ヴァジーハ8世という国王は、ある意味では可哀想な人間だった。
 王としての素質を一切持たず、王の跡継ぎとして生まれてしまったのだから。
 世襲制である以上、彼には帝王学を学ぶ義務があったし、それを放棄して逃げ出すのは事実上不可能だった。

 そして、無能だからこそ彼は無限と永遠を欲した。
 長い時間をかければ、自分が評価される時代が来ると本気で信じていた。
 本気でそう願っていたのだから、彼は彼で、王である自分と向き合う事だけは出来ていたのかもしれない。

 無論、そんな事が数多の国民を――――豊かな才能や温かな絆を引き裂いた彼の免罪符とはならない。
 王だからこそ許されていた彼の蛮行は、死後様々なルートで流され、国民に知られる事となった。
 それは、現国王であるヴァジーハ9世が望んだ事だった。

 父を公然と批判するのは、幾ら不人気の王だったとしても上品なやり方とは言えない。
 しかし自分が殺されかけ、しかも親としての愛情を微塵も受けていなかった事実を伏せたまま彼を凡王という評価で眠らせるほど、寛容にもなれない。
 そこで、現国王は決断を下した。

「……それと残党狩りに一体何の因果関係が?」

 かつては宮廷弓兵として、ある程度は宮廷内を自由に出入り出来ていたフェイルだが、今の身分――――特殊部隊の隊長では、日中に動き回る事は出来ない。
 日が沈み、銀朱をはじめとした騎士団や高官達、毎日優雅な暮らしをしている貴族の面々が寝静まる深夜、王室を訪ねるのが通例になっている。

「らしくないな。実務にばかり勤しんで頭を使わなくなったか? 今や余の方が冴えているのかもしれぬな」

「……」

 フェイルは苛立ちを敢えて隠さず、今日ここへ呼ばれた理由を探る。

 新たな王とフェイルの関係は、非常に特殊だった。
 宮廷弓兵時代は接点すらなく、ヴァレロンにおいて勇者計画と花葬計画を巡る陰謀では敵同士であったにも拘らず、死の淵を彷徨った当時のアルベロア王子はフェイルに全てを託そうとし、フェイルはそれに応じようとした。
 奇跡的に一命を取り留めた後は、共に地獄に落ちる覚悟で元国王の暗殺を企て、実行に移した。

 理由は一つ。
 たった一つのみ。

 アルベロア王子は誰より、剣聖ガラディーンよりデュランダル=カレイラに憧れ、フェイルもまたデュランダルを慕っていた。

 フェイルは今の自分がデュランダルの遺志を継いでいるとは思っていない。
 それでも、世界中のどの場所よりもここが安全なのは事実であり、ここにいる事で果たされる約束があると信じ、無数の指令をこなしてきた。
 
「……僕にとっての『残党狩り』は、勇者候補一行に対して貴方が実行した忌々しい言葉です。でも今の僕に命じられる残党狩りとは、元国王ヴァジーハ8世の直属の部下達の中で陛下の軍門に降らなかった連中の粛正が妥当でしょう。なら、この二つを結びつける何か……例えば勇者計画に関わっていた連中の残党狩り、といったところですか」

 若干嫌々ながらそう答えたフェイルに、王は掌を合わせない拍手で応じた。

「やはりデュランダルが鍛えた男よ。貴様と組んだのは正解だった」

「こっちは息が詰まる思いですよ。一国の王と個人的に協定を結ぶなんて」

「そう言うな。余とて国を預かる者として、普段からそのような空気の中で生きておる。真夜中に少しくらいの息抜きくらい許せ」

「……そういうのって、他に幾らでも相手がいるんじゃないですか? 普通の王なら……」

「余は快楽を貪る事に幾ばくの興味も持たぬ。自由国家の王となる為には、いつ如何なる時も凛々しき王でなければならぬのだ」

 アルベロアという人間は、王子時代から堅物だった。
 これは間違いなくデュランダルの影響。
 銀仮面と呼ばれた人間に憧れた少年心をそのまま大人の今も持ち続けている。

「話が逸れたが、貴様の推理通りだ。これより、勇者計画の清算を行う。あれに関わった人間の厳罰および粛正、そして――――勇者候補リオグランテの名誉を回復する。ヴァジーハ9世の名にかけて、余の愚行を自らの手で是正する」

 それは、フェイルとアルベロアが結んだ協定の中に含まれていた条件の一つだった。
 そしてフェイルが現在掲げている目標、生きる目的の一つでもある。

「ついに、ですか」

 万感の思いは当然ない。
 未だスタート地点ですらないのだから。

「余とて、貴様を試す為に勿体振っていた訳ではない。時勢の見極めも必要と思っていたし、潮目が変わる時期も見定めていた。長らく続いていたリオグランテへのバッシングは途絶え、風化しつつある。しかし忘れられてはならん。今、このタイミングこそが最善……いや唯一無二の好機よ」

 ヴァレロンで開催されたエル・バタラにおける数々の不戦勝不戦敗は、決勝に上がる為にリオグランテが悪計を巡らした結果の惨状だったと、市民の大半が捉えている。
 勇者計画自体は中途半端なところで頓挫したが、その目論みまでは果たされてしまった。
 その勇者計画を企てたのは他ならぬアルベロアだ。

「……余が憎いか?」

 フェイルにとって、アルベロアもまた勇者リオグランテの仇。
 全ての元凶たる前国王を暗殺したからといって、その事実がなくなる訳ではない。
 寧ろ、直接的に計画を立てたこの男こそが、最大の責任を背負うべきだ。

「当然でしょう。だから貴方は、僕と協定を結んだんですよね?」

 自分を恨み、いつ殺そうとしてもおかしくない人間を、一番近くに置く。
 その上で王政に勤しむ。
 これが、ヴァジーハ9世となった彼の咎に対する回答だった。

 王を裁ける者はこの国にはいない。
 どれだけ法整備したところで、王政とはそういうものだ。
 だから、彼は彼自身で贖罪の道を作った。

 人道で語るなら『だからどうした、失われた命は戻らない』で切り捨てられるだろう。
 それでも、王という身分にいる人間が過去の行いを悔いて自らを罰するなど、まず前例はない。

「だから何だって話ですが。死んだリオは二度と戻って来ませんし」

 尤も、フェイルはそんな評価を下すつもりなど一切なく、白い目でそう国王相手に言い切った。

「……無論だ。余は間違っていた。当時の余の価値観は極めて幼稚だった。軽んじて良い命などない。今ならば心からそう言えるのだが……余はあまりに腐り切っていた」

 反省すれば過去の行いが許される訳ではない。
 無論、フェイルも『親から倫理観を教わらなかった彼も被害者』などと許すつもりもない。

 だが、リオグランテの名誉を回復できるとすれば、国王の権力を行使する以外にない。
 その可能性を潰してまで行う復讐など、リオグランテにとって何の供養にもならない。

 フェイルは自分の下した決断を、アルベロアと協定を結んだ事を正しいと信じている。
 そしてそれは今、証明された形となった。

「勇者計画の全容を公表するとなれば、関わった人間の反発は免れぬ。黙らせておいてくれ」

「僕のやり方で構いませんね?」

「無論だ。殺すのであれば、それは昔の余と何も変わらぬ」

 王宮内における勇者計画に関わった前国王一派を一人残らず無力化し、暫く異論反論すら出来ない状態にする。
 極めて生温いやり方だが、フェイルはそんな事をかつて何度も行ってきた。
 この地でも、ヴァレロンでも。

「それじゃ、準備もあるんでこの辺で失礼します」
 
「そう急くな。もう一つ用事がある」

 そう告げたアルベロアは、既に自分の机の上に置いてあった親書らしき封筒を掴み、フェイルに投げつけた。

「貴様への手紙だ」

「……僕宛の手紙がどうして国王の元に届くんですか?」

「まず余に話を通す必要がある案件だからだ。目的は『世界の恥部』を覗いた者との会合とある。無論、それを知る事が出来る限られた人間からの誘いだ」

 世界の恥部は各国の機密情報。
 その開示を求めるのであれば、管理する人間――――即ちエチェベリア国王に話を通すのは正規の手順と言える。
 それを行うのは、間違いなく王族やそれに近い身分の人間だ。

「賢聖……?」

 隣国デ・ラ・ペーニャにおいて、勇者と似たような称号を持つ者からの手紙だった。













 

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