宗教国家ベルカンプの治安は、お世辞にもいいとは言えない。
 そもそも邪教が半ば容認されているような状態なのだから、治安以前の問題なのかもしれない。
 いずれにせよ、外国人が外を出歩くのが危険な国ではあるが――――

「……これだけしか……集まっていないの?」

 待ち合わせ場所としていた街外れの小さい酒場に駆けつけた部下が僅か二人というのは、ノアにとって想定外だったようだ。
 手にしていた大きめの革袋をパタン、と床に落とす。
 その動揺は、隣のユグドにもヒシヒシと伝わってきた。

「すいません、ノア様。他の者は皆、連絡がつきません。行方不明です」

「ど、どうして……こんなことに……」

 目深にフードを被った女性と思われる部下の言葉に、ノアは大きく息を落とす。
 体型を見る限り、もう一人の部下は男性らしい。

 ノアが現れる直前、ユグドが宿屋の三階から見た際には十数名の捜索隊が編成されていた。
 その殆どが待ち合わせ場所に現れないということは、王女捜索隊が何者かによって駆逐されたことになる。
 だがそれは――――

「おかしいですね」

「えー! そーでしょーよ! 十人以上の部下を一気に失った私は滑稽でしょうよ! 無能でしょうよ!」

「そういうこと言ってるんじゃなくて……なんで王女の捜索隊が行方不明にならなくちゃいけないのか、ってことです。王女が失踪したのはいつの話なんですか?」

 激高しているノアを無視し、ユグドは部下二名の方に問いかける。
 ユグドが何者かを知らない二人は大いに戸惑いつつも――――

「さ、昨晩です。殿下がいないことに気付いて、総出で捜索を開始しました」

 上司の知り合いということで、恐る恐るそう答えた。

「だとしたら、明らかに不自然でしょう。王女を探すのに、王女という言葉を使って探す無能はそうそういないでしょ? 普通は身分を隠した上で探します」

「……」

 ノアのピクピク引きつった横顔を無視し、ユグドは持論を展開し続けた。

「となれば、ただの人捜し。しかもたった一日の出来事。捜索隊が狙われる理由が見当たりませんよ。不自然です」

「た、確かに……」

 血気盛んだったノアは、ユグドの発言で頭が冷えたらしく、思案顔で俯く。
 そして暫くした後、思い当たる節があったのか目を見開いて顔を上げた。

「まさか、計画が漏れていた……?」

「計画?」

「あ、いやそのえーと……そうそう、メンディエタ復興計画よ。返り咲いてやるぞー、的な。だったら、メンディエタを支配した魔王の部下が反逆の芽を摘む目的で、私の部下を襲っても不思議じゃないでしょ? 捜索のために散り散りになったトコを狙ってさ。あ、なんか思ったより辻褄合ってた! コレよコレ、コレしかないって!」

 明らかにぎこちないノアの言葉に、ユグドは違和感を覚える。
 そもそも――――

「残党狩りするのに、そこまで用意周到になる必要はないでしょ」

「う……」

 二の句を繋げないノアに、ユグドは確信を得た。
 メンディエタ復興とは別に何かの計画が存在していると。

「それに、没落したとはいえ王女が行方不明になってるのに、部下の方を気にしてるのも妙です。手を貸す以上、ある程度の情報は開示して欲しいですね。でないと力を発揮できる保証はありませんし」

「ノア様、この方は……」

 ユグドの指摘と不遜な態度を不審に思ったのか、ノアの部下が怪訝そうに尋ねる。
 だがノアは手で制し、ユグドの方に鋭い目を向けた。
 
「ここから先は本当の意味で国家機密だけど……責任を背負う覚悟はある?」

「責任を伴わない仕事なんて、仕事の内に入りませんよ」

 ユグドも睨み返す。
 暫し沈黙が続き――――ノアが小さくため息を吐いた。

「なら、教えてあげる。計画って言うのは……」

「ノア様!」

「いーのよ。そもそも、これだけ戦力が削がれた以上、味方は一人でも多い方が得策。そういえば、まだ名前聞いてなかったっけ」

「シャハト=アストロジーです」

 ユグドはしれっと偽名を使った!

「シャハト、これから話すことはメンディエタの再建だけに留まらない、ルンメニゲ大陸全土に関係する重大な問題だから、覚悟して聞いて」

「ええ。シャハト=アストロジーの名にかけて、全責任を背負いますよ」

「了解。この国に邪教集団が屯してるのは、もう知ってると思うけど……」

 そう語りながら、ノアは自分の首元に手を寄せた。

「その中の一つが、かつてこの大陸を支配しようとした『ドラウプニル教団』の残した禍々しい遺産を集めてるみたいなのよ」

「ドラウプニル教団……『22の遺産』を残した邪教集団ですか」

 つい先日、その22の遺産と関わりを持ったばかりのユグドは直ぐにピンと来た。

 ドラウプニル教団。
 このベルカンプを拠点とし、ルンメニゲ大陸を征服しようと目論んだ邪教集団だ。

 既に消滅した過去の脅威ではあるが、彼らが野望成就の為に造ったとされる22の遺産に関しては今も健在。
 22全ての遺産に特殊な能力を宿した呪いが込められている、とも言われている。
 帝国ヴィエルコウッドの皇帝、ノーヴェ=シーザーをはじめ、この遺産を回収しようとする人間は多い。

「連中は22の遺産を全て自分たちの物にして、ドラウプニル教団が果たせなかった大陸征服を狙ってるのかもしれない。逆に言えば、既にいくつかの遺産を所持している可能性が高い訳よね」

「……まさか、計画っていうのは」

 呆れ気味に顔を引きつらせたユグドに、ノアは妙に人懐っこい笑顔を見せ、チロッと舌を出した。

「22の遺産を集めてる邪教集団を特定して、そいつ等から遺産を奪う。強奪作戦よ」

 それは、驚愕に値する内容だった。
 22の遺産を奪うこと自体が問題なのではない。
 その手段が問題だ。

「教団については、ある程度の目星はついてたのよ。そこでまず、両陛下……王様と王妃様がそこの邪教にハマったフリして、連中の懐に飛び込む。証拠を得るためにね」

「もうその時点で理解不能なんですが……そこまでアグレッシブな王様と王妃様がこの世にいるとは」

 ユグドは心底呆れ、脱力を禁じ得なかった。
 幾ら『元』とはいえ、王族が、しかも王直々に相手の拠点に入り込み情報収集を行うなど、果たして歴史上一度たりとも行われたことがあるのだろうか。
 それほどに信じ難い内容だ。

「亡命って人を図太くするものなのよ。いざとなれば蛇の生き血だって啜るし」

「それだけの底力があるなら、魔王に支配される前に頑張っとけって感じなんですが」

 ミもフタもないユグドの正論に、ノアも同意見なのか大げさに肩を竦めていた。

「計画内容の続きね。で、証拠を得たら次はその伝達。実は事前に教徒の勧誘係を一人懐柔済みなの。そいつを伝達係にして、陛下が教団内で得た情報を私たちが得る手筈になってる」

「よく懐柔できましたね。お金もないし、没落した身分なのに」

「返り咲いた時に官職を用意するって言ったら、アッサリ食いついてくれたわ。幸い、陛下が王族の身分を示す紋章つき下着を履いてたし」

「……身分の照明を求められた場面、想像するだけで泣きそうになるんですが」

「いいのよ、魔王に滅ぼされたポンコツ王様なんだから、それくらいしないとね」

 王様にここまで言う侍女も、歴史上そうはいないだろう。
 幾ら『侍女に逆らうな』というしきたりがあるとはいえ、かなり歪だ。

「で、その伝達係と接触して陛下が得た情報を入手。直接会うのはリスクが高いから、情報屋でも雇って介入して貰う予定でね。後は証拠を持って帝国ヴィエルコウッドの皇帝に掛け合うって寸法よ」

「ああ……あの人、22の遺産を集めてますからね。それに魔王討伐が趣味って聞くし、上手く話を通せば憎っくき魔王をやっつけてくれる……ってトコですか」

「そうそう! 詳しいじゃないの。もしかしてシャハト、ヴィエルコウッド出身? ヴィエルコウッド語も上手いし」

「偶々知ってただけですよ。故郷はロクヴェンツ、職場はマニャンです。それより、幾ら没落して捨て身の状態とはいえ、王様を邪教集団の中に潜ませても大丈夫なんですか? 万が一殺されでもしたらシャレにならないでしょう」

 そもそもそんな問題でもないのだが、一応聞いてみたユグドに対し、ノアは微妙に誇らしげな顔でない胸を張った。

「その点、抜かりなしよ。王族って身分は隠してる体で、でもバレバレな感じで潜り込んでるから。連中にしてみれば、元王様なんて最高のプロパガンダになり得る存在でしょ? 王様だって事実をチラつかせとけば身の安全は保証されるのよ」

「一応……筋は通ってるか。王様が自らそれを?」

「最終的にはそうかな」

 微妙に間を置いたノアの答えと当時に、部下二名がジト目で顔を合わせ微妙な表情になる。
 誰の提案かは火を見るより明らかだった。
 世にも恐ろしい侍女がいたものだ。

「とまあ、かなりイケてるって計画だったんだけどさー。あのバカ王女に昨日それを話したら、自分も手伝う、伝達係を探すとか言ってダーッと飛び出して……夜に勧誘がいる訳ないでしょ、ったく……」

「計画のこと、昨晩まで話してなかったんですか」

「殿下は向こう見ずなところがございまして……暴走する可能性が高かったもので」

 かなり苦労させられたのか、男の方の部下が涙声で裏事情を語った。

「仮に早い段階で事情を話していたとしたら、両陛下に代わって自らが潜入すると言い飛び出していたでしょう。行動をあらかじめ紙にでも書いて渡しておかないと、直ぐに暴走するお方なので……」

「こんなことなら、最後まで黙っとけばよかった。部下に『ずっと黙ってたら後々王女が傷つきます』って言われちゃって、つい……はぁ」

 部下とノアは顔を見合わせ、深刻なほどに深く嘆息した。
 無能な上司の存在には共感を禁じ得ない立場のユグドだが――――

「王女のポンコツっぷりはともかくとして、その王女が今、何処にいるのか目星はついてます?」

 それは取り敢えず置いておき、別件を問う。
 ノアは眉間に皺を寄せたまま、首を左右に振った。

「あのバカ王女、邪教の名前も聞かずに飛び出したから……しかもこの国の治安、最悪でしょ? 誘拐された可能性も考えないと」

「それで昨日、髑髏の仮面被って威嚇してきたんですか」

「あれ、私の戦闘モード用のスタイルだしね。カッコよくない?」

「そんなバカな」

「な、なんでよ!? 髑髏ってスッゴいカッコいいじゃない! あの洗練されたデザインを理解しないなんて……!」

 悪趣味を延々と語るノアを、ユグドは終始真顔で無視した。

「ともかく、その計画が例の邪教集団に漏れてたのなら、辻褄は合いますね。オレがその教団の立場なら、王様と王妃が入信するまで泳がせておいて、その後王女を焚きつけて暴走を促す。で、王女を探すために散り散りになったノアさんの部下を一人一人始末する。当然、王女の身柄は確保。元王族を全員確保しつつ、反撃の余地は与えない」

「……ま、待って。あのバカ王女、教団に誘拐されたの? っていうか、その仮説だと計画をバラした犯人は……」

「王女に計画を話すよう促した、ノアさんの部下でしょう」

 つまり――――ノアの部下の方が懐柔されていた、ということになる。
 自分たちがやろうとしていたことは案外、自分たちがやられるとは思わないものだ。
 ノアは思わず二人の部下をキッと睨む。

「あ、あの、私たちは……」

「貴女たちじゃなくて。誰か様子のおかしい子、いなかった?」 

「特には……」

 すっかり怯えている部下二人に、ノアは思わずため息を吐き、深刻な顔つきで瞑目した。
 部下の裏切りほど、上司に堪えることはない。
 可愛がってきたつもりだったのに――――そんな無念の思いが去来する。

「あくまで可能性です。それに、可能性を語るならもっと悲惨な状況も推察できますが……聞きます?」

「えー、聞かせてちょうだい。ここまで来たら、なんだって受け入れるし」

「行方不明の部下十数名、全員が裏切った可能性もあります」

 ユグドのそんな指摘に――――ノアは真顔のまま凍り付いた。

「寧ろ、この方が筋が通るかも。ノアさんの部下の中に一人、例の邪教を信仰してる人がいて、情報を漏らしていた。で、その人が他の部下に『こんな逃亡生活より、教団に入ればいい暮らしができるよ?』とでも誑かして協力を依頼。で、王女を焚きつけて暴走させ、街中で再度発見し王女を誘拐。そのままドロン」

「い……いやあああああああああああああああああああああっ!」
「ノア様! お気を確かに!」
「幾ら説得力があっても、仮説は仮説ですから!」

 頭を抱えて悶えるノアと、そのノアを勇気づける部下二名の姿に、ユグドは同情を禁じ得なかった。
 もし、自分がノアの立場だったらと考えると、発狂したくもなる。

 例えるなら、アクシス・ムンディの面々の大半が大手の傭兵ギルドに引き抜かれたようなもの。
 あの連中なら普通に起こり得る事態だ。
 他人事だと切り捨てることはできない。

「……まあ、推測ばかり語っていてもしかたないですよ。今後のことを考えましょう」

「そ、そうね。あのバカ王女が両陛下と同じ連中に囲われてるなら、却ってわかりやすいし……ね」

 ムリヤリ明るい材料を捻り出し、ノアは正気に戻った。
 尤も、顔は昨日より遥かにゲッソリしているが。

「私たちが成すべきことは、メンディエタの再建。そしてラレイナ家の復権。計画がバレてるのなら、一刻も早く陛下を救い出さないと……」

「教団内にいる王族を助ける方法は、三つしかないでしょう。教団そのものを潰すか、こっそり救出するか、解放するよう交渉するか。今のこの戦力じゃ、最初の二つは無理です」

 既に何人ものノアの部下が取り込まれている、または消されている。
 情報は筒抜け。
 真っ向勝負は勿論、潜入も不可能に近い。

「となると、必然的に唯一の方法は教団との交渉です。でも、三人もの王族と交換できるだけの材料は、こちらにはない」

 例えノアがその身を差し出したとしても、教団にとって最高のプロパガンダとなり得る亡命中の王族と交換するには値しないだろう。
 彼らの目的が大陸の支配であるなら、何より必要なのは教徒の増加、勢力の拡大。
 尊き血族がいるというだけで、その求心力、教団の格は一気に跳ね上がる。

「今は、ね。でもまーだチャンスはある」

 ずっと沈んだ顔のままだったノアが、久々に生気を取り戻す。
 心当たりがあるようだ。
 王族と交換できるだけの価値のある材料に。

「事前に懐柔した勧誘係。例え計画がバレてても、そんな末端にまで情報は行ってないと思う。彼に陛下たちを助けて貰うのは無理だろうけど、教団の弱味を聞き出すか、22の遺産の隠し場所を探して貰うかはできるかも。そうすれば、交渉は可能でしょ?」

 確かにそれが可能なら、まだ希望はある。
 そう都合よく末端の人間に教団の弱味が調べられるとは限らないが――――
 
「……そういえば教団の名前、まだ聞いてませんでしたね。邪教らしいですけど、どんな宗教なんですか?」

「驚かないで聞いてよ。彼らの教団名は……」

「ええ」

 大陸征服を目論むほどの野心溢れる教団。
 さぞかし仰々しい名前の邪教なのだろうと推察したユグドの耳に――――

「慎ま乳教団」

 ――――何処かで聞いたことのあるイロモノ宗教の名前が聞こえて来た。

「……そんなバカな」

「現実よ。受け止めて。責任を背負うって言ったでしょ?」

「予想以上に重かった……」

 ユグドはこの件に絡んだことを死ぬほど後悔し、目眩を覚えた。
 それは単に、どうしようもない教団が大層すぎる野心を抱いていることへの呆れだけに留まらない。
 言葉通り、ユグドの責任が想像以上に重い可能性が出て来たからだ。

「一つ確認なんですけど……勧誘係と落ち合う時に合言葉みたいなの決めてたりしました? 間に他人を入れるって話でしたし、それがないとお互い信用し辛いですよね?」

「その通りよ。慎ま乳教団ってくらいだから、それらしい合言葉にしておいた方がいいってんで、コレが合言葉。『慎ましい胸をした女性こそが女神。なだらかな微曲線を描いた胸部こそが神聖』」
 
 決定的だった。
 あの勧誘は、ノアの部下かどうかを試していたのだろう。
 ユグドは居たたまれない気持ちを抑えつつ、告げなければならない事実を告げる。

「……もしかしたら、貴女がたが懐柔したっていう勧誘係、もう教団を脱退してるかも」

「へ? いきなり何? どゆこと?」

 目をパチクリさせているノアに、ユグドは昨日の出来事――――エクスカリバルと名乗る変態との会話内容を話した。

「……」

 ノアは絶句していた。
 というか、立ったまま気絶していた。

「の、ノア様! お気を確かに!」
「確かに状況は絶望的ですが! 貴女が折れたらメンディエタ復興はどうなるのですか!」

 どうにか意識を戻そうと必死になってノアを揺さぶる部下二名の目にも、涙が浮かんでいる。
 無理もない。
 状況は絶望的――――というより、絶望そのものだ。

「……心配かけてゴメン。もう大丈夫」

 なんとか意識を取り戻したノアは、明らかに血色の悪い顔で、それでも凛々しく表情を整え心配する部下に笑顔を向けていた。
 そこに見えるのは、覚悟。
 何を犠牲にしても、成すべき事を成す――――そんな覚悟だ。

「シャハト。悪いけど、貴方との契約はキャンセルさせて。貴方の組織、宣伝できそうにないから」
 
「諦めるんですか? トドメ刺したオレがどうこうは言えませんけど……」

「貴方の責任じゃないし、諦めてもいない。でも、貴方と契約したのは私。その私がいなくなったら、契約は無効でしょ?」

 そんなノアの思い詰めた声で、ユグドは理解した。
 彼女が何をしようとしているのか。

「……何か切り札でもある、と?」

 ノアはそんなユグドの質問に答えない。
 ただ唇を噛み締め、今にも叫び出しそうな部下を目で制している。

「これでも一応、メンディエタの王族に長年仕えてきたアルカディア家の娘だもん。自分の役目くらい果たさないと」

 そう覚悟を語りつつ、ノアは自分の首にかけている首飾りをトントン、と指で叩いた。
 つまり、それが奥の手。
 王族との交換条件として成立するとなると――――

「……22の遺産」

「そ。女神の首飾りブリーシンガメン。一応言っとくけど、別に私、世界征服とか目論んでないからね?」

 ならどうして、そんな貴重品を所持しているのか。
 ユグドがそれを聞く前に、ノアは静かに語り始めた。

「このブリーシンガメンは代々、アルカディア家の娘に受け継がれてる家宝みたいなものよ。代々、って言っても三世代前からだけど」

 その首飾りに触れるノアの目は、何処か寂しげだった。

「アルカディア家は、メンディエタの王族に仕える為に存在している家系。それも代々、最初に生まれた子供が侍女として仕えることが宿命づけられている家系なの。仮に男の子が生まれたとしても……ね」

「待った。ちょっと待って下さい」

 話の筋がなんとなく見えてきたユグドは、一旦気持ちを整理した。
 そうしなければ、余りにも歪な現実に頭が真っ白になりそうだから。

「……確認です。22の遺産には何かしら特殊な呪いがかかっていると聞いています。その女神の首飾りにも当然、呪いがかかってますよね」

「ええ」

「その呪い、もしかして……」

 代々、最初に生まれた子供が『侍女』として仕えることが宿命づけられている。
 例え男の子だったとしても。
 つまり。

「想像通りよ。この首飾りを身につけた者は、例え男であっても女体化する。女神の首飾りらしい呪いでしょ?」

「そんなバカな!」

 ユグドは思わず天井を仰いだ。
 例え男だったとしても、このブリーシンガメンを身につけていれば侍女になれる。
 逆に言えば、身につけている時点で――――

「男だと思ってるでしょ? 私のこと」

「そりゃ、話の流れからしてそうなるでしょ……なんてこった」

 別に目の前の人物に一目惚れしたとか、こっそり好意を抱いていたとか、そういう事情は一切ない。
 だが、美しい女性だと認識していた人物が実は男だと判明したら、男なら誰だってやるせない気持ちになってしまうもの。
 ユグドも例外ではなく、なんとなく落胆していた。

「お生憎様ね。私が男か女か、私自身も知らないのよ。両親もそう。誰も私の本当の性別は知らない」

「……は?」

 落胆から混乱へ。
 思わず顔をしかめるユグドに対し、ノアは悪戯っぽい笑みを向けた。

「言ったでしょ? 侍女として仕えることが宿命づけられてるって。ブリーシンガメンを付けた女性が子を孕むと、その子供も強制的に女体化するの。お腹の中で時間をかけてゆっくりと、ね」

 実に軽い口調で語るノアに、ユグドは戦慄すら覚えた。

 自分の本来の性別がわからない。
 もしかしたら、あるべき自分がねじ曲げられているのかもしれない。

 それはきっと、記憶を失ったとか、身体の一部を失ったとか、そういったこと以上に悲惨なはずだ。
 それでもノアは自分の悲壮感漂う運命を笑い飛ばしていた。

「か、仮に男だったとした場合、その首飾りを外したら元に戻るんですか?」

「さあね。私は一度も外したことがないし。少なくとも、外して直ぐに性別が変化するってことはないみたい。少なくとも一年間は」

「一年以上かけてゆっくり元に戻るってことですか」

「それもわからない。だって……この首飾りを外したアルカディア家の女性はみんな、一年以内に死んでるから」

 余りにもサラッと、ノアは自分に課せられた本当の意味での『呪い』を語った。
 外せば一年以内に死ぬ。
 つまり、彼女の前に首飾りを付けていたはずの母親は既に――――

「このブリーシンガメンがあったからこそ、母も、その母もまたその母も、メンディエタの侍女として生まれ育ち、その人生を全うできたの。それを生まれたばかりの子に託すのも、託して一年以内に死ぬのも、アルカディア家の宿命なのよ。絶対に女でなければならないアルカディア家の……ね」

 ノアは自分の運命も、そして死期をも受け入れていた。

 ブリーシンガメンがなければ、アルカディア家の家系に女の子が生まれないかもしれない。
 メンディエタの王族、ラレイナ家の侍女として代々仕え続けるには、この首飾りは必須だ。

 だが、ブリーシンガメンの呪いは身につけた人物の寿命を極端に縮めるらしい。
 生まれた我が子に早く託さなければ、ブリーシンガメンの影響をお腹の中で受けていた我が子が早死にするかもしれない。

 だから、子が生まれたら直ぐに首飾りを託す。
 例え自分が命尽きても、我が子が侍女となりアルカディア家の存在証明を満たしてくれる。
 重要なのはそれなのだから。

「ただ、ブリーシンガメンを受け継いだ子供が侍女として一人前になるまでは、代わりの人材が必要でしょ? アルカディア家に大勢の部下がいるのはその為。私が育つまでは、そこにいる二人を含めたみんなが代わりを勤めてくれていたの。みんな母が……母さんが育てた優秀な使用人よ」

「……なんと言えばいいのやら」

 その優秀な部下が裏切ったかもしれない。
 ユグドの指摘にノアが動揺するのは当然だった。

 何より、アルカディア家の壮絶な生き様に対しかける言葉が見つからない。
 そこまでして『侍女』という役割を守らなければならない――――そんな執念にも似た有り様は、ユグドの心を少なからず打った。

「でも、そんなに早く母親が亡くなったのなら、一体誰に侍女としての習わしや仕事を教えて貰うんですか?」

「母さんに決まってるじゃない。そこでコレよ」

 ノアは床に落としたままにしていた革袋を開け、中から一冊の本を取り出す。
 表紙には『フライヤ教典』とメンディエタ語で書かれてあった。

「託すのは何も首飾りだけじゃないのよ。代々、自分が親や御先祖様から学んだこと、自分の人生の中で身につけた知識、経験を書き留めて、一子相伝の教えとして残しておくの。フライヤってのは、私の母さんの名前。私が生まれるまで『メンディエタの女神』って呼ばれて国民からも王族からも愛された女性。私が……全然敵わないスゴい人」

 ギュッと、ノアはフライヤ教典を胸に添え、両手で抱きしめた。

 物心付く前に亡くなったその母親の声や顔は、ノアの記憶にはないのだろう。
 あるのは、生前の彼女と共に生きた人間の証言と、この本の中の言葉だけ。
 それでもノアの中には、絶対的な存在として母親があるようだ。

「そんな偉大な遺志を受け継いでおいて、国が滅びましたー、王様が攫われましたー、なんて笑い話にもならない現状なんだけどね」
「ノア様は頑張っています! そんな自嘲めいたことを仰らないで下さい!」
「そうです! メンディエタが滅ぼされて心が折れておられた両陛下を奮い立たせたのは、ノア様の忌憚ない叱咤激励と心を鬼にしての往復ビンタに他なりません!」

 元とはいえ、国王に往復ビンタまでかましたらしいノアに、ユグドは冷汗を禁じ得なかった。
 
「だからこそ、絶対にお三方を救い出さなければならないのよ。返り咲く意思のある陛下を、その陛下を支えるお二人を救わなければ、メンディエタに未来はないんだから」

 ノアの目に光が宿る。
 全てを捨てる覚悟を持った人間だけが宿す、狂気と紙一重の光。

「……その首飾りと三人を交換するつもりなんですね」

 そうすれば、ノアは一年以内に死ぬ。
 そしてアルカディア家の血統は途絶えるだろう。

 しかし、アルカディア家の輩出する侍女とは、メンディエタの女神でなければならない。
 女神の使命は――――メンディエタを守り続けること。
 自分の身や家を守ることではない。

「22の遺産を欲してる連中なら、きっと食いつくはずよ。そうでしょ?」

 ノアは自信タップリにユグドへ向かってそう言い放った。
 だが、ユグドは見逃さなかった。
 微かにノアの唇が震えていることを。

「甘い」

 ポツリと、ユグドは漏らす。
 だがそれは、ノアの覚悟に対しての言葉ではない。
 甘いのは――――

「オレが貴女の交渉相手なら、まず食いつきませんよ。戦力的に考えて、交換する意義はありませんから。奪えばいい。貴女がしようとしているのは、その首飾りが22の遺産だという情報を無駄に与えるだけです。やめておいた方がいい」

「でも、他に方法は……」

「あります。こういう場合は、間に交渉役を挟むのが常套手段ですよ。その代わり……」

 ユグドはノアの身体を一瞥し、人差し指を立てて不敵に微笑んだ。

「オレの案に従い、協力すること。それを約束してくれれば、オレが道を拓きます」

 ノアの覚悟に敬意を表し、あらゆる手を講じることを誓って。
 そして――――

「国際護衛協会アクシス・ムンディの名にかけて」









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