過去はいつでも美しく映る。
 それは己の主観を美化している訳ではなく、まして現状との比較で相対的に価値を増しているからでもない。

「過去は確定した事象だからこそ、輝いて見える。人間、不確かなものには不安定な心を映し出すものだ」

「……よくわからないんですけど。失敗談とか黒歴史とか、目を覆いたくなる過去はどうなのって話ですよ」

 デュランダル=カレイラとの会話は、フェイルにとって常に刺激的で、同時に修行だった。
 宮廷騎士の中でも最上位に位置するデュランダルには、本人が所望する住処が与えられているが、彼の家は決して広くはなく、内装も質素。
 だからこそ、その声に、言葉に集中出来る。

「確定した失敗談に抱くのは、羞恥心や歯痒さの記憶だけだ。直に慣れる。その慣れを理解せず、己の記憶に振り回されて失敗した過去を振り返らないようなら、そもそも見る目がない」

「まーた上手い事言って。まあでも、失敗した過去の話って何度も思い出してるとクセになりますよね。あの時こうすればどうなってたか、みたいな空想で遊べますから」

「……お前の感性も随分と独特だな」

 半ば呆れたように、デュランダルは牛肉と野菜10種を煮込んだスープに口を含む。
 強い身体は食事で作るもの。
 当然、デュランダルもそれだけの物を食べてはいるが、それは朝と昼で、夜にはあまり多くは食べない。

「でも料理は万人受けするんですよね。このスープ、ガラディーンさんも絶賛でしたよ。種類はそんなに作れないけど、大抵は評判良いんですから」

「それは認めよう。お前には調合の才能がある。具材のバランスがどの料理も抜群に良い。これは私にはない感性だ」

「出来れば、戦闘の技術でそれくらい褒めて欲しいんですけどね」

「残念だが、まだ褒められる段階には程遠いな」

 紳士的な態度を崩さない一方で、デュランダルは常にフェイルを厳しく指導している。
 こと戦闘面に関しては、褒めて伸ばすなど一切考えていない。
 それはフェイルが全く望んでいないからだ。

 煽てられて有頂天になるのは、実は高等技術だ。
 凡人は誰もが、身の丈に合った言葉を知っていて、そこから外れれば猜疑心を生む。
 実力に見合わない褒め方をされて、それを糧に出来るのは、紛れもない才能だ。

「だが、お前の姿勢については一目置いている。弓矢を時代遅れの武器にしたくない、なら新たな戦い方を提案すれば良い……その発想は悪くない。敢えて弓矢の質に拘らない事で、弓矢そのものの存在意義を強調しようとしているのも含めてな」

 デュランダルもそうであるように、猛者であればあるほど、自分の相棒たる武器には拘るもの。
 より堅く、より鋭利で、より手に馴染む物をと望むのは、武の世界に生きる者としては必然であり、同時に使命でもある。
 それを放棄するのは本来、余り褒められた事ではないが、フェイルの場合は強さよりも弓矢そのものを目的としているのだから、既存の概念を当てはめる必要はない。

 例えば、接近戦に向いている弓を作る事は出来る。
 だがそれでは、単に遠近両用の武器に過ぎず、結局は魔術の劣化品でしかない。
 フェイルが欲しているのは、弓を接近戦で活かせる技術であり、その技術こそが魔術との差別化に繋がると考えている。

 従来の弓の形状を活かした戦闘技術を開発出来れば、弓である意義が生まれてくる。
 そうすれば、弓矢と魔術は差別化が図れる。
 
「元々、毒矢という魔術にはない用途があるのだから、接近戦でも魔術で代用出来ない戦い方が出来れば、確実に弓矢は歴史に残る――――だったか。あの演説がなければ、こうしてお前の面倒を見る事はなかっただろうな」

「……え? あれそんなに決定打でした? あと演説って言わないで下さい。結構追い詰められて仕方なく喋ったのに」

 弓兵でありながら接近戦を学ぼうとしている奇妙な少年。
 その噂を聞いて、デュランダルは自ら手合いを買って出た。
 協調性のない新人を教育する為――――など微塵も考えず、ただどのような意図で異端となったのかを知る為だった。

 フェイルもまた、その対戦の後でデュランダルを師事しようとしたのは、彼が強いからでも、偉いからでもない。
 デュランダルだけが、自分の取り組んでいる事を正しく見てくれたからだ。
 だから彼にだけは、本心を全てさらけ出した。

「過去は重要だ。過去を振り返る事を停滞と捉えるようでは何も生み出せはしない。過去を眺め、今を眺め、未来を眺め、あらゆる時間軸から良い物を吸収しろ。教材は無限にある」

「……吟味するだけで腹一杯になりそうなんですけど」

「それも慣れだ。やり続ければ嫌でも効率化はされていく。無駄と思われる行為を続けなければ、無駄はなくせないものだ」

「成程」

 実感などまるでこもっていないフェイルの生返事に、デュランダルは若干表情を緩めた。
 他の王宮内の人間には決して見せない姿だった。

「ところで、僕も師匠に一度聞いてみたかった事があるんですけど」

「答えられる質問なら答えよう」

 デュランダルは、自分をまるで語らない。
 それを知っているから、フェイルもまた深くは追及しない。
 誰か気になる異性はいないのか、そもそも恋愛に関心があるのか――――等という俗っぽい質問をしたくてたまらない人間が彼の周囲にはごまんといるが、その時点でデュランダルの関心から外れてしまっているのが実状だ。

 けれど、それをクトゥネシリカに言ったところで、何かしら発展が期待出来る筈もない。
 難儀な相手を好きになってしまったと同情するしかなかった。
 そして、そんな自分自身にも。

「師匠って、最終的に何処に行きたいの?」

 何気なく訊ねたその問いは、デュランダルを長い沈黙へと追い込んだ。
 聞いたフェイルが戸惑うほど、その時間は続いた。

「……いや、答えられないのなら別にそう言ってくれれば」

「黙っていてくれ。気が散る」

「えー……」

 どうしたいか、何になりたいか、何を成し遂げたいか。
 そのような類の質問であれば、答えるにしろ答えないにしろ、返答は容易だったのかもしれない。
 フェイルもそれは知っていたから、敢えて終着点を聞いた。

 銀朱の副師団長であるデュランダルが次に進むべき地位は無論、師団長。
 現在そこには剣聖ガラディーン=ヴォルスが鎮座している。

 だが、デュランダルはその地位を目指してはいない。
 そもそも、地位や名誉に全く関心のない人間だ。

 よって、フェイルも目指している地位を聞いた訳ではない。
 文字通り『何処に行きたいのか』。
 更なる高みなのか、剣士としての世界の頂点か、或いは――――人類の到達点か。

「……そうだな」

 気が遠くなるほどの長い時間を経過し、デュランダルはようやく結論を出した。

「何処へでも行ける場所。そうだな。これが最も納得のいく答えだ」

 本人は満足げだったが、フェイルは長時間待った割に要領が得られず、思わず顔をしかめる。

「それって、自由って事?」

「自由は寧ろ、何処へも行けない場所だ」

「……わからない。全然わからない」

 思わず頭を抱え蹲るフェイルに、デュランダルは若干、目を細めた。

「いずれわかる時が来る。俺が今日、何故お前にこう答えたのかが」


 その日は――――今日という過去をまばゆく映し出していた。










 

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