ヴァレロン・サントラル医院は紛れもなく病院であり、同時に――――

 メトロ・ノームの心臓部でもある。

 その事をカラドボルグ=エーコードが知ったのは、彼がこの病院を初めて訪れるよりも前の事だった。

 優れた開業医として名を馳せながら、馬車の転倒事故に巻き込まれ医療の最前線に立てなくなった父親を持つ彼は、その父から外科医としての技術、独学で内科医としての知識を学び、身体のあらゆる部位にも精通する医師へと成長。
 10代で医学の粋と言われる医師会へと加入し、20代前半でそのトップ十一人によって構成される『ナンバー11』に属する事となった。

 世界各国の名だたる天才医師達が集うナンバー11には、あらゆる情報が寄せられる。
 医療技術に関する新説、顕著な効果が認められた新薬、未知の病原菌――――

 そして、医学と他分野との融合。

 最も話題に上る事が多かったのは、魔術と医学を組み合わせた『回復魔術』の研究・開発だった。
 諸説あるが、魔術は自然をなぞらえた術式であり、自然を模した技術と言われている為、自然治癒の存在するこの世界で、回復魔術の確立は十分な可能性がある――――そういう理屈だ。
 教皇の交代によって魔術国家デ・ラ・ペーニャの方針が変わり、攻撃魔術以外の分野を開拓するお達しが各方面に下っていた事も大きな要因で、世界中の医療関係者の間に激震が走った。

 もし、魔術で怪我や病気が治せるようになったら、医療技術は全て過去のものになる。
 大半の医者が職を失う。

 ――――などといった危機感を募らせる者は殆どいなかった。

 理由は単純明快。
 少なくとも自分達の代でそのような魔術が完成する筈がないとタカを括っていたからだ。
 実際、まだ構想の段階であり、魔力が自然治癒力を向上させたり身体の各細胞に作用したりするかどうかを確認する研究に着手した程度なので、回復魔術なるものが成立するか否かさえ判明するには相当な時間がかかる。

 それでも話題になっていたのは、単純に金の問題だ。
 デ・ラ・ペーニャが回復魔術の開発に国家予算の一部を投じるという話があり、それに食いつこうとする医師が増えている――――そんな話が真しやかに囁かれている。

 なら、その膨大な資金をどうにかして我々の収入源の一部に出来ないか……とナンバー11の面々は画策していた。

 もし、回復魔術の研究・開発を自分達の管轄下に置く事が出来れば、実質的にその為の資金を他の資金と一律化してしまっても、内部事情さえ漏らさなければ問題はない。
 万が一、急速に回復魔術の研究が進み実用化が可能になったとしても、その運用をコントロール出来る。
 資金の底上げは医師会、そして医学分野の影響力をより高める事になる為、彼らにとっては良い事尽くめだ。

 とはいえ、デ・ラ・ペーニャに医師会に回復魔術の研究を委任させるのは現実的ではない。
 医師会の息がかかった魔術士を送り込み、研究の総括責任者に押し上げる……というのが妥当だが、それにはかなりの時間がかかるし、上手く行く保証もない。
 教皇選挙が行われるデ・ラ・ペーニャは"身体検査"にも定評がある為、途中で計画が頓挫するリスクもあった。

 そこでナンバー11は、デ・ラ・ペーニャの弱みを見付ける事に注力した。
 ただし、あくまでも数ある資金調達ルート候補の一つに過ぎない。
 ナンバー11の面々が複数関わるような段階ではなく、この案件は新参者のカラドボルグに一任された。

 若きカラドボルグは、秘めるタイプの野心家だった。 
 この件は、自分のみならず医学界全体の利益になると判断し、同時に様々な分野へのパイプ作りに活用出来ると踏んだ。

『回復魔術の完成と管理』を達成する為に必要なのは、魔術国家デ・ラ・ペーニャとの接触と連携だけではない。
 回復魔術を現在の医療の上位に置かない為の方策こそが肝要だ。
 そして同時に、デ・ラ・ペーニャの弱みを握り、主導権を握る必要もある。

 その鍵は、デ・ラ・ペーニャの隣国エチェベリアにある――――カラドボルグはそう踏んだ。

 エチェベリアはデ・ラ・ペーニャに戦争で圧勝した国。
 にもかかわらず、占領するどころか何かを変えたような印象さえない。

 両国の間に何かがあった。
 その何かが、デ・ラ・ペーニャにとって最大の弱みとなる。
 問題は、それをどうやって探るか――――

 カラドボルグが接触を図ったのは、『流通の皇女』と呼ばれている女性だった。

 エチェベリアのみならず、世界各国の流通を支配している人物。
 流通とは単なる物資の輸送や保管だけを意味するものではない。
 各国の経済状況や資源状態を全て把握する事も含めている為、当然あらゆる情報が彼女の所へ集まってくる。

 流通の皇女と接触し、他の様々な分野の権力者とのパイプを作れば、必ずエチェベリアの抱えている『デ・ラ・ペーニャの弱み』へと辿り着ける。
 製薬の要である薬草学や、生体実験に必須の生物学の権威達と親しくなれれば、尚の事望ましい。

 カラドボルグのそんな目論見は、大方的中した。

 しかし大きな誤算があった。
 それは致命的と言えるほどの、彼の人生にとって転機となるような出来事だった。

 彼は――――

 


「――――……」

 今日この日も、これまでと変わらず遠くから彼女を眺めている。

 その女性は病に冒されていた。
 先進医療をもってしても、ただ経過を見守るしかない、実質的な敗北。
 だが彼女は、医学ではなく生物学との癒着により、自身の命を勝ち取った。

 勝ち取ったのは、命だけだった。
 彼女は最早、以前の彼女ではなかった。
 それが――――カラドボルグにとっては何よりも許し難い。

 その女性は、全ての記憶を有していた。
 流通の皇女としての記憶も、女としての記憶も。

 人格は記憶が作る。
 カラドボルグはそう理解していた。
 記憶喪失になった人物が、以前とは全く違う人格を呈するのを何度か目の当りにしていた為だ。

 しかし、その考えを改めるべき症例と出会ってしまった。
 彼にとっては口惜しくもあり、同時に――――医療者としての本分が満たされる日々でもあった。


「貴方が何処に鍵を隠したのかは、大体想像がつくのよン♪ それに、仮に見付けられなかったとしても――――」

 彼女は嗤う。
 あの時とは違う笑顔で。

「全部潰してしまえば、それで良いだけなのよねン♪ この病院ごと」

 元剣聖ガラディーン=ヴォルスの隣で、スティレット=キュピリエは心臓を握り潰すかのように、掲げた右手を握り締めていた。








 

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