ゲシュペンスト大聖堂の応接室は狭い。
 例えば独身男性が一人空しく夜食を貪る光景が似合いそうな、閉塞感のある空間となっている。
 その中に、アクシス・ムンディ+ノアの6名、大聖堂の責任者であるドイス=イニミーゴ司教、そして先程到着した音楽国家ホッファーの楽団〈ヴィーゲンリート交響楽団〉20名が屯する光景は、息苦しさを覚えずにはいられないほどの圧迫感を醸し出していた。

「このゲシュペンスト大聖堂はホッファーでも有名な観光スポットなのであります! だからマニャンで演奏会をすると決まった時、ここが真っ先に会場候補に挙がったのであります!」

 しかし、そんな事を気にも留めず〈ヴィーゲンリート交響楽団〉のバンドマスターでリュート奏者の女性ナユタ=ティオフは、マニャン語かつ軍人口調で会場選択の動機をハキハキと説明した。
 大所帯の彼女達にとっては、珍しくない状況なのだろうと推察しつつも、ユグドは額に滲む汗を拭う。
 アクシス・ムンディもそれなりの人数はいるが、会議室に全員が揃ってもここまでの暑苦しさにはならない。
 せめてもの救いは、20人の演奏家の内、過半数が女性という点だ。
 数少ない男性も全員が華奢。
 もしこれで、ウンデカのような人間が数人いたとしたら――――そんな想像をしたらしくノアが顔を青くしている。

「つい先日、こちらの方に演奏会を開きたいという申し出が届きましてな。その際に護衛を付けたいとの事だったので、以前の約束通り君達を推薦させて貰いました。あの健気な鎧娘や痛がりの青年は不在のようで、少々残念ですがね」

 ドイス司教は全員分のハーブティーを用意し、配り終えた所でそう説明をしてくれた。
 次はラシルの紹介抜きで信頼して貰えるような仕事をしたい――――ユグドのそんな半分社交辞令のような言葉をしっかり覚えていたらしい。
 多少サディスティックな面もあるが、やはり大聖堂を任されるだけあって人格者なのだと尊敬の意を込め、ユグドは深々と頭を下げた。

「ナユタ殿、彼らならしっかりと護衛してくれる筈だから心配は無用ですぞ。私は引き続き離れの方で仕事をしていますので、何かありましたらお呼び下され」

「ありがとうございます! ですが、護衛は帰る時だけで大丈夫なのであります!」

「それに関しては、依頼を承った際に伺っています。差し支えなければ、理由などお聞かせ願いたいのですが」

 仕事モードのユグドが間髪入れず丁寧に質問すると、ナユタを含む〈ヴィーゲンリート交響楽団〉の中の二人だけが一瞬顔を強張らせた。
 どちらも若く、まだ楽団の輪の中に入りきれていない様子が窺える。
 ユグドはそれを見逃さなかったが、敢えて触れずにナユタの返答を待つ。

「そうでありますね。護衛をお願いする以上、話しておいた方がいいかもしれません」

 やや声のトーンを抑え、ボブヘアの黒髪を微かに指で擦るようにしながらナユタは語り出した。
〈ヴィーゲンリート交響楽団〉はかなり若いメンバーで構成されており、バンマスのナユタもユグドと同い年くらい。
 最も若い、先程狼狽した様子を見せた演奏家たちは十代前半に見えるほど幼い。
 身長が低く幼い顔立ちのナユタもかなり子供っぽく見えるが、実際には18歳とのこと。

「実はこのたびの演奏会、マニャンのとある要人を招く予定なのであります。一般客は今回招待せず、その方限定の催しとなっているのであります」

「つまり、接待って事?」

 スィスチの遠慮ない言葉に、ナユタは大げさなくらいに大きく頷く。

「ここマニャンと私どもの故郷ホッファーは、隣国でありながら接点が薄く、余り私たちの音楽を届ける機会がないのであります。なので今回、私どもの長たるアッシュ王が呼びかける形で、このような席を設けさせて頂いた次第であります」

 要はホッファー国王主導の接待演奏会。
 招かれるのは相当な大物で間違いない。
 尤も、日頃から王族が拠点に出入りしている事もあって、アクシス・ムンディの面々に緊張が走ったりはしなかったが。

「その際、来賓の方には当然ながら御自身がお連れになった護衛がついているであります。なので要人護衛は不要であります。ですが、万が一演奏会後に私どもの誰かが負傷しようものなら、来賓の方にあらぬ嫌疑をかけさせてしまいかねません。ですので、家まで護衛をお願いしたいのであります」

 ナユタの回答は、一応筋が通っていた。
 確かに演奏会の後に負傷者が出れば、それはホッファーとの交流を快く思っていないマニャン側の勢力による警告と見なされる畏れがある。
 それを防ぐ為というのなら、万全を期すのも不思議ではない。
 何より、マニャンに籍を置く護衛団に敢えて依頼するというのが信頼の証になる。
 ホッファーに入っても護衛を続けさせるのも同様だと解釈できる。

「……なるほど。わかりました。ご説明ありがとうございます」

「では、お引き受け願えますでありますか?」

「はい。素晴らしい演奏会になるようお力添えをさせて頂きます。明日は舞台袖からでも見させて貰っていいですか?」

「勿論であります! 曲目表をお渡ししておくでありますね! 我々一同、凡人ですが一生懸命演奏するであります!」

 ユグドとナユタがガッチリと握手を交わし、それが正式な依頼受理の証となった。

 


 その日の夜――――

「それじゃ、今回の護衛の段取りをおさらいします。演奏会終了と同時に護衛開始となるので、各自しっかり頭に入れておくように」

 大聖堂の二階にある休憩室で、アクシス・ムンディの面々とノアは明日に向けての打ち合わせを開始していた。
 説明係は当然、ユグド。
 普段の守人の家での会議とは違い、それなりに緊張感の漂うピリッとした空気に包まれている。

「今回の護衛は総勢二十名の演奏家の皆さんを六人で護ります。ただ、特定の敵がいる訳でもなく、狙われ易い職種でもないので、対象を絞った護衛はできません。要人護衛じゃないから暗殺の可能性はかなり低く、集中力を保つのが難しい護衛になるでしょう」

「最大の敵は油断、怠慢……つまるところ己である訳だな」

 クワトロの発言に、ユグドは大きく頷いた。

「なので、オレも不本意ながら今回は敵を想定しない事にしました。いついかなる時に襲撃を受けても対応できるよう、各自が視野を広げてつつ楽団の帰還を引率する。戦闘要員のユイさんとクワトロさん頼みになりますが、よろしくお願いします」

「任せろにゃ!」

「うむ。先の武器万博での失態を取り返すまたとない機会。期待に応えてみせよう」

 快い返事にユグドはウンウンと満足げに微笑む。
 そのユグドを一人、訝しげに眺めている者がいた。

「ノアさん、どうかしました? あ、はいはい。えっと……今回の依頼は猟奇殺人とか猟奇的嗜好の犯人とかは無縁だと思います」

「勝手に人を猟奇マニアにしないでよ! 私を何だと思ってんの!?」

「では、報酬の額についての不満ですか。いいでしょう。交渉士としての力、とくとお見せします」

「キリッとした顔で人を守銭奴に仕立て上げるなっ!」

 とはいえ、ユグド以外のメンバーも大体似たような印象をノアに抱いていたので、フォローはなかった。

「……サイアク。仕事引き受けるんじゃなかった」

「ま、冗談はこのくらいにして。何か不満げに見てましたけど、言いたい事あるなら伺いますよ」

「あっそ。じゃ、一つだけ」

 実際にはもっとあるのか、と言いそうになったユグドは、話が長くなるのを明らかに嫌がってそうなスィスチやユイの視線を察し、自重した。
 
「まず、どうして私が戦闘要員に含まれてないの? それを期待されて声がかかったって思ってたんだけど」

「ノアさんは攻めというか、自分から仕掛けたり索敵したりするより護りに徹するのが得意だと思ったんで。襲撃者の数が多い場合は別ですが、基本は楽団の傍にいて貰いたいなと」

 二十名の大所帯を少数で護る場合に重要なのは、単に敵を排除したりはね返すだけでなく、護衛対象を混乱させず落ち着かせ、護りやすい場所に固定させる事。
 王族の侍女であるノアは、かつて何人もの部下を率いていた。
 ユグドは彼女の抜擢を決めた背景には、そういった経験への評価がある。

「ふーん。ま、そういう事なら納得かな」

「……本当にわかってるのかしら」

 言葉足らずの説明に気をよくしていたノアを、スィスチは頬杖を付きながら半眼で眺め――――その淀んだ視線をユグドへと移す。

「私からも一つ、いい? 魔曲について、見解を統一しておきたいと思うんだけど」

「魔曲……?」

 唯一、その話題について知る由のないノアが驚愕の表情を浮かべ、身を引く。
 その反応は、魔曲が何か知っている人間のそれだったので、ユグドは基本的な説明は省く事にした。
 
「今回の演奏会で、魔曲が演奏される可能性がある……という心配をセスナさんがしてたんです。さっき貰った曲目表を見る限り、魔曲っぽい曲はないみたいですが」

 当然、それが何の意味もない事はユグドもわかっている。
 とはいえ、積極的に疑う理由も今のところない。
 何より、今回の護衛任務は演奏会終了後なので、演奏会で披露される曲についてアクシス・ムンディが関与できる事はほぼない。

「取り敢えず、そういう可能性もあると頭に入れておく。今はそこに留めておきましょう」

 言い出した張本人のセスナも押し黙っている為、ユグドはそう結論付けた。
 
「了解」

「では具体的に楽団の護衛手段を確認するとしよう。ユグド、彼らの移動手段は?」
 
 スィスチが頷いたのち、今度はクワトロが挙手。
 ユグドは事前に用意していたメモを取り出し、確認しながら話を進めた。

「移動手段は基本、馬車。ただしこの大聖堂の周辺や国境付近、各自の家までの小径などは徒歩です。できればユイさんには外からの襲撃に備え、馬車の屋根の上に乗って移動して欲しいんですが……」
「人を何だと思ってるにゃん! と言いたいところだけど、あとで高級魚の獲れるスポットを探してくれるなら、引き受けるにゃ」
「……言ってみるもんだ」

 呆れながらも快諾。
 馬車は四つほど用意されるとの事なので、その中の一つの屋根にユイが乗って周囲の監視を行う事になった。

 その後、大勢を護る上で重要な点をいくつか確認したのち、会議は終了。
 そのまま休憩室で懇談を始める運びとなった。
 尤も、懇談と言えるほどリラックスした空気ではない。

「……今日はまた随分と無口ね。気味が悪いぐらい」

 その元凶は、スィスチが今話しかけてもなお暗い表情のままのセスナだった。

「そうだにゃ。セスナがそんなに暗いと、ユイまで調子出ないにゃ。表情の改善を要求するにゃん!」

「いや、要求される事じゃないっしょ」

「あ、私今日初めてセスナさんの声聞いたかも」

 半分は茶化すように、半分は場を明るくする為に、ノアがそう言って大げさに笑う。
 しかし空気は依然、重いまま。
 特に楽団が到着してからのセスナは輪を掛けて沈んでいる。
 それが何を意味しているのか――――ユグドはその真相を未だ掴みきれずにいた。

「……もしかして、昼間の楽団の中に知り合いがいたとかにゃ?」
「!」

 そんな中、突破口を開いたのはユイ。
 セスナと最も親しい彼女が、珍しく鋭い指摘をした。

「……何だにゃユグド、その珍しく鋭い指摘したにゃって顔は」

「お、読心術まで完璧じゃないですか。ユイさん、神経研ぎ澄まされてるー」

「そ、そうかにゃ?」

 ユグドの謎な褒め言葉に何故かユイは気をよくしていた。

「それはともかく……セスナ、ユイの言った事って図星なの?」

「間違いないのだろうな。痛点を突かれた、という顔をしている」

 スィスチの質問は当然セスナに向けられたものだが、答えたのはクワトロ。
 そしてそれは、単に先走りの性質によるものではなく――――

「楽団の中にいた、若き二名と同じように」

 その言葉の布石でもあった。

「流石はクワトロさん。気付いてたんですね」

「うむ。だが我はてっきりそこでユグドが"魔曲"という言葉を用い追撃すると思ったのだが……」

「難しいんですよ、情報戦の力加減は。あれくらいでも警戒された可能性ありますからね。明日の演奏会、さっきは見ていいと言っていましたけど……当日になって聖堂内から閉め出されるかもしれません」

 ユグドは肩を竦めつつ、昼間の楽団とのやり取りを思い返してみた。
 
 護衛は帰る時だけ――――その理由を問い質した際、若い演奏家が二名、表情を強張らせた。
 その意味する所は決して小さくない。
 今回の演奏会が、移動中に懸念していた『魔曲を利用した暗殺』を目的としているのなら、演奏中の護衛を省略した理由を問われて動揺するのは自然な事。 
 元々怪しかった依頼が更にキナ臭くなってきた。

 一方、ノアとユイは話についていけず迷子状態に陥っていた。

「えっと……ユイさん、この二人何の事を言ってるの?」

「にゃ? ユグドとクワトロの意味深風な会話はユイ嫌いにゃの。なんか『俺らスゲーよな』ってのが滲み出てて気持ち悪いにゃ」
 
 そんなミモフタもない指摘に苦虫を噛み潰したような顔で頬を引きつらせるユグドとクワトロに苦笑しつつ、スィスチが指をピンと立て説明のポーズ。
 学者だけにサマになっている。

「要するに、私達に依頼してきた楽団が怪しいって話よ」

「え? そんな複雑な話になってるんですか? 私、ただお手伝いで来ただけなですけど、お役に立てるかなあ……」

「というか、複雑ってほどでもないんですけどね……」

 ユグドは人選を誤った可能性について真剣に検討すべきかどうか迷ったが、余り意味がない事に気づき、セスナの方に視線を移した。

「それで、話を戻すけど。セスナさん」

「わかってるっしょ。ユイの言う通り、知り合いがいたっしょ」

 観念したかのように溜息を吐いた後、セスナはそう前置きし――――

「あのユグドと話してたナユタって子、あーしの幼なじみっしょ」

 意外な述懐を始めた。

「……幼なじみ? 仕事仲間とか、かつての演奏仲間とかじゃなくて?」

「全部含まれてるっしょ。あの子とは同じ音楽学校に通ってたし、同じ楽団に所属した事もあったっしょ」

「え? セスナさん、音楽家だったの?」

 ノアがそう驚くのも無理はない。
 セスナはノアと知り合ってから一度も演奏を披露した事もなく、楽器すら殆ど手にしていない。
 そしてそれは、ユグドがアクシス・ムンディに加入した頃まで遡っても同じ。
 演奏家の証拠を見せろと言われた時くらいしか、彼女が音を奏でる機会はなかった。

「こう見えて、子供の頃は天才少女とか言われてたっしょ」

「へ、へえー……そうなんだ」

「リアクションに困るんだったらいちいち話の腰を折らないで下さい」

 勝手に質問して勝手に困惑するノアをジト目で眺めつつ、ユグドは休憩室のソファに腰を落とした。
 隣国にまで名を轟かす大聖堂だけあり、家具の質はどれも高く、深々と腰が沈む。

「ナユタと最後に会ったのは16の時以来だから、二年ぶりっしょ。あの子全然変わってなかったっしょ。一瞬でわかったっしょ」

「向こうは気付いた素振りを見せてなかったですけど」

「ま、あーしが護衛団にいるとは思わないっしょ。前髪も大分伸びたし」

 なら切れよ、というツッコミの念が休憩室に蔓延するも、言語化はされなかった。
 
「ともあれ、気付いてないのならこれ幸いってヤツっしょ。さっきも言ったけど、これでも天才少女だったっしょ。今の落ちぶれたあーしを、有名楽団のバンマスにまで登り詰めた幼なじみに見られるのは癪っしょ」
「わかる! 落ちぶれた惨めな気持ちスッゴくよくわかる!」

 元侍女のノアに涙目で両手を掴まれ、セスナは若干引いていた。
 その様子をソファにもたれ掛かって眺めていたユグドは、一旦姿勢を正し、一息吐いてから目つきを鋭くする。
 本題に入る為の予備動作のようなものだ。

「……本当にそれだけですか? セスナさん」

「な、何がっしょ」

「幼なじみとの再会だけが、怯えている理由じゃないんでしょ、って事です」

 敢えて『怯え』という強い言葉を使ったユグドに対し、セスナはキッと睨み付けた。
 ただそれも一瞬で、直ぐに顔を伏せる。
 尤も彼女の場合、前髪が障害物となり顔を伏せなくても表情を窺い知るのは困難なのだが。

「セスナさん、依頼概要を聞いた時点で今みたいにどんよりしてましたよね。もしかして、あの時点で……」
「依頼してきたのが不肖ナユタの所属してる楽団だと察していたに違いないであります!」

 突然ドアがバタンと開き、ナユタが一人で乱入してきた。
 余りの唐突さと勢いに、本来侵入者を警戒すべき戦闘要員であるクワトロやノアも唖然としたまま動けない。

「すいません! 実はさっきから盗み聞きしていまして、入るタイミングを探っていたのであります!」

「……そこまで開き直られると糾弾する気がなくなりますね。っていうか、マニャン語上手すぎませんか?」

「恐縮であります! 不肖ナユタ、凡人ですので、今回の遠征の為に一生懸命勉強したであります!」

 一切恐縮している様子はないナユタは、ユグドに敬礼した後、セスナにその大きな目を向ける。

 そして徐にセスナの傍まで近付き、手を取って半ば強引に握手を交わした。

「やっぱり、貴女だったでありますか。セシル」
「……セシル?」

 その場にいる全員が、ナユタの発したその呼び名に耳を疑った。











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