中立国家マニャンはルンメニゲ大陸の中央に位置する小国で、北に侵略国家エッフェンベルグ、西に伝説国家ブラン、東から南にかけて音楽国家ホッファーと隣接している。
 内陸国なので海からの入国はなく、基本的にはこの三国との国境に設けられた関所を通過して行き来することになるが、関所の手続きにかかる時間はそれぞれの国境によって異なる。

 基本、大らかな性質のブランは割とあっさり通過できるが、エッフェンベルグは警備が厳重な為、身分証明に時間を要することも多い。
 ホッファーは芸術の国とあって、神経質な役人が多い点が問題で、すんなり通れることもあれば無駄に時間を割くこともある。

 このような事情があるため、他国からマニャンへ遠征する際には大抵、ブラン⇔マニャン間の関所が使われる。
 ルンメニゲ大陸東部の国からの遠征でも、敢えて海路を使い一旦ブランを経由してから入国する方が早く着くくらいだ。
 
 しかし、エルフレド会議100周年記念式典を四日後に控えたこの日、ブランとの国境には普段とまるで違う物々しい警備兵たちの姿があった。
 
「ユグド様! ユグド様! ユグド様! お久しぶりです!」

 そんな中、場違いなほど明るい声が関所内に響きわたる。
 栗色の髪と細身の身体、明るい笑顔。
 ユグドは自分の名を連呼するその女性――――パール=チャロアイトに向かって控えめに手を振り返した。

 以前は赤と黒の細い布を身体中に巻いた歪な格好だったが、流石に今回は由緒ある式典への参加とあってか、控えめながら気品に満ちたダブレットとスカートというまともな格好。
 少し男性的な点もパールに似合っている。
 そんな彼女の傍には、一目で彼女の母親だとわかるくらいそっくりな顔立ちの女性が朗らかな表情で立っていた。

 商人国家シーマンの女王エメラ=チャロアイト――――と、その娘。
 当然ながら国賓であり、普通なら宮廷が奉迎すべき相手なのだが、今回はシーマン側の意向により民間の護衛組織、つまりアクシス・ムンディが迎えることとなった。

 ただ、これは異例の事態という訳でもない。
 今回のような世界的な式典がマニャンで行われる場合、各国から首脳が同時期に入国する為、出迎える人物の身分によってどうしても序列が生まれてしまう。
 中立国家としては好ましいことではなく、それなら宮廷以外から派遣した方がまだ筋が通るということで、このようなケースは偶にあるようだ。

「この度は中立国家マニャンへお越し頂きありがとうございます。深い感謝の念と共に、シーマンとアクシス・ムンディの更なる友好関係を築くべく、誠心誠意案内させて頂きます」

 国を代表しての出迎えとあって、ユグドは恭しく一礼し二人に敬意を示した。
 当然、女王と王女が二人だけで移動する筈もなく、その周囲には関所の警備兵以上にピリピリしたシーマンの護衛団が陣取っている。
 彼らにしてみれば、いくら王女たっての希望とはいえ、民間の護衛組織に対応されるというのは面白くないのだろう。

 だが――――その空気は関所を出た瞬間、一変する。

「上空、異常なしなのじゃ」 

 外で待っていたのは、巨大な翼を休ませ優雅に佇むハイドラゴンと、美しい銀髪を風にたなびかせ腕組みする凛然とした女性――――龍騎士ラシル。
 その姿と名声は、大陸から離れた海域に浮かぶ島国シーマンにも届いているらしく、シーマンの護衛団はラシルを一目見た瞬間に硬直し、瞬時にその顔を引き締めた。

「御后と姫君は、妾が責任をもって護衛する。この命に賭けて」

 決してシーマンが軽んじられている訳ではない――――ラシルの言にその事実を理解した護衛団は溜飲を下げたらしく、敵意にも似た雰囲気は収まった。

「あたくしもいましてよ!」

 それでも何処か足元の定まらない微妙な空気が流れる中、場違いな声が鋭く関所前の空間を揺らす。
 一瞬警戒心を閃かせた護衛団だったが――――リュートの背後からニュッと出て来た声の主を目の当たりし、あんぐりと口を開けた。
 
 理由は二つ。
 声の主の身分と行動だ。

「ローバ王家に代々伝わる歓迎の舞ですわ! 御覧あそばせ!」

 美術国家ローバの王女、フェムが軽やかに舞う。
 絶妙な脱力と細部にわたる流暢な所作、そして手足のしなり。
 一流の舞踊家といって差し支えない技術を惜しげもなく披露したフェムは、優雅に微笑みパールの元へ歩み寄る。 

「フェムちゃん! フェムちゃん! フェムちゃん! 本当にアクシス・ムンディに加入するなんて……!」
「よくってよ。あたくし今充実していますの。王家では味わえない緊張感が、あたくしの舞にキレを生んでますのよ」

 会話になっていない会話で盛り上がる二人を余所に、ユグドはパールの隣に立つ女王エメラと向き合い、胸に手を当てた。

「では、案内します。まずは宿に行きましょうか。馬車はこちらです」
 
 
 


 現在、アクシス・ムンディは六つの依頼を同時に抱えている。
 その中の一つが、この『商人国家シーマンの王族護衛依頼』。
 エルフレド会議100周年記念式典の四日前〜式典翌日までの計五日間、パールとその母親エメラを護衛しながらマニャンの観光案内を行うという内容だ。

 報酬は五日間で5万クラウン。
 一般的な傭兵の年収と同程度の額であり、一日あたりの報酬額としては破格の値段設定となっている。
 ちなみに、以前の武器万国博覧会護衛の際にユグドがチャロアイト家に請求した慰謝料については――――

「貴方が、あの法外な慰謝料を請求した"噂のユグド君"でしたのね。予想していたよりも利発そうなお顔立ち」

 エメラの指示で、既に全額アクシス・ムンディに支払われている。
 尤も、海賊たちに請求した船の修理費等に回収の見込みがない為、そちらの補填に使わざるを得ず、アクシス・ムンディの資金が潤うことはなかったが。

「もっと極悪非道な面構えを想像していましたか?」
「ええ。パールちゃんを食いものにするような、ひっどいのを」

 巨大な四輪大型馬車の客室でユグドとエメラは隣り合い、他愛ない歓談に興じていた。
 前の席では、フェムとパールが楽しげに何か話している。
 王族用の高級な馬車だけあって、通常の馬車より揺れはかなり少ないが、それでも前の席の会話が聞き取り難い程度の蹄の音は鳴っており、内容までは聞き取れない。

 その馬車の遥か上空を、ラシルとハイドラゴンのリュートが飛ぶ。
 馬車の前後には護衛団の乗った馬車が付き添い、危険の種がないか目を光らせている。
 龍騎士の護衛は例外的だが、それ以外は王族の移動風景としては標準的とも言える光景だ。

「ところでユグド君。貴方、22の遺産に興味がおあり?」
 
 不意に――――エメラは涼しげな目でユグドにそう問いかけてきた。
 まだ十代半ばのパールの母親とあって、年齢は40前後と推察されるが、童顔かつ小柄な外見は20代と言われても不自然ではないくらいに若い。
 その小悪魔的な微笑みに、ユグドは軽く目眩を覚えた。

「聞くところによると貴方、私達のスキーズブラズニル以外にも遺産と関わっているらしいじゃない? ノーヴェ=シーザーとも親しいというし……もしかしたら、って思って」

 よく調べている――――ユグドは目眩の理由を自覚し、刺激を与える為こめかみを指の関節部で軽く小突く。
 商談の際、厄介な相手との交渉の時に陥る感覚とよく似ていた。
 返答次第では厄介なことになるという予感――――

「……ありませんよ。今のところは」
「あら。将来興味を持つ予定でも?」
「貴女の言うように、何度か関わってしまってますからね。望まずともそうなる可能性は否定できません」

 こういう場合は、五割ほど本音を喋るに限る。
 経験則から、ユグドはそう判断した。
 
「それもそうね……なら、予定通りの忠告ができそう」

 果たして判断は正しかったのか、否か。
 それすら容易に理解させてくれないエメラの表情は、喜怒哀楽のどの感情をも除外した、それでいて朗らかな外面を崩さないままの様相で、ユグドをじっと見据えていた。

「今後、遺産に関わるのはお止めなさい。その方が貴方の為よ」

 言葉自体は、誰でも予想できるありきたりなもの。
 闇船スキーズブラズニルの所有権で帝国ヴィエルコウッドと揉めているシーマンの女王という立場で、皇帝ノーヴェの関係者に22の遺産について話すならば、これ以外の内容は考えられない。
 だからこそ、ユグドは一抹の不安を覚えた。

「確かに、物騒な物ですからね。世界征服の為に開発された呪いの武具、でしたっけ」
「あら。そのように聞かされていたの?」
「……違うんですか?」

 その不安が的中しそうな展開に、ユグドは心中で嘆息を禁じ得ず、気分の悪さに顔をしかめる。
 一方、エメラの前方に座るパールはフェムトのお喋りに夢中になっており、ユグド達の剣呑とした雰囲気には気付いていない。

「世界征服なんてある意味、夢物語でしょ?そんなものの為の物じゃないの。22の遺産は、人間を鏖殺する為の物よ」
「鏖……殺?」

 物騒な言葉なのは、世界征服も鏖殺も変わらない。
 しかし意味合いはまるで違う。
 支配ではなく、根絶やしにすることが目的だとしたら、22の遺産を作ったドラウプニル教団とはどのような邪神を祀っていた宗教団体だったのか――――

「なんて、ね。脅し文句としては中々真に迫ってたでしょ?」

 ニカッと、冗談でしたーと言わんばかりに脱力した笑みを浮かべるエメラ。
 しかしそれを鵜呑みにするほど、ユグドは単純な性格ではない。

「女王様は女優の才能もあるみたいですね。舞台に立てば客が入りますよ」

 娘の手前、これ以上深い話はすべきでないという親心と判断し、それでも敢えて乗ることにした。
 そんなユグドの意図を酌み取ったのか、エメラは笑みを消し、ユグドの目をじっと睨むように眺める。

「でも、ノーヴェ=シーザーを無条件で慕うのはお止めなさい。確かに彼は覇王の器。仮に今すぐ世界が危機に瀕したならば、私は彼を世界の指導者として推挙するでしょう。けれど……彼の卓越し過ぎた行動力と、対照的なほどの支配欲のなさは危険よ」
「支配欲のなさは本当、一級品ですね。あの人、完全に求道者ですから」
「だからこそ、22の遺産に呑まれかねない。危険人物よ」

 エメラは真顔で諭す。
 彼女が何を知っていて、どんな立場で物を言っているのか、ユグドには図りかねていたが――――

「オレは、別にあの人を慕ってはいませんよ。面白い人ですから嫌いじゃないですけどね。少なくとも、帝国の皇帝なんて立場にいる人間に背中を預けたりはしません。勿論、貴女が幾ら魅力的な女性でも同じです。女王」

 図る必要もない。
 ユグドは珍しく本心だけでも問題ない回答を唱えながら、とても爽やかに微笑んでみせた。
 その直後――――

「……貴方、パールのお気に入りみたいだけれど、ノーヴェ=シーザーとは別の意味で危険人物みたいね。難儀なこと」
「お母様!? お母様!? お母様!? そんな私、お気に入りなんて……!」

 爽やかさとは対極にある盗み聞きという行為が発覚した。 

 


『商人国家シーマンの王族護衛依頼』の拘束時間は日中のみ。
 女王も王女も基本的に夜間は宿の部屋から出ず、部屋の前や宿の周辺はシーマンの護衛団が目を血走らせて警備にあたる為、アクシス・ムンディの出番はない。
 その為、日が暮れてからはラシルと共にリュートに乗り、人数が不足していそうなチームと合流する予定になっている。

「やれやれ、まさかここまで依頼がかち合うとはのう……好意での行動が必ずしも報われぬのは、五百年前も今も変わらんのじゃ」

 リュートの背上で嘆息を漏らすラシルに、その後ろでラシルの身体を抱くようにして身体を固定させているユグドは苦笑を禁じ得ずにいた。

「でも、お陰でこうして替えの利かない機動力を得ましたから、感謝してますよ」 

 理不尽だと怒りつつも、こうして力を貸してくれる律儀さは美徳。
 ありがたくもあり、同時に嬉しくもある。
 
「フン。貴様には少なからず後ろめたさというか……借りがあるからの」
「この指のことですか?」

 ラシルの腰を抱えるユグドの両手の指は、いずれも一本ずつ欠損している。
 その主犯となったことを、ラシルは気に病んでいるようだ。

「その割に、随分と明るい自供だったような……」
「敢えて明るく振舞い、同情を誘う悲壮感を生まなかった妾の真摯な姿勢が見え隠れした名場面じゃったの」

 以前、今と同じようにリュートの背中で語り合った時の事を想起し、ユグドとラシルはめいめい異なる色の笑い顔を作った。

「……で、次の依頼先はどこじゃ?」
「ティーア大森林です。北東の方角ですね。なんでも、バイコーンを保護したいから手伝えとかいう依頼でした」
「バイコーン? 確か絶滅危惧種の二角獣じゃったか。自然の摂理に任せておけぬあたり、人間の利己主義が前面に出た腐れ依頼じゃのう」

 ラシルの言うことも一理あったが――――

「バイコーンは動物と言われています……不純を司る。しかし決してありません……そんな事は。その汚名を残したまま絶滅など極みだと思いませんか……悲劇の」

 そんな依頼人の言葉も、用法がおかしな倒置表現を除けば一理有るものだった。
 彼の名はムナイ。
 自然保護団体の一員で『稀少動物保護観察員』という肩書きを持ち、動物と心を通わせる事が出来るという23歳の青年だ。

「小生は危ぶまれる動物たちと接する内に悟ったのです……絶滅が。彼らは種が消えかかっているのを察し、本能的に怯えているのでしょう……自分たちの。小生は彼らの意思を汲み、彼らを外敵から使命なのです……守るのが」

 ボサボサの茶色い髪と糸のように細い目、そして妙にユラユラと揺れる佇まいが特徴的だが、そんな外見などこの間怠っこしい言い回しに比べたら特徴とすら言えない。
 終始そんな面倒な口調で説明やら愚痴やらを聞かされていたアクシス・ムンディの派遣員、ユイとセスナは一日目にして既に目が虚ろだった。

「ユグド……助けてにゃん。このままじゃ喋り方に殺されるにゃー……」
「あーもう"いーっ"てなる"いーっ"て……殴って止めさせようとしても当たらないし……素早すぎるっしょ」

 振り切った変人相手ならまだ諦めもつくが、中途半端に間怠っこしいムナイの話し方は真綿で首を絞めるようにジワジワと精神を摩耗させる。
 しかも本人にその自覚はないらしく、草刈り用の鎌を振いながら熱弁も振う。
 ユグドは眉間を揉みながら、現状の解説を促した。

「今のところありません……手がかりは。まだバイコーンの見つけていません……足跡も。目撃情報はあるものでしたからいない筈がないと思うのですが……信憑性の」
「……目撃情報というのは、どんな内容なんですか?」
「バイコーンは敏感な生き物で、反応し戦闘態勢をとります……悪意に。その性質と一致するのです……証言が。バイコーンを見つけて狩ろうとし、重傷を負ったのです……愚か者が」

 その愚か者が目撃者なのは想像に難くない。
 確かに信憑性のある話ではあった。

「迷信だと知らずに不純の象徴とし、バイコーンの角を呪いの道具として悪用したり、禍々しい材料としたりする者もいます……武具の。ああ、彼らの聞こえてきます……慟哭が」

 ムナイの身体が怒りの余り震え、その輪郭がぼやけて見える。
 怒りそのものは正当なものだが、彼の話を聞く度にこの場にいる全員が頭痛を覚えてしまう。
 非常に厄介な職場だった。

「そろそろ終わりにしましょう……休憩は。バイコーンはユニコーンと違い近付けますので二人とも頑張りましょう……処女でなくても」
「ニャッ!? ヒドいセクハラを受けたにゃん!」
「ユグド、交代するっしょ! こんなんの護衛とかもう無理だし! 無理だーし!」

 ユグドはなるべく関わり合いになりたくないタイプの人間だと瞬時に悟り――――

「ここは人数的に問題なさそうですね。それじゃ、オレはこれで。二人とも頑張って下さい」

 ニッコリと笑みを見せ、一瞬でリュートの背に移動した。

「は、迅いっしょ……! あんなユグドの高速移動初めて見たし!」
「薄情にゃーっ! ユグドってそういうトコあるにゃー!」

 飛び交う怒号を無視し、ラシルと共にユグドが向かった次の依頼先は――――ゲシュペンスト大聖堂。
 ティーア大森林のすぐ傍にあるアランテス教の大聖堂だ。
 
 邪教を含む様々な宗教が氾濫している宗教国家ベルカンプとは違い、マニャンの国民が信仰する宗教の殆どはアランテス教。
 ただ、魔術国家デ・ラ・ペーニャとは比ぶべくもなく、そもそもマニャンにおいては宗教自体が余り活発ではなく、教会や大聖堂の数もそれほど多くはない。

「その中にあって、このゲシュペンスト大聖堂は芸術性の高さから世界的な評価を受けている数少ない建造物でして。余りよからぬ噂が流れて欲しくないのが本音なのです」

 この大聖堂を管理する教区長、ドイス=イニミーゴ司教は大聖堂の廊下を歩きながら、丁寧かつ気さくな口調でユグドとラシルに依頼理由を説明した。
 アランテス教会は世界各国に教区を設け、それぞれの区域に教会や大聖堂を建造し、司教、司祭に管理させている。
 司祭より身分の高い司教が管理する教区は、それだけアランテス教が重視している区域だ。

「本来なら、任された妾が警備すべきなのじゃが……」
「何を仰います。ご配慮を頂き、しかもこうして信頼できる方々を紹介して頂けたのですから」

 齢60を越える翁のドイス司教が、ラシルへ恭しく頭を下げる。
 年齢的には何の齟齬もない一場面だが、視覚的には違和感ばかりが目につく光景。
 ユグドは敢えて意識しないように心掛け、ドイス司教にのみ目を向けた。

「次の機会にはラシルさんの紹介抜きで信頼して頂ける、そんな仕事が今回できればいいのですが」
「そう願いたいものです。今のところ、何も問題はありませんよ」

 依頼期間は二週間。
 まだ半分も経過していないが、感触は悪くない。
 ユグドは内心安堵しつつ、目の前に迫った大聖堂の出入口の扉を開ける。

「チトルさん、お疲れ様です」

 夜空に映えるその大聖堂に寄り添うように、鎧っ娘チトルは一人で仁王立ちしていた。
 全身甲冑かつフルフェイス型の兜なので、遠目からは飾り物にしか見えない。

「どうでした? 首尾は」
「……」

 返事がない。
 ドイス司教の目に猜疑の色が滲むのを察し、ユグドは躊躇なくチトルの脳天をこん棒でズドンと殴りつけた。

「はうっ!? チトル寝てませんねてー! おめめパッチリですおめー!」
「どうでした? 首尾は」
「ふあっ、ユグドさんですゆぐー。えっとですねえとー、今日はなんにもありませんでしたありー」
「……貴様ら、こんなやり取りを日常からしておるのか? 異常じゃの」

 ペッコリと凹んだチトルの兜を半眼で眺めつつ、ラシルは心底呆れた顔で溜息を吐く。

「酷いですひどー! この依頼はラシルさんの持ってきた依頼ですのにですー!」
「む……確かに。すまんのう、鎧娘。妾の代理、明日からも宜しく頼むのじゃ。寝ずにな」
「頼まれましたたのー!」

 ビシッと甲冑が敬礼する様子は、それなりに様にはなっていた。
 
 そんなチトルが入り口に立つ理由だが、実は不法侵入や強盗から大聖堂を守っているというだけではない。
 というのも、このゲシュペンスト大聖堂に関して最近、妙な噂が流れている。

 それは――――"出る"というもの。

 大聖堂の周辺で幽霊を見た、という目撃談が複数寄せられているらしい。
 当然、幽霊なんている筈もないと誰もが聞き流す程度の何処にでもある噂話ではあるが、ゲシュペンスト大聖堂が舞台となると話は別。
 マニャンが世界に誇る建造物だけに、良からぬ噂がこれ以上広がり国外にまで流れるのは避けたい。

 そこで、怪しい人影がいないか調べると共に、目撃者をこれ以上出さないよう一般人を大聖堂から遠ざける為、ドイスは警備の人間を配置すると決めた。
 マニャンではなく要塞国家ロクヴェンツの騎士であるラシルにこの話が行ったのは、ドイスとラシルが顔なじみだったことに加え、龍騎士という特性ゆえ。
 上空で龍騎士が目を光らせていれば野次馬も最小限に抑えられる、そう考えての事だった。

 しかし、ドイスはラシルへの野次馬が集う可能性を考慮に入れていなかったらしい。
 そこでラシルは自分の代わりに警備をしてくれる人物を募るべく、アクシス・ムンディにこの話を持って行ったわけだ。

「警備期間は二週間と長いからのう。当初の予定では、二、三人で代わる代わるやって貰う予定だったのじゃが……」
「現状では一人でやって貰うしかないですね。チトルさん、大丈夫ですか?」
「問題ありませんもんー! チトル、じっとしているのには定評があるのですていー!」

 ガッチョン、と甲冑を鳴らしつつも、チトルは微動だにしなかった。
 確かにこの妙技をもってすれば、定評があっても不思議ではない。

「にしても、幽霊とはまた随分と御伽噺チックな依頼ですよね」
「ユグドは幽霊を信じておらぬのか?」

 苦笑するユグドに、ラシルは真顔で問いかけてきた。
 その表情から察するに、ラシルは幽霊を信じているらしい――――そう判断し、ユグドは思わずたじろいだ。

「なんで引くんじゃ!? 幽霊はおるのじゃ! 呪いだの魔術だのが存在するんじゃから、幽霊がいても不思議ではなかろうが!」
「それとこれとは話が別ですよ……幽霊を信じても許されるのは5歳までです。0が二つ多いですよ」
「たわけっ! 幽霊は絶対にいるのじゃ! おのれ、死んだら幽霊になって化けて出てやるから覚悟しておけ!」

 頑なに幽霊を信じるラシルは、いきり立ったままチトルへと目を向ける。

「鎧娘! 貴様はどっちじゃ!? 幽霊の存在、信じるか否か!」
「……」

 返事がない。
 ラシルは躊躇なく、本当に何の躊躇いもなくチトルの脳天を龍槍ゲイ・ボルグでガスンと殴りつけた。

「はうっ!? チトル全然寝てませんよねてー!」
「……さっきのオレの行動に対する冷めた言動と視線はなんだったのか」
「はっはっは、ラシル様は昔からご自分を棚に上げるところがございます」

 冷めた視線のユグドと高らかに笑うドイス司教。
 そんな二人からラシルはプイッと顔を逸らす。

「フン。とっとと次に行くぞ」

 ここも人手は足りているようなので、次の職場へ赴くこととなった。

 


 今度の行き先は、マニャンの首都ハオプトシュタット。
 バルネッタの南西、馬車で丸一日かかる距離にある王都であり、エルフレド会議100周年記念式典が行われる都市でもある。
 マニャンの産業の大半は、この二つの都市が担っているといっても過言ではない。

 特にハオプトシュタットは、金融業をはじめとした近代的な産業が栄えている都市であり、その風潮は建築様式にも現れている。
 バルネッタと比べると垂直性の高い先鋭的なデザインの建物が多い。
 空中から眺めていると、まるで大地に向かって数多の槍を突き刺しているかのようだ。
 
「クワトロさん、リーダー」
 
 そんな近代都市にあって、レトロな雰囲気を醸し出している冒険者ギルド【アベント】の中に入ったユグドは、険しい顔つきで自警団と向き合っていた二人に声をかけた。
 これまで訪れてきた依頼先とは、明らかに空気が違う。
 事前に依頼概要を知らされていたラシルも、神妙な面持ちでユグドの隣に立っている。
 
「どうですか? 事態は進展しました?」
「……いや。難航している」

 クワトロが疲れた様子で首を横に振る。
 その隣にいるシャハト、更には自警団の面々も同じように疲労感を滲ませていた。

「ギルドの連中が非協力的なんだよなぁー。あいつら、仲間が殺されたっつーのに薄情なもんだぜぇー」

 夜間ではあるが、ギルド内にはまだ何人かのギルド員が残っている。
 シャハトはその連中に聞こえる声で、そう愚痴をこぼしていた。

 クワトロとシャハトが担当しているこの依頼の内容は――――殺人事件調査の護衛。
 つい二日前、このギルドに登録していた冒険者が何者かによって殺害された。
 区域内の自警団が調査をすることになったのだが、時期が時期だけに式典の中止を訴える過激派の犯行の可能性もあり、また自警団と傭兵ギルドとの仲が険悪という事情もあって、アクシス・ムンディに調査の護衛という仕事内容の依頼が舞い込んで来たようだ。

 仕事はあくまで護衛なので、事件の進展とは関係がないのだが、依頼の重複で人が足りない今のアクシス・ムンディにとって、拘束期間が長引くのは歓迎し難い。
 その結果、クワトロとシャハトも聞き込みなどを手伝っているらしいが、冒険者ギルドが協力を拒んでいるらしい。
 これ以上穿り回して、過激派の連中を刺激したくない――――そんな弱腰な姿勢が見て取れる。

「事件の詳細までは依頼書に書いてなかったんですけど、被害者は……?」

 ギルド員の冷たい視線を背中に感じながら問うユグドに、クワトロの顔が一層険しさを増す。

「駆け出しの冒険者との事だ」

 その事実に、ユグドも痛ましさを覚え眉間に皺を刻んだ。
 正義感や倫理観は明らかに人より薄いユグドだが、それでも子供が被害にあった事実、それに対し冷淡な姿勢のギルドに対しては憤りを隠せない。

「嘆かわしい事件じゃの……」

 それは、500年以上生きているラシルも同じ。
 視線を落とし、やりきれないという表情で心を痛めていた。

「……ここは明らかに人手不足ですから、手伝いますよ。明日の朝までですけど」
「いいのかよぉー。お姫様ご指名の案内があるんだろぉー?」
「朝までに戻れば問題ありませんから」

 つまり、寝ないという事。
 そんなユグドのさり気ない決断に、シャハトとクワトロは顔を見合わせ、小さく頷いた。

「では、事件現場へと向かおう。既に我らは一度足を運んでいるが、ユグドが見れば何か掴めるかもしれぬ」
「余り期待しないで下さいね……あ、ラシルさん。早朝からまたリュートを借りたいんで、今の内に休んどいて貰えると助かります」
「フン。500近く年下が徹夜で動くというのに、妾だけ楽をするのは癪に障る」

 それがただ単に負けず嫌いの性格から出た言葉ではない事は、ユグドも他の二人も直ぐ理解できた。

 護衛依頼と一言でいっても、その内容は多種多様。
 全身の力が抜けるような道化じみた仕事もあれば、心臓を鷲掴みされるような暗澹とした仕事もある。
 その全てが、アクシス・ムンディの仕事だ。

「それじゃ、オレはラシルさんと現場に向かいます」
「オレ様たちは馬だから、そっちが早く付くなぁー。詳しい場所、わかるのかよぉー?」
「地図で確認しましたから、問題ありません。それじゃラシルさん、頼みます」
「うむ」

 誇りではなく、そこにあるのは各々の目的意識。
 しかしその中に、衝動的な感情がない訳でもない。
 あらゆる思惑を胸の中で消化して、ユグドは冒険者ギルドの扉を開けた。











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