慎ま乳教団の邪教としての顔を知る人間は、教団内においても非常に少ない。
 彼らがドラウプニル教団の残した22の遺産を集めている事実は対外的には勿論、内部でも伏せられている。

 では、彼らの表向きの活動は何なのか。
 言うまでもなく『慎ま乳』の魅力を説き、同胞を増やすことを目的としているが、この目的は単なる嗜好の拡大に留まらないという。

「君は……慎ま乳の真の意味について考えたことがあるかね?」

 慎ま乳教団の教祖、グライム=ベノワルンは応接室の下座に腰かけながら、上座に座る客人――――ユグドに問いかけた。

「唐突で済まないが、我等『慎ま乳教団』の護衛をしようというのだから、慎ま乳についてどの程度の知識を有しているか知っておきたいのだよ。この答え次第では、貴殿の申し出を検討しよう」

 グライムの、まるで少年のような円らな瞳にユグドは内心狼狽しつつも、なけなしの知識を総動員して最適の答えを探した。

 ここは慎ま乳教団の拠点、慎ま乳神殿。
 宗教国家ベルカンプの首都、ホーフスタットの郊外にそびえ立つ巨大な神殿の奥にある応接室だ。
 
 ユグドがこんな怪しさ満点の場所を訪れた理由は一つ。
 慎ま乳教団との交渉を行い、メンディエタの元王族を奪回する為に他ならない。

 とはいえ、何の策もなく正面から乗り込んでも相手にすらされないだろう。
 そこでユグドは、アクシス・ムンディの交渉士として仕事の売り込みを行う形で面会を希望した。

 慎ま乳教団が22の遺産を求めているのなら、当然敵も多いだろう。
 当然、他の宗教との縄張り争いもある。
 護衛を雇うだけの理由は十分存在している。
 
「慎ま乳は……」

 ユグドの人生の中には一切、これっぽっちも関わりのない要素。
 だが、ここで説得力のある答えを提示できなければ作戦は成立しない。

 この教団の護衛という仕事を得れば、教団内にいる王族と接する機会も作れるはず。
 きっかけさえあれば、隙を見て彼らを逃がすくらいのことはできる。
 その為にも、交渉の失敗は許されない。

 ユグドは熟考し、そして――――

「慎ま乳は、人類の到達点です」

 そう淀みなく答えた。

 刹那、グライムの大きな瞳がクワッと見開かれる。
 ちなみに彼、目以外の外見は全て60を超えようという老人だ。
 目だけが異様に若々しい。

「その心は……?」

「人間は長い歴史の中で常に成長し、進化し続けてきました。世代を重ねる毎にムダをなくし、必要な機能だけを残してきました。ある共通の目的の為に必要な機能を」

「聞こうか」

 グライムは腕組みしながら、好奇心に満たされた顔で続きを促す。
 ユグドは一つ頷き、再び口を開いた。

「それは、種の保存、子孫の繁栄です。人間も他の動物や植物同様、究極の目的は種の保存。子をもうけ、育てる為に成長するのです。女性の胸もまた、その為に存在します」

「それは母乳という意味かね?」

 一切の笑みなく、真顔で問いかけるグライムに対し、ユグドは小さく首肯した。

「ですが、それだけに留まりません。女性の胸は、男性を惹きつけるためにも存在します。男性が女性の胸に興味を抱き、性的興奮を覚えるのは本能です。女性はその本能を誘発し、種の保存に必要な『つがい』を得るのです」

「むう……」

 グライムは思わず感嘆の声を漏らす。
 
「では、慎ま乳はどうか。性的興奮を覚える男もいるでしょう。ですが、大多数とは言い難い。男は女性の胸に『適量』、若しくは『やや大きめ』を求めます」

「ならば、慎ま乳は種の保存に役立ちはしない……と言いたいのかね?」

「そうです。役に立たないのです」

 ユグドの持論は、慎ま乳への非難――――ではなかった。

「それが何を意味するのか。答えはそう難しくありません。神は、人類の繁栄を止めようとしているのです」

「……何?」

「神はお怒りになられたのです。人間の傲慢さに。人類の強欲に。このままでは人間以外の生命は人間に淘汰されかねない。だから、繁栄を止め人間の方を淘汰しようとしているのです。その為に神は、人に慎ま乳をもたらしたのです。慎ま乳とは、人間が辿り着いた最後の楽園。終の棲家なのです」

「ぬ、ぬう」

 ユグドの終始真顔の説明に対し、グライムはうなり声をあげたじろぐ。
 だが直ぐに体勢を立て直し、不敵な笑みを浮かべた。

「我等の慎ま乳信仰とは少々異なる理念だが……傾聴に値する卓識と言わざるを得ぬ。人類の到達点。うむ……成程。貴殿の慎ま乳に対する畏敬の念、確かに受け取った」

「わかって頂けましたか」

「無論、我が慎ま乳教団の専属護衛として働く以上、慎ま乳教団の掲げる『慎ま乳有神論』を最優先に理解して貰う。だが、慎ま乳有神論は貴殿の概念と衝突する訳ではない。概念の合流こそが、文化の発展であり進化。そして神へと近づく一歩なのだと確信しておるよ」

 グライムは立ち上がり、握手を求めた。
 ユグドは光栄と言わんばかりに頭を垂れ、その手を握った。
 ここに――――交渉は成立した。

「ところで睨下。睨下の理想とする慎ま乳を持つ女性はいらっしゃいますか?」

 手を放した直後、ユグドの唐突な質問が飛ぶ。
 
「む……それが中々に見つからぬのだよ。体型が一目でわかる格好の女性は少ないのでな」

「そうでしょう。実はアクシス・ムンディの中に一人、慎ま乳教団のシンボルとなり得るくらいの人材がいるのですが」

 口元を緩めたユグドの言葉に、グライムは口を尖らせて『ほうほう』と頷いた。
 
「既に扉の前に待機するよう指示しています。さあ、中へ!」

 そう呼びかけたユグドの声に反応し、扉が開く。
 そこには――――

「……」

 骸骨がいた。
 正確には、髑髏の仮面を被った薄着の女性がいた。

「むうッ!」

 グライムは呻き声にも似た大声を上げ――――

「なんという慎ま乳ッ……!」

 驚嘆と歓喜の入り交じった表情で打ち震える。
 彼には髑髏の仮面は一切見えていないらしい。
 視界は胸部に一点集中、まさにそれは慎ま乳教団の教祖に相応しい姿だった。

 ちなみに、髑髏の仮面を被った女性はプルプル震えっぱなし。
 仮面の奥にある顔がどんな表情なのか、まとう空気で察知できるほどの状態だった。

「実に平板。実に滑沢。このような人材をよくぞ見つけたものよ。ユグド殿、どうやらアクシス・ムンディとは長い付き合いになりそうだ」

「彼女には常勤を命じています。慎ま乳教団の未来に祝福を」

 こうして――――ユグドと謎の髑髏女は慎ま乳教団の護衛として教団内への侵入に成功した。

 

 

「……誰が謎の髑髏女だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 交渉の三時間後。
 散々グライムから視姦された謎の髑髏女ことノアの咆哮が、ホーフスタットの酒場にこだまする。
 髑髏の仮面を被っているので、表情は固定されたままだが。

「ノア様! どうかお気を鎮めて下さい!」
「これで両陛下と殿下を救い出せるのですから、どうか我慢を!」

 憤慨する髑髏を二人の部下が泣きながら抑える様が、他の客の視線の的となるのは言うまでもない。
 一方、対照的にユグドは一仕事終えた爽快感溢れる顔でワインを嗜んでいた。

「うううーっ……これまで歩んできた人生全部蹂躙された気分……死にたい……寧ろ殺したい……そうよ……今日出会ったヤツ全員殺せば、私の醜態は闇の中へ……フフフ……」
「ノア様!?」
「ノア様、暗黒面に落ちないで下さいっ! 今の外見とスゴく似合ってますけど!」

 死神のようにユラユラ揺れ出したノアに対し、ユグドは一切我関せず。
 運ばれた肉料理を静かに食す。

「なんで私がこんな目に……」

「オレの案に従い、協力すること。そう約束したんだから、今更苦情は受け付けませんよ」

「人生最大の屈辱を受けて泣き寝入りできるかっ! なんなのよあの鑑賞会は! 交渉はもう成立してたでしょ!? 私が晒し者になる必要あったの!?」

「あったから、わざわざ恥かいて貰ったんですよ」

 そう断言したユグドは、もぐもぐ口を動かしながらフォークの尖端をノアに向けた。

「想像してみて下さい。もし貴方が慎ま乳教団の立場だったとして、入信してきた外国人が亡命中の王だと気付いたらどうします?」

「そりゃ……貴き身分の方をぞんざいには扱えないでしょ。没落したっていっても王様だし、メンディエタが再興して返り咲くこともあり得るし。そうなった時のこと考えて大事にしとけば、つつま……例の邪教がメンディエタの国教になるかも」

「そう。例え可能性は低くても、丁重に扱うに越したことはない。最終的に人質にするつもりでも同様です。客人扱いされていると考えるべきでしょう」

 護衛が客人と接する可能性は高い。
 大事な切り札だからこそ、護衛をつけてまで守る価値があるからだ。

「とはいえ、契約して間もない護衛団をいきなり客人の護衛に指名する可能性は低いでしょう。信頼を得るには相応の時間が必要です。待てますか?」

「……」

 待てるはずがない。
 時間が経てば経つほど、メンディエタ復興への道は遠くなるのだから。

「そこで、シンボルです。ノアさんが慎ま乳教団のシンボルになれば、積極的にメンディエタ王の護衛につけるでしょう。アピールの為にね。メンディエタの国教とする為には、慎ま乳の魅力を国王にアピールするのが一番です」
 
「……私、陛下にアピールすんの? 胸を? 自分のつつま……い……いやあああああああああああああっ!?」
「ノア様! どうか、どうかご英断を!」 
「メンディエタの為でございます! アルカディア家の名誉の為でございます!」

 実際には、家の名誉を全身全霊をかけて踏みにじる行為だが、部下二名は土下座する勢いで発狂するノアを説得し続けた。
 没落した王の部下とは、大変なものだ――――ユグドはそんな教訓を胸に、自分の仕事に満足しつつ料理を平らげた。

「それに加えて、ノアさんのその首飾り。恐らく教祖は気付いたはずです。こっちの情報、筒抜けみたいですから」 

 ノアの部下がスパイであるならば当然、ノアの身につけているブリーシンガメンの情報も教祖の耳に届いているはず。
 なら当然、22の遺産を集めている彼らにとって、髑髏の仮面を被った慎ましい乳の持ち主は大歓迎すべき相手だ。

「……私に注意が向く、って言いたいの? その隙に両陛下を逃がせるかもしれない……そういうことなのね?」

「御名答。これでオレの仕事は全て終了しました。後は上手く隙を作って、王家の皆さんを助けてあげて下さい。あ、上手くいった時の決めゼリフは『アクシス・ムンディのおかげです!』でお願いします」

「この後に及んで宣伝活動押しつける気!?」

「では、ご武運を。今日の就寝前までは上手く行くよう心の隅で祈ってますんで」

「だから忘れるの早過ぎーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 暴れる髑髏がいよいよ酒場の主人の逆鱗に触れ、体重の乗ったオープンブローで吹っ飛ばされる中、ユグドはニヒルな笑みと共に酒場を去った。










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