――――法や権力に支配されない自由の象徴たる地下空間、メトロ・ノーム。
 その広大は一つの街、或いは小規模の都市にさえ匹敵し、いつしかここを"地下都市"と呼ぶ者もいた。
 そして事実、このメトロ・ノームには都市計画も存在していた。

 治外法権ならではの独立性、そして秘匿性。
 この空間が単なる『秘密実験場』で片付けられない場所なのは、訪れた者の大半が理解していた。

 間違いなく、エチェベリアを乗っ取る為の足がかりとなり拠点にもなり得る。
 少しずつ派遣する人員を増やし、発言力を強化し、やがて空間内を牛耳る事で、この地下は非常に機能的な基地となるだろう。

 結局のところ、メトロ・ノームにも真の意味での自由など存在はしない。
 人が集えば、そこには必ず不自由と束縛が生まれるのだから。

 だから管理が必要だった。
 仮に外敵が出現しても、それを未然に食い止め、勢力の拡大を防ぐ。
 それが無理なら、各勢力を拮抗した状態にする事で睨み合う状況を作り、一極支配だけはさせないようにする。

 メトロ・ノームの管理人には、そのような使命があった。

 しかしいつからか、全く違う役目を背負う事になる。
 ただしその二つは密接に繋がってもいる。

『世界の恥部』の封印と保管、そして守護。

 これまで各国の王族や有力者が行ってきた外道な実験、大陸全土を敵視するような発明、危険思想、致命的な欠陥、出生の秘密、恥知らずの行い――――例え一つだけが漏れたとしても、他国から大きな批難を受け、場合によっては戦争の火種になりかねない数多の詛呪が、そこには眠っている。

 アルマ=ローランの中には。


「貴殿は己が何者かを理解しているかね」


 初めてメトロ・ノームを訪れたルンストロム元首座大司教――――魔術国家デ・ラ・ペーニャで教皇選挙に出馬したほどの人物は、初対面にもかかわらず、鍵を受け取るのと同時にアルマをそう見下した。

「此方は人間だよ」

「その通り。実にその通りだ。貴殿は立派な人間であり魔術士。"あれ"は魔術士でなければ解く事は出来まい。良かった。貴殿が人で良かった。こうして戦勝国まで足を運んだ甲斐があった」

 ルンストロム=ハリステウスの昂ぶりは明確だった。
 既に老齢に達していながら、感情表現が実に豊か。
 充実した人生を送ってきた証拠でもある。

 あくまで――――本人にとっては、だが。

「私はこの地に奇跡を求めている。故郷で少し、嫌な思いをしてしまってね。心を深く傷付けてしまったら、それを癒やすには時や薬では足りない。私が欲しいのは成長。今の自分にはないものを身に付けることで、傷の痛みを忘れるのだよ」

 既に成長という言葉が白々しい年齢に達しながら、ルンストロムはそれを求めた。
 無論、それは清廉とした成長を意味しない。
『出来なかった事を出来るようになる力』であり、もっと突き詰めるならば『復権の為の力』。

 アルマには知る由もない。
 目の前の男が教皇選挙に敗れ、それでも尚権力に固執し、一旗揚げようとしている事など。

 だが彼の薄汚い野心は、アルマの過敏な感覚を強く刺激した。
 結局、第一印象を最悪なものにしたルンストロムは独力でアルマを懐柔する事は叶わず、人知れずエチェベリアを去る事になる。

 ただし、ルンストロムが早々に諦めたのは、単に要領の問題ではない。
 かつては一流の魔術士だった彼にとって、封術士であるアルマは余りに相性が悪過ぎた。

 そしてもう一つ。
 彼にはどうしてもアルマを屈服させられない、重大な理由があった。

 アルマが自分自身を『人間』だと認識している限りは、まだ望みがあった。
 

『此方は……このメトロ・ノームを封印する為に生まれてきたんだよ』


 しかし、少しずつ、少しずつ。


『此方は、此方だよ』


 アルマは自分が自分である事に、いつしか縋っていた。
 メトロ・ノームの管理人としての自分を、見失わないよう務めていた。
 それは同時に、自分が自分であって自分ではない事に気付き始めていた証でもあった。


 魔術士は、魔力を大量に消費した場合、体調を悪くする。
 体内の魔力が少なくなる事で生じる、誰にでも起こる現象。

 けれど、アルマは違う。
 自身の所有する膨大な魔力の大半をメトロ・ノームの管理に当てた場合、彼女は言葉を発する事が出来なくなる。
 それは、通常の魔術士の魔力欠乏の状態とは明らかに異なる。

 魔力を消費すると、彼女は己の一部を一時的に失う。
 魔力が戻れば、その機能は元に戻る。

 これが何を意味するか、アルマはとっくにわかっていた。
 それでも、自分が人でありたいと願い、そう信じていた。

 アルマは――――

 


『アルマ様の記憶はここで封印されました。ここに"ある"のです』


 自身にこの上なく丁寧に接する不思議な男――――クラウ=ソラスは、最後までその姿勢を崩そうとはしなかった。
 彼はアルマに対し、本心から敬意を持っていた。
 だからアルマも、例えその身に破滅が待っていようと、彼に付いて行った。


「此方は……」


 アルマは現在、肉体を持っていない。
 アルマの身体は既に――――

 否。
 最初からない。


「此方は、魔力だったんだね」


 誰に問いかけるでもなく、アルマはそう意思で呟く。
 彼女は今、人間の身体を模してはいない。
 魔力として、室内を漂っている。

 けれど意識はある。
 それが『自律魔力』と呼ばれるものの性質の一つだ。

 人ではなく魔力のアルマは、人とは異なる性質を有している。
 彼女は言葉ではなく、自身たる魔力によって対峙する人物を見分けられる。

 魔力はどんな人の身体に宿る力であり、その人間の本質を示すもの。
 どれだけ詭弁を並べても、アルマはそれを容易に見抜く。
 人の心を覗ける訳ではないが、心の色は見分けられる。

 それを不思議に思った事はなかった。
 生まれた時からそうだったし、封術だって同じ。
 他者に出来ないからといって、それが自分にとって特別という意識はなかった。

 だから、自分が魔力を操る人間ではなく魔力そのものだと気付いた時も、実のところ、絶望はしなかった。
 そういうものだと理解し、そういうものだと納得した。

 人の脳では到底覚えられない量の情報でも、魔力であるアルマは記録出来る。
 魔力とは、ルーンによってその性質を変え、自由自在に変化するもの。
 記録媒体になる事など造作もない。

 だから自分はメトロ・ノームの管理人たり得た。
 ならばそれは宿命。
 どのような状況にあっても、どんな姿になったとしても、メトロ・ノームを守り続ける事が、自分の生きる意味だと納得していた。


『あ、いや、えっと……アルマさん。星空って見たくない?』

 
 そう言われてからも。
 そう問いかけてくれる人が現れてからも。

 


「これは生存競争なのだよ。薬草学。医学。魔術学。生物学。経済学。兵学……その全てが生き残りを賭けた――――聖戦なのだよ」

 瞳なきアルマの意思に、ビューグラスの狂気じみた顔が映る。
 彼らは知っていた。
 アルマが今、魔力としてこの空間に漂っている事を。

「聖戦である以上、勝者と敗者に分かれる。ハイト君。君はどっちだ? この状況……どちらが勝者となり得るか、わからない君でもあるまい」

 ビューグラスの傍には、スティレット、アルベロア王子、ファオ=リレー、そしてデュランダル=カレイラがいる。
 対し、ハイトの傍にはクラウ=ソラスのみ。
 人数、そして戦力の観点から、後者に勝ち目はない。

 誰もがそう判断するだろう。
 人であるならば。

 だが、アルマには見えていた。
 感じていた。
 ビューグラス側の一人が、今にもその命を落とそうとしている、その事実を。









 

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