- 当日 -

「……やっぱりな」

 ユグドの予感通り、一悶着の素因が船に乗ってやって来た。
 
 港から沖へ出ている旅客船スキーズブラズニルの船尾へ近づいてくるその船は、余りにもわかり易い海賊船。
 帆に黒く髑髏のマークを描いているあたり、ある意味とても親切だ。

「お客様は船内に避難して下さい! 心配ありません、海賊に屈するアクシス・ムンディではありません! 国際護衛協会の名にかけて、皆様の安全を保証します!」

 ユグドは怯える王族貴族の客人たちに大声でそう呼びかけ、避難場所となる船底部屋への誘導を行っていた。

 戦闘力のないユグドの仕事は、如何に混乱を防ぐかの一点。
 客人に暴れられては、守るものも守れない。
 護衛の仕事である以上、一人として負傷させる訳にはいかないのだから。

「そ、そんな保証が何になると言うのだね! そもそもアクシス・ムンディなど聞いたこともないぞ!」

「そうだ! 直ぐに我らが商人国家シーマンの護衛団を呼び寄せるのだ! 彼らなら海賊との戦闘経験も豊富! 貴様らなんぞアテになるか!」

 しかし、こういった危機的状況に慣れていない貴き身分の人々は、案の定混乱の極地。
 シーマンの要人ら数人の客人がユグドの指示に従わず、明らかな無理難題を叫びながら甲板でオロオロし続けている。
 こうなったら、愛用のこん棒で昏倒させてでもつれていこうか――――そうユグドが思い切りの良さを発揮しようとした、その時。

「大丈夫ですわ!」

「心配は要りませんっ」

 フェム=リンセスとパール=マカロンの二人が、甲板の上で声高に叫んだ。
 王女二人は自信に満ちた顔で頷き合い、背中越しに後ろを見る。

「この船には、龍騎士ラシル=リントヴルム様が乗っておられますの! この方にかかれば、海賊の一味など一瞬でチョチョイのチョイですわ!」

「私達女性を代表する、とっても強いお方ですっ。間違いありませんっ」

 その二人の視線の先には、船体に寄りかかって腕組みするラシルの姿がある。
 混乱の極地にあった客人達もラシルの名と姿を確認した途端、手を叩いて自分達の安全を確信した様子。
 
「あの伝説の……!」

「よかった、我々はどうやら危機を回避したようだ……!」

 そんな安堵の息が複数の場所で漏れる。

 ただ、その期待に応えるべく出陣すべきラシルの様子がどこかおかしい。
 というより、一歩も動こうとしない。
 チヤホヤされるのが好きなラシルらしくない挙動にユグドは眉を潜め、駆け足で近寄った。

「ラシルさん、もしかして……」
 
「うむ」

 ユグドにコクリと頷き、ラシルは――――

「……船酔いじゃ。全く動けんし、全く力が入らん。自らに戦力外通告じゃ」
 
 その場にパタン、と倒れた。

 暫くの沈黙ののち――――

「一巻の終わりどぅわああああああああああああああああああああああああああ!」

 客人たちは錯乱し、甲板の上を走り回っていた。

「そ、そんな……ラシル様がそんな……悲しみの舞をごらんあそばせ!」

 フェムもその錯乱連中に加わり、踊る。
 甲板上は混沌に満ちていた。

「ラシル様っ、しっかりして下さいっ」

「うーむむむ……調子に乗って徹夜で自慢話をしたのがマズかったのう。体調が……」

「いや、それ以前に龍騎士が酔わないで下さいよ。情けない」

 空を自由に舞う龍騎士が船酔いなど、誰が想像できるだろうか。
 ユグドは病人のように青ざめたラシルの姿に、ただただ呆れていた。
 
「相棒リュートの背中であれば、どれだけ揺れようと問題ないのじゃが……うえっぷ」

「ラシル様! 死なないで死なないで死なないでっ」

 苦しむラシルに何故か死を連想したらしく、パールが泣き崩れる。
 ただ、彼女の格好がやたら殺し屋っぽいので、傍からは龍騎士を仕留めた暗殺者にしか見えない。

「……パールさん。そこのポンコツと向こうで踊ってる貴女のご友人、あとここに残ってる王族貴族の連中を船底部屋に連れて行って下さい。このこん棒貸しますんで、言うこと聞かないヤツはこれでガツンとやって構いません」

「あのっ、あのっ、あのっ、無理ですっ」

「もう貴女にしか頼めないんです。お願いします」

 じっとパールの瞳を見つめ、ユグドは懇願した。
 その真摯な目に、パールは驚きながらも暫く見つめ合い、そして――――

「……わかりました。私、私、私、やってみます!」

 素直にそう答え、ユグドの手からこん棒を受け取り、タタタッと走り出した。

 今更ユグドがこん棒を振り回したところで、混乱が止まる可能性は低い。
 可能性があるとすれば、あの華奢で可憐なパールがそれをやった時。
 それに賭け、ユグドは視線を船尾の方に向けた。

「げ」

 海賊の船はそこにはなく、いつの間にか右舷に隣接した状態で併走中。
 大きさは然程でもなく、スキーズブラズニルの3分の1にも満たないが、突入されればかなり厄介だ。

「リーダー! 状況は!?」

「おうユグドぉー。こっちはバッチリだぜぇー」

 右舷の方へ向かったユグドは、凛然とした構えで海賊船を眺めてるシャハトに思わず頼もしさを感じてしまった。

「流石リーダー。落ち着いてますね」

「当然だろぉー。この程度の修羅場なんて何度も経験済みだからよぉー。全員予行練習通りに陣取ってるよぉー」

 心強いシャハトの言葉に頷きつつ、ユグドは仲間たちの姿を確認――――

「……トゥエンティの姿がないんですけど」

「あっれぇーーーーーー!? なんてこったぁー、なんてこったぁーーーーーーーーー!」

 堂々たるリーダーは一瞬にして崩壊。
 パニックになって走り回るシャハトに代わり、ハンドレールから離れた場所に立つ鎧娘チトルがユグドに現状を報告する。

「トゥエンティさんなら、船酔いでご休憩なのですなのー」

「……どいつもこいつも」

 大嵐の中ならまだしも、天候は良好、波も穏やかな状況。
 ユグドは鈍い痛みを発している頭を鷲掴みにしながら、ガックリ項垂れた。
 
 ただでさえ人材不足な中、トゥエンティが抜けたとなると甲板の守りはかなり手薄。
 海賊の人数次第では、手に負えない可能性も出てくる。

「ユグドよ。かの帝国ヴィエルコウッドの皇帝は何処に配置してあるのかね。想像には難くないが……」

「ええ。恐らく想像通り、稀少武器を展示してる部屋の前です。皇帝に最前線で闘わせるのも抵抗あるんで」

 何より、最大の戦力を最も重要な場所に配置するのが、護衛の基本。
 攻める姿勢は必要ない。
 守ることが全てなのだから。

「うむ、それでよい。海賊風情は我等でどうにかするしかあるまい」
 
「チトルも気合い入れて頑張るですきあーっ!」

 ガインガインと甲冑を叩き、チトルがクワッと目を見開いたその時――――スキーズブラズニルの右舷に海賊船が激突。
 その衝撃で、船が大きく揺れる。

「はうはうはうーーーーーっ!?」

 揺れに耐えきれず、チトルが転倒。
 そしてそのまま甲板上を転がり――――左舷のハンドレールに激突!

「はうーーーーーーーーーーっ!」

 甲板の周囲は転倒防止用のハンドレールに囲まれている為、それが幸いし転落は免れた。

「……はへ?」

 ――――と思ったのも束の間。
 ピキピキと音を立て、チトルが激突した箇所が崩れていく。
 この船のハンドレールには、勢い付いた甲冑が激突しても大丈夫という保証はなかったらしい。

「はへーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ……」

 あえなく、チトルは海へと落下していった。

「お、落ちたーっ! あの鎧娘、甲板から落ちたーっ!」

 余りの出来事に、ユグドは頭を抱えて事故現場へ駆け寄る。
 だがその間にも、囚人服のような縞模様の服を着た海賊達がここスキーズブラズニルへ続々と飛び乗ってくる。
 その数、一人、二人、三人、四人、五人、六人、七人、八人、九人、十人、十一人、十二人、十三人、十四人、十五人、十六人――――

「どこだ! どこにいるんだ!」

「テメェら! とっとと探し出すぞ! 邪魔するヤツらは全員ブッ飛ばせ!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 ワラワラと侵入してきた海賊どもが、殺気立った声と共に斧を振り上げて迫り来る。

「ど、どうするんですか!? もう助ける助けないの次元じゃないですよアレ!」

「こっちは今それどころじゃねぇよぉー! お前がなんとかしろよぉー!」

 戦闘力に乏しいシャハトは、涙目でどうにか回避を繰り返しつつも、明らかにいっぱいいっぱい。
 ユグド、そしてチトルに構っている余裕は全くない。
 そもそも、現時点で戦力となり得るのはクワトロしかいないという、最悪の状況だ。
 
「おのれ、海賊どもめが! アクシス・ムンディの最強剣士クワトロ=パラディーノの名にかけて、ここは絶対に通さん!」

 それでもクワトロが強烈な自負心でどうにか船内への扉を死守しているため、辛うじて持ちこたえてはいる――――が、多勢に無勢なのは火を見るより明らか。
 かといって、クワトロに助太刀するような戦闘力をユグドは持たない。

 そして、そんな状況を眺めている間にも、チトルは海底へと沈没中。
 かといって、泳げないユグドにチトルを救う力はない。

「……っ!」

 目の前に迫る降って湧いたような仲間の危機に、何もできない。
 無力感と表現すれば、この上なくありきたりな感傷表現だが、実際に差し迫るジレンマは無力さに対する虚しさに留まらない。

 引き出しの少ない自分への怒り。
 或いは――――殺意。
 それほどの大きな憤りが、ユグドを支配して縛り付ける。

「くそっ……! チトル……!」

 足掻くように、ハンドレールを両手で叩く。

 それが――――よくなかった。

「……あれ?」

 不運だったのは、その叩いた部分がチトルの衝突の余波でかなり痛んでいたこと。
 その結果――――

「あーれー……」

 破壊されたハンドレールの欠片と共に、ユグドは海へと転落してしまった。
 泳げない人間にとって、底の見えない海とはすなわち死へと続く扉。
 宙に舞うユグドの胸に、凍り付くような恐怖が押し寄せる。

 ――――海はイヤだ

 そんな、少し甘えたような少年の声と共に。
 それが誰の声で、何を意味するのかはユグドにはわからない。
 わかっているのは、数秒後の自分を襲う窒息地獄。

 そして、訪れる――――死。

 不意に、ラシルの顔が頭の中に浮かぶ。
 命を賭けて守ると誓った存在が、最後に残った心残りだとしたら――――それはそれで、誠実な一生だったのかもしれない。
 苦笑する間もなく、そんな思考は一瞬で消え、そして次の瞬間。
 
「――――――――――――――――!」

 誰かの声にならない声が、遠くから聞こえてきた。
 或いは――――声ではない声。

「……!」

 ユグドの視界はそこで途絶えた。
 だが、それはほんの刹那の時間。

「う……わああああああああああああああああっ!?」

 何故なら、次の瞬間には全く別の世界が広がっていたからだ。
 そこは、キラキラと輝く一面の蒼。
 水滴が舞う、晴れ晴れとした空模様だ。

 ユグドは海面に『突き落とされ』、次の瞬間猛烈な勢いで水面から『飛び出てきた』。
 目の前に突如現れた、ハイドラゴンの背に乗って。

「リュー……ト?」

 ユグドは自分の身体に密着した肌の感触から、ラシルの愛龍リュートだと確信した。
 交渉の為に世界各国を飛び回る際、何度かお世話になった背中。
 間違えようがない。

「助けに来てくれた……んですか?」

 思わず敬語でそう問いかける。
 勿論、言葉が通じるはずもなく、答えなど返ってこない。

 だが、その返答の代わりなのか――――リュートは長い鬣に覆われた首を動かし、ユグドの方にその凛々しい横顔を見せた。
 その口から、金属の一部がキラリと覗く。

「まさか……チトルさん?」

 あの一瞬で、かなり深い所まで沈んでいたと思われるチトルまで回収したらしい。
 まだ息があるのか、食べてしまわないかと心配するユグドに対し、リュートは『心配するな』というような優しい眼差しを向けて、その後顔を元の位置に戻した。

 自分の命とチトルの命が助かったことで、ユグドは強烈な安堵感に包まれる。
 だが、仕事という点ではまだ何も進展してはいない。
 
「リュート! 下の船に向かって飛んでくれないか……ですか!?」 

 そう大声で訴えてみる。 
 ラシルの愛龍である以上、人語を解しているかもしれない――――そんなおとぎ話のような可能性に賭けてみた。

 だが、ユグドの期待していたように飛ぶことはなく、リュートはそのまま空中を旋回し始めた。
 頼み事ができるほど、甘くはないらしい。

「なら……」

 今できることを必死で考える。
 飛び降りたところで、待っているのは死。

 何かを投げて甲板上の海賊を混乱させようにも、投擲用の道具など持っていない。
 愛用のこん棒はパールに渡している。
 その彼女が無事かどうかもわからない。

 ラシルさえ普通の状態なら、彼女が率先して守ってくれているだろうが――――

「……リュート!」

 そこでユグドは気付いた。
 試す価値のあることが一つあると。

「ラシルだ! ラシルが船の中にいる! ラシル! 船!」

 なるべく簡易な言葉で叫ぶ。
 人間の言葉の意味がわからない動物であっても、その言葉自体を覚えることはままある。
 ラシルという名前に、リュートが反応を示さないわけがない。

 あとは、そのラシルがいる場所さえ通じれば――――

「下! ラシル、下!」

 方角で示したその時、リュートの動きが急激に変化した。
 それまでは、何かを探すように旋回し続けていたが、いきなり方向転換。
 船へ向かって急下降を始めた。

「う……わっ!」

 鬣にしがみつき、どうにか振り落とされないよう耐えたユグドの目に、あっという間にスキーズブラズニルの甲板が迫る。
 この期を逃せば、何時降りられるか――――

「……〜〜〜〜っ!」

 歯を食いしばり、覚悟を決め、ユグドは甲板に急接近した瞬間、鬣から手を放しリュートの背から飛び降りた!
 高さはそれほど問題ではないが、速度が尋常ではないため、凄まじい衝撃で床か船壁に叩き付けられるのは明白。
 命の危険もあった。

 だが――――

「うぷっ!」

 飛び降りた瞬間、リュートが翼を大きく下から上へ動かし、その羽ばたきで生じた風によってユグドの身体にブレーキがかかった。
 結果、最小限の衝撃で着地に成功。
 尤も、身体ごと投げ出される格好となったため、全身を強く打つハメにはなったが――――

「はうっ!? はうっ!? はうーーーーーーーーーーっ!?」

 特に何のフォローもなくペッと吐き出されたチトルは、そのままの衝撃で甲板の床板に追突し、突き刺さってしまった。
 それでも特に問題なく生きているあたり、アクシス・ムンディ一の防御力の高さが窺える。

「……と、感心してる場合じゃない! クワトロさん! リーダー! 戦況は!?」

 慌てて立ち上がったユグドは、直ぐに異変に気付く。

 ユグドが海に転落し、復帰するまで一分とかかっていない。
 それなのに、海賊の姿がない。
 正確には、立っている海賊の姿が。

「クワトロさん!」

 一方、クワトロは先程まで死守していた扉の前で倒れ込み、白目を剥いていた。
 一見無様な敗北者に見えるが、その周囲には十人以上の海賊の亡骸が横たわっている。
 これだけの人数を道連れにしたのなら、見事という他ない。

「クワトロさん……貴方の死は無駄にはしません!」
 
 実際にはピクピク動いているようにも見えたが、海賊が船内に突入しているのは明白なので、優先すべきはクワトロの看護より海賊の追尾。
 死んでいると思っていたことにすれば、後でとやかく言われることもない――――そんな計算の元、ユグドは扉を抜けて船内へと突入した。
 すると、その直後。

「このバカ野郎どもがあああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 そんな、耳を劈くどころか意識を一瞬でもっていくほどの大声が、船内に響きわたった。











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