音楽国家ホッファーはその冠の通り、音楽の発展と普及に特化した国であり、それは自他共に認める特色として広く知れ渡っている。
 しかしながら、ホッファーの本当の姿を知る者は国内においても極めて少ない。

 ホッファーには"芸術の国"とは違った一面がある。
 音楽に力を入れているから、侵略や自衛といった軍事面には余り注力していない――――と見なしている者が大多数を占めているが、実際にはその限りではない。
 何故なら、この国は侵略国家エッフェンベルグ、帝国ヴィエルコウッドといった強国に挟まれた位置にあるからだ。
 
 現在、エッフェンベルグは侵略国家の名を持ちながらも他国への侵略行為を控えている。
 ヴィエルコウッドもその強大な権力を発揮する機会は少ない。
 だが、必ずしもそんな平和な時代が続くとは限らない。
 もしこの両国が戦争でも始めようものなら、その両国に挟まれたホッファーが戦場になる可能性は高い。
 少なくとも、自衛の為の戦力は常に備えておく必要がある。

 とはいえ、音楽国家で戦闘技能の高い兵士が大勢育つ筈もなく、また武器や防具の製造能力に関してもエッフェンベルグやヴィエルコウッドとは比ぶべくもない。
 そこで、ホッファーの軍事組織を束ねる最高司令官は発想の転換を試みた。
 音楽国家だから無理なのではなく、音楽国家だからこそ出来る国防がある筈だ――――と。

 最も戦闘向きで、最も殺傷力があり、最も戦闘、戦争時に有効利用できる音楽は何か。
 それを突き詰めた結果、彼はホッファー最大の禁忌と言われている〈魔曲〉の存在に行き着いた――――

「……魔曲を軍事利用している?」

 辻馬車で移動中、忙しなく揺れ動く景色を眺めていたユグドは、やたら物騒なセスナの言動に思わず眉頭の間隔を狭めた。

「魔曲は元々、祭礼とか奉祝とかの為、健全な目的で作られた楽曲が大半っしょ。ある特定の曲について、それを聴いて体調を著しく崩したり、命を落としたりした者が続出した場合、結果論でそれを魔曲と呼ぶようになるっしょ」

「い、命まで……?」

 馬車酔いなのか、セスナの話の内容が原因なのか、スィスチの顔が青ざめている。
 その隣に座るクワトロも、若干顔が強張っていた。
 
「ま、それは極端な例っしょ。ただ、前にスィスチが言ってた『幽霊が出る』みたいなのは、どっちかってーと罰則の方っしょ」

「罰則って……どゆことにゃ?」

 セスナの隣に座るユイが首を大きく捻る。
 ちなみにこの馬車の座席は二人用の為、ユグド一人だけがアクシス・ムンディとは無関係の乗客と一緒に座っている。

「魔曲は基本、どれも恐ろしく複雑な構成の曲で、それを全パート楽譜通り完璧に演奏する事でようやく成立するっしょ。だから演奏を失敗する事も多いっしょ。その場合、失敗した奏者になんらかの負の作用が出現するっしょ。死んだおばあちゃんが化けて出るとか」

「……予想以上に禍々しいものなんですね、魔曲って」

「だからこそ"魔"曲っしょ。ま、そのリスクがあるからこそ奏者は魔曲を聴いても無事でいられるっしょ。ある種の契約みたいなもんっしょ」

 セスナは肩を竦め、達観したような表情で嘆息した。
 魔曲がどれほど恐ろしいものなのかは、その言葉を口にして以降のセスナの態度が物語っている。
 これほど元気のない状態を継続したセスナは、ユグドもそれ以外のメンバーも初めて目にした。

「しかし……聴く者の体調を悪化させる、最悪の場合には死すら呼び込むとなると、確かに軍事利用されても不思議ではない。何よりも厄介なのは、曲である点だな」

「どういう事? クワトロ」

「うむ。戦場において"音"というのは、実は非常に大きな影響をもたらすものだ。掛け声、勝鬨、悲鳴、嗚咽……そういった耳から得る情報は、意外と士気に関わってくる事が多い」

 腕組みしながらスィスチに解説するクワトロの後ろの席で、ユグドは納得したように一つ頷く。
 といっても、クワトロのように戦闘経験豊富という訳ではないので、自身の体験から納得を得た訳ではない。
 戦場という、極めて緊張感の高い空間において、聴覚を刺激される意味。
 ユグドはそこに視点を置いていた。

 人間は何かと視覚に頼りがちだが、視覚は目を瞑る事で簡単に遮断できる。
 逆に触覚は遮断が困難だが、距離をとる事、鎧など分厚い物で身体を覆う事で限りなく刺激をゼロとする事が可能。
 嗅覚は息を止めれば遮断できるし、味覚は口に物を入れなければ刺激は受けない。
 そして、聴覚も耳を塞ぐ事で遮断可能――――ではあるが、実際には耳を手で塞いだ程度で音を遮断するのは難しい。
 特に大きい音の場合は、耳栓などでどれだけしっかり塞いでも漏れ聞こえるものだ。

 戦場において『聴くだけで体調が崩れる楽曲』が流れたとしたら、間違いなくそれは強力な兵器となるだろう。
 ただ――――

「クワトロの言うように、回避が困難な攻撃っしょ。でも攻撃する側にも障害が少なくないっしょ」

 そのセスナの説明にも同意せざるを得ない。
 魔曲を演奏するには大勢の優秀な演奏家が必要。
 演奏する間は当然ながら無防備だ。
 準備に時間もかかるし、効果が曲のどの時点で出るのかによっては膨大な時間が必要となる事も考えられる。
 仮に即効性だとしても、相当条件を絞らないと有効利用はできない。

「うむ。加えて、聴く者皆が巻き込まれるのであれば敵味方が入り交じる戦場では使用できぬしな。敵陣との間に川や壁、崖などの障害物がある場合にのみ有効、といったところか」
「もう一つ。演奏会もですね」

 そのユグドの言葉に、セスナの身体がピクッと動く。

「ふむ……演奏会と称し、標的を欺いて招き魔曲を聴かせる、か。暗殺や洗脳には最適な方法かもしれぬな」
「ええ。その場合、証拠を残さない為に演奏が終わって暫くしてから効果が現れる……つまり遅効性ならより有用ですね。そこの所どうなんです?」
「可能っしょ」

 言葉少なに、しかし言い淀みなくセスナは断言した。
 
「魔曲の軍事利用が始まってから、ホッファーの軍隊に〈魔曲軍〉が追加されたっしょ。そこで既存の魔曲をカスタマイズして、武器としてより扱いやすいよう研究されてるっしょ」
「随分詳しいんですね」
「これでも魔曲演奏家っしょ。魔曲軍がやってる事は嫌でも耳に入ってきたっしょ」

 ウンザリとした口調で、セスナはそう吐き捨てた後――――

「……まあ、魔曲の演奏経験を売りにしてる時点であーしも同類かもしれないっしょ」

 自嘲気味にそう漏らす。
 その間も、辻馬車は目的地へ向けて速度を緩めない。
 景色は次々と移り変わり、時の流れを具現化しているかのよう。
 ユグド達は暫く、その流れに身を委ねていた。
 静かに。
 それはもう、とても静かに。
 誰も何も言わないので、本当に静かに。

「……は、薄情っしょ! 誰一人としてフォローしないっしょ! こういう時は『お前はそんなヤツじゃないよ』って言うもんっしょ!?」

「いや、どちらかと言うとセスナは"そんな人物である"と思うのだ」

「や、やめるっしょ! クワトロが言うと冗談に聞こえないっしょ! スィスチ、頼むからフォローしてっしょ!」

「私は、過去の行いがアレだから、他人の事どうこう言える立場にないし……」

「奥ゆかしいフリして逃げやがったっしょ! コイツ等、こういうトコあるっしょ! 年食ってる割に大人げないっしょ!」

「年食ってる……?」

「あ……し、失言っしょ」

 決して言ってはいけない言葉を勢いで言ってしまったセスナは、しばらくスィスチの方から聞こえるキリキリという謎の異音に怯え、ブルブル震えたまま椅子の上で小さくなっていた。

「でもセスナ、今回の依頼がどうしてその魔曲と関連があるって思うにゃ? ユグドの推察はあくまでも可能性の問題にゃよね?」

「ええ、明日の演奏会がそうだと言い切れる理由は今のところありません。セスナさん、何か根拠があるんですか?」

「それは……怪しいからっしょ」

 怪しい――――そのセスナの言葉に、ユグドは微かな違和感を覚えつつも説明の続きを無言で待った。

「守人の家でも言ってたけど、ホッファーの楽団がわざわざマニャンの民間団体に護衛を依頼するのは妙っしょ。自国の護衛を入れたくない理由があると判断するのが妥当っしょ」

「確かに……ね」

 冷静さを取り戻したスィスチの相槌に、ユグドも同意する。
 ここまでの説明に理論の綻びはない。

「それに、自宅までの護衛を要求している事も怪しいっしょ。護衛っていうより、見張らせているみたいっしょ」

「ふむ……どうやら話が見えてきたようだな」

 先走った解説がしたいのか、クワトロがソワソワしている。
 しかしユイがまだ理解できていない様子で目を泳がせている為、ユグドは目線で自重を促した。

「えっと、つまり相当怪しい事をしようとしてる可能性があるって訳よね。で、その"怪しい事"と"ホッファーの楽団"ってのを結び付けた結果、真っ先に疑うべきなのが魔曲って事?」

 でも結局スィスチが解説を入れた為、クワトロは不満そうにユグドを睨む。
 もうすぐ40歳を迎える剣士の子供っぽい挙動に、ユグドは思わず溜息を漏らした。

「その通りっしょ。もし魔曲を演奏するつもりでいるのなら、護衛をホッファーじゃなくマニャンのあーしらに依頼したのも、家まで送り届けろってのも辻褄合うっしょ」

「他国の者なら魔曲の存在を詳しく知らぬ故に仕事を受けやすい。自宅までの護衛は秘密漏洩の監視、または魔曲による負の作用で帰宅途中に倒れる可能性を憂慮して、なのだろうな」

「そして魔曲を演奏するとしたら、その理由は招いた客を殺すか洗脳する為……だとしたら演奏会のお客さんは要人の線が濃厚ね」

 クワトロとスィスチの見解にユグドも異論はなく、小さめに頷く。
 セスナが魔曲を連想した理由はこれで判明した。
 魔曲の存在を知り、尚且つ今回のような特殊な内容の依頼がホッファーの楽団から出された以上、その可能性を疑うのは確かに正常の範囲内。
 けれど、ユグドは完全には納得していなかった。

「でも、ホントに魔曲が絡んでくるなら、この人数じゃちょっと心許ないわね。こんな時に限って半数が戦力外ってねえ……」

「どいつもこいつも虚弱にゃ。ユイなんて毎回元気モリモリにゃのに」

「その割に、印象に残る活躍が少ないですよね、ユイさんって」

 どうしても無視できない発言があった為、一度嫌疑を頭の隅に追いやり即座に指摘。
 結果、ユイがふかーっと威嚇し始めた。

「酷い事言われたにゃ! っていうか、ユグドだって言うほど活躍してないにゃん! いてもいなくても大して変わらないにゃ!」

「オレがいなかったら、代わりの交渉士は多分リーダーが務めるんだけど……それでもいいんですか?」

 そんなユグドの恐ろしい仮定に、ユイは電撃でも受けたかのように固まり、そして椅子からズルズルと落ちていく。

「か、完全敗北にゃん。ぐうの音も出ないほど論破されたにゃ」

「あのね……前々から思ってたけど、アンタ等ってリーダー弄り過ぎじゃない? あれでも結構人望あったり、良いトコあるのよ?」

「それ全部わかってる上での事なんですけどね」
 
 スィスチに向かって苦笑した後、ユグドは珍しくリーダー弄りに乗ってこないセスナを視界に入れた。
 彼女にとって、今回の依頼が乗り気でない事は既にわかっている。
 ただ、それ以上の"何か"が彼女に苦心を植え付けているようにも見えた。
 
 セスナは自分の過去を殆ど語らない。
 アクシス・ムンディに加入する者の多くがそうであるように。
 今回の依頼で、もしかしたら自分の過去が露見するかもしれない――――そんな畏れを抱いているのでは、とユグドは勝手な憶測を抱いていた。
 勿論、当たったからといって何かが貰える訳でもない、無意味な推察なのだが。

「ところでユグドよ。我々は何処へ向かっているのか、そろそろ教えてはくれぬか? 楽団の演奏会場とは何処なのだ?」

「そうですね……そろそろネタばらししておきましょっか」

 特に秘密にしておく理由もないので、ユグドは素直にクワトロの質問に答える事にした。
 その場所は――――

 


「……へえ、ここがあの大聖堂。噂以上に立派ねー」

 ――――マニャンの首都、ハオプトシュタットの外れにあるティーア大森林の中に堂々とそびえ建つゲシュペンスト大聖堂。
 名のある楽団の演奏会は教会で行われる事も多く、今回はマニャンでも最大の規模を誇るこの大聖堂が会場に選ばれたという。

 通常、森林内にあるこの大聖堂で演奏会が行われる事はない。
 立地的に、聴衆を招く事が困難を極めるからだ。
 当然、馬車などの乗り物で大聖堂の手前まで訪れるという訳にはいかないので、徒歩での来場が必須となる。

 しかもこのティーア大森林にはつい先日、バイコーンが出現したばかり。
 自然に囲まれた美しいロケーションと荘厳かつ広大な空間で行われる音楽国家の楽団による演奏会――――確かに組み合わせとしてはこの上ないが、興行として見るならば、疑問の余地がある選択だ。
 だからこそ、ユグドはセスナの言葉に一定の信憑性を認めていた。
 ここを敢えて選ぶ意味、そこに"魔曲"というピースが当てはまるのでは、と。

「この様式だと、かなり昔に立てられた建築物よね。足場の土もしっかりしてるし……掘れば質のいい鉱石が出てくるかもよ」
「演奏会の会場を荒らさないで下さいよ……にしても、人の気配がないですね。オレ達が最後に到着する予定だったんですけど」

 スィスチが考古学者らしく大聖堂の建築様式や地面の土質に目を向ける最中、ユグドは聖堂の入り口の扉を軽くノックし、反応を確認。
 しかし返事はなく、物音も聞えてこない。

「中には誰もいないにゃ。向こうの離れに司教のオッちゃんがいるにゃん」

「って事は、到着が遅れてるみたいですね。依頼主も助っ人も」

 助っ人――――しれっとそう呟いたユグドに、全員の視線が集中。
 訝しげな顔が並ぶ中、クワトロが真っ先に答えを思いついた。
 
「さてはラシル殿に助けを請うたのだな? 彼女は定期的にこの大聖堂の警備をしていると聞く。ならば自然の流れであるな」
「いえ……なんか否定し辛い先走り方されましたけど、違います」
「ぬう、無念」

 クワトロは割と真剣な顔で膝をついた。

「ま、確かにこの広さを護るとなると五人じゃ心許ないわね。でも、私もてっきりラシルさんだとばかり……」
「上空を移動できる龍騎士はここの護衛には最適にゃん。それ以上の人材を確保するなんて、ユグドすっげーにゃ」
「うむ。ラシル殿ではなく敢えてそちらを選んだのならば期待せざるを得ぬ。恐らくは国内有数の実力者。いや、大陸でも指折りの猛者に違いあるまい」

「あ……あのー……」

「もしかしてあの人じゃない? 皇帝ノーヴェ=シーザー。最近よくウチに遊びに来てるし」
「ユイはその皇帝が逃がしたベインとかいう悪いヤツだと思うにゃ。ユグド、意表を突くの好きだから間違いないにゃん!」
「我は伝説の存在として世界的に知られる、あの不敗の王〈統べる者〉ではないかと推察する。人前に姿を現す事はほぼない伝説の御仁であるが、ユグドならば或いは」

「え、えっと、その……」

 期待に胸を膨らませ過ぎて妙なテンションになっているスィスチ、ユイ、クワトロの三人がこぞって大物の名前を出しているその傍らで、一人の女性が泣きそうな顔をしていた。
 長い黒髪、若干目つきは悪いが整った顔立ち、そして女神の首飾りブリーシンガメンを首に下げているその人物の名は――――ノア=アルカディア。
 傭兵国家メンディエタの王家に仕える侍女だったが、色々あって王族と共に放浪の旅に出ており、今は路銀稼ぎの仕事を探しマニャンに留まっている。

「あ! もしかしたらメンディエタを支配したっていう魔王かもよ? ユグド、魔王みたいなの味方に引き入れるの得意そうじゃない?」
「そうかもにゃ。それ本命だにゃん」
「魔王か……果たして円滑に意思疎通が出来る相手なのだろうか。少々心配であるな」

 そのノアに気付く事なく、三人の盛り上がりは頂点に達していた。

「……ユグド。何で私、自分が倒そうとしてる魔王にされちゃってるの?」
「オレだって魔王を味方に引き入れる特技なんてないんですが」

 最早ノアの名前を出す事が罪になりそうなほど膨らみまくった期待を持て余し、顔を引きつらせる二人。
 その後ろで、セスナは終始無言のまま俯いていた。

 ――――依頼主の楽団が到着したのは、助っ人がノアと知った三人による愛想笑いが暫く続いた直後だった。












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