院内の空気は、まるで霧雨が凝縮されたかのように重さと冷たさを有している。
 動くだけで違和感を覚え、動かなくとも皮膚がヒリつく。
 それでいて、普段は誰よりも冷淡なヴァールさえ、その頬に微かな冷汗を滲ませるほど――――異様な空間が広がっている。

「勇者計画と花葬計画には、当初から密接な関わりがあった筈です。どちらも同時に立ち上がった訳ではないのでしょうが、どちらかが後に立ち上がり、もう一つの計画に寄り添った。恐らく勇者計画の方が後だったのでしょう」

 既存の花葬計画が、勇者計画によって補強され、より多岐にわたる計画となった――――それがフェイルとファルシオンの共通認識。
 だからこそ両計画は同時進行で行われ、お互いを邪魔する事なく、中にはどちらにも関わりながら、着々と目的へと近付いていた。

「これだけの大規模な計画を、信頼の置けない人間に指揮を執らせる筈がありません。となれば、国王陛下から最も厚い信頼を得ている貴方がその責任者と考えるのが自然。両計画を両立させ、それぞれが衝突する事なく、時には巧みに隠れ蓑としながら……実行している。そうではないのですか? 貴方がここに現れた意味は」

「……」

 デュランダルに対し、ファルシオンは最初から勝負を仕掛ける気などなかった。
 彼の表情が動かない事など、誰でも知っている。
 ならば挑発に然程の意味は見出せない。

 だから、これは――――

「貴方が全ての黒幕という可能性も、私は視野に入れています」

 見せかけの挑発。
 挑発である事に変わりはないが、求める成果は本来の挑発のそれではない。

 実際、ファルシオンの発言には嘘が多分に含まれていた。

「ならば……俺を打倒する事で復讐の本懐を遂げるか。勇者一行」

 そして、そうデュランダルに解釈される事を心から望んでいた。

 彼はリオグランテを殺した張本人であり実行犯。
 そんな人物を『黒幕』と罵れば、必然的にこうなる。
 この者達は仇を敵に仕立てる事で、復讐を正当化しようとしている――――と。

 だが、そう解釈したデュランダルがファルシオンの悪意に武をもって応えれば、それは全滅を意味する。
 本来ならフェイルの仲間である事を最大限にアピールし、同情と懺悔と悔恨をもって敵意を削ぐのが最も建設的な行動なのだが、ファルシオンはそれを良しとしなかった。

 これは、次善策だ。

「貴方を倒す事など出来ません。自己満足の仇討ちでリオの元へ……勇者のいる所へ行ったところで、何も生まれませんし誰も救えませんから」

「……お前は」

 デュランダルは確かに何かを言いかけた。
 そして、それに続く言葉にファルシオンは覚えがあった。

 既に一度試している。
 だから何も迷う事などない。

 知識を共有している。
 経験を共有している。
 想いは――――果たしてどうか。

 いずれにせよ、ファルシオンには自信があった。
 この場を切り抜ける自信と、今自分が試みている事への自信が。

「あくまでも、貴方が黒幕である事を可能性の一つとして視野に入れているだけです。でも、その視点で見なければ見えない事があると気付きました」

「……そうか。敢えてか」

 気付かれようと、どの道止まる理由にはならない。
 そして、既に隣のフランベルジュも、一歩下がった位置にいるヴァールも、気付きつつあった。 

「貴方が黒幕である可能性を考慮する事は、貴方と同等の地位にいる黒幕の可能性も考慮する必要があります」

「似ているな。フェイルに」

 フェイルの模倣。
 彼の思考を、まるで暗中の閃光のように追いかける。
 フェイルなら、そこに辿り着くと――――そう信じて。

「ヴァレロンは大都市です。そこで行われれる武闘大会も、十分大規模と言えます。でも、だからと言ってこの国の最強の騎士が二人来るのは、やはりどう考えても不自然です。両者が戦う事で世代交代を民衆に印象付ける。勇者に圧勝する事で、勇者という地位を汚す。確かにそれは大きな意味があるのでしょう。でも、それだけの理由でここまでは来ない……来させる筈がないですよね。未だに、王都には騎士団の主力二人が欠けている訳ですから。もし今、他国に攻められたら一体どうするんですか?」

「本当にあいつらしいな。結論を出しておきながら、わざと勿体振る。そして相手の反応を見る。俺が俺であると知りながら、何度試された事か」

「フェイルさんはそれで何か戦果を得ましたか?」

「……さてな。与えたつもりはないが、掴まれた気はする。だとしたら俺は……」

 見かけとは違い、揺さ振りに弱い。
 或いは――――そう自覚しているからこその『銀仮面』。

「恐らく見抜いていたと思います。フェイルさんは。だから貴方を慕ったのでしょう」

「どうだかな。心中では失望していたのかもしれない」

「それはあり得ません。貴方の事を話す彼は、いつだって少年のようでした」

「……」

 沈黙は全員が共有していたが、その中でも特にヴァールは絶句という表現が相応しい表情を浮かべていた。
 デュランダルほどではないにしろ、彼女も無表情を貫く人種。
 そのヴァールをしても、ファルシオンがデュランダルと普通に会話しているこの状況には違和感を抱くしかなかった。

 違和感は、苦痛にも満たない心身の乱れ――――ではない。
 度合いによってはどんな苦痛にも勝る歪みと化す。
 ヴァールは今まさにその状態にあり、身動きさえとれずにいた。

「気付いている通りだ。俺と剣聖……ガラディーン=ヴォルスは派閥争いの真っ直中にある」

「え……?」

 驚愕の声はフランベルジュ。
 当然だ。
【銀朱】の二人にその噂が流れているのは事実だが、同時に当人ではなく部下同士の諍いというのが大半の人間の共通認識だったのだから。

「なら、貴方の真の目的は……絶対に果たさなくてはならないのは……」

「当然そうなる」

 既にデュランダルの口調は、フェイルに話しかけているのと同じものになっていた。
 故に、塵のような感情が言葉を覆う。

 それは、例え敵対していても、或いは無関係であっても、耳を塞ぎたくなるような、そんな――――現実だった。

「ガラディーンの抹殺だ」








 

                        前へ     次へ