「アルマさん。この部屋の壁や床に毒が塗られていると思うんだけど、どうかな?」

 念の為、よりわかりやすい問い掛けを行う。
 とはいっても、アルマの理解力や洞察力はフェイルも唸るほどであり、敢えて丁寧に問う必要はない。
 この言葉は彼女ではなく――――ビューグラスに向けたものだった。

 今のフェイルには、彼の表情を視認する事は出来ない。
 故に、反応を確認する為には、ある程度刺激を与える必要がある。

「……それが奥の手か。呆れ果てたな」

 案の定、ビューグラスの声には確かな感情が宿っていた。
 それは落胆。
 そして落胆は、期待があってこそ初めて生まれるものでもある。

「ここにアルマ=ローランがいるのは事実。だが魔力と化した彼女と意思の疎通を図れるのは、自律魔術を使用出来る者のみ。魔術士ですらないお前の出る幕ではない」

 それは、当然の見解だった。
 そもそも魔力とは、意思を伝達し合うようなものではない。
 血液や筋肉に語りかけるようなものだ。

「仮に……何らかの方法でお前がアルマ=ローランと対話出来たとしよう。あり得ない事だが、儂はその可能性も考慮する。しかし、だから何だと言うのだ? 彼女に裏付けをして貰い毒の位置を特定出来たからといって、お前に何が出来る。この一面の壁、床に塗布された毒を全て一瞬で中和出来るとでも? それが出来ないのであれば、何の意味もないだろう」

 それもまた正論。
 一瞬で全てを無に出来なければ、ビューグラスは何らかの方法で毒を気体に変え、この部屋に充満させるだろう。
 そうなれば、フェイル達には為す術がない。

「ついでだ。更にもう一つの可能性も指摘してやろう。本当に対話が可能なら、お前にはアルマ=ローランに『封印を解かれないようにしてくれ』と懇願するという選択肢もある。だがそれも無意味だ。儂は彼女の人格を把握している。この場にいる全員を犠牲にしてまで、封印された世界の恥部を守ろうとするほど、冷徹になれるような人格ではない」

 花葬計画を進めにあたって、ビューグラスとスティレットは執拗なまでにアルマを攫おうとしていた。
 それは勿論、彼女の中に世界の恥部が封印されていると見越しての事だったのは間違いないが、それだけではないらしい。
 
 アルマ=ローランという存在を隅々まで調べ尽くす。
 そうする事で、相棒をも出し抜く。
 そんな意図が垣間見えるビューグラスの発言に、フェイルは思わず嘆息を漏らした。

「大方、アルマ=ローランと対話出来るとアピールする事で、儂を焦らせようと目論んでいたのだろう。だが無駄だ。そんな事をしたところで、儂が動揺するとでも思ったか? 随分周囲からの評価が高いようだが、所詮は青二才。行き当たりばったりでは、儂には到底及ばんよ」

 ビューグラスは、フェイルの心を折ろうとした。
 容赦なく牙を剥き、圧倒し、屈服させようとした。
 その目は誰がどう見ても、自分の息子に向ける眼差しではなかった。

 フェイルは――――

「随分多弁だね。大切な事は何一つ話さない人間だったのに」

「……」

 意にも介さず、視界なきその顔を俯かせ、床へと向ける。
 表情を隠す意図などない。

「多分、死の雨と同じ原理で毒を発生させるつもりなんだろうけど……」

 フェイルは、あの悪夢を思い出していた。

 気化した生物兵器を植物に取り込ませ、雨に打たせる。
 それが死の雨の発生原理だった。
 その死の雨によって、フェイルは親しい知人を失った。

「それは無理。出来ないよ」

「雨に該当する液体がないから、とでも言うつもりか?」

「まさか。小瓶にでも入れて懐に忍ばせておけば良いだけだ。それを床に落とすか、壁に投げつけるか。警戒が薄い方にそれをすれば、貴方の意図している行動自体は可能だろうね」

 毒の発生条件を満たす事は出来る。
 にも拘らず、フェイルは毒の発生を阻止出来ると確信していた。

「……やってみる? 試しに」

 床を向いたまま、フェイルはそう挑発した。 

「おいおい! ちょっと待てよ! もし本当に毒が気化しちまったら防ぎようがねーぞ!? 勝算あんのかよ!」

「あります」

 慌てふためくハルに対し、そう答えたのは、フェイルではなく――――ファルシオンだった。

「フェイルさんがそう言うんですから、勝算はあります」

「……ま、そうなんだろうけど」

 フランベルジュも同意を示す。
 彼女達は、既にフェイルに命を預けていた。

「毒の事なんて私達にはわかんないんだから、ジタバタしても仕方ないでしょ? 場末剣士なんだから地味に大人しくしてなさいよ」

「誰が地味だ! ったく……何気に人たらしじゃねーか、フェイル。よくここまで信頼されたもんだ」

「僕にしては上出来でしょ?」

 そう答えたフェイルに対し、ハルは一瞬絶句した。
 何か特別な感情を吐露した訳でもない。
 それでも、まるでフェイルの人生の総決算であるかのような物言いには、一抹の寂しさといじらしさを感じずにはいられなかった。

「……ああ。お前にしちゃ上出来だ」

 それはつまり、自分も命を預けるという宣言に等しい。
 ただ、この場にいるのは彼ら三人だけではない。

「……」

 ファオ=リレーは何も語らない。
 この場で彼女が出来る事は何もない。

「……」

 既に物言わぬ姿になった者達も、当然沈黙を守る。

「……」

 スティレットは依然として言葉を失ったまま、微動だにしない。

 そして――――

「私に何をさせる気だ? フェイル=ノート」


『魔力と化した彼女と意思の疎通を図れるのは、自律魔術を使用出来る者のみ』


 そうビューグラスが発言した時からずっと、フェイルに意識を向けられていたヴァールは、熟考の末に直接聞く事を選択した。
 そこに至るまで、彼女は人知れず苦悩の時間を送っていた。
 だが、フェイルの意図を汲むには至らなかった。

「私をアテにしているんだったら……期待に応えられる自信はない。毒を防ぐ手段なんて持っていないし、貴様の狙いを事前に把握するだけの頭もない」

 常に自信と矜恃に満ちていたヴァールが見せる、弱気の姿勢。
 フェイルはそれを目の当たりにしたのが初めてだった訳ではないので、驚きはなかった。
 寧ろ、恥と危険を承知で素直に質問してきた事に、フェイルは感謝さえしていた。

「なんて事はないよ。緑魔術……風を起こして、気化した毒を吹き飛ばして欲しい」

 顔を上げ、穏やかな表情でそう答える。

 そのフェイルの対処法を聞いたビューグラスは――――こっそりと口元を緩めた。











 

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