フェイルの外界は、既に色も温度も生じ、かつて当たり前に馴染んでいた空気に包まれている。
 だが今は、それがまるで棘の群れのように突き刺さってくる。
 感覚そのものが、強すぎる刺激になって攻めてくる。

「参ったな……」

 肉体のない世界で、長い長い時を過ごしてきた結果の後遺症。
 一体どれくらいの体感時間だったのかは、とても算出出来ない。
 少なくとも、自分が自我を持って生きて来た十数年には及ばないだろうと思いつつも、確信は出来ないほど途方もない時間だった。

「フェイルさん。どうでしたか?」

 頭では、すぐに理解はした。
 ここにいる人々は、世界の恥部を覗くより前にこの場にいた面々と何も変わっていない。
 つまり、時間は殆ど経過していない。

 しかし、それすら記憶から薄れている。
 ここで何が起こり、何をして、何を感じていたか。
 実のところ、かなり曖昧になってしまっていた。

 それでも、幾つかの感情と記憶は鮮明に残っている。
 デュランダルの最期を自らの手で決めてしまった事。
 ビューグラスに対し、心の底から失望した事。

 心の何処かに生じていた、確かな好奇心。
 世界の恥部に対する、紛れもない関心。

 その罪悪感は今も根深く残っている。

 そして――――

「大丈夫……ですか?」

 目の前で、明らかに不安そうな顔をしている女性の顔。

 勿論、見間違う筈もない。
 同時に、見誤る筈もない。

 ファルシオンはもう、感情を抑えなければ生きていけない立場にはないのだから。

「うん。大丈夫みたいだ」

 自分の状態が普通でない事にいち早く気付いている、二つ結びの魔術士の頭を撫でる。
 特に意識した訳でもなく、自然に。

「……」

 ありがとうと言葉にすれば、それすらも正しい意味を汲み取ってくれるであろう、聡明な――――否、自分をわかってくれる女性。
 彼女の存在を、フェイルは今、何より愛しく感じていた。

「で、どうだったんだ? 何がわかった?」

 腕組みしたまま、ビューグラスの傍から離れずハルが問う。
 こちらの顔はほぼ忘れていたが、何故か声は割とハッキリ覚えていた。
 耳にこびりつくタイプの声だからに違いないと、フェイルは自分を納得させた。

「ほぼ何もかもわかったよ。ハルには辛い現実も、あるかもしれない」

「……親父がこいつやそこの流通の皇女とグルって話か」

「気付いてたんだ」

「ま……なんとなくな。なんとなく以外の根拠はねーけどよ。強いて言えば、俺の剣を奪いやがった時、だな」

 ハルは剣士だ。
 そして、ガラディーンは誰より剣士の心理を理解している。
 疎遠になっていてはいたが、ハルは息子でもある。

 そんな彼を、剣士の心臓たる剣を取り上げて遠ざけた以上、プライドを粉々にする行為を敢えてしたと解釈するしかない。
 ならその動機は、ハルを危険な目に遭わせたくないから――――ではなく、自分の"今"を見せたくないから、という判断に傾く。

「剣聖ってのは、想像以上に重圧がかかるんだな……」

 ハルは父を責めなかった。
 その姿に、フェイルは思わず目を細めた。
 余りに眩し過ぎて、直視出来なかった。

「僕がこれからしようとしている事を、幾つか言うよ。それが見て来た物への答えみたいなものだと思うし」

 そう告げるフェイルに、反論する者はいない。
 そもそも、世界の恥部が何なのかさえわかっていない者が大半なのだから、当然ではあった。

「まず、リオの名誉の回復。つまり勇者計画を失敗に終わらせる」

「……それを最初に言ってくれるのね」

 そう呟いたフランベルジュの悲痛な顔に、フェイルは大きく頷いた。

「次に花葬計画。結局のところ、この計画の根幹は『生物兵器による生死の制御』だ。楽に死ねる方法、死なない身体になる方法、死ねない身体に死を迎えさせる方法、死なずに生物兵器を排除する方法……どれをとっても、この計画内に組み込まれている」

 リオやデュランダルに人らしい終焉を迎えさせる為に。
 アニスを救う為に。
 この計画は、フェイルにとっても極めて重要な位置付けだ。

「でも、計画の目標……最終的な到着点は、この国の王が不死を得る事なんだ。要はその為の計画のおこぼれや派生を色んな人達が得ようとしていたんだ」

「勇者計画も同じでしょう。国王に気に入られたい、仕事を得たいという人達が群がっていたように思います」

 ファルシオンは微かに残る赤みを隠すように、俯きながらそう補足した。

「国王の目論見を放置すれば、花葬計画は更に進められて、生物兵器の研究も進む。やがて、人々の中に根付いて絶対に消えなくなる。魔術国家の魔術のように」

「生物兵器が根付いた国になるって訳か。俺は別に気にしねーけどな。魔崩剣はその応用でもあるし」

 ハルにとっては、大した問題ではないらしい。
 実際、その見解は自然だ。
 生物兵器の存在自体は、デ・ラ・ペーニャへの対抗策にもなるし、ある事で得られる恩恵も幾つか存在する。

 ただ、花葬計画がこのまま進められれば『死なない身体を治す方法』は確実に封印される。
 国王がそれを許す筈がないのだから。

 そうなれば、リオグランテやデュランダル、この場にもいるハイトは、まるで人外――――乱暴な言い方をすれば"化物"のような定義付けをされてしまうだろう。
 スティレットのように、人格にまで生物兵器が浸食した場合、よりそれは確実となる。
 そして既にリオグランテはそうなってしまっていた。

「……言いにくいのですが」

 フェイルの言葉に察するものがあったのか、ハイトが苦しげに声を発する。 

「勇者候補リオグランテの肉体は、私が消滅させました」

「……え?」

 予想していなかったその述懐に、フランベルジュとファルシオンが力なく顔を向ける。

「院内で偶然遭遇し……済みません。私の判断です」

 実際には、アニスを襲おうとしていたリオグランテを止める為。
 しかしハイトは、敢えてその事実を伏せた。

「そう……ですか。仕方ありません。あの状態のリオでは」

「……」

 恨みがましく睨むような真似をするほど、二人は幼くはない。
 まして、一度死んだ後のリオグランテの状態を、二人は実際目の当たりにしている。
 それでも、どうしようもない気持ちだけは、隠す事が出来ずにいた。

「生物兵器の擬似的な不死は、恐らく植物由来の生命維持力だから、身体を完全に消し去ったら、元には戻れない。そういう認識で良いのかな、ハイトさん」

「恐らく」

「……リオは天に召されたかな?」

「それは、間違いないでしょう」

 地の果てに引きずり込まれるような生き方は、リオグランテはしていない。
 最期を看取ったハイトの見解に、フェイルは小さく頷いた。

「僕も同じ事をした。だから、貴方には何も言えないし、何も答えられない」

「……」

 ハイトはただ黙って、勇者一行の二人に深々と頭を下げていた。

「最後にもう一つ、アルマさんの身体を元に戻す。これは長い時間をかけて、自律魔術の更なる進化に賭けるしかない。でもそれだけじゃ足りない。生物兵器の力が必要になる」

「……つまり、国王陛下の目論見を放置しなければ、アルマさんは元には戻せないんですね」

「うん。僕達が独自に生物兵器を研究するって手もあるけど、とても現実的じゃない。資金が全くないからね」

 二つに一つ。
 花葬計画を潰し、生物兵器を根絶して、デュランダルやハイトに死をもたらすか。
 花葬計画を続行させ、その研究から生まれる恩恵から、アニスやアルマを救うか。

「そろそろ、口を開いたらどうですか。王子様」

 まるで言葉を失ったかのように黙り続けていたアルベロア王子の存在を、フェイルは忘れてはいなかった。












 

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