――――エチェベリア国王の死は、国民にとって重大な関心事とはならなかった。


 無論、国を治める者の喪失は国家に重大な影響をもたらす。
 国力が低下すれば、他国から侵略される恐れもある。
 混乱の隙を突かれる事も考えられる。

 だが、エチェベリアの国民はそれでも、然したる関心を示さなかった。
 理由は極めて単純。
 存在感がなかったからだ。

 ヴァジーハ8世の功績といえば、やはり10数年前のガーナッツ戦争が挙げられる。
 僅か10日足らずで隣国のデ・ラ・ペーニャに勝利したのだから、本来ならそれだけでも崇められて然るべきなのだが――――実際はそのような国民感情は一切湧かなかった。

 占領した事実はなく、かといって自国が潤った実感も、デ・ラ・ペーニャが衰退した実感もない。
 戦勝国としての恩恵を全く得られない勝利に酔いしれられるほど、国民は暇ではなかった。

 歴代で最も臆病だった王は、国民の前に姿を見せる事も滅多になかった。
 人気という面で言うならば、ガラディーンやデュランダルは勿論、息子であるアルベロア王子にすら遥かに劣っていただろう。

 だが、早くアルベロア王子に後を継いで欲しいという声も、余りあがらなかった。
 国民は、現在の生活に一定の満足を得ていたからだ。
 戦争がなくなり、それぞれの暮らしに集中できる日々は、彼らにとって天国ではないが地獄でもなく、常にゆるやかな満足が得られる状況下にあった。

 誰よりも安寧を願った怠惰の王によって、国民は刺激的で開放的な人生を得難い代わりに、穏やかで危険もない一日を享受できていた。
 しかしそれは、感謝される事さえ滅多になく、まして崇拝されるような統治ではなかった。

 彼が永遠の平穏を望む限り、、彼の願うような国王には決してなれなかった。
 そしてその事を、ヴァジーハ8世は知っていた。

 人間は誰しも、心の中に矛盾を潜ませて生きている。
 それもまた、人の抱えし業だった。

 ヴァジーハ8世の国葬は、生前の王をなぞるように、静謐を湛え執り行われた。
 死因は公表されず、国民がそれをどうしても知りたいと望む事もなかった。

 宮廷内においても、積極的に真相を明らかにしようとする動きは見られなかった。
 彼らはそれよりも、ガラディーンとデュランダルの現状に強い懸念を抱いていた。

 両者の名は大陸内のあらゆる国に響き渡っている。
 国王の死より遥かに、彼らの不在の影響力が大きい。
 誰もがそう信じて疑わなかった。

 王宮に身を置く者達は、決して王を疎ましく思ってはいなかった。
 ただ、彼であっても、彼でなくても、どちらでも良かった。
 だから、一つでも『王として相応しくない醜聞』があったならば、その判断は大きく片方に傾く事になった。

 勇者計画と花葬計画。
 秘密裏に実行に移されたその二つの計画は、完遂する前に頓挫し、中途半端なところで打ち止めとなった。
 そして、その一部が宮廷内に漏洩した。

 勇者候補を祭り上げ、地方の武闘大会で殺害ののち、その名誉を傷付け続ける事で勇者の称号を腐敗させる計画。
 生物兵器の研究を進め、不死の肉体を手にしつつ、己の息子さえも手に掛け永遠の王位を得る計画。

 一国の王たるものが、欲と俗にまみれたそれらの計画を進めていた事に、多くの者が失笑したが、失望した訳ではない。
 誰も、かの王にそこまでの期待は寄せていなかった。

 憐れな愚王。
 それが、長年エチェベリアの頂点に君臨していた者の最終評価だった。


 前国王不在の中で行われた戴冠式は――――


「世が新たな国王、アルベロア=フォン=グリーズあらためヴァジーハ9世だ! これからは余が皆を導く立場となる! 心せよ! 余は決して愛するエチェベリアを停滞させはせぬ!」

 宰相ウェイン=ブリッジと剣聖あらため外交官ガラディーン=ヴォルスを両脇に従え、バルコニーで大声を出す度に走る痛みを涼しい顔で堪えるアルベロアによって執行された。

 九死に一生を得た彼が、国民の前に姿を見せるのは久方振りの事。
 その姿を一目見ようと、王城の前には大勢の国民が犇めく。
 普段から然程、王政に興味のない者達が。

「余の代で成すべき事は、より強く逞しき国家を作りあげる事だ。その為に、まずは余が模範を示す」

 元々、父親とは違って演説が苦手ではない。
 発信力の高さに関しては、遥かに上回っている。
 それもまた、父親が自身の地位を揺るがす脅威であると認識した理由の一つだった。

「余はかねてより自由国家の構想を抱いてきた。他のあらゆる国家の束縛を受けぬ、翼を持つ唯一無二の国を目指したいと願ってきた。だが、そんな余の主張はものの見事に粉砕した。或る者に論破されてな」

 バルコニーを見守っていた国民達が騒然とする。
 国王が己の失敗を認めるなど、まずあり得ない事だ。

「いずれ、我が国を羽ばたかせたいという願いは変わらぬ。だが今はまだその時ではない。まずは地に足を付け、国民の誰もが自国を誇れる国としようではないか。国力を増強する為、産業の強化に着手する。皆の者、腕を磨け。何でも良い。自分がこれぞと思う技術を極めよ。そして作れ。生き甲斐を作る前に、目の前にある種を実らせよ。鉄を剣に変えよ。木綿を煌びやかな服とせよ。たっぷりと生み出せ」

 何もない国だからこそ、あらゆる可能性を秘めている。
 特定はせず、産業全てを活性化させ、成果を競わせる。
 自国の特色を国王が決めるのではなく、国民に決めさせる。

「そしてたっぷりと休め。身体が癒えたらまた作るが良い。皆が生み出した物は全て、我が国の糧となる。皆よ! ここにいる元剣聖を見よ! 我等が誇り、エチェベリアの魂が、他国との交渉を担う事となった! 作れば作るだけ、この男が他国に高く売ってくれるであろう!」

 一瞬の静寂。
 そして――――絶叫に等しき歓声。
 元剣聖は、やや照れ臭そうに国民へと手を振った。

 かつて剣を握っていなかった方の手を。

 


「……参りましたな。まさかあのような煽動をなさるとは」

 戴冠式が終わり、熱狂的な声をあげ続けていた国民達が王城周辺から引き上げた後。
 王室礼拝堂にて虚空を眺める君主に、ガラディーンは柔らかい笑みを向けた。

「決して本意ではないのだがな。余は既に身の程を知っている。国民を味方に付けたいなら、余ではなく貴様が適任というだけの事だ」

「ですが今日、国民からの絶大な支持を得たのは他ならぬ陛下御自身。たった一日、あの一瞬をもって国民の心を掴んだのです。感服致しましたぞ。ご立派になられましたな」

「世辞は要らぬ。貴様にそれは望んでいない」

 だからこそ、この場に大臣や宰相はいない。
 彼らにとって、神は特別な存在ではないが、包み隠さず懺悔をするこの部屋には特別な意味がある。 

「しかし、意外でしたな。まさか先王の名を継ぐとは。仮にも、手に掛けられる寸前だったというのに」

「貴様とて戦場では多くの人間を殺めておろう。父にとって、余は敵だっただけの事。元々の関係を考えれば、そこに悲劇の余地などない。なれば粛々と先代の背負いし名を預かるまでよ」

「それが、エチェベリアを愛する事の証明……ですな」

「フン。わかりやすいに越した事はない。周りくどい事は大抵上手くはいかぬものだ。随分と思い知らされたからな」

 そう呟きながら、現国王となったアルベロア――――ヴァジーハ9世は、自身の胸の傷に布越しに触れる。
 痛みはない。
 富裕層だけを相手にしてきた国内屈指の大病院だけあって、執刀医は名医だった。

「……約束を、果たさねばならぬ。立ち止まっている暇などない」

「御意」

 四本の指を失ったその手を長めながら、ガラディーンは瞑目した。

 僅かな期間の滞在だったとはいえ、己の全てをぶつけ、そして清々しいほどに破れたあの日のこと、そして――――それからの事を思い出していた。












 

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