「フェイル。大事な話がある。昼食を終えたら私の部屋に来なさい」

 ビューグラスの一人称が儂になったと知ったのは、フェイルが王宮から帰還して以降。
 だからこれは、フェイルがまだ王宮に行く前の記憶。
 けれど、そんな婉曲的な回想をするまでもなく、この時の事は鮮明過ぎるほど鮮明にフェイルの脳裏に焼き付いていた。

「……はい」

 ずっと、寡黙だが優しい『友達の父親』だった。
 育ての父を失い途方に暮れていた頃、アニスに声を掛けられ、その家で出会った厳格な屋敷の主。
 第一印象は一度も覆されないまま、この日に至る。

「フェイル、何かしたの? お父様、怖い顔をしていたけど」

「わかんない。何もしてないと思う……」

 職人といた家を寝床としながらも、三食全てこの家で面倒を見て貰っていた。
 当然、失礼を働く事など出来る筈もない。
 既に思慮分別のある年齢に成長していたフェイルにとって、ビューグラスの発していた不穏な雰囲気は、不安を抱くには十分なものだった。

 しかし、その不安は杞憂に終わる。
 ビューグラスの部屋を訪れたフェイルに待っていたのは、紛れもない吉報だった。


「王宮から視察が来ると連絡が入った。その使者に弓矢の腕を買われれば、宮廷弓兵団の入団試験を受ける事が出来る」


 それは、フェイルの悲願が叶う為の道が出来たという報告。
 しかしフェイルは派手に喜ばず、歯を食いしばりながら深々と頭を下げた。

 父親代わりの存在を亡くし、シュロスベリー家に世話になっていたフェイルは、生活力を身に付ける為の日々を送っていた。
 学校に通う事はなかったが、屋敷の使用人から読み書きや計算を教えて貰い、街の住人から人間関係の機微を学んだ。
 フェイルはヴァレロン新市街地から育てて貰った。

 当然、弓矢の訓練も欠かさず行っていた。 
 我流で身に付けた狩人としての能力、職人から教わった正しい弓の扱い方を融合させ、自然界でも人間界でも通用する弓使いになるべく、自らに毎日課題を設けた。

 一日に一体、必ず動物を狩る。
 早朝、或いは夜間、街の外に出て野生動物を仕留める。
 その獲物を捌いて、屋敷の料理人に提供する。

 これは、フェイルが出来る唯一の恩返しであり、仕事でもあった。

 大空を舞う鳥類にまで矢が届くようになったのは、つい最近。
 矢の飛距離が伸びるにつれ、自身の細かった身体に少しずつ厚みが生まれているのを自覚し、それをアニスに自慢していた。

 弓矢はこの世界に必要な武器。
 自分を育ててくれた人が"最後まで愛した武器"。
 それを現実にする為、フェイルはひたすら射続けていた。

 だから――――


「残念だが、君の技術は宮廷弓兵団には必要ない」


 使者から歯牙にも掛けられなかった瞬間の事は、今でも覚えていた。
 ショックという言葉では到底片付けられない、人生の全てを否定され、何もかも瓦解したような感覚。
 自分という存在、そして未来がどれだけ矮小なのかを、たった一言で教えられた。

 その日の夜、フェイルは一睡もせず、ひたすら考え続けた。

 宮廷弓兵団に必要な技術とは何か?
 戦争時、馬上から正確に敵兵を射貫く技術?
 それとも、高所から一人でも多く敵兵を減らす為の技術?

 だがそれは、既存の弓兵をなぞるだけ。
 魔術が普及した今の時代に追究したところで、大した意味を持たない。
 そこへ向かおうとすればするほど、魔術との差が如実になるだけだ。

 考えれば考えるほど、王宮からの使者を殴り飛ばしたくなる。

 その衝動に辟易していた明け方――――フェイルは理解した。 

 何故、弓使いの自分が『射る』ではなく『殴る』なのか。
 人間の闘争心の本質は、至近距離で敵を倒す事にあるのではないか。
 なら、それが出来て初めて戦士と言えるのではないか。

 弓で殴る。
 弓矢で接近戦を挑む。
 そんな弓兵が存在したら――――

 翌日、一睡もしなかったフェイルは、目を輝かせて弓を振り続けた。

 どんな動きなら、接近戦で弓を活かせるか。
 至近距離で矢を射て、敵を仕留めるにはどうすればいいか。
 まるで、初めて弓を握った日のような煌めきが、フェイルの中に蘇った。

 数日後、その使者はフェイルの能力を認め、王宮に連れて行くと変心を口にした。
 自分の選択が、考案したスタイルが、重い扉を開いた。
 そう思い、心から感激した。

 だが――――今ならわかる。
 新しい事をしたから認められた訳ではないと。

 最初から受け入れるのではなく、一度徹底的に拒絶しその後に許容する事で、不要な助長を防ぐ。
 上下関係をハッキリさせ、かつ恩を売り、逆らわない兵士を作る。

 それを洗脳術と呼ぶか、大人のテクニックと呼ぶか、簡単な会話術と呼ぶか、人によりけりだろう。
 いずれにせよ、わざわざ王宮から視察に訪れている時点で、その使者にはビューグラスの顔を立てる必要があった。
 断るという選択肢は最初からなかった。


「自分で切り開いた道だ。邁進しなさい」


 フェイルを送り出す時、ビューグラスは言葉少なにそう声を掛けた。
 元々、多くを語る人物ではなかった。
 手短な言葉の中に、確かな優しさを感じていた。


 そう、錯覚していた。

 


「……心底面倒臭かっただけ、なんだろうね」

 今ならわかる。
 ビューグラスにとって、フェイルという子供がどんな存在だったのかを理解している今なら。

 彼の興味は当時既に、薬草学と生物学の融合、すなわち毒草と生物兵器の融合に偏っていた。
 そこだけに集中していたと言っても過言ではない。

 鷹の目、梟の目を宿したものの、指定有害人種である確率は低かったフェイルは、彼にとってはもう観察対象外だっただろう。
 一度捨てた子供が、もしその事実を知って激昂し、研究の妨害をしてくる危険性を考慮すれば、外に出す方が無難。
 その程度の認識だったと結論付けるには十分なくらい、フェイルはビューグラスと会話をした。

『仕方ないじゃない。オジサマは薬草に魅入られた人間なんだから、自分の中に入った異物は消し去って当然でしょ?』

 そう。
 まさに薬草の効能そのもの。
 ならば、非難などしても仕方ない。

『それに、幾ら手塩にかけて育てたとしても、邪魔者は間引かないと大事なものまで腐らせてしまうし……ね』

「だから弟を始末したの?」

 冷めた声で――――フェイルはそう問いかけた。

 クラウ=ソラスの意思を継ぐ気などない。
 全力ではなかったとはいえ一度戦い、変則的であれ共闘した事もある人物だからこそ、フェイル自身が問い質したい事だった。

『……そろそろ、あたしの記憶も見えて来そうね』

 返答の代わりにそう呟き、スティレットの声は暫し失われた。

 景色が加速し、緩やかな曲線を描いていく。

 向かう方向は上か、下か。
 流通の皇女と呼ばれる女性の一片が、フェイルの頭の中に入り込んできた。










 

                         前へ      次へ