国の為。愛するマニャンの為!」

 最後の方は興奮を抑えきれなかったらしく、その声は懺悔室に朗々と響きわたった。

「……それでも僕は、間違っていたのでしょうか」

 懺悔が終わった事を確認し、ドイス司教は定句を唱える。

「悔い改めなさい。神はきっとお許しになられます」

 そして扉を開け、壁一枚を隔てた隣にいる外務長官――――ピリージ=ベルハルムへと近付き、両手を合わせ拝んでいるその男の顔面に膝をぶつけた。

「アッヴゥハアァァァン……!」

 罪深き外務長官が、悲鳴とすら呼べない奇怪な声をあげ、為す術なく吹き飛ぶ。
 それはそうだ。
 司教が予備動作なく膝蹴りを繰り出してくるとは誰も思わない。
 全くの無防備で貰った。

「神はお許しになりますが、この大聖堂を穢れた取引の現場にしようとした貴方を私は赦しはしませぬ。覚悟なさい。何、殺しはしませぬよ。反応がなければつまらぬのでね」

「ひっ、ヒィィィィィィィ……!?」

「さあ、泣き叫ぶがよい! 喉がすり切れるまで! フハハハハハ!」

 ――――その後、凄惨な制裁活動は一時間にも及んだ。

「次、どうぞ」

「えっと……はい」

 先刻は聖堂の入り口にいた全身鎧の二人に引きずられ退室していくズタボロの外務長官にギョッとしつつ、ユグドは懺悔室へと入る。

「今の鎧の人達……もしかしてドイス司教の?」

「私の弟子です。この手の雑務は彼らがやってくれます。本来は不肖の息子が務めるべきなのですが、随分前に出て行ってしまいましてね」

「はあ」

 どうやら防衛ギルド【カルミーンロート】の兵ではなかったらしい。
 答えは三番目ではなく一番目。
 尤も、今となってはどうでもいい事だが。

「君も懺悔ですかね?」

「いえ、一応報告というか……お騒がせしたお詫びというか」

「うむ。告白なさい。此度の件、何があったのかを」

「……暴行しないで下さいね?」

 司教相手に戦々恐々とする状況に辟易しつつ、ユグドはアクシス・ムンディを代表し、事の顛末を語った。

 今回の件を仕組んだのは――――先程瀕死の状態で引きずられて行った外務長官ピリージ。
 浅い意味での黒幕は彼だった。

「動機は単純で、違法植物の入手。一つの楽器で魔曲を奏でられる伝説の遺産、幻笛ギャラルホルンを持っているから珍しい違法植物と交換しようと、ホッファー側に取引を持ちかけた」

「ふむ。ならばあの楽団は、取引の為にホッファーから派遣された使者だったのですかな?」

「いえ。マニャン国防省の囮捜査に手を貸す為に来てくれた協力者だそうです」

「……?」

 そんなユグドの報告に、ドイス司教は露骨に顔を歪めた。

「あの外務長官、他国との会合の席で高圧的な発言や態度を見せる事もあったみたいです。相当依存症が進んでいたんでしょう。かなり前からマークされてたようですね」

「国防省にですか?」

「ええ。この国の国防省と外務省、仲がよくないみたいで。そこで国防省が外務長官を捕まえる為、罠を張った」

 まずはホッファーに連絡を入れ、取引に応じるよう懇請。
 その上で、取引現場を逃げ道がなく追い詰めやすい森林の奥にあるこのゲシュペンスト大聖堂に指定した。
 外務長官側も、大聖堂という神聖な空間が格好の隠れ蓑になると思ったらしく快諾。
 あとは、外務長官が護衛を任せると指名した防衛ギルド【カルミーンロート】に頼み、取引現場を押さえるだけ。
 ピリージが指名したのは、【カルミーンロート】所属で元国防長官のゴディン=アルアーノ。
 "元"とはいえ、現職の外務長官であるピリージとは顔見知りであり、通常ならそんな人物を違法植物の取引現場に護衛として連れて行く筈がないのだが――――

「逆に、国防省の元大物を連れて行けばマークし難くなるだろうと考えていたのかもしれませんね。あの元国防長官がついているのだから、疑うのは彼のメンツを潰す事に繋がる……と思わせる為に。ま、実際のところは国防省への当て擦りが本命だと思いますけど」

 結果的には、ゴディンと国防省とのパイプが最大限に活かされ、非常にスムーズに段取りが進んだという。
 海外にパイプを作るのを仕事としていた男は、国内のパイプによって敗れた。
 皮肉な話だ。
 ちなみに、ユグドの予想通り、ピリージの所持していた幻笛ギャラルホルンは偽物だったらしい。
 
「本筋は理解できましたが……囮捜査に協力しただけなら、何故楽団は護衛を必要としたのですかね?」

「一つは保険ですね。万が一、外務長官に逃げられた場合に追っ手として利用するつもりだったんでしょう。あとは……"人質"かと」

「また物騒な言葉が出てきたものです」

「隣同士とはいえ、あんまり親交のない両国ですから。事が済んで自国の家に帰るまで『護衛させる』という形で、オレ達を口封じ防止の為の人質にしようとしたんでしょうね。もし裏切ったら、お前らの国の人間がホッファーでどうなっても知らんぞ、って」

「ふむ……駆け引きですな。誤解と信頼の狭間に揺れている両国らしいと言えるのかもしれませぬ」

「中々洒落てますね。その通りだと思います」

 結局のところ今回、アクシス・ムンディは大捕物に利用されただけの脇役に過ぎなかった。
 尤も、それは大局的視点に過ぎない。
 この大捕物の筋書きを利用し、自分の目的を達成させようとしていた人物がいた事を、ユグドは知っていた。

 というか――――

「ところで……あの者たちはまだやっているのですかな?」

「え、ええ」

 ドイス司教にも筒抜けだった。
 
 その人物とは――――

「セシル。さあ、一緒にホッファーへ帰るであります。今の落ちぶれたセシルを救えるのは不肖ナユタしかいないであります」
「う、うるさいっしょ! みんなに危害が及ばないとわかった以上、ナユタにつき合う必要はないっしょ!」
「待つであります! 待ーつーでーあーりーまーすー」

 聖堂内で追いかけっこをする二人の内、追いかけている方の人物。
〈ヴィーゲンリート交響楽団〉のバンマス、ナユタ=ティオフだ。

 ユグド達が踏み込んだ際、彼女は今まさに曲を奏でようとリュートを構えている最中だった。
 ただ、他の楽団の面々は一切楽器を手にしていなかった。
 魔曲は多数の楽器によって演奏されるのが常。
 つまり、ナユタ一人が演奏している時点で魔曲ではない。

 では一体、彼女は何をしようとしていたのか――――

『えっと、実は……ここだけの話にして欲しいんですが……』

 礼拝堂に乗り込み、ゴディンがピリージの身柄を確保した後、ユグドは〈ヴィーゲンリート交響楽団〉の一人から話を聞く事が出来た。

 まずは事の発端。
〈魔曲軍〉である彼女達が、何故わざわざ囮捜査に協力したのかというと、リーダー格のナユタが目を血走らせ名乗り出たからだという。
 元々は別の楽団に命じられていたが、ゲシュペンスト大聖堂が取引現場になると知った時点で有無を言わさず横取りしたらしい。

 彼女は知っていた。
 ゲシュペンスト大聖堂でつい最近、アクシス・ムンディが仕事をした事を。

 彼女はよく知っていた。
 アクシス・ムンディというマニャンの護衛団に、かつての同僚で幼なじみのセシル=ハイドンが所属している事を。

 彼女はとてもよく知っていた。
 セスナがセシルだった頃の所業とその顛末を。

 彼女は誰よりも知っていた。
 セスナの魔曲を演奏する才能、そしてその――――魅力を。

『ナユタ、セシルさんの大ファンというか……愛しちゃってるんですよね。女の子同士だけど』

 全てはそこに集約されるらしい。
 ユグドは目眩を覚えながらも、色々と沸いて出た感情を心の中に押し込み、話の続きに耳を傾けた。
 
 セスナがかつて〈魔曲軍〉に所属していた頃、彼女は誰よりも完璧に魔曲を覚え、そして演奏していた。
 演奏に失敗した奏者が、霊に取り憑かれたり謎の腹痛に襲われたり鼻毛が凄まじい勢いで伸び続けたりという罰則に苦しむ中、セスナは殆ど失敗する事なく魔曲を奏で続けた。
 
 何より天才的なのは、一つの楽器ではなく全ての楽器でそれが出来た事。
 ハープ奏者が足りなければ代わりが見つかるまで彼女がハープを弾き、見つかったら次の穴をまた埋める。
 セスナがいるからこそ〈魔曲軍〉は成立していたといっても過言ではないくらい、図抜けた才能を発揮していたそうだ。

『そんな彼女に憧れる人もいたんですが……みんな、辞めちゃいました。辞めさせられたんです。あの人に』

 そう語ってくれた団員の視線は、ずっとナユタに固定されたまま。

『幼なじみで、子供の頃からずっとセシルさんに憧れ……というか病的に慕っていたみたいで。セシルさんと仲良くする奏者を人知れず気絶させて練習をサボったように見せかけるとかして、辞めさせられるよう仕向けたりしてました』

 気配を断つ能力に長けている理由が判明したが、特に言うべき事はなかった。

『セシルさんもほとほと困り果てて、髪をだらしなく伸ばしたり、喋り方を変にしたりして嫌われるよう努力していたんですけど、あの人の愛の前には無意味だったみたいで。結局、最終手段に打って出たんです』

 その最終手段とは――――〈魔曲軍〉の保持する魔曲の楽譜を全て燃やし、逃亡するというもの。
 楽譜を燃やしたのは、〈魔曲軍〉を無力化し報復を防ぐ為と、その件に目を向けさせ国外逃亡の時間を稼ぐ為。
 或いは――――セスナなりに、魔曲の軍事利用をやめさせたいという思いがあったのかもしれない。
 実際には他にもっと建設的な手段があったのかもしれないが、人間追い詰められると判断力が鈍るもの。
 セスナの行動を責める者は、〈魔曲軍〉の中には一人もいなかったという。

 その事件の後、ナユタは目に見えて塞ぎ込んだ。
 余りに落ち込んでしまった為、〈魔曲軍〉の面々は新たな魔曲の発掘もそこそこに、ナユタを励まし続けた。

 危険な行為に及ぶ事もあったが、それは全てセスナへの愛の為。
 すなわち、純愛。
 女性が多くを占める〈魔曲軍〉とあって、いつしかナユタの愛を全員が応援するようになった。

『だから、ナユタが囮捜査を利用してセシルさんを礼拝堂に監禁するって計画を打ち明けてくれた時、みんなでフォローしよう、ナユタの純愛を成就させてあげようって誓い合ったんです』
「誓い合うな!」

 やたら饒舌な団員に、ユグドは思わずそう叫ばずにはいられなかった。

 先程まではずっと不気味な雰囲気を醸し出していた〈ヴィーゲンリート交響楽団〉の団員だったが、あれは彼らなりに事の成り行きを固唾を呑んで見守っていただけ。
 なお、ユグドの問いかけに顔を強張らせた若い団員二名は、どちらもセスナが出て行ってから加入している為、ナユタの恋路に盛り上がる他の団員とは温度差があり、単純に囮捜査方面で何かバレたんじゃないかと緊張していたようだ。

 ともあれ、ナユタの計画は順調に進み、セスナを取引の為に封鎖した礼拝堂――――要は監禁場所へと呼び込む事ができた。
 もし、そこで最後までセスナに拒絶された場合、ナユタは楽団の協力のもと"特別演奏会"を催すつもりだったという。
 そこで披露される予定だったのは、ここ一年ナユタが試行錯誤を重ね完成させた楽曲〈セシルがナユタのものになる為のリュート歌曲〉。
 タイトルからもわかるように、不特定多数の聴衆がダメージを受ける魔曲とは異なる。

 ナユタがセスナへの想いを込めて書いた歌詞を、ナユタが考案した切ないメロディーに乗せ、ナユタが鮮やかな指さばきでリュートを演奏し、ナユタが心を込めて歌う。

 そんな楽曲だ。

『歌詞をしたためた冊子がありますけど、見ます?』
「……一応、確認します」

 ユグドは恐る恐る冊子を受け取り、開いてみた。

 


 セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き
 セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き
 セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き
 セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き

 ああ、我が高貴なるセシル
 ああ、我が栄えあるセシル
 二人の愛は永遠に悠久にて恒久なりて永久の久遠たれ

 セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き
 セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き
 セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き
 セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き

 ああ、我が高貴なるセシル
 ああ、我が栄えあるセシル
 二人の愛は永遠に悠久にて恒久なりて永久の久遠たれ

 けれどあなたは去って行った
 わたしを置いて去って行った

 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして
 どうして

 セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き セシルはナユタが好き
 セ――――

 


「……」

 が、目の奥がねじ切れそうなほどの痛みを発し、序盤で視認を断念。
 魔曲とは全く別の意味で洗脳効果がありそうなその歌詞は、数十ページある冊子の端から端まで記されている。
 ユグド達が懸念した最悪の事態とは少し違っていたが、ある意味最悪の上を行く計画だった。

 しかし、その問題作が奏でられる前にゴディンら及びアクシス・ムンディの面々が乱入した為、洗脳は未遂に終わり、愛を持て余したナユタは狂おしさの余りセスナを実力行使で連れ戻そうと追いかけ回している。

「セシルが本当は誰より不肖ナユタを大事に思っている事、知ってるであります。楽譜を燃やしたのも不肖ナユタを魔曲から引き離す為だと知ってるであります。不肖ナユタはセシルの事をちゃんとわかってるであります」

「そんな訳ないっしょ! いい加減、その病んだ思考を矯正するっしょ!」

「そう言いながら逃げるのは追いかけて欲しいからに違いないであります。もっと素直になるであります」

「し、失敗っしょーーーー! こんな事なら、子供の頃に縁切っとくんだったっしょーーーーーーーーーーーーーっ!」

 自身の失敗によって壊れてしまった少女に追い回されるセスナを、ノアやユイは楽しそうに、スィスチやクワトロは呆れながら眺めていた。
 
「後で、あの者らの懺悔も聞いてやらねばなりませんね」

「……なんて懐の深い」

 司教という存在の大きさに触れ、若干の感動を覚えたユグドであった。










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