『――――貴女達一族の研究が、とても興味深いものだったからよ』

 


 流通の皇女と呼ばれた女性の面影は、余りにもあり過ぎた。
 少なくとも、ここ一年ほどヴァールが間近で見て来たスティレットよりも、今のスティレットの方が昔の彼女に近い。
 それは口調だけでなく、表情や佇まい、そして雰囲気にも起因した。

 ヴァールが初めてスティレットと出会ってから現在に至るまで、突然変異のような急激な変化は起こっていない。
 口調が変化したのも少しずつ、ゆっくりと。
 知的で意外と感情的で、何処か儚げでもあった彼女は次第に薄れ、好奇心旺盛で常に人を食ったような発言が増えていった。

 その人格変化の原因を、ヴァールは当初環境の所為だと思っていた。
 如何に流通の皇女と言えど、万人に敬われている訳ではない。
 物流を統べる彼女は常に各都市、各国の海千山千の商人や我欲の塊である富裕層と対峙しなければならなかったし、恨みを買う機会も多かった。

 それでも彼女は、あらゆる分野の手練を相手に数多の交渉を成立させてきた。
 当初の予定よりも不利な条件で契約を結ぶ事など、ただの一度もなかった。
 事前に多くの金を費やし、時には利益を度外視してまでも法外な金額を積み相手の情報を徹底的に調べ上げ、周囲を買収し、巧みな話術と観察眼、粘り強さによって全ての商談を優位に纏めてきた。

 だからヴァールは、スティレットの変化をその代償だと解釈してきた。
 十人十色の交渉相手に全勝するには、一つの顔だけでは絶対的に足りない。
 幾つもの顔を用意し、相手に合った自分を表に出す必要があると。
 
 人間が捻くれ、ねじ曲がるには十分過ぎる世界。
 スティレットの傍らにいつもいたヴァールは、率直にそう感じていた。

 けれど、そうではなかった。
 スティレットはいつしか、スティレットではなく、生物兵器に浸食され、支配されてしまった。
 ヴァールがそう確信したのは、このヴァレロンの地に足を踏み入れた際の事だった。

『テメェ……誰だよ?』

 実弟であるバルムンクは開口一番、スティレットに向かってそう言い放った。
 軽薄な話し方がすっかり板に付いてきた為、それを受けての指摘だとヴァールは解釈した。

 だが違った。
 バルムンクは彼女の"生気"を見ていた。

『その呼吸、その体重の乗せ方、その瞬き……どれを取っても、生きた人間って気がしねぇな』

 猛者ならではの視点。
 再会したその日から、バルムンクはスティレットの事を『姉貴だったモノ』と呼び、自分から近付く事は一切しなかった。

 ヴァールの意識も、その日を境に大きく変動した。
 あれだけ多角的な思考を持ち、人と物を動かす事に長けていたスティレットが、ヴァレロンに留まり続け、一つの事だけに意識を固定させていた。

 メトロ・ノームの支配。
 それをどうすれば実現出来るか。

 勇者計画にとっても花葬計画にとっても重要な地点であり、世界の恥部を狙う勢力も合わさって玉石混交の無秩序状態と化していたこの地を、スティレットは酷く強引に手にしようとしていた。
 シナウトという架空の存在を作りあげ、明らかに力不足と思われる連中を雇って土賊と名乗らせ、好き放題荒らし回るよう命じ、関わる人間を少しでも減らそうとしていた。

 彼女らしさなど微塵もない、野蛮な手段。
 既に確信は得ている。
 だがそれでも――――ヴァールはスティレット"だった者"の暴走を止められなかった

 一族の研究への出資を打ち切られる恐怖ではない。
 嫌われるのを恐れてもいない。

 客観性が足りなかった。

 身内であるバルムンクも、長年付き添ってきた自分も、昔のスティレットの面影を追い過ぎている。
 実際、僅かではあるが、昔の彼女を思わせる言動が見られる瞬間もあった。
 人格を支配されたなどという、証拠のない曖昧な推測で、彼女の邪魔をするのは余りに難しかった。

 どうしても欲しかった。
 客観的に、彼女をスティレットではないと断定する目が。
 そう言葉にしてくれる存在が。

 


「……ずっと迷っていた。でももう迷わない。貴女はもう……私が仕えてきたあの方じゃない」

 鋭さに欠く殺気が、ヴァールから発せられる。
 それでも、彼女がスティレットに向かって敵意を見せるのは、これまでの彼女の姿勢からは想像も出来ない事。
 ファルシオンとフランベルジュは、驚きの余り思わず顔を見合わせた。

「そう? あたしは今のあたしの方が、ずっと昔のあたしに近いと思うけど? ねぇ、オジサマ」

「……」

 事情を全て察しているのか、ビューグラスは然程感心を寄せていない様子で、静かに嘆息した。
 彼にしてみれば、世界の恥部を巡るライバルが減ってくれるに越した事はない。
 付き合いの長さに仲間意識を抱くような人間でもない。

 静観。
 そうするのをわかっていて、スティレットは敢えて話を振った。
 その行動に意味を見出すならば――――

「世界の恥部に取り憑かれている。いや、吸い寄せられている」

 フェイルはそう結論付け、ヴァールとスティレットの間に生じた火花のような意識を自分の方向に誘導した。

「ヴァールから愛想を尽かされたら、自分の計画はもう成立しない。そんな単純な事を見極めきれなくなっているくらい、今の貴女は思考力が落ちている。その喋り方が昔の貴女に近いとしても――――」

「本質は程遠い」

 迷いは既になかった。
 あったのは、感傷。
 だがそれも、フェイルの最後の指摘によって消え失せた。

 ヴァールの右手の指輪が強く光る。
 魔術士であるファルシオンや魔術士殺しの異名を持っていたハルは勿論、魔術に明るくないフランベルジュでも一目でわかる。
 最大出力の魔術を綴ろうとしていると。

「あたしを裏切るの……? 散々無駄金をつぎ込ませた貴女が、このあたしを?」

「援助を受けたのはスティレット様だ。貴様じゃない」

「どこをどう見ればあたしがスティレットじゃないと言えるんだか……簡単に誑かされやがッてこの売女がッ!!!!」

「!」

 先程以上の怒号。
 とうとう――――馬脚を現わした。
 崩壊した、と表現した方がより正しい。

「どれだけお前が無能だろうと無様を晒そうと罰すら与えず隣に置いてきた恩を忘れやがッて!! お前如きが、魔術国家から見捨てられた一族の末裔如きがこのあたしを殺すなんて出来ると思ってンのか!? やってみろ! あたしを魔術で倒せるなんて思い上がりも甚だしいってわからせてやるよ!!!」

 生物兵器は、魔術に対抗すべく作られた技術。
 今のスティレットの発言は、最早生物兵器そのものとなっている事の証明でもあった。

 そして――――

「……本当に、思考力が大きく低下してるんだね」

 フェイルがそう呟いた刹那、ヴァールの魔術が放たれる。
 攻撃でも防御でもない。
 魔力が意思を持って――――彼女の体内から余す事なく出て行った。

「これで、私は空っぽだ。この場で魔術はもう使えない。アルマ=ローランを探す事も」

 ヴァールに、スティレットの姿をした人間を殺す事など出来る筈がない。
 そんな事は、彼女を知る者なら誰もが容易にわかる。
 魔術の行使を止め、粘り強く説得を続ける事が唯一の正しい判断だったにも拘らず、スティレットはまるでそこに思い至らなかった。

「これで……全て終わりだ。私も、一族の研究も」

 ヴァールはその報告を、ファルシオンとフランベルジュにした。

「これからでしょ? 貴女も、ファルも」

「はい」

 一人は苦笑。
 一人は僅かに綻んだ顔でそう答える。

 それに対し、ヴァールは――――


「……ああ。そうだな」


 静かに微笑んだ。










 

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