"まだ剣聖ではない"

 ガラディーンの言葉の真意を汲み取れる者は、本人以外にこの場にはいない。
 彼は紛れもなく剣聖だったのだから。

 もう剣聖ではない、ならば妥当な言葉だ。
 しかしそれが言い間違いだと判断した者もまた、ここにはいない。

 鬼神。
 或いは――――修羅。

 穏やかな顔付きガラディーンが見せたその貌は、長らく王宮で時間を共有してきたデュランダルさえも目にした事のない、異様なものに感じられた。

「デュランダル」

 まるで何かに憑かれたような上司の姿に、名を呼ばれた当人は不信感を抱いていた。
 今、眼前にいるこの人物は、本当にガラディーン=ヴォルスなのかと。

「お前と共に戦場を駆けたのは、もう十年以上前か」

「ええ。あれ以来、大きな戦争は起きていませんから」

「これからこの国で、戦争が起こると思うか?」

 表情と口調がまるで一致しない。
 それもまた、人らしからぬ姿だった。

「それは……彼女の争奪戦という意味ですか?」

 彼女――――それがアルマ=ローランを指しているのは言うまでもない。

「そうだ。自らの記憶をも封印する事が出来る封術士。確かに、情報の収納という点においては優れた人材。そして、彼女が無法地帯であるメトロ・ノームを管理する事で、彼女自身に情報の防衛を徹底させるシステムもまた秀逸と言えるだろう」

「ならば否定します。彼女は戦争の火種にはならない」

「そう。某もここにいる同胞も、満場一致でその結論に至っている」

 同胞と、ガラディーンは室内に残っているリジルとカラドボルグ、そしてスティレットをそう表現した。

「世界の恥部の存在に辿り着ける人間は例外なく優秀だ。故に、それが如何に人の手に負えないかも理解する。アルマ=ローランだから扱える。このメトロ・ノームで……エチェベリア国内にありながら。エチェベリアの法で縛られないこの地で生まれ育った封術士だからこそ、どの国も手出しは出来ぬ」

 無論、アルマの中に膨大な情報が隠されている事は秘密であり、知る者は殆どいない。
 それでも、万が一その事実を他国の人間、特に王族や政治に携わる人間が知れば、アルマを攫おうと躍起になるだろう。

 もしアルマがエチェベリア人なら、それは国際問題になるのと同時に、エチェベリアの情報隠匿と指摘出来る。
 仮にエチェベリアが否定したとしても、他のルンメニゲ大陸の国々がどう判断するかで情勢は変わる。

 各国、自分達の恥部を他の国に知られたくはない。
 逆に、エチェベリアは既に知っている。
 ならば、未来を予想するのはそう難しくはない。

 エチェベリアは滅びる。
 他の全ての国を敵に回して。

 だが、アルマがエチェベリア人でないのなら、万が一情報が漏洩し、彼女が世界の恥部を知っていても、それは彼女自身の問題に帰結する。
 どの国にも属さない人物が、偶々エチェベリア国内にいただけの事。
 彼女が勝手に情報を得ていただけだと、そう主張する事が出来る。

 だからこそ、逆にアルマは戦争の火種になり得る。
 彼女は決してエチェベリアからは守られない。
 なら、攫おうと何をしようと危険は少ない。

『世界の恥部を独り占めする』という観点でのみ、アルマを捕らえる価値がある。

 しかし彼女を手中に収めれば『世界の恥部を独占した者がいる』という情報をエチェベリアに握られる。
 それが如何に危険であるかは、余りに容易に想像出来る。
 そして、エチェベリアは躊躇なくその情報を各国にリークするだろう。

 アルマは戦争の火種にはならない。
 だがそれは、あくまでも――――

「外国との戦争に限定した場合に限る……がな」

「貴方は、我等が国を裏切るのですか」

 内乱。
 その観点で見れば、アルマの身柄を拘束する価値は全く違うものになる。

 エチェベリアにとって、アルマが世界の恥部を収納している事実を漏洩されるのは、対策が講じられている時点で然程怖くはない。
 けれど、アルマの持つ情報を利用して何かを企むとなれば、話は別だ。

 他国がそれをやれば、他の国と連携して潰す事が可能。
 が、自国の一大勢力の場合は、そういう訳にはいかない。
 まして他国の勢力を巻き込もうとしているのであれば、尚更対応が複雑化してくる。

「世界各国の首脳に顔の利く流通の皇女を後ろ盾に、アルマ=ローランの持つ世界の恥部を我が物とするおつもりですか。エチェベリアが彼女という"箱"を作った事を、全世界に訴えるおつもりなのですか」

「某がそのような事をすると思っているのか?」

 しない。
 デュランダルの、国民の知るガラディーンであれば。
 だが今は、その前提すら危うい。

「……その女と組んでいる今の貴方なら、肯定せざるを得ません」

 音はなかった。
 空気の揺れも。

 デュランダルは、オプスキュリテを構えていた。

「ちょっと誤解してるみたいねン」

 二人だけの会話が、ここでようやく途切れる。
 介入したのは、その女呼ばわりされたスティレットだった。

「オジサマは世界の恥部なんて興味ないのよン。それは、わたしの獲物。その代わり、わたしの前に必ず立ち塞がる野暮な男からわたしを守るナイト様になる権利をお渡ししたの」

「……」

「そこで黙られるのは嫌ねン。でも、もうわかったでしょ?」

 スティレットは挑発するように、右手の五本の指を滑らかに動かす。
 獲物はもう目の前。

 そう、彼女達にとって――――

「オジサマの標的は貴方。オジサマの願いは貴方との勝負。ヤラセの試合なんかじゃなく、お互いの信念を賭けた本気の……ね」

 ガラディーンにとって、今この時は、長年待ち続けた瞬間だった。

「長かった。ようやく本懐を遂げられる」

 その顔は、ずっと変わっていない。
 最早、通常時の面影はない。

 確かにガラディーンは取り憑かれていた。
 無論、霊や物の怪の類にではない。

「左手に何かを仕込んでいるようだが、無駄だ。某の目を誤魔化せるとは思うな」

「……最早、引き返せませんか」

「人の情念とは斯くあるものよ、デュランダル」

 会話はそこまでだった。
 デュランダルの方に納得はなく、一方的な打ち切り。

 そして、一対一の戦争は始まった。










 

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