生気のない、空虚を掘り下げたような表情。
 ヴァールは気配の主を見た瞬間、かつての自分を目の当たりにしたようで、微かに気が滅入った。

 "彼女"は直ぐに見つかった。
 気配がした時点で、隠れる気もないのだろうと察してはいたが、敵意も、そして生きる気力すらないように感じられたのは予想外だった。

「……アニス=シュロスベリーか」

 ヴァールがその名を口にしても、通路で膝を抱え座ったままのアニスは微動だにしない。
 顔は膝に埋もれさせず、一点をじっと眺めているが、その視界に映っているものを理解するのは難しい。

 精神が死んでしまっている。
 ヴァールは一瞬、そう判断しそうになった。
 もしそうなら、話しかけても無駄だし、時間を割く理由もないと。

 だが、そう切り捨ててしまう事に躊躇した。
 明確な理由はない。
 敢えて言えば、甘くなったという表現が妥当だと自己分析し、アニスの直ぐ前まで歩み寄る。

「お前は重要人物だ。ビューグラス=シュロスベリーの実の娘で、フェイル=ノートの妹。そして指定有害人種。一体何処まで花葬計画に関わっている?」
 
「……」

 返答は期待していなかった。
 見ていたのは、目。
 意志がある人間は、目を長時間全く動かさずにいる事は出来ない。

 案の定、アニスは微かに反応を示した。
 そしてそこまでが自分の役目だと悟り、踵を返す。

「フェイル=ノートの仲間を連れて来る。面識はあるんだろう。何故ここにいるのか、話くらいしてやるんだな」

「……フェイルの……仲間?」

 予想以上に、アニスは壊れていなかった。
 すんなりと言葉を口にした事に、ヴァールは若干の肩透かしと、もっと小さな安堵を抱き、歩を進める。

「連れて来る」

 それだけ告げ、来た道を引き返した。


 そして――――


「この病院に入院してたって話は聞いてたけど……どうしてここにいるの?」

 まだ深い眠りに就くファルシオンを背負いながら、フランベルジュは高圧的にならないよう努めつつ、アニスに眼差しを向けていた。

「お前、この子の立場について聞いているのか」

「ええ。フェイルから聞いてる。個人情報の漏洩だけど、悪く思わないでね。フェイルは貴女を助けたい一心で私達にも協力を仰いでるってだけ。私も、貴女の境遇には同情してる」

 フェイルは以前、アニス自身から心の内を聞いていた。

 アニスの認識では、ビューグラスはアニスを助ける為に生物兵器の研究に着手したという。
 生物兵器に浸食された身体を元に戻す為に。
 
 アニスとフェイルは、幼い頃に誤って生物兵器の試料を口に入れてしまった。
 管理が杜撰だったのは間違いないが、それ自体は事故だ。
 以来、アニスは血を欲する身体になり、アニスが血液目当てでフェイルを殺害するのを危惧したビューグラスは、フェイルを避難させるために遠い村に預けた。

 ビューグラスはアニスの完治を目指し、ヴァレロン・サントラル医院と組んで生物兵器の研究を更に押し進める。
 そして、その過程で人の命を何とも思わない狂人と化してしまった。

 アニスはそう信じている。
 だから、自分を責め続けている。

 自分が生物兵器を体内に取り込んだばっかりに、フェイルとビューグラスの人生を狂わせてしまった。
 父が狂気に支配されたのは、自分が原因だと。
 自分を治したい一心で、結果そうなったと。

 だが――――それが真実とは限らない。

 ビューグラスは本当にアニスを治したがっているのか。
 彼に親としての心が残っているのか。
 フェイルは極めて懐疑的な視点で、ビューグラスを語っていた。

「アニス。貴女は何を知っていて、ここへ来たの? 幾ら同じ敷地内でも、このエリアは普通の患者が来られる場所じゃない。偶然迷い込むような所でもない筈よ」 

「わたし……は……」

 問い掛けながら、フランベルジュはアニスの意識が意思の疎通に向いていないのを察していた。
 彼女は何か別の事を考え、そして怯えている。
 そう理解するのが難しくないほど、アニスの顔は強張ってしまっている。

「連れて来られた……あの人に……お父さんと協力して私を治そうとしてくれている……人……」

「……」

 フランベルジュは神妙な面持ちでヴァールと目を合わせ、軽く頷く。
 あの人が誰を指しているのかは、想像に難くない。
 スティレットで間違いないだろう――――その確認だった。

「今から……私を治す為の研究が……この病院で一気に進展するって……だから私もその場にいなきゃいけないって……でもあの人はいなくなって……私は一人でここに……」

 アニスの表情が次第に慄然としたものに変わる。
 フランベルジュは彼女の尋常でない様子に、スティレットに対して怯えているものだとばかり思っていた。

 だが、違った。

「それから……フェイルに会って……戦ってる途中で……私は変な形の剣を持って逃げるように言われて……」

 アニスが怯えているのは、自分自身。
 自分が行った事に対してだった。

「その途中で……貴女の仲間に会ったの。勇者……だったと思う」

「!?」

 フランベルジュの顔色が変わった瞬間、ヴァールは動いた。
 二人の間に割って入り、両者が衝突しないよう壁代わりとなる。

「な、何よ……」

「感情で動くな。この女の持っている情報は重要だ」

「私がアニスに何かするって言いたいの?」

「わからないのなら、言葉を変えよう。激情で動くな」

「……!」

 ヴァールは、フランベルジュの感情の揺れを正確に見抜いていた。
 背負っているファルシオンを投げ捨て、アニスに斬りかかってもおかしくない。
 それほどの大きな揺れを感知していた。

 そしてフランベルジュも、ヴァールの一言で自分の精神状態を理解させられた。
 リオグランテの身体は、霊安室に安置していた筈だった。
 だがアニスに出会ったというのであれば、再び目覚めた――――生き返った事になる。

 無論、喜びなどない。
 一度目の蘇生の時点で自我は崩壊し、別人になっていた。
 生きる屍という表現をするしかないような状態だった。

 当然、二度目の蘇生でも同じ状態になるのが必然。
 そんな状態のリオグランテとアニスが遭遇し、アニスがこうして生き残っている。

 つまり――――

「リオは……どうなったの……?」

 惨い現実から目を背けるなど、到底不可能。
 絶望以外に何もない答えを、フランベルジュは暗翳と共に待つしかなかった。









 

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