――――それはかつて、フェイルがアルテタの屋敷でカバジェロ相手に試みたのと同じ類の計略。


「実はこの書庫の何処かに、水分に反応し気化した毒素を撒き散らす毒物を持ち込んでいる。そこに、水などの液体をかけるとたちまちこの部屋は毒に包まれ、全員が即死するだろう」


 薬草士ならではの戦略――――ではない。
 フェイルが以前そうしたように、薬草士ならば自身が耐性を持つ毒を用いるのが普通。
 だがビューグラスは、死亡する対象に自分をも含んでいた。

「おいおい! シャレにならねーよジイさんよ! 自分まで死ぬような仕掛けに何の意味があんだよ?」

 それを一切思索せず素直に口にするハルは、この場では明らかに浮いているが、同時にこれほど頼もしい人間もいないと、フェイルはこっそり微笑んだ。

「何、大した問題ではない。この場にいる"全員"を確実に仕留めるには、儂も耐性を持たない新種の毒を使う必要があったのだよ」

 ビューグラスは素直にハルの疑問に答える。
 同じ事をフェイル、或いはファルシオンが聞いても、素直に答えたかどうかは定かではない。
 剣聖ガラディーンの息子である事とは無関係に、実直な性格のハルは戦略家とは相性が良い。

「魔力にも効果のある毒を」

 つい、自分の発言が彼にどんな反応をもたらすか、確かめたくなる。
 ビューグラスも例外ではないらしく、ハルに好奇の視線を向けていた。
 対照的に、フェイルは視界にすら入れていない。

「わかるかね。この意味が」

「あ? 魔力に効果……っつっても、魔力なんて誰でも持ってるだろ。防ぎようがないとか、そういう話か?」

「違うよハル。魔力だけの存在に対しても効果のある毒、って事」

 既に答えを知っているフェイルの反応は、ビューグラスの興味の対象外だった。

「今、この室内にはアルマさんがいる。姿は見えないけど、魔力になって漂っているんだ」

「は? なんだよそれ?」

「さっきスティレット様が言っていた事を聞いていなかったのか? アルマ=ローランは普通の人間じゃない。魔力そのもの……魔力に人格を持たせた存在だ」

 そう補足したヴァールは、この事実を理解するのに何一つ苦労はなかった。
 自律魔術を操る彼女にとっては、魔力に人格が芽生える事実に何ら抵抗はない。
 しかし、免疫のないハル、そしてファルシオンやフランベルジュは未だに釈然としない面持ちのままだった。

「幾ら薬草学の権威でも、そんな都合の良い毒なんて作れるのかしらね? 『死の雨』で実証したのは毒と生物兵器と雨の結び付き、それと人体と植物の結び付き。毒と魔力の関連については実験出来てない筈でしょう?」

 まるで答えを知っているかのような、含みを持たせた質問。
 口の端を吊り上げるスティレットに対し、ビューグラスの返答は早かった。

「儂がデ・ラ・ペーニャの教皇に薬を作っていたのを知っていながら、その質問とは。まるで自分ではなく別の者の為に聞いているようだが?」

「そんな事はなくてよ? ただ、貴方が教皇に薬を作っていたのって随分前の話でしょう? そんな昔から、今のこの状況を想定して準備していたなんて、随分と用意周到ね」

「その通りだ、流通の皇女よ。其方も人生を賭けてこの場に来るまでの準備を入念に行っていたのだろうがな。永陽苔の共同開発を持ちかけたのも、この先を見越しての事だったのだろう。だが、儂の方が少しだけ執念深かったようだな」

 永陽苔はスティレットとビューグラスの共同開発。
 フェイルが早い段階で予想していた事がほぼ的中した。
 そして、その意味は決して小さくない。

 永陽苔はメトロ・ノームの光源であり、植物と魔術の結び付き。
 スティレットはこの地下を自身の国とするつもりでいるのだから光は必要だし、ビューグラスは魔力と毒――――すなわち植物との関連性を研究していたのだから、双方にとって永陽苔は意義あるものだった。
 同時に、両者の関係性を象徴する開発品とも言えるだろう。

「魔力化したアルマさんを標的にする毒。その存在は素直に認めるべきだよ。その人は、薬草と毒草に関して見栄を張る人じゃない」

 だから、フェイルはその発言をスティレットに向けて言った訳ではない。
 納得しきれていなかったハル、そして自分の仲間に向けた発言だった。

 ビューグラスはハッタリで毒の話をした訳ではない。
 彼は確実に、この部屋の何処かに毒を持ち込んでいる。
 そして、もし『世界の恥部』に関して自分が後れを取るようなら、自分を含むこの場全員の命を奪うつもりでいると、そう断定した。

「イカれてんな……」

「同感」

 ハルとフランベルジュの率直な感想に対し、ビューグラスは満足げに口元を弛ませる。
 彼自身、その自覚はあったらしい。

「さて諸君。この中に、儂を差し置いてアルマ=ローランに封印された世界の恥部を覗こうとまだ考えている者はいるかね? 毒が発生すれば、まず間違いなくこの場にいる人間は死ぬ。万が一脱出出来たとしても、アルマ=ローランは既にこの世になく、封印は永遠に解除されないまま世界の恥部は消滅するだろう。それでも、儂を邪魔したい者がいるのなら、話をしよう。儂は他人の野心を聞くのが好きだ。野望を抱き、無理難題に挑む者の姿は美しい。そうでなければ生きているとは言えぬ。生命の躍動を儂に見せてくれ」

 話し合いの余地はあると言わんばかりだが、実際には脅迫中の人物に無茶振りをしているようなもの。
 スティレットは笑顔のまま俯き、付き合う気がない事を示した。

 だが彼女が諦めている筈がない。
 ビューグラスは彼女がどうやって自分を始末しようとしているのか、その一点に留意しながら反応を待っている。

「封印を解く方法、少なくとも二人は知ってるんだよね?」

 フェイルが名乗り出てくる事も、ビューグラスは想定していた。

「無論だ。でなければここへ来る意味もない」

「確かに、こんな場所に来る意味はないよね。アルマさんも。ここで連れて来られたのは、この場所自体が封印を解くトリガー。だとしたら、封印自体は既に解かれているか、いつでも解ける状態にある」

「……」

 ビューグラスの顔が変わる。
 表情そのものに変化はないが、その微細な違いはフェイルにだけはわかった。
 結局は、親子という事らしい。

「フェイルさん。まだ私は完全に状況を飲み込めていませんが……アルマさんがここにいるのなら、アルマさんには今"意思"はあるんですか?」

 不意に問いかけたファルシオンのその言葉は――――スティレットの笑みを消した。

「流石ファル。もうそこに目を付けた」

 逆にフェイルは思わず笑みを零す。
 彼女の着眼点、そして発想力には、フェイルはいつも親近感を抱いていた。
 一方で、嫉妬すら覚えるほど一目置いていた。

 だから、応える。

「意思はあるよ。間違いなくね。だから彼女に呼びかけられる存在が必要だったんだよ。魔力に意思を持たせる魔術なら、魔力の意思にも干渉出来るだろうからね」

 フェイルの目は、ファルシオンの隣で佇んでいるヴァールに向いていた。








 

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