――――それは、心音に似ていた。

 微かに、しかし確実に耳の内側から聞こえる音。
 なのに自分の心臓が動いた音とは少しだけ違う。
 不可解な感覚に、ファルシオンは思わず歩みを止めていた。

「ファル?」

「いえ……なんでもありません。行きましょう」

 魔術士は、魔術が使えるから魔術士。
 それが一般的な定義である事に疑いの余地はない。

 だが、魔力の量が他者よりも多い事に、なんらかの意味があると考える者は少なくない。
 誰でも一度は考える。
 単純に自身をより大きく見せたい為の誇大妄想だと自嘲する者が大半だが――――魔力の意味を。

「止まりついでだ。これからの事を整理するぞ」

 最後尾を歩いていたヴァールは、ファルシオンの背中の直ぐ傍で立ち止まり、そう告げる。
 その声は普段となんら変わらない。
 先程、ファルシオンに魔具を奪われるという屈辱を受けた直後と比べれば、顔色は格段に良くなっている。

 だが、そう簡単に切り替えられるものではない。
 魔術士にとってはそれくらいの不名誉であり、恥だ。

 剣士が剣を折られる事に屈辱を覚える者はそれなりにいる。
 だが、魔術士が魔具を奪われるのは、それとは次元が違う。
 それこそ、衣服を全て剥ぎ取られる――――或いはそれ以上の辱めだ。

「この院内の何処かにいるフェイル=ノートと合流する。その後、一度この病院を出る。お前達はそれでいいんだな」

 だから、ヴァールは単独行動はせず、二人について来ている。
 正確にはファルシオンに。

「ええ。本当にフェイルの目が見えなくなっているのなら、もう私達に出来る事は何もないもの。出来れば、リオも一緒につれて行く」

 つまりは――――撤退宣言。
 敗走という事になる。
 それでも、二人は決断に一切躊躇しなかった。

「私も魔力切れの今、まともに戦えるのはフランだけです。この状況で貴女の上司に遭遇したとしても、恐らく何も出来ないでしょう」

「大した負傷もしてないのに頼りにならなくてすいませんね」

 そう拗ねながらも、フランベルジュは自分の力を正確に把握していた。

 今、この院内にはデュランダル=カレイラがいる。
 彼が直接出向かなければならない敵がいる。
 自分にはそこに割り込めるような実力はない。

 撤退は屈辱。
 それでも、フランベルジュは即座に受け入れた。

 大事なのは、自分の矜持ではない。
 無事に危機を乗り越える事。
 そして、足りないものを知る事。

 フェイルに感化された事で、フランベルジュの思考は随分と柔らかくなっていた。

「フェイルさんにとっては、撤退は最悪の選択かも知れません。彼は花葬計画を止めなければならないと気負っていましたから」

「目が見えなくても諦めない……そう思っているのか?」

「はい。でも、諦めさせます。私達では力不足でした。花葬計画は、私達ではない誰かが止めるのを期待しましょう」

 微かに戯けたような声で、その誰かに目を向ける。
 そのファルシオンの挙動は、ヴァールにとって――――歯軋りするほどの恥辱だった。

「あの醜態を晒した私に何を期待するだと?」

「勿論、名誉挽回をです。貴女の素性は知りませんが、貴女はもう、本来の目的よりもそれを優先せざるを得ないのでは?」

「……」

 思わず押し黙るほど、ファルシオンの言葉はヴァールの心に深く刺さった。

 敵対していて奪われた訳ではない。
 デュランダルという絶対的強者に対し、全神経を集中させるのは必然。
 そこを狙われた――――訳ではなく、止められたのが一番の屈辱だった。

「……まさか、貴様に命を救われるとはな」

 挑めば間違いなく死が待っていた。
 ファルシオンが魔具を取り上げた事で、その機会から逃れる事態となった。

 何より、それが許せなかった。

「私と貴女は根本的な部分で相容れません。貴女の魔術士としての本分と私のそれは、何があっても交わる事はないでしょうから。ただ一つ言える事は、貴女は私達との戦いに敗れ、私に助けられた。しかも考え得る上で最も無様に」

「ちょ、ちょっとファル。それは言い過ぎじゃ……」

 珍しくフランベルジュが他者の毒舌に引いていたが――――思わずそこで言葉を詰まらせる。
 ファルシオンの顔は、優越感など微塵も含んではいなかった。

 寧ろ――――

「いい加減、楽になったらどうですか?」

 哀れみ。
 それが見えたからこそ、ヴァールはファルシオンから離れられなかった。
 フェイルが無力化されたとわかった今、本来ならとっくにスティレットの元へ戻るべきなのに。

「言えば、力になるとでも言うのか?」

「まさか。でも、目的に少しでも重なる部分があるのなら、お互いを利用する覚悟はあります」

 ファルシオンが振り向いた事で、両者の視線が院内の廊下でぶつかる。
 

 私は貴様が嫌いだ――――


 ――――私は貴女が嫌いです
 

 そう主張する瞳は、結局平行線から逃れられなかった。

「……ふぅ」

 嘆息したのはヴァールの方。
 諦観の念が最も近い感情だった。 

「延々と身の上話をする気はない。私がしているのは、魔力の自律進化の秘密を突き止める事だ」

「自律進化……ですか。以前言っていましたね」

 この病院に来る以前、やはりデュランダルと遭遇した時の言葉だった。
 魔術士であるファルシオンであっても、魔力の自律進化という言葉には思い当たる節はなく、だからこそ覚えていた。

「あれから少し考えたのですが、貴女の魔術は既に自律化されているのでは?」

 術者の意思に関係なく動く魔術――――それがヴァールの使用する『ケープレル=トゥーレ』を見たファルシオンの率直な感想だった。
 人型である事も含め、そんな魔術は一度たりとも見た事がなく、だからこそこのヴァールに強い執着心を抱いた。
 無論、それだけが理由ではないが。
 
「私が使う魔術は『そう見える』というだけだ。わかりやすく言えば模擬魔術といったところだな。幾つかの習性を与えているが、それが自律化とは言わない。というより、魔術ではそれが限界だ」

「だから『魔術』ではなく『魔力』の自律進化、ですか。それを成し得たとして、一体どんな恩恵が得られるのですか?」

 唯一魔術士ではないフランベルジュが話についていけず困った顔をしているのを感じながらも、ファルシオンは会話の続行を選択した。

「貴様にそれを言ってどうなる」
 
「言ったでしょう。利用価値があるのなら利用するし、利用されるのも受け入れると」

 先に目的を言うのは、得策ではなかった。
 それでもファルシオンは、他のあらゆるものより――――

「貴女の魔術ならフェイルさんを見つけ出せるかもしれない」

 その目的を優先させた。







 

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