――――夕刻。

「もう十年も経つのじゃのう。年を取ると、時間の感覚が曖昧になっていかんのじゃ」

「500年の中の十年じゃ、そうなっても仕方ないですね」

 オレンジ色の大きな夕日に染められ、まるで炎が輝いているかのように
 見える赤い石を右手の人差し指と中指に挟んで、ユグドはじっと眺めていた。
 その直ぐ傍にいるラシルは、両手で手綱を掴んでいる。

 ここは――――ハイドラゴンのリュートの背中。
 ユグドは一触即発、というより既に戦闘中だったラシルとスィスチを半ば強引に引き離し、やはり強引に和解させた。

 現在は、その帰り道。
 遥か上空を舞うその翼龍の上で、昔話に興じていた。

 内容は、先程ラシルがスィスチの部屋で口にした『ユグドの手』に関する不幸について。
 スィスチを尋ねに来たユグドは偶々、それを盗み聞きしていた。
 事情を深く知らないスィスチは無関心だったが、当事者であるユグドは放置する訳にはいかない。

「あの日、武器屋の倉庫で起こったことは、貴様にとって不幸以外の何物でもなかったのじゃ」

 真剣な顔で聞くユグドに、ラシルは少し愁いを帯びた声で話す。
 封印された真実を。

「妾は、貴様の実家の武器屋で商品を眺めておった。愛武器のゲイ・ボルクを外の倉庫に立てかけての。どうも、浮気しているようで気が引けたのじゃよ」

「……」

 その感覚は全く理解できず、ユグドは半眼で肩を竦めた。

「不運だったのは、その倉庫内にカーバンクルと共鳴し、眠れる力が解き放たれた宝石が在ったこと。その宝石が、触れたものを腐らせるという悪質な呪いの石だったこと。そして……貴様がその宝石のはまった武器を手にしていたこと」

「見事な三重苦ですね」

「被害を最小限に食い止めるべく、腐り始めていた二本の指を切り落としたのは妾じゃ」

 全く悪びれもせず断言するラシルの笑顔に、ユグドは一つの確信を得た。
 武器屋でのあの胸の高鳴りは、その時の恐怖を身体が覚えていたからだ――――と。

「この件に関しては、痛い思いをさせてしまったようじゃし、礼は要らぬぞ」

「……礼?」

 何かが違う、と言いたかったものの、空気を読んでユグドは話の続きを待った。

「しかし、よくよく考えてみれば、愛用の武器は倉庫の外。では、妾は一体何の武器で貴様の指を切り落としたのか。よくよく見ると妙な黒いもやが浮かんでおるではないか。どうやら、呪いの類の石が付いた短剣で、これもカーバンクルによって力が解放されていたようでな。不幸中の幸いと言うべきか、妾の知識の範疇内にある石じゃった」

「……まさか、それで斬ったら女運に恵まれないとか、そういう下らない話じゃないでしょうね」

「安心せい。妾と知り合った時点で女運は最高じゃ。その短剣に付いていた宝石の呪いは、記憶の封印じゃ」

 記憶――――ユグドは思わず、自分の頭に四つの指で触れる。

「その宝石は短剣とセットで効果を発揮するのじゃ。短剣で斬られた者は、斬られたことを全て忘れる。斬った相手のことも忘れる。殺し損ねた場合でも素性がバレぬという、優秀な暗殺用の武器じゃ」

「……それが偶々、オレの実家の倉庫に転がってたと?」

「うむ。不幸の連鎖は果てしないのう」

 確実に証拠隠滅の臭いがした。

「なんじゃその目は。疑っておるのか? そもそも妾は最初から、時が来れば全てを話すつもりでおったのじゃ」

「笑い話になるくらい時間が経って……ですか」

「かっかっか」

 何故高笑いなのかは謎だったが、ラシルは突然リュートの手綱を引き、速度を上げた。

「……怖がらせて話を逸らしやすくしてません?」

「さて。これで長年の胸のつかえが取れたのじゃ。次は……」

「やっぱり後ろ暗い何かがあったんじゃないですか! まだ話は終わって……!」

「次は貴様が答える番じゃ」

 図星だったようだが、ラシルは力業で強引に話題転換に成功した。

「何故、あのような交渉を持ちかけたのじゃ?」

 あのような交渉――――それは、先程スィスチの部屋でユグドがラシルとスィスチに持ちかけた契約。
 その場で即座に思いついたものとは思えない内容だった。 


1.ラシル=リントヴルム(以下甲)はスィスチ=カミン(以下乙)に対し、素性の漏洩を行うなどの正当な理由がない限り襲撃を行わない

2.甲は乙に対し、自らの意思でカーバンクルを貸出することができる

3.乙は甲に対し、龍槍ゲイ・ボルグの返却を可及的速やかに行う

4.龍槍ゲイ・ボルグとは、装飾品を含む槍に付随する全ての部位を示すものとする

5.乙は甲に対し、甲の望むあらゆる情報を開示する

6.以上の項目をどちらかが反故にした場合は、アクシス・ムンディを通してルンメニゲ連合にその旨を報告する


 この契約が何を意味するのかというと――――

「貴様、妾にホレていたのではないのか? 何故、あのような宝石狂いの腐れ学者を助けるのじゃ?」

「別にスィスチさんに有利って訳じゃないでしょ。落としどころとしては、こんなもんだと思っただけです」

「そんなワケがあるか。貴様がしゃしゃり出てこなければ、妾の総取りだったのじゃぞ」

 既にゲイ・ボルグはラシルの手に返却されている。
 当然、カーバンクルもそのまま所持。
 だがラシルにとって、自分を貶めようとしたスィスチを事実上無罪放免としたこの契約は、納得がいかないものだった。

 それに、この契約はスィスチに可能性を残している。
 もし今後、ラシルが何らかの情報をスィスチから得ようとする機会があれば、スィスチはラシルと交渉ができる。
 逆に情報を売り込むこともできる。

 つまり、ラシルにとって今回の件を水に流せるだけの価値の高い情報を得れば、希望が見えるという訳だ。
 尤も、当の本人は――――

『ユグ坊が余計なことしなかったら、あたしの総取りだったのにね』

 ラシルと同じことを言っていた。
 ちなみに、1に関してはユグドが今後スィスチの行動を見張ることで成立する。
 もう暫くはアクシス・ムンディに在籍する必要ができてしまった。

「貴女は強いですよ。闘いの心得がないオレがそうわかるくらい」

「当然じゃ。だから余計なことだったと言っておる」

「そんな貴女を敵に回して勝算のない闘いを挑むほど、スィスチさんは愚かじゃないんですよ」

「……む」

 あの場で、どちらが有利だったのかはユグドにもわからない。
 ただ、例え微かであろうと、スィスチに勝算があったのは確か。

 なら守らなければならない。
 その勝算から、ラシルを守らなければならない。
 それがユグドの人生なのだから。

 尤も――――自分が人間扱いされなくなった原因を作ったのが彼女だと知った今、かなり複雑な関係性になってしまったが。

「何故、あのような交渉を持ちかけたのか……でしたっけ」

 それでも、ユグドは断言する。

「答えます。貴女を守る為です」

 理由は最早、あってないようなもの。
 もう出発したのだから、今更そう簡単に目的地を変えることはできない。
 ここから飛び降りることが可能なくらいの勇気と特別な力でもあれば、話は別かもしれないが。

「ふむ。妾にホレてるのだから、それは当然じゃな」

「そんなバカな」

「何じゃ!? その小馬鹿にしたような半笑いは! 人生の大先輩に対して失礼なのじゃ!」

 最早どう敬えばいいかわからないほどの大先輩ではあった。

「だったらどうして妾を守るのじゃ。そもそも、貴様なんぞに守られるほど妾は弱くないのじゃぞ」

「子供の頃から『守る』って言葉が妙に頭にこびりついてるんですよね。きっと、そういう星の下に生まれたんじゃないですか」

 人間らしさを証明するために『守る』。
 ただ、その決意のきっかけとなった出来事――――ラシルの発言を、ユグドは覚えていない。

「大方、前世で何人もの婦女子に『お前を守る!』とヌカしていた遊び人だったのじゃろう。軽薄じゃのう」

 そして当のラシルも全く覚えていない。
 締まらない二人だった。

「確かに……オレの前世より年上であろう人に言われると、説得力を感じますね」

「愚か者めが! 女性の年齢を無闇に弄ぶではないわっ!」

 割と本気でラシルは憤怒した。

「全く……長生きするというのは大変なのじゃぞ」

「そういえば、さっきスィスチさんに言ってましたね。幸運じゃなくて呪いだって」

 呪いの石、悪魔の石――――ラシルはそう吐き捨てるように断言していた。
 老化しない身体には、恐らく誰もが憧れる。
 しかし、余りに強い光の所為か、そこに闇があると考える者は少ない。

「貴様が受けた呪いとは質こそ違えど、人生を狂わされたという点では同じじゃな。本来生きるべき時代を越え生き続けるのは、案外辛いものじゃ。捨てたくとも捨てられぬ重荷が増えていくのでな」

 憂いを帯びた声で語るラシルは、赤く澄んだ空に遠い目を向け、思いに馳せた。
 その茜色の空は、遥か彼方遠い過去の記憶とも繋がっているのだろう。

「どうじゃ、陰のある妾は普段以上に美しかろう。女は愁事を抱えておる時が一番輝くものじゃ。貴様がホレ直すのも無理はない」

「元々ホレてないです。それに、100年の恋も冷めるような過去話聞かされたばかりですし」

「心配無用じゃ。妾は500年生きておる。100年など大した重さではないのじゃ」

「……やっぱり、人生を間違えた気がしてきた」

 ユグドは頭を抱えながら、守るべき対象を見誤った過去の自分を呪った。

「ところで……ちょっと前に会った時、祖母が乗り移ってるとか言ってましたけど、あれ嘘ですよね? あの辺のくだり、何だったんですか?」

「そろそろ夜じゃな。夕日が落ちる前に宿に戻ろうぞ」

「おい、話を逸らすな」

「500年近い人生の先輩に対して何という口の利き方じゃ! 愚か者めが!」

「貴女が露骨に話を逸らすからでしょ」

 ユグドはジト目でラシルの背中を睨み続ける。
 耐えかねたのか――――

「……じゃ」

 ポツリと、ラシルは答えた。

「聞こえません。もっと大きな声で」

「若作りじゃ! まだ幼さの残る無口なオナゴの方が何かとチヤホヤされるのじゃ! 500年も生きていると、多方面でババア扱いされて嫌なのじゃっ!」

 つまり――――演技。
 あの途切れ途切れの喋り方も、朴訥とした雰囲気も、取り憑かれた不幸な少女という設定も、全て。
 その素性から、他人を装ったり、偽装したりする目的もあるのだろうが、ラシルの発言はやたら真実味を帯びていた。

「やっぱり、そうでしたか」

 とても満足げに、ユグドはウンウンと頷く。

「……どういう意味じゃ」

「オレが貴女に惚れてる、とか言ってしまう自意識過剰ぶりといい、その若作りといい、貴女は……」

 タップリと溜めたのち、ユグドは断言した。

「モテないんですね。可哀想に」
 
 ピキッ――――

「こ、この妾がモテないとヌカしおるか!? 見よ、この愛嬌たっぷりの美顔を! 見よ、扇情的で柔軟性に富んだ肉体を! 男が遠ざかる理由などカケラもないじゃろ!」

「多方面でババア扱いされてるんでしょう? 見かけが10代でも中身が500代じゃ、無理ですよ。ご愁傷様です」

 ピキピキッ――――

「おのれ……云いおったな」
「心配しないで下さい。オレが害悪になりそうなあらゆる男から貴女を守りますから。例えモテなくても、一生独身でいる言い訳を作ってあげます」
「やめんかーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 龍騎士の悲鳴がこだまする。

 その叫び声は耳を劈くようなけたたましいものだったが、幸いにもここは空。
 地上の生活には何ら影響を与えない、ただの非日常的な現象に過ぎない。
 けれど、その現象にはそれなりに意味があった。
 

 決して記憶から途切れることのない――――

 


 これは、そんな二人の狂詩曲。









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