――――フェイルにとって、目の変容は人生観の変容そのものだった。

 鷹の目と梟の目が、いつ自分の中に宿ったのか、それは覚えていない。
 先天性ではないが、物心つく前には既に備わっていた能力だった。
 その二つの目があったからこそ、フェイルは自然の脅威に立ち向かう事が出来たし、その後の困難も乗り越えて来られた。

 けれど、自分のその目を誇らしいと思った事は、ただの一度もない。
 所詮は偶発的に身に付けた力だし、何より最初から自分の目とは思えない預かり物のような余所余所しさを感じずにはいられなかった。


『お前の目は、まだ視えているのか?』


 だから、両の目に終焉が近付いていると悟った時にも、落胆は殆どなかった。
 けれど、恐怖はあった。

 鷹の目で遠方を見渡す度に、梟の目で闇の中を見透かす度に、視界がぼやけていく。
 時折視界が閉ざされ、その頻度が次第に多くなっていく。
 いずれ目が見えなくなるかも知れない、いや確実にそうなるという危機感は、畏れとして常に抱いていた。


『師匠の顔を見るのは、もう無理かもしれない』


 そしてつい先刻、その恐怖は現実となった。
 だが、現実と化したこの盲目は、フェイルに絶望をもたらさなかった。
 余りにも不便ではあるが、予想していた完全な闇とは少し違っていたからだ。

 それまで見えていた風景は、もう見えない。
 だが代わりに、自分の記憶の中にある映像は見える。
 それは単なる回想の筈だが、目が見えている頃に描いていた頭の中の映像より遥かに鮮明で、思い出しているという感覚ではなく、過去を覗いているような印象を抱いた。

 一度も立ち寄った事のない場所は当然、頭の中で再現は出来ない。
 だが、自分の足で歩いて床の堅さを知り、声の通り方で壁と天井の位置を知り、そこに直前まで見ていた建物内の光景を重ねる事で、擬似的な視界を作り出す事は出来る。
 見えてはいないが、見えているように錯覚する事は不可能ではないと、そう感じていた。

 最初フェイルは、視覚を失った代わりに別の五感が鋭敏になり、想像力も集中力によって研ぎ澄まされ、そのような事が実現出来ていると思っていた。
 だが次第に、そこまで自分は優秀ではないと知った。

 明らかに、見えなくなった筈の二つの目が何かをもたらしている。
 本来見えるべき物が見えなくなった代わりに、脳内にある過去の記憶を"視ている"。
 そういう感覚に気付けば、後は自分がこれから何をすべきかも明白になった。


『でも、まだ戦えるよ』


 デュランダルとの戦いは、フェイルにとって特別な意味を持っていた。
 心の何処かで、喜びさえ生まれていた。
 夢の続きを見続けて、夢の延長線上に長い長い放物線を引いて、いつまでもその落とし所を見つけられずにいた中で、ようやく探し当てたゴールだったから。


『……私との戦いは終わりだ。フェイル』


 だがデュランダルは、それを許さなかった。


『もう……終わりなの?』


『そんな顔をするな。お前の成長は十分に感じ取れた。王宮を出て行って、お前がどんな人生を歩んできたのかは知りようもないが、お前は間違っていなかったようだ』


 余りにも似合わない優しさで、フェイルに終わりを突きつけた。


『成すべき事があるのだろう。そこに費やせ。次に会う時は、どちらかを看取る時だ』


『どちらか、じゃないよ。僕にはもう師匠の顔は見えないんだから』


『見えなくても、見送る事は出来る。それとも、私の姿を忘れたか? そんなに印象の薄い男だったか、私は』


 フェイルは知っていた。
 デュランダルが軽口を叩くなど、自分以外には一切ないという事を。

 誰もが言う。
 天才だと。
 安易に。

 誰もが目を瞑る。
 自分がちっぽけに見えると。
 不用意に。

 比肩するのは剣聖ガラディーン=ヴォルスのみ。
 才能ではそのガラディーンさえ凌駕する。
 誰も到達出来なかった高みへ、間違いなく辿り着くであろう――――

 訳知り顔で、軽々しくそう言い放つ声が、デュランダルにとってどれほど足枷になっていたか。

 彼は不器用だった。
 誰よりも不器用だったから、誰よりも表情を消し続けた。
 本来ある筈の重圧を全てなかった事にするには、それ以外になかった。

 そんな男が、フェイルの前でだけは無防備だった。


『お前くらいは覚えておいて欲しいものだな。私を』


 本来の私を――――

 そう言い残し、デュランダルはフェイルの元を去った。
 今思えば、それは遺言だった。

 収まるべき所を失い、フェイルは完全に孤立した。
 見えない目で、何かが見えそうではあるがよくわからない、そんな曖昧な状態で、一体何が出来るのか。

 フェイルは前進を選択した。

 救わなければならない人達がいる。
 手を貸してあげたい人達がいる。
 十分な理由だった。

 何度も壁にぶつかり、床に転がり、至る所を打ち付けながら、フェイルは前へ進んだ。
 ハルと再会する頃には、自分で移動出来るくらいにはなっていた。
 その為、当初ハルはフェイルの目が見えなくなっている事がわからなかったほど。
 

『敢えて言うぜ。今のお前が向かったところで、何が出来るってんだ?』


 突き放される優しさには慣れていた。
 だからフェイルは、ハルに向かって笑顔を作る事が出来た。


『見くびらないでよ』


 それは矜恃などではない。
 強がりでもない。


『僕にしか出来ない事が、あるんだ』


 何一つ飾らない、フェイルの素直な気持ちだった――――

 


「……今の僕には、驚くくらい過去の出来事や映像が鮮明に見えるんだ」

 ほんの少し前の出来事を回想し、それを確認した上で、アルマに呼びかける。
 これも、フェイルにしか出来ない事だった。

「進化なのか退化なのかわからないけど、鷹の目の距離と梟の目の明度をどちらかに振り切ったんだと思う。その結果、"今"は見えなくなったけど、"過去"は見えるようになった。流石に未来までは見えないみたいだけど」

 過去とはいっても、実際に見えるのは記憶。
 そして記憶とは、一人の人間の記録でもある。

「もしアルマさんが、自分が元に戻る方法を知らないのなら、僕に世界の恥部を見せて欲しい。今の僕ならきっと、それを全部鮮明に覗ける。その何処かに、君を今までの姿に戻す方法があるかもしれない」

 あらゆる禁忌が詰まった世界の恥部なら、希望はある。
 生物兵器や自律魔術に狂わされた者が、幸せを手にする方法があるかもしれないという希望が。

「あと……これは我儘かもしれないけど、生物兵器に浸食された人間を正常に戻す方法も探したい」

 アニスやリオグランテのように、望まず生物兵器に侵された人間を、その呪縛から解放する為。
 その為にフェイルは、今日まで生きてきたと言っても過言ではない。

『此方の事は気にしなくていいよ』

 アルマの声が聞こえる。
 少し拗ねたような声だった。

 それを聞いたフェイルは、直ぐにピンと来た。

「一応言っておくけど、アルマさんのご機嫌を取る為に元に戻したいって言ってる訳じゃないからね」

『……本当かな』

「魔力のままじゃ、地上で一緒に星空を見られないでしょ?」

 その約束も――――フェイルにとって、生きる目的の一つとなっていた。

『此方は何も知らないから、フェイル君に頑張って知って欲しいな』

「了解」

 欲しい答えは貰った。
 フェイルは魔力となって漂うアルマへ呼びかけるのを止め、人の気配のする方へ顔を向けた。

「ヴァール。僕は、君の願いを全面的に聞き入れられた訳じゃない。僕がスティレットを止めたとは言えない。それでも、お願いしてもいいかな?」

「……」

 何も言わず、ヴァールは一歩前に出た。
 主のスティレットに目を向ける事なく。








 

                         前へ      次へ