翌日――――

「おはようございます。ゆうべはおたのしみでしたね」

 今となっては濃すぎるキャラと化した宿屋の主人が、親指を立てて渋い笑顔を向けてくる。
 なお、彼が倒した元髑髏の美女は鎧を全部外し、手足をロープでグルグル巻きにしてユグドの部屋に放逐されていた。

「いや……してませんよ、おたのしみなことは何も」

「照れずともよいのですよ。そこに緊縛の美女が転がっているならば、調教の一つや二つ誰でもやるものです」

「正直、あの女より貴方の人生の方に興味があるんですが……」

「照れますね」

 照れられても困るので、ユグドはこれ以上の言及は控えることにした。

「では、吐かせることもしなかったのですか? 王女を探しているという彼女の素性など」

「それは、まあ一応……」

 幾らスゴい手刀で気絶したとはいえ、一晩中目を覚まさないということはなく、女性は深夜突然目を開いた。
 寝ずにその時を待っていたユグドは、取り敢えず状況を説明。
 自分が宿の主人に敵視され、しかも倒された事実を知った女性は、ユグドが同情するくらいに落ち込んでしまった。

 とはいえ、同情していても仕方がない。

「この無様な状況を言いふらされると、相当キツいですよね? 何もかも話してくれれば、その辺は黙ってあげられるんですけど」

 絶望的な失態だとわかった以上、この取引が成立する可能性は大。
 案の定、女性は血涙を流しそうなほど悔しがった後、コクリと首肯した。

 女性の名はノア=アルカディア。
 数多くの傭兵ギルドを抱える傭兵国家メンディエタの王家に使える侍女だという。

 だが現在、メンディエタはちょっと大変なことになっているらしい。
 なんでも『魔王』と自ら名乗る醜い顔の人間が、国を乗っ取ってしまった。
 王家は亡命の憂き目に遭い、現在は世界各国を転々としながら再起の機会を窺っている。

 ノアはそんな流浪の王家に使える侍女。
 亡命後も甲斐甲斐しく王家に従い、世話をしてきた。

 だが、優雅な日常が当たり前だった王家にとって、逃亡生活は地獄そのものだったのだろう。
 王と王妃は生活レベルの極端な低下と国を奪われた屈辱から体調を崩し、移動中に偶々立ち寄ったこの宗教国家ベルカンプにて入院。
 その際、勧誘の一人にコロッと騙され、邪教にハマるという絵に描いたような転落人生を歩んでいるそうな。

「……あのバカ王とバカ王妃……見つけ次第修正してやるんだから……」

 侍女という立場ながら、ノアは王族に対してもズケズケと言いたいことを言えるらしい。
 通常ならば絶対に許されないことだが、彼女の場合は特別だという。
 というのも、メンディエタの王家には代々このような習わしがあるという。

 侍女に逆らってはならない――――
 
 これまた、普通なら考えられないような習慣。
 王族が侍女に頭が上がらないというのであれば、身分という概念自体が無意味なものとなる。
 しかし、メンディエタにおいてはこの習わしは絶対なのだそうだ。

 メンディエタの歴史を紐解くと、そこには常に侍女の絶大なる存在感があった。
 時に教育係として王位後継者たちを育て、時に守護者として王家を護り、時に女性として王家に慈悲深い愛情を与える。
 侍女という存在は、メンディエタ王家にとって守り神のようなものだった。

 ノアの母親であるフライヤ=アルカディアもまた、歴代の侍女に負けず劣らず、王家にとって、そして国民にとって欠かすことのできない女性だったという。
 彼女は王に仕える為のあらゆる方法論を身につけ、また国民からも『メンディエタの女神』と呼ばれ、絶大な支持を集めていた。

 その偉大な母の後を継ぎ、新たな侍女となったのがこのノア。
 自称"いずれ母をも超えるアルカディア家最高の才能を持った天才侍女"なのだそうだ。
 国を乗っ取られたくせに、妙に自信かなのは性格か、それとも有言実行を目指し大口を叩いているだけなのか――――

「あの……大変失礼ですが、少々説明が長いです。主観も多いですし」

「す、すいません。悪い癖で」

 宿屋の主人がゲッソリしているのに気付いたユグドは、結論を急ぐことにした。

「あの女性が探してるのは……」

「邪教にハマったバカ王の娘、バカ王女よ」

 ユグドの背後から、苛立たしげな声が放たれる。
 振り向くまでもなく、ノアだった。
 両手両足、ロープで束縛された状態でここまで来たらしく、その風貌はかなり怪しげだ。

「心配しなくても、この状態でそこの元傭兵を倒せるとは思えないから、抵抗はしない。だからコレ、外してくれないかな?」

「……言ってることが矛盾してますよ」

「ちいっ、引っかからなかったか」

 ノアは寝ていないのか、元々目つきが悪い上に目の下にクマを作っている。
 その為か、美女の割に性格の悪そうな顔で舌打ちしていた。

「あのバカ王女、『親を助けるのは娘の責任! ティラミスちゃんにお任せあれ! ぴゅーっしゅたたたた』とか言って飛び出しちゃってさー……でも普通に考えて、特に何の能力もない、それ以前に世間知らずでアホな王女が一人で何ができると思う? できねーでしょ? 当然止めるでしょ。それなのにあのバカ王女と来たら一丁前に反抗期なのかこっそり抜け出して……あーもう! ハラ立つ! こっちはその所為で人生最大の屈辱を受けたわボケ!」

「事情は大体わかりました」

 宿屋の主人は、紳士的な物言いでノアへ向かって深々と一礼した。

「あ、外してくれる気になった?」

「当宿と致しましては、魔王に支配された国のマヌケな元王族と関わり合いになるのは御免ですので、とっととお引き取りを。一泊したので宿代は普通に払って下さいませ。無論、扉の修理代も」

「がーん」

 当然といえば当然の主人の対応に、ノアは絶句した。
 一方、ユグドはそんな喜怒哀楽の激しい情緒不安定な彼女に思わず苦笑する。
 自分の周りにはいないタイプの女性だ。

「怒りにまかせて行動してはダメってことですね」

「……そういえばフライヤ教典にもそんなこと書いてあった気がする」

「フライヤ教典? なんですかそれ」

 聞き慣れない単語に、ユグドは思わず興味を抱いてしまった。
 言った瞬間後悔するも、ノアはそれを見逃してはくれない。
 パアッと笑いながらユグドへ視線を向ける。

「教えて欲しかったら……」

「出しませんよ、宿泊費も修理費も。そこまでの興味はないですし」

「えー、いいじゃん。亡命生活で無一文なのよう。出してくれたら、すっごいサービスしてあげるけど……ダメ?」

 上目遣いでそう訴えるノア。
 目つきの悪さを表情で緩和させると、本当に絶世の美女だ。
 尤も――――

「そのすっごいサービスってのが、フライヤ教典とやらの説明なんでしょう」

「ちいっ……正解」

 ミエミエの手。
 ユグドが呆れながらため息を落とす中、カウンター越しの主人もやれやれと首を左右に振る。
 
「そもそも、この方が卑猥なサービスに興味があるのなら、昨晩の内に貴様を調教してますからね。無意味な駆け引きでした」

「そ、そう……っていうか、ナチュラルに貴様って言うの止めて欲しいんだけど」

「一度戦った相手への厭忌を込めた二人称でございます」

 恭しく一礼。
 余り恭しさは感じないところが肝だ。
 ユグドは苦笑しつつ、お金を入れた革袋を取り出した。
 
「オレとしてもいい迷惑でした。二度と関わらないことを祈りたいですね。では、オレはこの辺で。宿代、幾らになります?」

「えー! ちょっと待ってって! こんな私を普通見捨てる!? 亡命した王に尽くすようなお涙頂戴の侍女を無視して、何処に行く気なの!?」

「家ですよ。帰るんです。オレはこの国の人間じゃないんで」

「だったら外国人同士、助け合いを!」

 余りに都合の良いノアの懇願を無視し、ユグドは請求された宿代を支払った。
 通常の宿より少し高かったが、昨夜助けられたことを考えれば寧ろ良心的。
 ユグドは笑顔で主人に挨拶し、朝陽の眩しい街中に歩を進めた。

「待ってーっ! 宿屋のご主人にまで嫌われた今、貴方に逃げられたら私、破滅なのよーっ! 見捨てないで! 私の未来を守ってーっ!」

 そんな叫び声が背後から聞こえてくる。
 守って――――その懇願は、ユグドの心を揺さぶった。

「……」

 だが、揺さぶっただけだった。
 既に守るべき相手は決めている。
 それ以外の女性を守る理由は何処にもない。

「あの、ちょっとお時間いいですか? わたくし、節足動物愛護教団の者ですが……」
「酒池肉林教団のバオーと申します。是非お話を聞いて頂きたい」
「くちびる教団の者です。貴方は唇だけしか存在しない外見の妖精を信じますか? 存在するのです、くちびる様は。我々はくちびる様を信仰し……」

 ――――ないのだが、どうやらこの時間帯に一人で出歩くのは不可能らしい。
 ユグドは凄まじい数の勧誘から逃れるべく、宿へと戻った。

 


 傭兵国家メンディエタ。
 ルンメニゲ大陸の西側に位置するこの国は、かつては32もの傭兵ギルドを擁する世界的な軍事国家として知られる強国だった。

 その王家として君臨していたラレイナ家も、さぞ好戦的な血筋だったのだろう――――と推測する者も多いが、実際には真逆。
 寧ろ争いを好まない、穏やかな性格の持ち主ばかりだった。
 
 その中でも特に、ティラミス=ラレイナは傭兵国家らしからぬ王女として知られていた。
 銀髪のショートカット、明るい笑顔がトレードマークで、見る者を皆元気付ける容姿と性格から『メンディエタの太陽』と称されるほど高い人気を得ていた。
 
 魔王に国を乗っ取られ、メンディエタという王国が事実上崩壊した今となっては、彼女の笑顔を国民が見ることはない。
 それでもティラミスは、両親に向けて常に笑顔を絶やさなかった。
 いつかまた輝ける日が来るから、そう信じて今を生き抜きましょう、と。

「……ここまでなら、まだいい王女サマって言えるんだけどさー。暴走癖があるってのは逃亡生活じゃ致命的だっつーの。計画的な行動ができない人間ってアレよね。やっぱアレだわ」

 両手両足が自由になったノアの愚痴が宿の一室で延々と繰り広げられる中、ユグドはひたすら空腹に耐えていた。
 何しろ、日中は外に出れば勧誘の嵐。
 外食が無理なのは仕方がないが、干し肉すら買いに行けないのは問題だ。

「で、王女様を探しにメンディエタの元騎士や官職らがこの街を彷徨いてるって訳ですか。没落した王族の割に、愛想尽かさずついて行ってる人間が多いのは感心しますね」

「ンな訳ねーでしょ。捜索隊は全部、この私の部下よ」

「……貴女の?」

「そ。ま、正確に言うと私っていうか私の家に代々仕える召使い見習いの連中なんだけど……」

 正確に言わなければほぼ捏造だった。

「落ちぶれた元王家の人間につくなんてモノ好きはそうそういないって。愛国心溢れる騎士は魔王討伐軍を編成して魔王に挑んでるし、特に執着のない連中は別の国で新しい生活を始めてるでしょ」

「世知辛い世の中ですね。で、その部下とやらとはいつ落ち合う予定なんですか?」

「今夜よ。このままだと行けそうにないけどね、誰かさんの所為で。大体……」

 愚痴りながら延々と続けていた床拭きを止め、ノアが立ち上がる。 

「なんで私が宿の掃除を一日中やってなきゃいけないの!? 私が掃除するのは本来なら王宮の筈でしょ!? なんでこんなボロボロな人生になってんのよーっ!」

 そして、半泣きしながらも今度は壁を拭き始めた。
 侍女だけあって、家事全般に対しての技術と熱意は一流らしく、無駄口叩きながらもその手は一切止まらない。

 ちなみに、鎧やアームブレイドは借金の抵当として宿の主人に没収されているため、ノアの格好は布製のややタイトな上衣と短めの裾の下衣という完全軽装。
 体型もハッキリと見て取れる。
 ラシルとは対照的に、かなり慎ましやかな胸だった。
 
「貴女が職場を失ったのは魔王とやらの所為ですし、ここで掃除を命じられたのは貴女が扉蹴破った上に文無しだったからです。自業自得でしょう」

「王女探しててあれだけ頑なに拒否されたら、普通そこにいると思うでしょ!? 一刻を争う状況かもって思うでしょ!?」

「一応筋は通ってますけど、誤っていた場合の尻拭いは自分でしないと。ここは王宮じゃないんですから、手を叩いても誰も来ませんよ」

「うう……社会で生きるのって大変。野宿の時は野ウサギ狩らないといけないし」

 偶に見せる猟奇的な一面の理由を垣間見た気がしたものの、ユグドはツッコむことなく窓から空を見上げた。
 既に日は傾いており、もうすぐ沈む頃合い。
 単独で移動できる時間帯までもう直ぐだ。

「じゃ、オレはそろそろ支度しますんで。頑張って王女探して、王様たちの目を覚まさせて下さい。今日寝るまでは心の片隅で応援してますんで」 

「忘れるの早っ! や、そういう問題じゃないって! 探すの手伝ってよ! 私この宿から出られないんだから! 空き部屋全部掃除しないと修理費の代わりにならないって言われて!」

「知りません。そもそもオレだって損害賠償請求したいくらいですよ。貴女に襲撃されなかったら平穏な一日を過ごせたんですから」

「薄情者! 何処の国の人か知らないけど、もしメンディエタが再建したら真っ先に探し出して極刑にして貰うから!」

 物騒なことを言いながら、ノアはベッドの裏側まで念入りに拭いていた。

 ユグドとしては、その献身的なまでの仕事に感心を覚えることはあっても、手伝うメリットは見出せない。
 もしメンディエタが本当に復興するのなら、王族を助けるのは名を売る好機ではある。
 とはいえ可能性は少なく、そもそもその行為はユグドの、そしてアクシス・ムンディの本懐である『守る』とは一線を画している。

「ねえ……本当に行っちゃうの? 助けてくれる気これっぽっちもない?」

 埃まみれになりながら、ノアがベッドの下から出てくる。
 その埃を一瞬でサッと一箇所に集めながら、ユグドの目をじっと見つめてきた。

 これまでの、どうにかして利用してやろうという目とは少し違う。
 もっと切実で、もっと困窮した目。
 実際、この上なく困っているのは事情を聞いた以上把握しているが、ユグドは少し意外に思っていた。

「……そこまでして、没落した王族を助けたいんですか?」

 そして、核心を問う。
 
「オレが貴女の立場なら、早々に見切りをつけますよ。メンディエタが今どんな状態なのかは知りませんけど、亡命した王族が返り咲く可能性は低いでしょう」

 ラレイナ家に輝かしい未来が訪れるとは限らない。
 だとしたら、待っているのは破滅か、良くて平々凡々とした人生。
 寄り添ったところで、何の旨味もない。

「それくらい、私だって知ってる。わかってるっての」

「なら、身の振り方を考える時期じゃないんですか? 代々仕えてきた御先祖様への申し訳が立たないとか、王家と共に死ぬのが自分の使命とか、そんなこと考えてたって仕方が……」

「そういうんじゃない」

 そう断言し、ノアは雑巾から壁に立てかけていた箒に持ち替え、その箒をクルッと回す。
 そして箒の尖端をユグドへ向けた。

「私が……助けたいのよ。悪い?」

 没落した王族を助けるメリットは特にない。
 だが、人として、親しい人を助けることにはメリットがある。
 心のメリットだ。

「なら気に入った」

 それなら納得できる。

「へ?」
 
「オレ、国際護衛協会『アクシス・ムンディ』って所に勤めてるんですけど。知ってます?」 

「……あー、ゴメン。亡命中だから世間に疎くって」

「いえ。それなら、メンディエタの侍女に返り咲いた時にでもアクシス・ムンディの名前を国中に広げて下さい。それまでにかなり滞納金が上積みされるでしょうけど……宣伝費に換算すると相当な金額になりますから、報酬はそれでいいですよ」

 我ながら甘い。
 そうは思いつつも、ユグドは既に決めていた。
 
「アクシス・ムンディが、忍び寄る勧誘の魔の手からメンディエタの王女様を守ったって喧伝して貰いましょう」

 現実となった嫌な予感の挑発的な笑い顔に唾を吐きかけることを。










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