英才教育という言葉を使うには、余りに壮絶だった。

 スティレット=キュピリエの人生の前半は、あらゆる情報を詰め込む事に費やされた。
 経済学をメインに、マーケティング活動の流動性、情報処理および管理、農業・工業・水産との連動、交通網の最新事情、各国家および代表者の特色と――――弱点。
 広く浅く、しかし必要な部分だけは深く、有限の中で最適な成長を促すべく、徹底的に知識を実地にて叩き込まれた。

 ルンメニゲ大陸を飛び回っていれば、嫌でも多言語話者となる。
 ただ生活するだけなら大陸共通語のみで問題ないが、商売とはあらゆる人種、あらゆる集落を相手にするもの。
 取り分け、将来的な取引相手になる者達とのコミュニケーションは必須事項であり、目まぐるしく飛び交う複数の言語に日々脳を侵食されながら、スティレットはその全てを我が物としていった。

 彼女は勤勉だった。
 そして同時に、強い責任感を持っていた。

 キュピリエ家は代々、生産と消費を繋ぐ仕事を行っていた。
 昔は海路を切り開き、大陸鉄道に出資し、物流を取りまとめていた。
 しかしスティレットの父は、先祖から受け継いだ仕事で満足出来ないタイプの人間だった。


『価値を決める人間になる』


 それが父の口癖だった。

 価格決定権は生産者にあるか、それとも消費者にあるか、これは時代によっても分野によっても異なる。
 例えば、それまで不治の病とされてきた病気の薬を開発したとして、その値段は誰が決めるのか。

 昔なら開発者が一方的に決め、その値段を支払える物だけが恩恵を得られた。
 だが現代は、世界中の医学分野を牛耳る『医師会』が全て決めている。
 医師会が何をもって基準としているかは、その組織の中でもトップ層にしかわからない。

 薬の原料の数と開発力から算出される年間総生産量を試算し、そこからどの程度の割合で患者に届くようにするかを調整しているのかもしれないし、他の薬との兼ね合いで決めているのかもしれない。
 場合によっては、一般に普及し過ぎないよう、また一般市民から苦情が出ないよう、絶妙な価格設定を行い、大量消費を防ぐ必要もあるかもしれない。

 いずれにせよ、価値を決める側の人間とはすなわち、主導権を取る側の人間。
 スティレットの父は、世界の主導権を握ると豪語していた。

 彼が娘に英才教育を施したのは、一代での実現は不可能と判断していたからだ。
 一つ、二つの分野に絞れば、或いは可能だったかもしれない。
 だが強欲な彼は、世界中の金の動きを支配しようと目論んでいた。

 しかしそんな事は不可能だと、娘のスティレットは早々に理解していた。
 父のやろうとしている事は、ただ途方もない夢に向かって走るだけの行為。
 父の目的は、決して叶わない夢を生涯見続ける事、昇っていく感覚を一生味わい続けたいだけだと、そう解釈していた。

 それはトレジャーハンターにも似た夢だった。
 或いは新大陸を発見しようと海に出る冒険者。
 彼らは、旅行前夜の気分をいつまでも味わいたくて、何かを追い求めている。

 夢追い人の夫を、母は早期に見限っていた。
 だが彼女はそれでも、父の傍に居続けた。

 両者の間に愛情があったのか否かは、今のスティレットにもわからない。
 経済的に豊かである事が、離れない理由として成立してしまう以上、証明しようもなかった。

 スティレットは、自分に向けられる愛情よりも、両親の愛情の有無に関心を示した。
 自分は愛し合っている親から生まれ、育てられた人間なのか?
 それが、彼女の責任感の原動力にもなっていた。

 父親は、夢の終点を定めていない。
『価値を決める人間になる』という目的は、一般的には目的とは到底言えない。
 神になるという目標が非現実的なように。

 そして何より、自分の代で終わらない事を既に決めてしまっている。
 具体化する為に、長女のスティレットに自分の仕事の続きを教え込もうと躍起になっている。
 自分が手を付けられなかった分野を、全て娘のスティレットが、或いはその子孫が着手してくれる――――そんな夢を見ながら眠りに就きたいと考えている。

 なら、父には夢を見続けて貰わなければならない。

 父から自分に無事夢が移行した時――――父から経済力が失われ、それを娘が引き継いだ時、それでも父の傍にいるか、娘に付くか。
 スティレットにとっては、それが焦点だった。

 父が事業に失敗し、経済力を失って母が彼の元を去ったとしても、それは単に失敗した事への失望かもしれないし、巻き添えを食らわない為の逃避かも知れない。
 自分が父の夢を引き継ぐだけの器量がなかった場合も、将来への不安や打算から離れて行くかもしれない。

 母から逃げ道を奪う事。
 愛しているか否かの確証を得る事。
 それが、のちに『流通の皇女』と呼ばれるスティレットを創った。

 人間は、物資がなければ社会を営めない。
 取引がなければ社会は成立しない。
 だが、社会を動かしているのは人ではなく金だ。

 無論、金は一人では動かない。
 動かす人間がいて、初めて動力となり得る。
 つまりは富裕層だ。

 価値を決める人間とは、すなわち富裕層を自由に動かせる人間。
 権力による支配、若しくは籠絡のどちらかだ。

 スティレットに選べるのは後者のみ。
 早々に結果を得る為、彼女は女性としての華々しさを身に付ける事を優先した。
 結局のところ、そういう世俗的なやり方が一番手っ取り早かったからだ。


『姉貴はもう壊れちまってんだよ』


 いつか、弟はそう言った。
 叫んでいたようにも聞こえたし、呟いているようにも聞こえた。
 昔から、荒々しいように見えて繊細な弟だった。

 その弟は、姉とは全く違う道を選んだ。
 姉への反発か、或いは――――自身の存在意義を問う為か。
 格別な才能があった訳ではないが、父の目が姉に向いている間、一心不乱に修練を重ね、いつしか大手傭兵ギルドにスカウトされるほどの力を身に付けていた。

 戦争のない平和な時代、傭兵の需要は当然、高くはない。
 スティレットには理解し難い判断だった。
 彼は価値を決める人間にはなれないと哀れんだりもした。

 弟が家を出た頃、スティレットは医療に関心を持っていた。
 戦争のない平和な時代だからこそ、人は長生きを望む。
 長生きするには、より良い医療施設にかかるのが望ましい。

 もし、医療分野における影響力を持つ事が出来れば、父は確実に満足する事だろう。
 この分野が廃れる事は未来永劫ないのだから。
 夢を繋ぐ先として、これほど心強いものはない。

 医療分野における生産と消費を繋ぐ仕事とは、主に薬や医療器具と病院の架け橋だ。

 優れた薬を作る薬師を病院に紹介する事で、その病院の治療実績は大幅に向上する。
 医療器具を製造する職人に安定した需要を提供出来れば、職人の数も増えるし、競争相手が増えれば自然と全体の技術も向上していく。

 その取り纏めを上手くやれば、やがて薬や医療器具の価格に影響を及ぼす存在になれる。
 そしていずれ――――人の命の値段すら決められる。
 既に他の分野で多くの結果を残していたスティレットは、迷いなく次のターゲットに医療を選んだ。


 そこで彼女は、一人の青年と出会った。









 

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