エチェベリア国の医療技術は、他のルンメニゲ大陸の国々と比べ特段進んでいる訳ではない。

 表向きには、そういう事になっている。

 しかし実際には、この国は他の国家より明らかに医学が発展している。
 理由は極めて単純。
 人道を無視した邪悪な医療実験を押し進めていたからだ。

 医学の発展を目指す上で、人体実験は必要悪とされている。
 当然、犠牲になる人間やその家族にとっては不幸以外の何物でもなく、如何なる目的であれ人命を実験台にするなど本来許されるべき事ではない。

 だが、例えば強い効果と副作用を持つ新薬が開発されたとして、それを動物だけで実験した段階で人間に使うのと、人間で実験して安全性を確保するのとでは、市場に出回った際のリスクがまるで違う。
 同じ生物でも、人間とそれ以外の動物とでは、効き方も副作用の出現も同じではない。
 あくまで一部が重なるだけだ。

 動物実験のみで安全性を確かめたところで、まだ理論や仮説の域を超えていない状態。
 結局のところ、実験と称しているか否かの違いでしかない。

 それでも、ルンメニゲ大陸の全国家において、人体実験に関しては法律で固く禁じている。
 エチェベリアも例外ではない。

 無法地帯メトロ・ノームを除いては。

 この地下空間は、まさに必要悪の領域。
 表では決して行えない、非人道的な行為を自由に実施できる。

 メトロ・ノームで行われたあらゆる悪行の記録は管理者によって保管され、それが外部に漏れる事はない。
 他国間で競い合う事はあっても、妨害し合う事はない。
 あらゆる外科的、内科的な人体実験を、エチェベリアの一部の医師達はこの場所で思う存分実行した。

 ヴァレロン・サントラル医院は元々、その技術を活かす為に建築を計画された施設だった。
 そして同時に、安楽死の普及を進める鎮魂計画――――のちの花葬計画の中核を担う組織としても期待されていた。
 だが、次第にこの病院は政治色を強め、ヴァレロンだけでなくエチェベリア全土の権力者を匿う為の建物と化していた。

 例えば、汚職が露呈して失墜した政治家が復権を目指す為の拠点として。
 例えば、密輸入の手掛かりを掴まれほとぼりが冷めるまで待つ貴族の療養所として。

 例えば――――生物兵器に浸食された人間の隠れ家として。

 そういった役目を追う施設となったヴァレロン・サントラル医院が、メトロ・ノームの監視とコントロールを行うのは自然な流れだった。

 よって、メトロ・ノームで花葬計画の実験を行い続け、やがて流浪の民となったアマルティアを何より恐れていたのは、このヴァレロン・サントラル医院の関係者だった。
 彼らは当然、ヴァレロン・サントラル医院との関係が深く、中には病院の医療スタッフも含まれていた。
 隣国デ・ラ・ペーニャに向かった彼らが、その地で花葬計画について洗い浚い吐いたならば、違法な行為を繰り返し犯罪者の温床となっているこの病院が無事で済む筈がなく、エチェベリアに対する他国からの攻撃材料とされかねない。

 ヴァレロン・サントラル医院には、アマルティアとの繋がりが不可欠だった。
 そこで、現在の院長であり、かつてアマルティアの一員だったグロリア=プライマルに白羽の矢が立った。
 彼を代表者に立てれば、アマルティアを沈黙させる為の人質にもなるからだ。

 院長とは言っても、最高権力者という訳ではない。
 スコールズ家の出資によって経営危機を乗り越えた背景を持つこの病院は、エチェベリアの心臓であるのと同時に、巨大な虚像でもあった。
 
 ファオ=リレーは、生物兵器の被験者だった。
 彼女は元々、先天的な病に蝕まれ、長くは生きられない身体だった。

 その為、親が正規以外の治療を求め、生物兵器の投与に辿り着いた。
 クラウ=ソラスが妻と娘にそうしたように。
 結果、身体に適応した生物兵器は彼女の生命を守ったが――――


『化物……アンタなんか見殺しにしておけば良かった……!』


 時折人間性を失い、血を求め殺戮を繰り返すようになった娘に、親は絶望した。
 自らの行いへの悔恨もあって、あらん限りの罵倒を浴びせた。
 ファオが天涯孤独の身になるのに、そう時間はかからなかった。

 隠蔽の色濃くヴァレロン・サントラル医院に隔離されたファオは、己の運命を呪い続け、日々憎しみを募らせ続けた。
 定期的に血を見なければ、匂いを嗅がなければ理性を失うものの、それ以外の時の彼女はごく真っ当な心を持っていた。
 だからこそ、人間をやめられずにいた。

 誰が悪い?
 誰の所為でこうなった?

 自分を治す為とはいえ、生物兵器の投与を決断した両親?
 それを実現させた医療?

 否。
 この国に生物兵器を持ち込んだ王族――――

 ファオの憎悪は、その一点に注がれるようになった。

 
『君に協力して欲しい。我々と共に働かないか?』


 完璧ではないにしろ、入院当初より生物兵器の活性化が抑えられるようになった頃、院長のグロリア自ら誘いを受け、ファオは彼の秘書を務める事になった。
 同時に、メトロ・ノームの監視役、という名目の調査係として、地下支部に頻繁に出入りするようになった。
 有事の際に対応できる戦闘力を持ち、尚且つ身をもって生物兵器の秘密を知るファオは、捜査員として最適だった。

 何より、アマルティアの一員だったグロリアにとって、院内は言わば敵の巣穴。
 一人でも多く外部のスタッフを入れ、自分の駒としたい狙いがあったと思われる。

 ファオはそんなグロリアの思惑には興味がなく、従順に彼を秘書として支え、懸命に働いた。
 この病院にはエチェベリアのあらゆる地域から、尊き身分の問題児が身を寄せる。
 ならば、復讐の為に絶対に必要な、王族とのコネクションを持つ者との接触を行える可能性がある。

 ファオは機会を待った。
 日々の忙しなさや同僚の優しさ、医療従事者としての生き甲斐を全て見ない振りして、時を待ち続けた。

 その賭けに、ファオは勝利した。
 期待すらしていなかった、王族の直接的な来訪という最高の機会によって。

 


「が……ぁ……」

 自国の第一王子に対する攻撃。
 それも、身体を貫通させるような一撃。
 ファオの行動を予想できた者など、世界の恥部を覗いたフェイルを含め、この場には一人としていなかった。
  
「なんて事を……!」

 最初に反応を示したのは、ファルシオン。
 しかしどう動けば良いか、判断に迷ってもいた。

「ここは病院です。今すぐに止血して治療すれば、もしかしたら一命は取り留めるかもしれませんね」

 そうファオが告げるように、彼女の攻撃は敢えて心臓や頭部といった即死する箇所を外していた。
 貫通したのは右胸部。
 肺の一部は確実に潰れたが、絶対に助からないという位置ではない。

「怠惰な王を殺すのは私の悲願なので。勝手に殺されては困るんです。私の生き甲斐を奪わないで下さいね。フェイル=ノートさん」

 呪いの言葉を残し、ファオは自身の左手をアルベロア王子から抜き――――逃走した。

「おいどうする! 追わねぇとヤバいんじゃねーか!?」

「頼むヴァール!」

 ハルの叫声に反応したフェイルに頷く間も作らず、ヴァールはファオを追って書なき書庫を出る。
 この中では彼女が最も追跡能力は高い。
 ただ、尋常でない身体能力を持つファオに追いつくのはかなり厳しい。

 王子を即死させなかったのは、この場に多くの人間を留まらせる為。
 そして――――

「……カラドボルグを殺したのはこの為だったの? 天才的な腕の彼が王子を治せないように」

 怒気を抑えきれない声で、フェイルはビューグラスに問う。
 ファオをこの場に連れてきたのは彼とスティレットであり、王子の襲撃は最初から計画に含まれていたと考えるのが自然。
 だがビューグラスの反応は違っていた。

「儂はファオの今の行動については一切関わっておらんよ。それより止血だ。このままでは王子を見殺しする事になるぞ」

「……っ」

 傷口は余りに深く、止血したところでどうなるものでもない。
 それでもフェイルはビューグラスと共に、既に意識のないアルベロア王子の応急処置を始めた。












 

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