宙に綴られていくルーンは、その場にいる全員が目視出来た。
 だが、それを綴るアルマの姿はフェイルにしか見る事が出来ない。

 優雅さはない。
 滑らかさもない。
 にも拘らず、アルマのルーリングの所作は美の極限とも言うべきもので、フェイルは思わず息を呑んでその様子を眺めていた。

 初対面時から、その美しさは群を抜いていた。
 紹介した同性のマロウ=フローライトでさえも、アルマに魅了されているようにフェイルには映った。
 それくらい、彼女は異次元だった。

 けれど、フェイルは不思議と気後れした事は一度もなかった。
 最初から違う世界の住人だと割り切っていた訳ではないし、美しい女性に興味がない筈もない。
 ただ、最初から妙に波長が合っていたから、気後れする暇もなかったのが実状だ。

 アルマ=ローランを人間と定義するべきか否か、フェイルに迷いはなかった。
 魔力は人間の一部なのだから、アルマを人外と決め付けなくても良い――――それで十分だった。
 今まで通り、アルマはアルマであり、彼女と接する上で何の不都合もない。

 あるとすれば、アルマがこの先どうなっていくのかという懸念。
 魔力として存在し続けられるのか、それとも消えゆく運命にあるのか。
 それだけが気がかりだった。

『終わったよ』

 そう告げるアルマの顔は、フェイルがこれまで何度も見て来た彼女のそれと何ら変わりない。
 何処をどう見ても、全てが可憐で佳麗。
 けれどフェイルは、その美の中にアルマの本質はないように感じていた。

『此方に触れれば、此方の中にある色んな知識や記憶が共有されるから、その中にある知りたい事を"思い出せる"ようになるよ』

 通常、人間は夥しい量の記憶を頭の中に全て入れておく事は出来ない。
 だから長年生きていく為には、『忘れる』という行為が極めて重要になる。
 忘れる事で、適切な知識量と感情を宿したまま何十年も生き続けられる。

 アルマは、その点で言えば人間とは言い難い存在だ。
 一体どのような理屈で、世界の数多の情報をその身に保管しているのか、フェイルには想像もつかない。
 圧縮して閉じ込めているのか、それとも広大な海の中に沈めているのか――――いずれにせよ、人智を超越した魔力量を持つアルマがいたからこそ、世界の恥部は記録として残り続けている。

 フェイルは、それこそがアルマの美しさの源泉であるように思えてならなかった。

「わかった。でもアルマさん、その前に一つだけ」

『何かな?』

「僕が世界の恥部を覗いたら、その瞬間から僕らは共犯者だ。アルマさんだけがそれを秘めている訳じゃない。この世界のあらゆる後ろめたさ、罪悪感、背徳感を君一人が背負わなくても良いんだよ」

『此方は……』

 背負ってなどいない、そう言いたかった。
 少なくとも、アルマはそういう顔をしていた。
 他の誰が見てもわからないだろうが、フェイルにはそう見えたし、絶対に間違っていないという確信があった。

「例えアルマさんがその為に生まれたんだとしても……アルマさんは、自分が生きたいように生きて良いんだよ。したい事が出来たのなら、それをする。何かを引き替えになんてしなくても、それが出来るんだ。メトロ・ノームに縛られていようがいまいが、ここにいたっていいし、たまに離れたって良い。それで世界の何かが傾いたり壊れたりしても、アルマさんの所為じゃない」

 自由国家という思想を、アルベロア王子は掲げていた。
 だが彼は、自由とは真逆の位置にいたアルマの存在を、ただ世界の恥部を封印している箱か何かとしか考えていなかった。
 最初から、その器ではなかった。

「一緒に悪い事をしよう」

 そう話しかけるフェイルから、ファルシオンは――――目を逸らしていた。

 必然だった。
 そうするしかなかった。
 心が、そう願ったのだから。

 よって、偶然ではなかった。


 スティレットの変化を目の当たりにした事は。


『そうしようかな。ちょっと怖いけどね』
 
「僕も怖いけど、ここまで来た責任もあるし、やらなきゃね」

 フェイルには、アルマの姿が"視える"。
 だから正確に、彼女の中にある世界の恥部までの道のりもまた見えている。
 ただ触れるだけで、そこへ向かえる。

 けれど、フェイル以外の人間にとっては至難の業だった。
 故に、"最も効率の良い方法は、フェイルに道案内して貰う事"だった。


「伏せて!」


 絶叫に近いファルシオンの声が、室内に響き渡る。
 それと同時に展開された結界が、フェイルの背中に出現した。

 遠隔型の結界は、自分の周囲に発生させる結界よりも防御力は劣る。
 何より、自分が完全に無防備になる。
 それでも、ファルシオンに迷いはなかった。 

 綺麗に防げなくても良い。
 スティレットの――――指定有害人種の一撃を、少しでも食い止める事が出来れば。
 そうすれば、後は封術のスペシャリストが守ってくれる。

 その後に襲ってくる敗北感など気にしない。
 守られれば、それでいい。
 フェイルの命が。

 ファルシオンに迷いはない。
 あったのは――――


「……!」


 読み違い。
 スティレットは確かに、この瞬間を狙っていた。
 今までの沈黙は、ここで動き出す為の、警戒を外す為の布石だった。

 ただ、彼女の狙いはフェイルではなかった。

 尋常でない速度で踏み出したスティレットの"右腕"が伸ばされる。
 その腕の速度もまた異常だった。

 デュランダルが、トライデントが、トリシュが、ファオが見せてきた『腕』の変質。
 全てはこの時の為の、この瞬間を見越しての――――生物兵器実験の産物だった。

 ファルシオンと違い、スティレットの変化に気付いていなかったハルとフランベルジュは、完全に対応が遅れてしまい、一言発するか否かの段階。
 そして、常にスティレットを気にかけていたヴァールは――――

「……」

 何もせず、ただその場に佇んでいた。
 微かに唇を噛みながら。

「良い心がけね」

 声に出す事はなく、スティレットは一瞬だけ目でそう訴えた。
 その目には、あと一言だけ含ませていたが、スティレットとヴァール以外がそれを解読する事はなく、二人の線はそこで切れた。

 スティレットが目指すのは、フェイルの伸ばした手の先にいるであろう魔力体たるアルマ。
 虚を突かれたフェイルが加速しても、もう間に合わない。

 先にアルマに触れるのはスティレット。 
 そういうタイミングだった。


 アルマに、手が触れる。
 

 次の瞬間――――


「世界の恥部は、知識の泉なんて生易しいものじゃないのよ」


 穏やかなスティレットの声が、フェイルの耳に届いた。


「世界中から集められた我欲と悪意の集合体。そんなものを、一人で見るなんて億劫だと思わない?」

「億劫じゃないけど、辛いかもしれないね」

 フェイルは理解していた。
 強制的にさせられていた。


 触れたのは、同時だったと。 


「それでもアルマさんは手を僕に伸ばしてくれた。だから同時に持って行けた。完璧に出し抜かれたのに」

「残酷な信頼ね」

「最高の信頼だよ」

 必ず、フェイルならば自分を星空の下に連れて行ってくれる――――その信頼が、アルマに決断させた。
 フェイルを苦しめる決断を。

「同時に触れたから二人とも世界の恥部を覗ける……なんて、いい加減なものよね」

「多分、その"一人だけ"ってのが嘘なんだろうと思うけどね」

「だとしたら薬草士ちゃん、詐欺師の才能がありそうね。あの男の実子なんだから」

「かもね」

 夢破れた日から、自分を騙して来た。
 大丈夫だと、まだ他にやるべき事があると、そう騙し続けて来た。
 生きる為に。

 いつしか、それは真実になった。
 自己欺瞞こそが、道を作る唯一の道だった。

「格好良いじゃない。ヴァールが気に入ったのも納得」

 フェイルとスティレットの頭に、膨大な光が注ぎ込まれる。

 それは――――神と律法からの離反だった。
 

 

「一緒に行きましょう。知りたい事を知る、罪作りな世界へ」

 


 

 


"αμαρτια"

#12

the end.










 

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