賢聖アウロス=エルガーデンの話は、ファルシオンから嫌というほど聞かされていた為、フェイルは自分の興味より遥かに多い知識を得ていた。

 出身は第二聖地ウェンブリー。
 当初はヴィオロー魔術大学という中堅くらいの大学に研究員として勤めていたが、のちにウェンブリー魔術学院大学へと移籍。
 そこでオートルーリングという技術の開発に成功し、魔術の飛躍的な進化に貢献したとして、賢聖の称号を得た。

 これに関しては、様々な評価がある。
 確かに素晴らしい技術だが、一つの発明だけで賢聖を与えるのは早計ではないかという反対意見は勿論、オートルーリングの論文発表後、新教皇の誕生とほぼ同時期にファーストオーサーを彼の名前に変更する動きがあった事から、教皇ロベリア=カーディナリスの愛人説も未だ根強く残っている。
 教皇に妻がいない事も、この根も葉もない噂を無駄に広めた要因と言えるだろう。

 当然のようにファルシオンはそれらの否定意見を一蹴。

『全くの逆です。元々彼の論文だったものを、ウェンブリー魔術学院大学の教授が私物化しようとしたんです。彼はヴィオロー魔術大学時代からこの論文を書いていたんですから。少し調べればわかるものを――――』

 その後も愚痴は延々と続いたが、要するにアウロスの賢聖就任は妥当な判断だったらしい。
 ファルシオンがそう断言する以上、フェイルに反論の意志はなかった。

 ――――というのは建前で。

 実は、フェイルなりに思うところがあった。

「賢聖の来訪は極秘で行われている。官吏でないとはいえ、我が国で言う剣聖と同等……希少性という点で言えばそれ以上の存在だ。無駄に喧嘩を売るような真似はしないようにな」

「……そんなに殺気立ってますかね、僕」

「恋敵でも待っているような顔だ。珍しいな、冷静さを欠く貴様は」

 実際、似たようなものだった。
 とはいえ、賢聖が自分に関心を抱いた事には大きな意味があると捉えてもいた。

 アウロス=エルガーデンから届いた手紙には、一度会って話がしたいという旨の内容が手短に記されていた。
 理由は容易に想像がつく。
『世界の恥部』を覗いた事を、どういう経路でかは不明だが、知るところとなったからに違いない。

 あの場にいた人間は限られているが、ごく稀にこのような事はあった。
 ただし、これまでは目的が口封じと容易にわかる相手だった為、門前払いでよかった。
 しかし今回はその限りではない。

 もし魔術国家デ・ラ・ペーニャが自国の『恥』を口外しないよう懇願、或いは脅迫しに来るのなら、事前に手紙で意志を確認するメリットがない。
 そもそもが表沙汰に出来る筈のない案件なのだから、正式な手順を踏む必要性は皆無。
 賢聖が来たと知れば、当然無碍には出来ず、場当たりな対応に終始せざるを得なかっただろう。

 余程の無知なら、何も考えず手紙を出したとも考えられるが、相手は賢聖。
 政治力だけでも、武力だけでも、決して与えられるような称号ではない。
 だからこそ、フェイルとの面談を希望していたにも拘わらず、こうして国王であるアルベロアが同席している。

「っていうか、国王が謁見の間以外で他国の人間と会うってどうなんですか?」

「余が指名された訳でもないのに謁見を強制するのも間抜けだろう。余は馬鹿の王とは思われたくないのでな」

「……はあ」

 デュランダルもガラディーンも、彼が王子の時代に温かい目で見守っていた。
 それは単に騎士だからではなく、彼の中に確かな光が見えていたからだろう――――今の立場に就いてから、フェイルはそう考えるようになっていた。

「余が応接室で座っていると知れば、賢聖も驚愕を禁じ得まい。平常心をなくしたところで一気に主導権を握り、デ・ラ・ペーニャの目論見を曝こうぞ」

「したたかですね」

 実際、王となって以降のアルベロアは、日に日にその器を大きく、強固にしている。
 そんな自国の王を頼もしく思いつつ、フェイルは邂逅の時を待った。

 そして――――

「失礼します」

 従者を従えるでもなく、アウロス=エルガーデンは一人で応接室へと入って来た。

 まだ20代前半の若き魔術士。
 顔の作り自体は年齢相応だが、その佇まいと落ち着き払った態度は、重鎮を思わせるほどに泰然自若としている。
 それほど年齢が変わらない事もあり、フェイルは元々抱いていた微かな対抗意識を更に強めていた。

「……」

 とはいえ――――流石の賢聖も、応接室に国王が普通に座っていた事には驚いたらしく、暫し足が止まった。
 表情にこそ出していないが、困惑しているのは明らかだ。

「遠路はるばる良く来てくれた。さあ掛けてくれ」

「……はい」

 アルベロア国王に促された席に、アウロスは静かに腰掛ける。
 しかし外面とは裏腹に、彼の精神は未だ混乱を来たし――――

「お初にお目にかかります。アウロス=エルガーデンと申します。本日は私の個人的な要請に応じて頂き、深く感謝申し上げます」

 そんなアルベロアの目論みは、一瞬で潰えた。

「……個人的、だと?」

「はい。私は教会の使者として来た訳じゃありません。友人の紹介で、フェイル=ノートという人物に一目会って話がしたいと思い、参上した次第です」

 確かに、手紙にはデ・ラ・ペーニャの使者であると匂わせる文言はなかった。
 だが、賢聖の称号を持つ者が他国の特殊部隊の隊長と国を背負わず会合を行うなど、到底想像できない。
 主導権を握ったと確信していたアルベロアの眉が、動揺で微かに痙攣していた。

「では、余はただの間抜けだった訳か?」

「いえ。同席して頂けるのは大変光栄です。それに――――」

 微かに瞼を下げていたアウロスの双眸が、ゆっくりとフェイルへと向けられる。

「お陰で、状況の説明を受ける手間も省けました」

 皮肉というニュアンスを感じさせない、落ち着き払った声。
 フェイルは自分の中で暫く眠ったままになっていた衝動が、一気に呼び起こされたのを自覚した。

 緊張感と危機感。
 そして――――高揚感。

 弓は引いていないし、指輪を光らせてもいないが、二人は睨み合うように対峙した。

「なら、腹を割って話しましょう。僕に対しては丁寧な口調は不要です。特別な役職でもありませんし、そもそも公式な会談でもないですし。陛下、良いですよね?」

「……好きにするが良い」

 半ばふて腐れ気味に、そして呆れ気味に、アルベロアは匙を投げるようにして椅子に深く座り込んだ。
 主導権を握れなかった以上、旗色はどうしたって悪い。
 そう判断し、フェイルに丸投げするという意思表示だった。

「どう呼べば良いですか? 賢聖様、とか?」

「出来れば名前で」

「わかりました。ではアウロスさん、どういった経緯で僕に目を付けたんですか?」

 本当に飾らない質問が飛んできた事に、アウロスは思わず目力を強める。
 ある程度、先の方まで見越した上での問いなのは明白で、それに対する回答も、その上での質問も、両者の頭の中では既に組み立てられていた。

「ラインハルト。こっちではハルと名乗ってるらしいが、あの男から話は聞いた。知ってると思うが、仲間を売るような小賢しさは一切ない奴だ。俺が苦労している事と、あんたが苦労している事を両方知った上で、俺達を繋げたがっていた」

「やっぱりハルだったか……」
 
 思わず笑みを零しそうになり、フェイルは慌てて表情を引き締める。
 ここまでは予想通り。

「そのラインハルトから聞いたんだが、目は見えていないのか? とてもそうは思えないくらい、目の動きが自然なんだが」

「視力は失いましたけど、代わりになんか異常に鋭敏になったみたいで。人の声を聞くと、その声からその人の姿がわかるし、映像が見えるんですよね。脳内補正だと思います」

 世界の恥部を覗いた際、フェイルの神経は常人とは大きく異なる構造になった。
 否――――元々鷹の目と梟の目を持っていた時点で、見える景色は常人離れしていた。
 それが大幅に拡大した格好だ。

「それに合わせて目が動いているだけです。つい最近まで目に頼り切りだったから」

「そうか。凄いな」

 意外にも、賢聖は素直に感嘆の言葉を漏らす。
 フェイルはその事に、今日一番の驚きを覚えていた。

「それと……知り合いに、目が見えなくても懸命に生きている子がいまして。そんな彼女を懸命にサポートしている人もいます。それに比べれば、こんな奇跡じみた事は茶番に過ぎないんです」

「……」

 アウロスのフェイルを見る目は、少しずつ、着実に変化していた。











 

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