フェイル=ノートに鷹の目と梟の目が宿ったのは、単なる偶然に過ぎなかった。
 エチェベリアにおいて局地的に行われていた生物兵器の無差別人体実験の被験者になった事で得られた、突然変異の目。
 しかしこれは、奇跡と呼ぶには余りに蕪雑な贈り物だった。

 身体の一部に特殊な性能を宿す生物兵器は、実は珍しくはない。
 人間の体内に違う生命が定着する事自体が稀ではあったが、それが成立した際に身体に起こる副作用のようなもので、不純物の顕在化に近い。
 偶々、生きる上で有用な力だった事が、奇跡と言えば奇跡だったのかもしれない。

 もう一つ幸運があったとすれば、それはヴァジーハ8世にとっても、ビューグラスにとっても関心外の力であった事。
 仮に、フェイルがもっと派手で、もっと底知れない潜在能力を垣間見せるような力を宿していたら、彼こそが勇者候補として生け贄になっていた可能性もあった。

 最初から、勇者候補は作られた存在だった。

 ただし狙って作られた訳ではない。
 生物兵器が身体に馴染んだ子供の中で、特に勇者らしい力や才能を感じさせる人物を選出し、そして王宮に招いた。
 勇者という称号を――――国王の存在を霞ませる異分子を排除する為に。

 実験によって数多の死が生み出される過程で、国王は何一つ罪悪感を抱いていなかったが、計画に関与していた人間の中には、どうしても命の淘汰を承知できない、正常ではいられない者もいた。
 集団殺戮を行う事に自責の念を抱き、己の倫理観を崩壊させぬまま思い悩み、激しい自己嫌悪の末に自ら命を絶つ者もいた。
 花葬計画は、そういう人々が呪いの呪縛のように繋ぎ続け、やがて分裂した。

 枝分かれした後も、本流である『安楽死の是非』は結論が出ていない。
 これから出る事もないだろうと言われている。
 極論で言えば、安楽死を認める国と認めない国がどう発展していくか、数百年は観察し続けなければ答えは出ないし、それを観察し続ける人間もいない。

 この計画には、支流がもう一つあった。
 崇高なる死――――生物兵器による死を制御する計画と相対する、死を尊重する考えだ。
 決して逃れられない死がこの世には生命の数だけあり、歴史上に生まれた命の数だけあるのだから、その無数の死の中に気高き死があるのは当然であって、そこに救いを求めるという、計画というよりは宗教に近いものだった。

 医学に携わる者でも、全ての命を可視化する事は出来ない。
 いつ、何処に死が訪れる命なのかを見定められるほど、医学は万能ではない。
 終わりなき永遠にしか見えない命があるとして、それをどうやって終わらせるか――――現代医学はまだ答えを有していない。

 だから、他の分野に頼るしかなかった。
 もし怪我や病気を回復させる魔術が生まれれば、それは医学にとって致命的だとわかりつつ、魔術学とも手を組んだ。
 相性の良い分野、悪い分野において、清濁を併せ呑む人々の知恵を借り、思考を学び、やがて一つの結論が生まれた。


「お前を殺す方法が見つかったよ」


 勇者計画。
 花葬計画。

 その二つに関与し、しかし中核は担わず、ずっと表層を掬うようにしながらその実利用しようとしていた男は、まるで子供のような笑顔でそう告げた。


「鍵を握るのはフェイル=ノート。ヴァレロン新市街地で薬草店を営んでいる、元宮廷弓兵だ。奴ならそこに辿り付けるかもしれない」


 男の声は今にも裏返りそうなほど興奮していた。


「奴は生物兵器の影響で、遠くを見通す目と、暗闇を見通す目を持っている。でもそれは副次的な……というより、成熟していない段階で生じる都合の良い恩恵だ。未成熟の木の実が程良く酸味があってジューシーなのと同じでな。偶々、そいつにとって都合が良いってだけだ」


 彼の昂揚には相応の理由があった。
 ずっと手が届かないと思っていたものに、僅かな光を見出したから。
 そして、その光が身近にあり、今後誰かに潰される確率が比較的低かったからだ。


「あの目は、過去視が出来る目だ。過去を何処までも見渡せる。だってそうだろう? 未来はいつだって光だ。なら過去は闇だ。人類史の大半は争いと殺戮。その果てに今があるとしたら、後ろは常に真っ暗だ。闇を見渡せる目ってのはつまり、そういう事だ。ならきっと『世界の恥部』の深層まで見える。アマルティアが隠した、誰にも見つからないように奥底に隠した切り札を。あらゆる生物兵器を滅ぼせる方法を」


 アマルティアとは、花葬計画に水面下で協力していた研究者達の総称。
 彼らは計画が一旦破棄された際、スティレットを介して国家と交渉し、国外追放と引き替えに自由を得た。
 ただ一人、『世界の恥部』を封印しているアルマ=ローランを残す事で、彼らの安全は保証された。

 だが、男は合点がいかなかった。
 彼らが真に平和を望むなら、あのヴァジーハ8世から逃れようとするならば、それだけでは足りない。
 かの王が、自分の地位を揺るがすような『人体実験を繰り返しジェノサイドを行った残虐な王』という情報を握る彼らを生かしておくなど、到底考えられないのだから。

 彼らに出来るのは、自分達の身を自分達で守る事――――だけではない。
 自分達をなんとしても守らねばならないと思わせる事。
 トゥールト族の庇護下に入ったのは、彼らが守ってくれる限り、生物兵器に執心する王がその生みの親を絶滅させる事はないと睨んだからに他ならない。

 なら、アマルティアの人々は必ずトゥールト族の弱味を握っている必要がある。
 厚意だけで守ってくれる筈がないのだから。

 であるならば、トゥールト族の生命線たる生物兵器の弱点、或いは滅する方法を彼らは必ず握っている。
 そしてそれを決して見つからず、手の届かない所に隠している。

 男は執念で、その真相まで辿り着いた。
 アマルティアの一人――――グロリア=プライマルとの接触に成功し、彼から全てを聞き出した。

 ヴァレロン・サントラル医院の院長である彼は、元々はメトロ・ノームで花葬計画の研究に携わっていた。
 生物兵器について学び、多くの人命を犠牲にし、その過程で医療知識も多分に得た。
 一時は隣国デ・ラ・ペーニャに身を寄せたが、再び故郷へ戻り、大病院の院長となってメトロ・ノームの監視を始めた。


「当然、研究者だった頃とは名前が違う。元々地下に潜っていた研究者だから、顔も住民に知られていない。国外追放の身で戻って来るリスクはあったみたいだが……その辺は流通の皇女が味方にいればどうにでもなる。そうだろ? スティレット」


 薄れゆくフェイルの意識に最後に映し出されていたのは――――スティレットの記憶。
 彼女に向き合い、強い意志の光を宿した目で切々と語るのは、フェイルの記憶より少しだけ若いカラドボルグ=エーコードだった。


「希望はある。君は死ぬ事が出来るんだ。今の君が生物兵器を完全に除去すれば、きっと生きてはいられない。それくらい根付いてしまっているから。でも……それでも俺は君に提示したい」


 彼がどんな気持ちで、愛する人にその言葉を告げたのか、フェイルには知る由もない。
 ただ言葉だけが、断片的な切なる想いだけが欠片となって、やがて光の粒となった。

 


「崇高なる死を」

 


 ――――フェイルの目が開く。

 最初に映ったのは、今にも泣き出しそうな顔をしたファルシオンだった。












 

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