その時、アニスに意識はなかった。
 当然その視界は閉ざされている――――筈だった。

 だが、アニスの頭の中には確かな記憶として、その映像は残っている。
 彼女は本能的に、それが生物兵器の浸食によって生み出された別の意識が見た記憶なのだと悟った。

 自分の中に、明らかに自分とは異なる衝動がある。
 ならばそれは、もう一人の自分と言うべきなのか、自分とは異なる憑依体のようなものなのか、それはアニス本人にもわからない。
 わかっているのは、この独立した意識こそが『指定有害人種』の正体である、という真理だ。

「貴女達の勇者は……私を守って……天に……召されたの」

 リオグランテはずっと、彼とは異なる意識によって突き動かされていた。
 だが、このヴァレロン・サントラル医院でアニスと遭遇した時に口にした――――


『逃げ……て……アニスさ……ん……』


 この言葉は紛れもなく、リオグランテ自身のものだった。
 彼の意識は生きていた。
 だが、既に生物兵器の浸食によって、消失は時間の問題だった。

 だからハイトは、リオグランテの意識がまだ身体に残っている内に、彼の身体を魔術で葬送した。
 リオグランテを、リオグランテのまま死なせてやった。
 最後に彼が勇者だった瞬間を見届けて。

 それを、アニスの別意識は一部始終目に焼き付けていた。

「……不思議なんだけど、それを見てから私、血を見ても何も思わなくなったの。さっき、向こうの部屋で血痕を見たのに、安らぎも充足も何もなかった……」

 アニスのその言葉の真意を、ヴァールは瞬時には理解出来ない。
 彼女が血を見なければ自我が保てなくなる性質を詳しく知らないのだから当然だ。

「血を見ると安心するのか。それがお前の中にある生物兵器の『有害』なんだな」

 それでも、ヴァールは先程のアニスの発言だけで、ほぼ正解に辿り着いた。
 ずっと同じ性質を持った人間に付き従っていた為、有害の種類は違っていても、連想は容易だった。

「……そう。リオは最後に貴女を助けたの」

 取り乱しつつあったフランベルジュだったが、アニスの証言を聞いてからは落ち着いた様子で現実と向き合っている。
 彼の死、それ自体はもうとっくに受け入れていた。
 だが、例え元の人格ではなくても、リオグランテの身体が動いていたのは事実であり、それがどうしても消化しきれない想いとして心に引っかかっていた。

「あの子は勇者になれたのね」

「……はい」

 アニスは知っている。
 自分の中に生じた衝動――――もう一つの意識に逆らう事など到底不可能であると。
 しかしリオグランテは、それをやってのけた。

「私にとって、彼はどんな英雄よりも尊敬する、真の勇者です」

 だから決して、大げさではない。
 アニスの心からの言葉は、フランベルジュにしっかりと伝わった。

「なら、私もちゃんと受け入れないとね。あの子の最期を」

 左手で目を擦る。
 そして一瞬歯を食いしばり、唇を噛み、そして天井を仰いだ。

「さようなら、リオ。貴方はやっぱり私とフランが見込んだ通りの子だったね。ありがとう……お休みなさい」

 勇者一行の一員としての責任。
 フランベルジュは仲間の一人として、友人の一人として、その生涯を労った。


 笑顔が絶えなかった。
 何度トラブルに巻き込まれても、失敗しても、一度として重い空気にはならなかった。
 中心に彼がいたからだ。

 その全てを思い出せるのは、短かったからではない。
 楽しかったから。








『それにしても、町長の家が元に戻って本当良かったです!』

『それは良かったけど、マンドラゴラがあんな不気味な人形だったなんてね……夢に出そう』

『フランベルジュさん、思いの外恐がりなんですね。意外、と言ったら失礼ですが』

『そういうあんたも露骨に顔を歪めていたじゃない。魔術士ってああいう呪いのアイテムみたいなの普段から扱ってるんじゃないの?』

『それは事実に基づかない魔術士への偏見です。認識をあらためてください』

『そっちこそ、私への偏見をあらためてくれない?』

『まあまあ、騒動は無事に収まったんだし良かったじゃないですか! ファルさんもフランさんも凄く頑張ってくれて、僕嬉しいです! 良いパーティになれそうな気がします!』

『ちょっと、何勝手に名前縮めてるのよ』

『でも、お二人とも名前長いから、並べて言うと噛みそうで』

『あんたにだけは言われたくないんだけど……なら私もあんたをリオって呼ぶ事にするけど、良いの?』

『勿論です! 愛称で呼び合う方が連帯感が生まれて、勇者一行って感じがしますし! ファルさんはどう思います?』

『私は構いません。このパーティの中心は勇者候補である貴方ですから、貴方の指示に従います』

『指示じゃないです。お願いです』

『……』

『お願いっていうより、提案って気がするけど』

『同感です。フランと同意見なのは少々不満ですが』

『私もファルと気が合うのは不愉快だけど、今日は目的達成して気分が良いから、相殺してあげる』

『早速仲良しですね!』

『どこがですか』『どこがよ』

『はははっ』








 ――――勇者リオグランテの旅が今、終わった。









 

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