ようやく辿り着いた目的地。
 ここに、あのラシル=リントヴルムがいるかもしれない。
 そう思うだけで、自然と心臓が高鳴る。

「……?」

 その感情を、ユグドは理解できずにいた。
 守るべき対象なのだから、確かに特別な存在ではあるのだが――――

「チトル。ヌシが最初に入るといい。アクシス・ムンディで最高の防御力を誇るヌシなら、仮に不意打ちに合っても十分に耐えられるであろう。ただし神盾アイギスは持っておくがよいぞ」

「了解しましたですりょー」

 そうケロッと返事し、チトルはその場に倒れ込みゴロゴロして背負っていた盾を外し、ムクリと起き上がった。
 甲冑を装備しておきながら、自力で立ち上がれるというのは何気に超人的だ。

 そして、もう一つ特筆すべきは――――神盾アイギス。
 魔術を完璧に防ぐどころか、そのまま真正面に跳ね返す。
 そんな驚異的な能力を有した伝説の盾だ。
 チトルの家に代々伝わる盾らしい。

 ラシルが魔術を使用する可能性は極めて低いが、念には念を入れておく必要はある。
 何せ、全身甲冑のチトルは回避能力皆無。
 魔術、特に雷撃を中心とした黄魔術を食らえば一瞬で黒コゲだ。

「ではではー、行きますのいきー!」

 まるでピクニックにでも行くような陽気な声で、チトルが武器屋の扉を開ける。

 中に灯りはなく、月明かりが窓から差し込むだけの薄暗い空間が広がった。
 暫く目を凝らしていると、その武器屋の内部が青白く浮かび上がってくる。

 一言でいえば――――そこは異常だった。

 床のアチコチに武器が散らばっており、まるで誰かに荒らされたようになっている。
 しかも、漂ってくる臭いは――――

「……血、だ」

 ユグドは思わずそう漏らした。
 床にはベッタリと血の跡がついている。
 かなりの出血だ。

「ユグド、下がるがいい。ここからは我々の役割であるが故にな」

 いつの間にかユグドの背後に来ていたクワトロは、既に剣を抜いていた。

 銀剣・雪月花。
 真面目な性格のクワトロが持つだけあって、回りくどい能力は何もない非常に強力な剣だ。

「生憎、それはできませんね」

 だが、ユグドも譲らない。
 もしここにラシルがいるのなら。
 もし、この血がラシルの仕業だとしたら――――

「……下がればよし。さもなくば」

 言葉少なに、クワトロは目を光らせる。
 ユグドなど、一瞬で真っ二つにできるだけの力を有した戦士。
 その凄みに偽りなし。

 それでも、ユグドはその場を動かなかった。
 何故なら。
 その視線の先には――――

「……誰?」

 そう問いかけてくる、灰色の長い髪の毛と少しおっとりとした目が特徴的な女性の姿が、月明かりによって浮かび上がっていたからだ。
 頭上を覆う龍の頭を模した兜は、恐ろしさより荘厳さが際立っており、羽根を連想させる装飾を施している銀色の鎧は、神々しさすら漂わせている。
 ただ、それらの装備品など、当の本人の持つ存在感に比べれば微弱。
 完全に霞んでいる。

 ――――ドクン。

 ユグドの胸が、大きく跳ねた。

 ――――綺麗だ。

 異性への興味がまるでなかった、二年前とは違う感想。
 この緊迫した場面で抱くには、余りにも不釣り合いな感情。

 しかし、ユグドは自分に嘘が吐けなかった。
 目の前で、血の滴る槍を握ったラシルが実際にはどのような人物で何をしでかしたのか、という分析よりも、まずその月明かりによって薄い光を帯びたその姿に魅了されてしまった。

 ――――否。

 この感情が今突然湧いて出たというのは、不合理だ。
 むしろ、これまでの経緯からして、既に自分が魅入られていたことを自覚すべきだ。

 あの時から。
 初めて湖のほとりで彼女を裸を見た、あの時から――――

「……?」

 不意に訪れた感情の波に翻弄されているユグドに対し、ラシルは訝しげな目と共に佇んでいる。
 血に染まった槍は、薄暗い武器屋の中でも際立った物々しさを有しており、派手で且つ禍々しい装飾は、通常の武器の範囲を遥かに逸脱している。
 そしてその装飾の一部である彫刻細工には、まるで炎の揺らめきのような活き活きとした赤を持つ石がはめ込まれている。

 龍槍ゲイ・ボルグだ。

「国際護衛協会アクシス・ムンディ所属、クワトロ=パラディーノである。龍騎士ラシル=リントヴルム、ヌシには不法入国の嫌疑がかかっている」

 ユグドの背後から、クワトロが凛とした声で告げる。
 しかし、ユグドは察していた。
 明らかに――――怯えている。

 クワトロは決して弱くはない。
 アクシス・ムンディでの序列のみならず、単純に戦士としての戦闘能力はかなり高く、大手傭兵ギルドの隊長クラスの力は十分にあるだろう。
 それに加え、銀剣・雪月花という強力な武器もある。

 精神面においても、その強さを疑う余地はない。
 であるにも拘らず、クワトロの声は上ずっていた。
 恐らく、冷や汗が全身に滲んでいるのだろう――――そう容易に想像できるほど。

 ラシル=リントヴルムがそうさせているのであれば、この女性は一体どれほどの力を秘めているのか。
 決して身近ではないとはいえ、遠くもない存在。
 そんな彼女が放つ圧倒的な威圧感を、ユグドは感知できずにいた。

「大人しく捕まりなさいおとー!」

 一方、空気を読む能力に著しく欠けているチトルはいつもと変わらない様子で勇ましく叫んでいた。
 ある意味、とてもバランスのとれた二人。
 コンビを組む機会が多いのも納得だ――――そう考えつつ、ユグドはその場に立ち尽くしていた。

 実はこれまで、ラシルに話しかける機会はごまんとあった。
 かつては同じ街に住んでいたのだから、当然だ。

 いくら龍騎士とはいえ、年がら年中ドラゴンに跨がっている訳ではない。
 街で買い物をしている姿を見かけることもままあった。
 それでも、ユグドは知り合いになろうと思ったことは一度もなかった。

 守るべき相手と懇意になる必要はない。
 むしろ、感情が先立って支障が生まれるかもしれない。
 そういう理屈で、これまで距離を置いてきた。

 しかし最早、そうこう言っていられる状況ではない。

 なのに――――言葉が出てこない。
 
 これまで、龍槍ゲイ・ボルグの交渉に備えて数多くの交渉をこなしてきた。
 アクシス・ムンディへ加入した後もそれは変わらず、寧ろ機会は増えた。
 営業面での成果が如実に現れて以降は、ほぼ全ての仕事における営業職をユグドがこなしている。

 今回、国境の警護を任されたのも、傭兵ギルドに媚びを売って名前を売った成果だ。
 この手の仕事は然程収入面の旨味はないが、知名度を飛躍的に上げる。
 アクシス・ムンディの更なる発展の足掛かりになるのは間違いないだろう。

 だがそれは、あくまでも成功したらの話。
 不法入国を見過ごしてしまえば、仕事の質が疑われる。

 そこまでわかっていても、言葉が出てこない。
 これまで交渉術を培ってきた二年間が、まるで夢物語であったかのようにユグドの中で消えていく。

 血の跡に動揺したのか?
 守るべき相手を目の前にし、舞い上がっているのか?
 或いは――――

「それに……その血塗られた槍はどうしたのであるか? もしやそれは、龍槍ゲイ・ボルグではないのであるか……?」

 クワトロは、ユグドから先程その槍の話を聞いている。
 そう思い当たるのは必然だ。

 だが。

「……そう」

 当のラシルはそれに答えず、納得したような、それでいてもの悲しそうな顔で瞼を半分落とす。
 たったそれだけの仕草に、ユグドは再び胸を高鳴らせた。
 一方、ラシルは――――

「きっと……彼らがこれを奪いに……」

「……え?」

 途切れ途切れに呟く眼前の龍騎士の声に、去来する感情を一端捨てユグドは眉をしかめる。
 ラシルは明らかに敵意を向けてきた。
 だが、問題はそれではない。

 彼女は今――――誰と話していた?

「なら……仕方がない……」

 不可解な物言いにユグドが気を取られている中、ラシルは徐に戦闘態勢を作る。
 ドラゴンに跨っていないとはいえ、龍騎士の力は地上でも絶大。
 そう確信させるような威圧感が、まだ10代のこの少女にはある。

 尤も――――

「むむむ、やるですかやるー!? 受けて立ち待つですようけー! かかってきなさいなのですなのー!」

 その威圧感をまるで察知していないのか、甲冑をギッチョンと鳴らしチトルが吠えた。
 ある意味頼りになるが、同時に無謀と言うしかない。

 事実、防御面以外ではチトルを全て上回っているクワトロが後退こそしないものの、言葉も出せないほど気圧されている。
 そして、そのユグドの不安視を証明するかのように――――

「龍騎士の名において……非道なる盗賊を始末する……」 

 バチッ――――そんな破裂音が、武器屋の中に響いた。
 音源は明らか。
 ゲイ・ボルグの槍頭に、青白い雷光が発生していた。
 稲妻を帯び、使い手の突きを加速させるという言い伝え通りだ。

「な、なんなのですかあれなんー!?」

 この雷光が魔術と関係しているのか、それとも無関係なのか――――魔術を弾く盾を持つチトルにとってはかなり大きな問題だ。
 一歩間違えば感電死は免れない。

「やっつけて……やる……」

 その少し子供じみた掛け声と同時に、ゲイ・ボルグの眼とも形容できそうな赤い石が、血の赤と混ざって光を発したようにユグドには見え――――――――――――――――

「……!」
 
 それは一瞬だった。
 刹那の閃き。
 稲妻が、一直線にチトルへと解き放たれた。

 槍による突きとは到底思えないような、神速の一撃。
 ユグドは身体を硬直させることしかできず、その隣にいたチトルは――――

「あーれー」
 
 ――――割と緊張感なく後ろにゴロゴロ転がり、壁に激突していた。

「ふにゃあー……カクン」

 そのまま気絶。
 なんとも間の抜けた戦闘不能劇ではあるが、チトルが一撃でやられるなど今まで一度もなかった事態だ。

 紛れもなく、ラシルは強い。
 それもケタ外れに。

「素晴らしき攻撃……やはり噂通り、いや噂以上の猛者であるか」

 それまで気圧され続けていたクワトロが、目が覚めたように一歩、二歩と前に出る。
 開き直ったようだ。
 だが――――

「……」

 無言で、ユグドはその前進を腕で制した。

「ユグド……まさかヌシ、先程の言葉は冗談ではなかったと申すのか? 既に標的は龍槍ゲイ・ボルグを手にし、その槍を血で染めているのだぞ。最早疑う余地はないのであるぞ」

「偽りはありませんよ。嘘を言う理由がない」

 毅然とそう言い放ったユグドは、そのままの体勢で眼前のラシルを眺める。

「ただ、敵対する理由もない」

 その顔は、憂いを帯びたままだ。
 明らかにおかしい。

 もし彼女が、この武器屋を襲って龍槍ゲイ・ボルグを手にしたのなら。
 そういう目的で、不法入国を果たしていたのなら。
 その現場を見られ、目撃者を始末しようとしているのなら――――

「ラシル=リントヴルム。オレたちは君の敵じゃない」

 先程の突きの後、直ぐに追撃をしていたはず。
 何より――――悲しい顔などしないはず。

 ユグドは状況を冷静に捉え、そして洞察した。
 武器屋の主人の姿がない。
 ラシルが殺したのなら、ここに死体が転がっているはず。

 それに、先程の彼女の言葉。

『きっと……彼らがこれを奪いに……』

 証拠隠滅を図ろうとしている人物の呟きではない。
『これ』が龍槍ゲイ・ボルグを指しているのなら、彼女は寧ろゲイ・ボルグを守ろうとしているのではないか?

 なら、真相は――――

「まずは誤解を解きたい。オレたちは、その槍を盗ろうとしている訳じゃない」

「……嘘……ならどうしてこの槍の名前を知ってるの……」

「確かに、その槍がゲイ・ボルグだと一目でわかるヤツなんてそうはいないだろう。君の疑いは正当なものだ」

 ユグドの口調は、いつの間にか交渉用のそれになっていた。

「オレは武器屋の倅だ。君の住んでいる街にある『ジェメローランの破壊力』っていう名前の」

「……知っている? ……そんなヘンな名前の店……」

「名前については否定しないけど、武器屋の息子なのは確かだ。だから、武器には詳しいし、文献や絵からゲイ・ボルグのことも知っていた。ここへ来たこともあるし、そのことをここの主人にも話してる。主人はどこに? 彼がいれば証明できる」

 ユグドが実家の武器屋を持ち出したことで、ラシルの表情は明らかに一変した。 
 ただ――――

「……そう。確かに知ってる……の?」

 明らかに、ユグドではない誰かと話している。
 先程の違和感が、ここに来て再燃した。

「ユグド」

 その隙に、クワトロがユグドへ近づく。

「ヌシの見解は、龍騎士がこの惨状を生み出した訳ではないと、そういう訳なのだな」

「理解が早くて助かります。あの鎧娘じゃこうはいかない」

「……私情を挟んではおるまいな」

「私情を挟んだ上で彼女を無事に逃がし、尚且つその後の逃亡生活においてなんら不自由なく暮らしていけるような支援をするという方向の計画も一通り考えましたが。聞きます?」

「いや。挟んではいない、というのはよくわかったので問題ないと言っておこう」

 納得したらしきクワトロは、警戒をしながらも臨戦態勢は解いた。
 その直後、ラシルが小さくコクリと頷く。

「……誤解……だったみたい……ごめんなさい」

 落ち着き払ったようで、まるで子供のように謝るその姿に先程とは異なる違和感を覚えつつも、ユグドはほっと一息ついた。
 ラシルの潔白、自分の潔白を同時に証明できた。

 初めて――――ラシルを守ることができた。

 それは、自分が人間だと証明する人生において、大きな前進だ。
 とはいえ、まだ終わってはいない。

「とりあえず、君がここに来た時の状況を聞かせて欲しい」

 ここからはアクシス・ムンディの一員として仕事をしなければならない。
 クワトロにチトルの介護を任せ、ユグドは聞き取り調査を始めた。

 初めてのラシルとの会話。
 そう意識すると、自然と胸が高鳴り、ソワソワした気分になる。
 それを抑えるのに一苦労だった。

「私は……この武器屋が襲撃に遭うという情報を得て……ここに来た。不法入国は……事後承諾」

「いや、それは流石に通用しないと思う」

「人命優先……でも……救えなかったかもしれない」

 途切れ途切れに呟くラシルの声は、沈んでいた。
 彼女の言を信じるならば、ここにラシルが着いた時にはもう武器屋は荒らされ、主人はいなかったらしい。

 だが、龍槍ゲイ・ボルグは盗られずにここにあった。
 血塗られた状態で。
 にわかには信じ難い話だが――――

「だから……まだ犯人がここにいて……最後にこの槍を盗って逃走する予定……だったと思っていた……」

「それで、オレ達と闘おうとしたのか。いや、実際一人やられたんだけど」

「ごめんなさい……鎧にはあとで謝る……」 

「人扱いしてやってくれないかな……」

 呆れつつ、ユグドは頭の中で状況を整理した。

 武器屋が襲われ、血塗られた龍槍ゲイ・ボルグが放置された状態。
 ラシルの話を真実と仮定した場合、どのような事態が想定されるか。

 血は武器屋の主人のもので間違いないだろう。
 彼がここにいない以上、死体なのか息絶え絶えなのかは不明だが、その身体は持ち去られていることになる。
 仮に野盗の仕業で、証拠隠滅のために武器屋の主人を何処かへ運んだのだとしても、ゲイ・ボルグが放置されている理由にも、血で染まっている理由にもなっていない。
 8500万マルツという高額商品を、野盗が見逃すはずがないのだから。

「ところで、どうやって君は『この武器屋が襲われる』って情報を得たの?」

「……それは……その」

 言い淀むラシル。
 というより、苦しんでいるようにも見える。

「どうした?」

「……もう……限界」

 ユグドの心配する声を無視し、ラシルは顔をしかめ、額を手で押さえるようにして後ろを向いた。
 突然の怪しい動作に、ユグドが思わず身構えると――――

「ゲイ・ボルグが欲しかったからじゃよ。ここの武器屋の情報は常に入れておいたのでな。副次的な情報、と言うべきかもしれんのじゃ」

 先程と同じ声――――なのに、全く違う喋り方。
 まるで年寄りの口調だ。
 しかし振り向いたその声の主は、紛れもなくラシル本人だった。

「久しいの、武器屋の倅。貴様の方と会話をするのは幼少の砌以来じゃ」

「……?」

 混乱するユグドに向かって、ラシル――――かどうかわからないその女性は意地悪そうに微笑んだ。








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