実のところ、ビューグラス=シュロスベリーはつい先程まで内心、焦っていた。

 彼は本来、表に立つ人物ではない。
 研究者であり学者なのだから、矢面に立つような事はまずない人生を歩んできた。


 敵対する者は数多くいた。
 医者、魔術士、そして――――王。
 薬草を時代遅れにする全ての存在をビューグラスは敵視し、その中の数百人を退場させてきた。

 人生最大の大仕事は、魔術国家デ・ラ・ペーニャの教皇の延命と、エチェベリアの国王を薬漬けにした事。
 攻撃魔術至上主義の教皇ゼロス=ホーリーには一日でも長く生きていて欲しかった。
 スティレットの要請に応えて王を薬漬けにした際には、その量の調整の為だけに一年以上を費やした。

 二国の長の命と人格をコントロールした事で、ビューグラスは長年の持論を確信の域に昇華させた。
 薬草は"究極"である――――と。

 命を消滅させるも永らえさせるも自由自在。
 自分が生涯を賭け研究してきたこの選ばれし植物は、実質的に世界を支配しているのだと理解し、そして誇った。

 しかし同時に、常に恐れていた。
 これほど素晴らしい素材が、これほど完璧な学問が、別の分野に淘汰される可能性を。

 医学は本来、常に薬草学とセットであり、共に発展していくパートナーだった。
 薬草から作り出される薬によって、医者は治療の幅を広げ、多くの民を救っている。
 切っても切れない関係だ。

 だが、その進化の中で地位を上げていくのは医者ばかりで、特に外科医は多くの人間から敬われた。
 医者の技術にばかり高い値段が付く一方で、薬草士は裏方へと追いやられ、相対的な地位は下落の一途。
 当然、薬草もまた軽視され、薬の値段は抑えられていった。

 回復魔術、などというものがもしこの世に生まれれば、世界は大きな転換期を迎える。
 医者の需要は減り、薬もまた価値を著しく下げる事になる。
 薬草士にとって、その可能性が存在するだけで魔術学は脅威そのものだった。

 自分の恐怖心を自覚していたビューグラスは、少しでもそれを和らげようとした。
 ただし、自分で手を下す訳にはいかない。
 戦闘能力など皆無だし、毒殺する為の毒は幾らでも調達出来るが実行に移す為には相応の手間が要る。

 故に、ビューグラスは他人に"間引き"を委ねた。
 薬草の発展と存続を邪魔すると判断した人間を間引くよう、多くの人員を雇用した。
 やがて、そういう生き方が当たり前になり、薬草とは関係なく自分の地位を脅かす者、自分を批判する者にも退場を願うようになった。

 フェイル=ノートが自分の息子である事は、当然知っていた。
 街・村単位で生物兵器の投与を行った際、彼が被験者となる事も把握していた。
 ビューグラスにとって、それは然したる興味の対象ではなかった。

 だが、フェイルが鷹の目・梟の目を有したと知った際は、心が動いた。
 生物兵器の浸食による変質か、それとも生物兵器が体内に侵入した事による抵抗反応か――――いずれにせよ、稀有な研究対象になり得る。
 とはいえ、多忙なビューグラスが直接経過観察を行うのは難しく、子供の日常生活では二つの目を活用する機会も少ない為、フェイルがある程度成長したのを見計らい、王宮に紹介して宮廷弓兵団に加入させた。

 本来なら、旧知の仲である宮廷弓兵団隊長アバリス=ルンメニゲに監視させる予定だった。
 毒矢を用いる弓使いと薬草士は繋がりが深く、薬草学の権威であるビューグラスにアバリスは傾倒していた。
 よって、監視を命じる事は容易かったが――――フェイルは彼を師事せず、訓練も殆ど拒否していた。

 結局、王宮での監視はままならなかったが、フェイルは自分のいるヴァレロンへ戻って来た。
 その理由について、ビューグラスは全く関心がなかった。
 ただ、弓使いとして一流の技術を身に付けていたフェイルには、大いに利用価値があった。

 裏の仕事を依頼する事で、邪魔者の排除とフェイルの監視を同時に行う事が出来た。
 その結果、フェイルは指定有害人種ではないと判明。
 特殊な目は、生物兵器の浸食より抵抗反応による産物だと結論付け、その時点でビューグラスの研究対象からフェイルは外れる事になった。 


 ビューグラスは決して矢面には立たない。
 矢を射られるのは、自分の周りの人物。
 それが敵であれ味方であれ、邪魔者であれ実子であれ、彼にとっては大した違いではなかった。


「……」


 そう。
 大した違いはない。

 気化した毒を吹き飛ばされようと、されまいと。

 フェイルの言い放った対処方は、ビューグラスに安堵をもたらすものだった。
 彼の焦りを沈静化させるものだった。

 一見すると有効な手段。
 気化した毒は風で簡単に吹き飛ばされるし、そうなれば死の雨と同じ致死性を生み出す事は出来ないのだから。

 だがビューグラスにとっては、何の問題もない。
 彼が用意した毒の一つは――――アルテタやヴァレロンにおける死の雨の実験で得たデータを元に用意した、死の雨とは似て非なる毒だった。

 フェイルの読み通り、この部屋には予め床や壁に油性の毒液を塗布している。
 それは生物兵器と毒草の融合品。
 これに水を触れさせれば毒が発生し、抗体を持つ自分以外の人間は行動不能になる。

 ただ、死の雨と根本的に違うのは、その発生する毒は気化ではなく微粒化である点。
 つまりは毒霧だ。

 霧であっても、強風が吹けば飛ばされる。
 だが、幾ら微細でも一粒一粒の重さはそれなりにあるので綺麗には吹き飛ばず、また吹き飛んでも天井に付着した分は落ちてくる。 
 この密室においては、風で飛ばそうとするのは逆効果で、毒を広める事にさえ繋がる。

 ビューグラスが懸念していたのは、自分が液体を床に落とす前に首を撥ねられる事。
 もしデュランダル=カレイラが生きていたら、或いはクラウ=ソラスが自分を狙ったとしたら、それが可能だったかもしれない。
 指定有害人種の人間離れした速度は、それほどに脅威だった。

 だが最早、自分を脅かす人間はいない。
 唯一、自分と同じ血を引くフェイルだけが自分の思考をトレースする可能性を秘めていたが、それも問題ないと悟り、勝利の笑みを心中で浮かべていた。

「挑発に乗ってやろう。後悔するのはどっちか。これで決着だ」

 ビューグラスは躊躇なく、懐にしまっていた小瓶を床へと落とした。

 その瓶が割れるのを止める者は――――誰もいなかった。 











 

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