かつての師、そして上司の敗北した姿を隠すかのように、デュランダルは敢えて部屋の扉を閉める。
 その閉扉の音は、両者の関係の終焉を告げる音でもあった。

「……」

 普段通りに戻った顔で、廊下の周囲を見渡す。
 人影は何処にもない。
 気配も同様に。

 示し合わせてはいなかった。
 まして、自分の支援をしろなどと言える筈もなかった。
 それでも、ガラディーンより先に射手――――フェイルの存在に気付いたのは、単に付き合いの長さによるものだった。

 フェイルは許していない。
 勇者候補リオグランテを殺めた自分を、今後許す事はない。
 それは先刻の彼との戦いにおいて、克明に示された結論だ。

 視界が閉ざされた時点で、フェイルは死を覚悟していた。
 見えなくなった事で戦いを諦めたのではない。
 その予兆は以前からあり、目の寿命まで戦うと決めていた――――そんな諦観の表情だった。

 デュランダルはそんな愛弟子を手にかける事が出来なかった。
 元々、立ち塞がらなければ倒す意味もない。
 これからフェイルが指定有害人種になる可能性は、最早皆無だ。


『お前の目は、まだ視えているのか?』


 自分の問い掛けに対し、フェイルは何も答えなかった。
 彼は駆け引きに長けている。
 実は見えている可能性もあった。

 或いは、見えない時間と見える時間が交互にやってくる事も考えられる。
 普通の目が視力を失うのと、生物兵器の影響で突然変異した目の不調を同列には語れない。
 だが、一対一の戦いという点において、深刻な目の不調は致命的だ。

 フェイルは最後まで戦おうとしていた。
 その姿が――――余りに切なく、デュランダルは一つ二つだけの言葉を告げ、彼を残しその場から離脱した。

 完全に視力を失った人間が直ぐにこの薄暗い院内を移動出来る筈もない。
 先程のフェイルの出現によって、彼が完全に失明した可能性は薄くなった。
 あの援護も、視力を要するほどの精密さは必要なかった為、どれほど目が見えているのかは量りようがない。

 ただ、自分を支援した理由は容易に想像出来る。
 見逃した借りを返す為。
 そして、特殊部隊の隊長に据える予定だったという述懐に対する、一度きりの返答だ。

 自らも生物兵器汚染の被害者であり、妹も深刻な浸食を受けている。
 そんなフェイルにとって、先刻の戦闘時におけるガラディーンの発言は、許容出来るものではなかっただろう。
 生物兵器推進派である事の表明そのものだったのだから。

 それでも、矢を放つ際のフェイルの殺気は、憎しみを練り込んだものではなかった。
 だからガラディーンは脅威を感じていなかった。
 同時に、気を緩めてしまった。

 彼等は優し過ぎた。  

 デュランダルは、リオグランテの人間としての人生を終わらせた事に悔恨を抱いていない。
 指定有害人種は処理する。
 それが自分の役目であり、またそうすべきだと解していたからだ。

 生物兵器投与実験は、極めて非人道的な行為でありながら、被験者の分布はエチェベリア全土に及ぶ。
 メトロ・ノームという日陰の無法地帯で育まれたこの国の暗部は、王の許可の下、国全体を汚染した。

 現国王ヴァジーハ8世は、その慎重さ故に消極的な政策を好み、保身に重きを置く。
 本来なら自ら進んで波風を立てる王ではない。

 変わってしまったのか。
 変えられてしまったのか。

 いずれにせよ、国王の命令は絶対。
 逆らえる者など誰もいないのだから、止められる筈もない。
 その点において、エチェベリアの王制はまだ機能している。

 しかしそれは、あくまでも制度の問題。
 通常、国王が外部の者によって変えられたのなら、それは最早王制の体を成さず、事実上の崩壊を意味する。
 傀儡国家と何ら変わりないのだから。

「終わったか」

 エチェベリアの未来は、次期国王に懸かっている。
 その重責たるや、実際に国を統べた経験のある者でなければ、推し量りようもない。

 デュランダルを待ち構えていた彼――――アルベロア王子は、自説に偏執する事でその重責に抗っている。
 この護衛すら付けない単独行動は、そう解釈するしかなかった。

「余はこれからビューグラスと合流し、ルンメニゲ大陸の深淵を覗く。我が国が自由国家となる為には、余がそれをせねばならぬ」

 アルベロア王子は配下の者を信用しない。
 自身が父である国王と対立している事を考慮しての姿勢である事は明白だ。

 王族にとって、親子関係は信頼の証とはならない。
 数多の歴史がそう教えてくれる。
 人間の暗部と言わざるを得ない。

「……本当に宜しいのですか」

 これから自分が発言する行為には、何の意味もない。
 わかっていても、言わざるを得ない。
 それもまた人間の業。

「ビューグラス=シュロスベリーが実験と称し多数の国民の命を奪った殺人鬼である事は明白。同時に、多数の指定有害人種を生み出した元凶でもある。その蛮行を許可したからこそ、殿下は国王陛下と対立しているのではないのですか」
 
「父との確執は主義主張の齟齬に過ぎぬ。倫理をもって忌避しているのではない」

「……ならば、この国に国民を守る王族はいないのですか」

「安楽死の是非から端を発した生物兵器の伝来を、余が歓迎している訳ではない。しかし――――自由国家の思想を繙くならば、淘汰すべきとも思っておらぬ。それだけよ」

「大勢の国民の犠牲を前提とした技術であろうと、有用であれば飲み込み糧にすると……そう仰るのですか」

「そうだ。この時代、武力だけでは旗は上がらぬ。生物兵器が『不老不死の可能性を秘めた技術』と判明している以上、この研究を捨てる事は出来ぬのだ」

 低確率ながら、生物兵器の浸食によって老化が止まり、極端な再生能力を身につけた者がいる。
 この事実を、アルベロア王子は――――自身の不老不死の成就ではなく自由国家の確立の為に必要だと判断していた。

「デュランダル。貴様が生物兵器をその体内に宿したのは、国民と痛みを分かち合うという意図もあったのだろう。その方の国家への忠誠心、余はよく知っておる」

「……」

 アルベロア王子は変わった。
 この一、二年で劇的な変化を遂げた。
 デュランダルはそれを危惧していた。

「不死の力など要らぬ。かのような秘術を持っている……その事実が――――」

 

 

「――――我が国を檻から解き放ってくれるのだ」

 数刻前のデュランダルとの会話を思い出しながら、アルベロア王子は言葉を紡ぐ。
 ビューグラスとスティレットは、そんな彼の一歩後ろを歩む。
 表情を悟られない位置で。

 二人の見解は一致していた。
 そしてデュランダルもまた。


 エチェベリアの次期国王は、静かに狂っていた。







 

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