決着は一瞬だった。
 クラウの首の骨は確かに砕けた。
 完全に俺はしなかったが、確実に亀裂は入っていた。

 が――――それはクラウにとって致命傷ではない。
 心臓を貫いても同じだ。
 彼に死は許されていない。

 そういう人間は、戦略性を大きく広げる事が出来る。
 例えば相打ち。
 通常なら、死を覚悟しなければならないその選択を、最低限のリスクで出来る。

「首を狙うのは良い判断でしたな。打撃で一撃絶命を狙うならここです。あと少し、あと一歩踏み込みが深ければ、私は戦闘不能になっていたでしょう」

 その言葉とは裏腹に、クラウは耳元で悠然とした顔をして告げる。

 どれほどの達人でも、攻撃の瞬間に守りを固める事は出来ない。
 全身を鎧で覆っていれば別だが、魔術全盛のこの時代、そんな装備で戦場に出る者はいない。
 機動性を重視し、回避に特化した軽装で戦う者が圧倒的に多い。

 デルも当然、その一人。
 彼の場合は自身を戦闘員だと悟らせないよう、防具とわかる物は一切身に付けていない。
 布製の服の下に薄手のチェーンメイルを着込んでいるだけだ。

 所詮は付け焼き刃。
 拳を繰り出した刹那、クラウのフィナアセシーノによって切り裂かれた身体は、チェーンメイルもろとも大きく裂かれた。

「あ……ガ……」

 血は吹き出ない。
 服に滲む程度。
 クラウはデルの身体が一瞬で遺体にならない程度のダメージを、首の骨の損傷と引き替えに与えていた。

 デルはその場に崩れ落ち、仰向けに倒れ込む。

 致命傷ではないが、助かる見込みは薄い。
 だが、ここは病院。
 クラウに運ばれていくか、運良く誰かがここへ駆けつければ、命が助かる可能性は僅かにある。

 そういう負傷になるようコントロールされた事を、デルは瞬時に理解した。

「優しい人ですネ……アルマ=ローランの目を汚さないよう……首を刎ねるのをためらいましたか……」

「それだけではない事、貴公ならわかっているでしょう。全ての情報を私に譲るのなら、その命は助かりますが」

「……それは……情報屋への死刑……宣告だネ……」
 
 声に力がない。
 それでも、デルの結論は――――

「好きな……事を……聞きなヨ」

 命乞いだった。
 既にウエストを自らの手で潰している彼に、情報屋としての矜持は残されていない。
 あるのは、夢でも野望でもない、ただの本能のみだった。

「では手短に。貴公は流通の皇女と情報を完全に共有しておりますかな?」

「そうだネ……してるヨ……」

「ならば、アルマ様がここへ来ると予測している訳ですな。何故それを防ごうとしないのか。そこは少々気になりますな」

「彼女は……アルマ=ローラン……の記憶……を……戻す……のに異論はない……」

「それは当然ですな。しかし、その瞬間に立ち会えなければ大きな痛手。世界の恥部を知りたがっている彼女には致命傷と言っても差し支えないでしょう」

「違う……ヨ……あの女は……化物だ……からネ……常人の思考じゃ……ない……」

 消え入りそうな、しかしそれでも生への執着を声に乗せ、デルは言葉を絞り出す。

「あの女が知りたい……のは……そこじゃない……世界の恥部……各国の……弱味は……カムフラージュ……」

 その刹那、クラウの目が見開かれる。
 それとほぼ同時に、デルの目が閉じた。

 生命活動を終えたかどうかは不明。
 確認する必要性も感じなかったが、それでもクラウは物言わぬデルの首に手を当て、暫くした後――――その瞼に少し触れた。

「……」

 アルマはその一部始終を眺め、戸惑った顔でクラウに目で訴える。
 クラウは静かに首を横へと振った。

「彼は命を賭して、貴女を手に入れようとしました。我々はこういう世界の住民なのです」

「……わからないよ、此方には」

「アルマ様はそれで良いでしょう。さて、時間もない。そろそろ――――始めましょう」

 デルの傍で膝を折っていたクラウが立ち上がり、再度アルマの元へ歩み寄る。

「始める? 何を?」

「貴女の記憶を呼び覚まします。一応、私はその役を担っているのです。尤も、生き残ったのが偶々私だっただけの話ですが」

 この部屋には何もない。
 特別な何かがある訳ではない。

「その為、こんな場所まで御足労願ったのですから」

 それでも、アルマの記憶の封印を解くには、この場所が必要だった。

 封術のスタンダードは空間の封印。それを解くには特定の認証コードを組み込んだ魔術が必要となる。
 解術と呼ばれる魔術だ。

 認証コードは空間情報をルーン配列で表した暗号のようなもので、要はその封術を施した証。
 封術は原則として、使用した人間が解除するという用途で開発されたものだった。
 だが現在は、封印した空間の情報さえ得られれば認証コードの解析を個人でも行えるようになっているため、他人の施した封術を解除するケースも少なくない。

 それは、記憶の封印においても同様。
 記憶に対する封術の場合は、記憶の情報が認証コードとなっている
 記憶の断片と言い換えても良い。

 その記憶の断片を、記憶が封印された人間に認識させる事で、その人間の記憶の中に認証コード――――記憶の情報をルーン化したものが蘇る。

「アルマ様。この場所に見覚えはないですかな?」

「……ないよ。来た事もないと思うよ」

「そうですな。"来た"事はないかもしれませぬ。恐らくは連れて来られたのでしょう」

「え?」

 覚えは已然、ない。
 けれどアルマは、今のクラウの言葉に不思議な感情を抱いた。

 それは――――恐怖だった。

「ここは、アルマ様の記憶が封じられた場所。それを行ったのは、貴女の家族……身内ですな」

「……」

 アルマは絶句していた。
 家族。
 その情報は、彼女にとって有害だった。

「貴女は、この場で、身内によって記憶を封じられたのです。貴女は全てを背負わされたのです。この大陸の……各国の恥部の記録を。そして、その保管の全責任を」

「あ……ぁ……」

 記憶の断片が、アルマの心の中に少しずつ浮かび上がってくる。
 それは小石のように小さく、所々尖ってもいた。
 その角が、或いは棘が、心の内側を薄く傷付けていく。

 痛みは信号だ。
 それによって人間は身体の不調を知る。

 アルマの痛みは次第に大きくなり、やがて立っている事さえ出来なくなっていった。

「悲鳴すらあげませぬか……その強さ、心の底から尊敬致します。アルマ様の身は私が必ずお守りします故、どうかお許し願いたい」

 うずくまり身を震わせるアルマから目を反らし、クラウは天を仰ぐ。
 尤も、あるのは天ではなく、天井。
 そこには闇しか映らない。

「私は、あの女だけは許せないのですよ。我が同胞……我が親友の命を軽々しく扱ったあの女だけは。それまでは狩られる訳にはいかないのです」

 闇を招き入れたクラウの目は、黒く澄んでいた。

「必ずある筈です。アルマ様、貴女の頭の中には……あの女を屠る方法が」









 

                         前へ      次へ