二人の目の前には、一つの扉がある。
 この扉の向こうに、フェイルの匂いを有した何かがある。

「いるんですね、ここにフェイルさんが」

「あくまで匂いだ。実際いるかもしれないが、前みたいに所持品だけがあるかもしれない。ちょっと考えればわかるだろう」 

「……そうですね」

 喧嘩腰の口調は今も変わらない。
 それでも、ファルシオンは己の浅慮を恥じ、素直に受け入れた。

「頭の中を纏めておけ。死体になっている可能性も十分にある」

「ちょっと……!」

「本当に目が見えないのなら、敵と遭遇した時点で終わりだ。しかも明らかに移動している。死体になって、誰かに運ばれたとしても何ら不思議じゃない」

「アンタ、それ以上は……」

「いえ。彼女の発言は正論です」

 憤るフランベルジュを、ファルシオンが右手で止めた。
 その表情に悲壮感はない。

 あるのは――――

「覚悟は出来ました。行きましょう」

「行きましょうって……」

「その扉を開けなければ、何も始まりません」

 それもまた、正論。
 フランベルジュは、何かを噛み潰すようなファルシオンの顔を暫く睨むように眺め、そして――――細い息を吐いた。

「……誤解はするな。私は別にあの男に死んでいて欲しい訳じゃない」

 その背後から、珍しいトーンでヴァールがそう漏らした。
 彼女にとって、フェイルの存在はある種の切り札。
 それは、目が見えなくなったという現在であっても、実のところ余り変わらない。

 彼が、アルマに慕われている事実は変わらないのだから。

「行くぞ」

 扉の取っ手に手を掛けるヴァールに、ファルシオンは即座に頷いた。

 部屋の前には札もなく、この扉の先が何の部屋なのかはわからない。
 だが、本当にフェイルの目が見えていないのなら――――

「待って下さい!」

 瞬間的にファルシオンが叫んだ。
 同時に、ヴァールの手が止まる。

「……何だ」

「貴女なら、仮にフェイルさんが気配を殺していても、いるかどうか気付けるんじゃないですか?」

 気付いたのは偶然だった。
 それは幸運と呼べるものだったかもしれない。

「もしフェイルさんの目が見えなくなっていて、この中にいるのなら、間違いなく気配は殺しているでしょう。でも、もしそうなら――――」

「入った瞬間に攻撃してくるかもしれない……って事?」

「いえ。私は気配を消していません。そもそも、そんな事は出来ません。だったら……」

「あ……」

 会話の中で、フランベルジュも気付いた。

 もし、この中にフェイルがいるのなら、例え壁越し、扉越しであっても気配に気付く。
 フェイルにはそれだけの察知能力がある事を、二人は知っていた。

 ヴァールはフェイルに勝るとも劣らないほど隠密行動に長けている。
 彼女なら、フェイルの思考をトレースするくらい訳はない。

 その彼女が、安全に何の配慮もなく、扉を開けようとした。
 これは決して無視出来るものではない。

「え……まさかこんな所まで来て私達をハメようとしてたって訳?」

「それは本人の口から聞きましょう」

 ハンドルに手をかけたまま沈黙していたヴァールに、二人の視線が向けられる。
 両者の瞼は下がっていない。
 見開いたまま、ただ返答を待っている。

 その姿を視界に納めながら、ヴァールは――――不思議な感覚に囚われていた。

「……何故そんな目で見る? 私を疑っていないのか?」

 少なくとも、彼女の目にはそう映っていた。

「そこのオートルーリング使いの指摘は的確だ。初めて感心した。私なら、即座に攻撃を仕掛けても良いと判断するくらいだ」

 それなのに何故――――そう言葉にする前に、ファルシオンが嘆息混じりに理由を告げる。

「不本意ですが、貴女の人間性は理解しています。疑うのは不合理です」

「ま、自分で言い出しておいてなんだけど、この場で私達を騙し討ちするようなタイプじゃないんでしょうね。もっと強い奴がいるならまだしも」

 フランベルジュもまた、肩を竦め断言する。
 それも、ヴァールには不思議にしか映らなかった。

「私は別に、お前達を見下しているつもりはない」

「でも卑怯な手を使って倒したらプライドが傷付くくらいには思ってるでしょ?」

「……どうだかな。ほんの少し前までなら、そう思っていたのかもしれないが」

 本心だった。
 ヴァールは、自分が何の検閲もせず心の声を発した事に、自ら驚きを覚えていた。

「恐らくここにフェイル=ノートはいない。だが可能性が皆無とまでは言えない」

「だから、自分で扉を開こうとしたんですね。もしフェイルさんがいるのなら、見えなくても私やフランに気配で気付いて襲ってくる心配はない。でも、もしフェイルさん以外の人間がいたら――――」

「私が一番無難に対処出来る。それだけだ」

「それと、フェイルがさっき言ってた状態になってたら、最初に私達にそれを見せない為……でしょう?」

 フェイルが本当に死んでいたとしたら、ヴァールが第一発見者になる。
 その遺体の損傷次第では、見せない方がいいと判断出来る。
 そんなフランベルジュの指摘に、ヴァールは敢えて返答はせず、下がっていろと手のジェスチャーでのみ示し、ゆっくり扉を開けた。

 中には――――人はいない。
 事前に人の気配を感じてはいなかったヴァールにとっては想定内だった。

 しかしフェイルの匂いは、確実に室内から発している。
 問題は、彼の所持品や装備品のような物が一切見当たらない点だ。

「二人とも入れ。何もない」

「何も……ですか?」

「武器や服も?」

 怪訝そうな声と共に、ファルシオンとフランベルジュも室内に入る。
 そこは、会議室もしくは控え室と思われる広さの部屋だった。

 だが椅子はない。
 灯りはあるが、炎のような明るさはなく、薄暗闇に包まれている。
 明らかに永陽苔が使用されている。

「取り敢えず、フェイルさんの痕跡を探しましょう」

「女剣……フランベルジュ、だったか。お前は入り口を見張っていろ。足音がしたら直ぐに知らせろ」

 名前を呼ばれた事に、フランベルジュは一瞬驚き――――奥歯を一瞬噛み、頷く。
 その後、ヴァールの赤魔術によって室内は明度を上げ、捜索が行われた。

 そして、時間は然程かからなかった。
 痕跡が見当たらなかったのは、室内が暗かったから。

 それは、目立つ形で残っていた。

「……血痕です」

 ファルシオンの目に映ったのは、床を濡らした少量とも大量ともいえない、掌くらいの面積をした赤い染みだった。









 

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