人間には本能がある。

 生命の保護や種の保存などといった他の生物と共通するものが多いが、大半を占めている程ではない。
 人間特有の本能も存在する。

 だが、人間は生まれて直ぐに文化に触れる。
 それが人格形成だけでなく、本能にまで影響を及ぼしている可能性は極めて高い。
 純粋な本能は、どのような形であれ社会性の断片を有しているのが常だ。

 この一見矛盾しているような事実を体現しているのが、生物兵器の特徴の一つだった。
 
 魔術や魔術士に対抗する為に生み出された技術。
 しかし、生物兵器と呼ばれるもののほぼ全ては、対魔術に特化してはいない。
 寧ろ、魔術士を相手に戦う事を前提にした生物兵器の方が、現代においては稀有な存在だ。

 当初は確かに、魔術に対抗する為、魔術士を淘汰する為に開発された筈だった。
 だがいつしか、その目的は歴史の一部となってしまった。

 魔術は魔力を源泉とした技術。
 魔力とは、人間の体内に宿る、誰にも目視する事が出来ない力。

 そして――――人間を次の生命進化へといざなう重大な力。

 生物兵器は、魔力を人間から奪うのを拒否した。
 使い手がそうしたのではない。
 生物兵器の本能がそうした。

 生物兵器とは、人間以外の生物を材料とした兵器。
 そこに本能があるとしても、それは人間以外の本能だ。

 だが、生物兵器は魔術士との対立を拒んだ。

 生物兵器を開発していたトゥールト族は、人間の体内から魔力を奪う生物兵器の完成を最大の目標に掲げていた。
 魔力がなければ、どれだけ腕の良い魔術士であっても魔術を出力させる事は出来ない。
 魔術を無効化させる防具や、魔術士により高い殺傷力を発揮する武器の開発も行っていたが、それはあくまでも途中段階であり、最終的には魔力の根絶を狙っていた。

 これには効率的ともいえる理由がある。

 対魔術用の生物兵器を開発する為には、魔術を用いた実験が必要だ。
 しかし、当然ではあるが彼等に魔術士を必要な数だけ捕らえられる力はない。
 それがないから、生物兵器を作っている。

 けれど魔力なら、魔術士ではなくとも、その身に少しくらいは宿している。
 研究と実験という観点で、魔力を標的としたのは正しい。

 ただ――――トゥールト族にとって誤算だったのは、どのような生物を用いても魔力の消滅どころか減衰さえ敵わなかった事。
 人間を弱らせる毒を有した生物や植物は沢山存在しているのに、魔力だけは全く干渉しない。
 その事実を彼等が認めるまで、長い長い年月を要した。

 生物兵器で魔術士を殺す事は出来る。
 でも、魔力に触れる事は出来ない。

 これが何を意味するのか?

 答えは誰も得ていない。
 あるのは仮説のみ。

 その数多の仮説の一つが『魔力とは人類進化の可能性』というものだった。 

 提唱したのは、リジル=クレストロイという名の人間。
 トゥールト族の血を引いた生物学の権威で、見た目は子供だが年齢は四〇を越えている。

 彼は常に魔術士の傍にいようとした。
 本当に魔力が人類進化の可能性を持つ力だとしたら、豊富な魔力を持った魔術士こそがその担い手だからだ。
 生物兵器の研究を行っているが、それは魔術士撲滅が目的なのではなく、『人間に宿した生物兵器が人間の本能を有している』『その上で自他の魔力に対して一切の干渉をしない』という仮説を証明する為だった。

 比較対象として、人間に宿さない生物兵器も研究していた。
 同時に、そういった生物兵器が人間に影響を受けるか否かも観察した。
 結果は――――概ねリジルの仮説通りだった。

 その研究の過程で、リジルは知る。
 魔力に大きな可能性を感じているのが、自分だけではない事を。 

「魔力にはねン、自律進化の可能性があるのよン♪ 言ってる意味がわかるのなら、あたし達は良いお友達になれそうねン♪」

 余りにも容易に、余りにも瑞々しく彼女の言葉はリジルの体内に吸い込まれていった。

 魔力は――――自我を持つ。
 その自我を呼び起こせるのは、人間以外の生命を使い、決して魔力に影響を及ぼさず、人間とその魔力を分離させる――――

 


「生物兵器……がっ……!」

 


 リオグランテの足元が、凄まじい轟音と共に吹き飛ぶ。
 院内の狭い通路でそれを完全回避するのは、例え身体能力が図抜けた者であっても不可能だった。

 それでも直撃を避けたのは、彼の天賦の才か、或いは生物兵器によって強制的に目覚めさせられた『リオグランテの魔力』なのか――――

「国の玩具にされた事への同情はしましょう! だが彼女を殺す事は絶対に許しません!」
 
 ハイト=トマーシュの魂の叫びが、彼の放った魔術の爆発音さえもかき消した。

 アニスの保護者である彼の――――本能が、この場へとその身をいざなった。

「ぐ……ぁ……」

 直撃しなかったとはいえ、爆風によって吹き飛ばされたダメージは決して軽くはない。
 けれど、今のリオグランテに肉体の損傷や疲労を生命の危機と結びつける機能はないも同然。
 そして何より――――

「……」

 生物兵器を宿した魔術士という、目の前にある歪で哀れな存在に救われた気がして、攻撃性の矛先が変わった。

 生物兵器は魔力を壊さない。
 だが魔術士を殲滅するのが技術としての本懐でもある。

 無論、そのような目的を生物兵器全体が共有していた訳ではない。
 あくまでも兵器。
 人間に開発された一技術に過ぎない。

 生物兵器は様々な形態を成す。
 剣のようにわかりやすく武器として作られた物もあれば、特殊な性能を有した生き物――――ドラゴンゾンビのようなものもある。

 生物兵器を宿した人間は、その人間自体が生物兵器でもある。

 故に――――

 人間としての自我が。
 魔力に目覚めた微かな自我が。

 魔術士を目の前にした時、歓喜に打ち震える。

 殺せ。
 壊せ。
 根絶やしにしろ。

 そんな衝動に駆られる。
 例えかつての仲間であっても、それは抑えられない。

 生物兵器を宿した人間の衝動――――本能は、とても社会的で、人間的で、そして戒律的だった。

「ぁ――――!」

 叫びにさえならない、掠れたような声がリオグランテによって放たれる。
 それは、感情の塊だった。

 彼が生きた証だった。

「既に人間ではない者同士。これも運命です。最後は私が貴方を導きましょう」

 脚に力を溜めている眼前のリオグランテに、ハイトは哀れみと共感を覚え、指輪を光らせた。

「アニス。貴女はこうはならないよう祈っています。貴女の兄ならば、きっと……」

 彼の後ろで、アニスは気を失っていた。
 リオグランテの体当たりは、それだけの威力があった。
 骨も数本折れているのは間違いない。

 それでも、命に別状はない。
 アニスの身体が微かに律動するのを横目で確認したハイトは視線を戻すと共に、哀れみを静かに消し、感謝を追加した。

「貴方は立派な勇者でした。残念ながら、私もどうやらその事実を正しく伝えられそうにない。でも――――」

 既に失う命はない。
 生命活動の全ては生物兵器によって行われている。

 その全てを消してしまう事で、それも終わる。
 浄化と呼ぶべきか、或いは昇天と呼ぶべきか。

「貴方の仲間を信じましょう。勇者計画を……叩き潰してくれると」

 床を蹴る音。
 破壊する音。

 それは、ほぼ同時に消えた。






 

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